第13話
唯川さんに残された時間はわずか三日間であった。僕は会場準備の手伝いをすると言ったが、それは認められず、僕は純粋な「お客様」として、その日をそわそわしながら、待ち続けた。
当日、ライブカフェに通じる階段を上がって扉を開くと、そこには赤い布が敷かれた高座がこしらえてあり、その真ん中に紫色の座布団が可愛らしく置かれていた。その高座の後ろには金屏風――よく見るとダンボールで作ったようだ――があり、ライトに照らされて輝いていた。壁に飾られていたレコードやギターなどは取り外されており、端にまとめられて上から毛布が被さっていた。
支配人は司会者であり、お客様は僕ただひとりだけであった。時間になり、唯川さんは高座に現れた。
卒業式の袴姿の格好で、唯川さんはしっかりとした笑顔で手をつき、深々とお辞儀をした。
落語自体は、正直なところ、あまり上手とは言えないものであった。古典落語の「饅頭こわい」という演目をしたが、これは尊敬する小鳥さんの十八番だったという。僕の拍手が鳴りやんだあと、唇をかんでみせた唯川さんの表情が印象的であった。
僕たちはお店を元どおりにする手伝いをして、お礼を行って支配人と別れた。新幹線で今日のうちに地元に帰る唯川さんは、大きなキャリーバッグを転がしていた。僕は東京駅まで送ることになった。
僕は新幹線の乗車券を買って、彼女と一緒にホームまで歩いた。ホームに着くと、あと五分ほどで出発時刻であった。僕は、カバンの中から新しいマカロンを取り出した。
「これ、新幹線の中で食べてよ」
「ありがとう」と、唯川さんは笑いながら受け取った。
「まだ、返事を、もらっていないんだけど」
僕は、勇気を振り絞って、そう言葉にした。
唯川さんは、やさしい顔をしていた。しばらく沈黙が訪れる。館内放送が流れる。家族連れが、乗車口から乗り込んでいく。
「気持ちは、とても嬉しいんだけどね。でも気持ちには、ごめんね。応えることはできなそう」
そう丁寧に唯川さんは言った。
「わかった」
と、僕は平静を装って返事をする。
「そろそろ、出発だね」と僕は言った。
唯川さんは腕時計を確認して、ほんとうだと言い、二歩乗車口に進んだあとで、僕の方に振り返った。
「すごく、調子のいい話なんだけど、」
と唯川さんは言いかけて、僕の方を見つめた。僕は、心の中で、「なに?」と答えた。
「また、お客さんしてくれる?」
僕は咄嗟に、
「何度でも」と答えた。
唯川さんは嬉しそうな顔をして、車両の中へと消えていった。もう、唯川さんの姿は確認できなかった。しばらくして、新幹線のドアは閉まり、ゆっくりとホームから離れていった。
顔を真っ赤にしながら、「君を好きになった!」と叫んだあの日を思い出す。
きっと、唯川さんに会うことはもうないのだろうと思う。
だってそうだろう。僕たちは、明日からまったく違う場所で、違う生活をしていくのだから。
僕はその新幹線を見ながら、何度でも、恋ができますように、と心のなかで小さく祈ってみた。
新幹線はあっという間に見えなくなった。僕はふうと息を吐き、明日からの新生活に想いを馳せる。
[了]
何度でも 川和真之 @kawawamasayuki
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