第25話

 新年度になり、五月には、新入社員がやってきた。そして、梅雨が過ぎ、夏の感じさせる暑さが今年もやってきた。

 課長は相変わらず五反田さんには強くものが言えず、営業担当者は些細なことでイライラしていた。営業事務はわたし一人で担当することになり、鈴木さんがいなくなったことは、まるで去年からそうであったかのように、違和感なく受け入れられるようになっていた。

 そういえば、喫煙所がなくなった。健康促進のための、全社的な取り組みだそうだ。

 わたしの仕事と言えば、変わらず午前中は電話の嵐をさばき、お昼ご飯には味気ない手作り弁当を食べ、母から送られてきたタロウの写メールに返信をして、午後は睡魔と闘いながら過ごした。

 わたしは定時になり、そろそろ帰ろうとパソコンを閉じた。

 そのわたしに、五反田さんは近づいてくる。

「申し訳ないんだけど、ちょっと手伝ってほしい仕事があるんだが」

「それ、今日中にやらないとまずいですかね。明日であれば、もちろん手伝うんですが」

「なんだ、予定があるのか」

 そう言って、五反田さんは自分の机に戻った。

 オフィスを出ると、「あ、今日はもう帰っちゃうの? 飲みに行く予定なんだけど、どう?」と、声を掛けられた。

「すみません。今日は、予定があるので」

 と、わたしはお疲れ様でしたと頭を下げて、会社を後にした。


 最近では、川沿いの土手を歩くことがひそかな趣味になっている。

 川の流れと沈む夕日を眺めながら、疲れた心を癒すのだ。

 わたしは大きな橋のそばにある、少年野球の試合を見渡すことのできるベンチに座り、カバンの中から水筒を取り出して、冷たい水を身体に注ぎ込んだ。

 身体の隅々まで、ひんやりとした感触が散らばっていく。

 わたしはシルバーのライターを取り出して、その炎を眺めて、夕日へと近付けてみた。

 ――鈴木さんは、マスターへかけた最後の電話で、こう言ったそうだ。

「あの子には、もう、会いたくない」と。

 そして、こう付け足した。

 もう、同じ思いはしたくないんだ、って。

 

 鈴木さんは、ヒロコさんに会えただろうか。

 わたしは、鈴木さんにもう一度、会いたい。

 そのことを、どうしても伝えたい。

 シルバーのライターを握り締める。

 

 このライターには、本当に幸せにする力が宿っているのだろうか。

 このライターはわたしのもの。有効期限は、あの日から一年間。

 それを信じるかどうかは、わたしの自由だ。

 立ち上がり、沈む夕日に向かって、わたしは一歩ずつ歩んでいく。

 


[了]

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いろどりの灯 川和真之 @kawawamasayuki

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