1 みのむしは蝶と出会う

『クルックー』が引き寄せる(1)

 冬のはじめの昼下がり。この日は冬なのに春のような気温で、とても暖かかった。

 気温が暖かいと、なぜだろう気分がいい。あれだけやる気になれなかった料理を、インスタントばかり食べている自分のために振る舞いたいと思った。だから、一応少しだけ着込んでトートバッグに財布を持って家を出た。

 が、やはり、着込む必要なんてないぐらい外はぽかぽかしていた。


 向かった場所は、近場のスーパー。訪れたのは二、三か月ぶりだろうか。店内の品ぞろえがぱっと見た感じでは変わっているような気がする。旬の食材も顔ぶれが落ち着いた色味が多い。

 ベッド生活の前は、しっかり毎日自炊をしていたとはいえ、きっと腕は落ちている。だから、今日の献立は簡単に肉じゃがと味噌汁が作れたら、リハビリ程度にはなるだろう。

 材料を買い物かごにぽんぽん入れていくだけで、なんだか楽しい。心が跳ねるというかなんというか。

 レジで袋は要りませんと告げると、店員は持っていたトートバックに商品を丁寧に入れてくれた。気持ちがいいままスムーズにお会計を済まし、外界へ。

 スーパーから自宅まで、心持スキップを踏んだ。今なら普段できていたことなら、なんでもできる気がする。そう感じたのはいつぶりなのだろう。

 我が家に辿り着くと、俺の行動は早かった。キッチンに立ち、手際よく食材や調味料、調理器具を揃える。

 頭の中で自己流のレシピを引っ張り出し、野菜を洗いながらレシピの工程を並べる。

 皮を剥いて、一口サイズに切って、調味料をはかって、煮込んで――――

 久しぶりの感覚ではあったが、やってみるとこれが意外にすいすい進むことに驚いた。

 俺はやっぱり、料理が好きなんだな……。


「できた」

 自分を労わるために、自分のために作ったこの料理が完成した。思わず携帯を手に取り写真を一枚。掌の箱に映し出されるその静止画は、美味しそうだ。盛り付けもなかなかうまくいって、綺麗に撮れた。

 この感動をなんとなくネットに呟きたい。

 そこで一言短文サイト『クルックー』に先ほど撮影した写真を添付し、言葉を添える。


〔久しぶりの料理。どうなるかと思ったけど、美味しそうにできた。肉じゃがとお味噌汁です。〕


 無事投稿したことを確認して、携帯をズボンの前ポケットにしまった。

 さて、食そう。

 肉じゃがと味噌汁をその美しい状態をできるだけ維持させたくて、食器を持つ手でさえ優しく触れる。そのまま、そぉっと食事スペースまで料理と箸を移動。

 こつん。こつん。じゃらっ。

 テーブルの上に二品と箸を並べた。なんだか、ここまでくると食べるのでさえもったいない。しかし、料理は食べられることを望んでいる。そして、それを作った人間も食べてほしいと願っている。

 そう、この俺に。

「いただきます」

 手を合わせ一言感謝して、右に箸を掴む。まずは、汁物に口を付けよう。

 左にお椀を持って味噌の風味を感じながら、一口すする。

 その時だった。

 太腿にわずかな振動が。

 不覚にも、美味しいと思う前に、なんだろうと思ってしまったことが悔しい。

 お椀と箸をひとまず置き、ポケットに手を突っ込んだ。画面を覗くと『クルックー』からであった。


〔@ひかりさんからコメントがあります。〕


 ひかり?

 初めて見るアカウント名だった。

 お友達登録していないアカウントからコメントが飛んでくるなんて、結構稀な出来事だ。

 誰なんだろうとその通知をタップする。

 ひかりさんからのコメントが表示された。


〔@ハル 突然すいません。とっても美味しそうな料理だったのでつい反応してしまいました。お味はいかがでしたか?〕


 文章が柔らかい。

 それが第一印象。

 ひかりさんのページに飛んでみた。自己紹介文には〔おいしいものに目がありません〕とだけ書かれていて、年齢も性別も記載されていない。

 呟きの回数は四千前後とそれなりに、『クルックー』の住人であることには間違いない。

 アイコンは可愛いショートケーキの写真が使われている。

 身元が分からない相手ではあるが、せっかく頂いたコメント。それも自分の作った料理を「美味しそう」と言ってくれた方に返事をしないのも悪い気がして、携帯を持つ手は自然にコメントの返信を打っていた。


〔@ひかり コメントありがとうございます。突然だったのでびっくりしました。今、ちょうど食べているところです。まだ、味噌汁にしか手は付けてませんが、美味しかったですよ~〕


 送信っと。

 さて、次は肉じゃがだ。

 机に携帯を置き、箸を持ち直した。ほくほくなじゃがいもを摘まむ。それを口へ運び顎を動かす。

 ぶるるっ。

 また携帯が震えた。再度、箸を置き画面を覗くと『クルックー』からの通知。


〔@ひかりさんからコメントがあります。〕


 きっと、返信の返信なんだろう。それにしても返ってくる言葉が速い。通知画面をタップし、内容を確認する。


〔@ハル お返事いただいてありがとうございます! 食事中を邪魔してすいません……お仕事帰りにハルさんの料理をみつけてしまったので、すっごくお腹が空きました(笑)私も帰ったら、肉じゃがと味噌汁つくろうと思います♪〕


 食事中を邪魔してすいません……か。確かに、じっくり味わえていないという点でいうと、邪魔をされているのかもしれない。口の中にいるじゃがいもの味が曖昧だ。

 いや、でも、こんな素朴な呟きに反応してくれただけ、嬉しい。いや、すごく嬉しい。うん、とてつもなく嬉しい! だって、このひかりさんという方は、俺が作った料理を「美味しそう」だとか「お腹がすいた」とまで言ってくれている。


〔@ひかる お仕事お疲れ様です。こちらこそ、コメントありがとうございます。最近インスタントばっかりだったのですが、久しぶりの自炊、楽しかったです。〕






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みのむしが翅を癒すまで 蒼色メチル基 @ao_9r

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