第二章 執行猶予なき無罪死刑判決
束の間の沈黙を打ち破ったのは、僕のスマホの着信音だった。
「えっ?」
目を疑う僕。画面には、表示される筈のない名前が示されていた。
『秘丸優希』――。
一体いつの間に、意中の女子と連絡先を交換するなんていう自分らしからぬイベントが発生していたのだろうか?
(昨日気を失っていた間に?)
気絶した僕の為に救急車を呼んでくれて、その時に緊急連絡先として電話番号を教えてくれたとか……。
半信半疑になりながら、僕は電話に出る。
「もしもし……」
『貴様、今どこにいる⁉』
耳の中に秘丸さんの甲高い声が響いてきた。
「ええと、工事現場みたいな所なんだけど……」
『わかった。すぐ行く!』
そこで通話は一方的にブチッと切れた。
(『すぐ行く』って……)
即座に状況が呑み込めない。そもそも僕は工事現場にいるとしか伝えておらず、正確な住所については一言も発していないのだが。
すると、突然目の前に見覚えのある姿が現れた。
「待たせたな!」
「って、ええっ⁉」
秘丸さんだ。そこにいるのは、紛う事なき秘丸優希だった。
その瞬間、僕は全てを悟った。
(昨日の出来事は夢じゃない。本当だったんだ……)
今の彼女の姿は銀髪白衣の女神スタイルではなく、ごく普通の制服姿。しかし、やたらと王様じみた口調は寸分も違わなかった。
本来ならば、魔法のような速さでどこからともなく駆けつけてくれた事に対して礼を言うべきなのかもしれない。だが、一連の出来事が夢ではなかったと知ると同時に、僕の心を堰き止めていた何かが、音を立てるように決壊した。
「秘丸さん! 僕は一体どうなっちゃったんだよ? 確かに僕はあの時生きたいって言った。でも、こんな意味の判らない怪物にしてくれなんて一言も頼んだ憶えはない! 何なんだ、これ! 説明してくれよ! 早く元に戻してくれよ!」
違う、僕が云いたかったのはこんな言葉じゃない。
心境を察したのか、秘丸さんは静かな声でこう云った。
「まぁ、落ち着け」
すると、彼女はぐっと背伸びをし、僕の額に手を触れた。その冷ややかな感触で、錯乱状態にあった僕の頭は徐々に落ち着きを取り戻していく。
今度は顔が赤くなってきた。熱のせいではない。先程の秘丸さんの仕草があまりにも愛らしかったからだ。僕は同年代の男子の中でもさほど背の高い方ではないのだが、そんな僕よりも秘丸さんはずっと小柄で、背伸びをしても僕を見上げるような姿勢になってしまう。多分身長は百五十センチにも満たないだろう。あざとさとは無縁であるにも関わらず、ふとした動作がいちいち可愛らしかった。
秘丸さんは話を続ける。
「それにしても、初めてにしては上出来だったな。そやつらは今回私の標的でもあったが、おかげで手間が省けたぞ。誉めてやろう」
「どういう事?」
僕が訊ねると、彼女は唐突にこんな事を言い出した。
「詳しい話は後だ。そうだ、これから私の家に来ないか?」
連絡先を知った直後に、今度は家に招かれるとは。一体僕はどうなってしまうのだろうか?
「さっきみたいに瞬間移動とかしないの?」
「馬鹿め。貴様がいるだろうが」
「……そっか、なんか色々とごめん」
残念ながら、僕のような凡人には瞬間移動なんてできない。そんなわけで、僕たちは今、鈍行バスの最後部に二人並んで座っていた。車内に乗客の姿はまばらで、前の方の座席で居眠りをしているお年寄りがちらほら見えるだけである。
(確かに僕には瞬間移動なんてできないけど……じゃあ秘丸さんは?)
ふと、彼女が昨日言っていた『天界人』という聞き慣れない言葉を思い出した。
「秘丸さん、天界人ってどういう意味?」
「どういう意味もクソもあるか。文字通り、天界人だ」
(いや、だからそれじゃ判らないよ!)
内心突っ込みを入れつつ、僕は質問を続ける。
「それって、天使や神様みたいなもの?」
「まぁ、そう捉えたいのならそう捉えてくれればいい」
いまひとつ釈然としない回答だ。
「ところで、貴様は昨日私が好きだと云ったな?」
唐突に話題を振られ、僕は思わず面食らってしまった。
「え? は、はい」
「残念だが、その申し入れを受ける事はできぬ」
「……ですよね~」
がっくりと肩を落とす僕に対し、秘丸さんはこう続けた。
「別に好き嫌いの問題ではないぞ。ただ単に、貴様ら人間と我々天界人とでは、根本的に身体的構造が違うのだ。つまり、貴様と私が全裸で床を共にしたところで子は成せぬのだよ」
「ず、随分とストレートな物言いだな……」
車内のお年寄りが熟睡していたのが幸いだった。
「でも、昨日の時はともかく、どこからどう見ても今の秘丸さんは人間にしか見えないんだけど」
「違う! 全然違う!」
「そうなの?」
「勿論だ! 貴様と私の違いは、言うなればユニコーンとカメムシぐらいの差だ。あ、補足しておくが、この場合のカメムシとは断じて私の事ではないぞ」
「いちいち補足しなくていいよ……」
なんだろう。さっきからこの子は見た目と口調のギャップがあまりにも激しすぎるのだが。
「それにしても、大丈夫なのかな、僕。なんか北風たち死んだっぽいんだけど」
正当防衛とはいえ、僕が先程謎の力で彼らを殺めてしまったのは事実だ。
「なんだ、その程度の事で悩んでおったのか」
「その程度って……」
いくら北風たちが極悪人だったとはいえ、『その程度』扱いするのはさすがの僕でも良心が痛む。僕の中にまだ『良心』なんて物が残っていればという話だが。
「安心しろ。あやつらは既に死んでおったのだ、人としてな」
「?」
彼女の言葉の意味が理解できず、僕の思考は完全にフリーズしてしまった。
「……まぁ、それについては私の家で改めて説明しよう。ん、もうすぐバスが着くぞ」
ふと窓の外を見ると、そこには見慣れた地元の景色が広がっていた。どうやら僕が連れていかれた工事現場はそれほど遠く離れた場所ではなかったらしい。だからと言って、秘丸さんが瞬間移動で来る事ができたという事象の論理的説明にはならないけれど。
バスが停留所に到着すると、秘丸さんはさっと立ち上がり、そのまま運転手の横を通過していった。
(って、今お金払ってなかったんですけど⁈)
彼女はVIP待遇か何かなのだろうか。
そういえば僕自身、財布を持っていない事に気が付いた。スマホは無事だったものの、財布は鞄ごと北風たちに奪われ、そのまま行方知れずになってしまったのである。
(もしかして、僕も素知らぬ顔して通り過ぎれば大丈夫かな?)
そう思って、そそくさと秘丸さんのすぐ後ろにくっついて出ようとすると、運転手から無愛想な声で呼び掛けられた。
「君、ちゃんと料金払ってもらわないと困るよ」
「……ですよね~」
本日二回目。
助けを求めて秘丸さんの方を見ると、彼女は既にバスから降りてさっさと歩き始めていた。駄目じゃん!
その時、奇跡のような出来事が起こった。運転席のすぐ後ろに座っていたお婆さんが、いきなり声を掛けてきたのである。
「おや、勇ちゃんじゃないか!」
「え?」
誰だろう、全然知らないお婆さんなんだけど。
「あら、お金を忘れたのかい? いいよ、あたしが後で一緒に払っといてあげるよ。気にしなさんな」
「は、はい」
どうしよう、ノリでご厚意に甘えてしまった。
見知らぬお婆さんにお礼をきちんと述べる間もなく、僕が停留所に降りるとすぐにバスは走り去っていった。
「秘丸さん、これってどう思う?」
「どうもこうも……私の運命干渉力の賜物だ」
「運命干渉力?」
矢継ぎ早に質問を畳み掛ける僕に対し、秘丸さんは苛立った表情を見せる。
「あ~もう、貴様はさっきから質問ばかりだな! 一般人には俄かに理解し難い状況とはいえ、少しは自分で察するとか、自分で考えるとか、そういう事はできんのか? これだから最近のガキは考える力が備わっておらんのだ。まさに安易かつ安直な功利性と即効性ばかり求める社会が生み出した功罪、負の遺産だ!」
「なんかごめん……」
ここまで罵られてしまうと生まれてきた事まで軽く謝罪したい気分になる。というか、同学年の彼女が僕を『最近のガキ』呼ばわりするのも首を傾げたくなるのだが。実は若く見えて二百歳とかそういう設定なのだろうか? 天界人だけに。
「それはそうと、私からも一つ貴様に訊ねたい事がある」
「ん、何?」
これまで僕が一方的に質問攻めにしてきたのだ。秘丸さんにだって質問する権利はある。
すると、彼女は突然強気な態度を一変させ、顔を赤らめながらもじもじと俯き始めた。
「貴様はそのぅ、この前廊下でぶつかった時……そのぅ、私の『アレ』を見たのか?」
「えっと、もう少し大きい声で言ってくれないかな? 聞こえないんだけど」
「だ、だから! 貴様は私のスカートの中を見たかと訊ねておるのだ!」
はい?
「でも確か秘丸さん、あの時体操着穿いてたよね? 心配しないで、別にパンツは見えなかった……」
「最悪最悪最悪だ! こんなカメムシごとき下等生物によりによってスカートの下に穿いた体操着を見られてしまうなんて最悪だ!」
え?
「うわぁん、これじゃあもう嫁には行けん! いや、最初から嫁になど行かぬが、それでも最悪だ! 一生の恥、ううん、秘丸家末代に渡るまでの恥だ! 明日からどんな顔をして生きていけばいいのだ、ああぁっ‼」
目の前の少女の豹変っぷりに、僕はただただ戸惑うばかりだった。
「ちょっと待ってよ! たかが体操着だよね?」
「た~か~が~?」
物凄い形相でギロリと睨み付けてくる秘丸さん。やばい、どうやら地雷を踏んでしまったようだ。
「たかが体操着、されど体操着だ! 私は貴様のような一般人に自分の体操着をひけらかす為に生まれてきたわけではないわ、このクソボケがぁ!」
もはや毒舌を通り越して暴言の域に達している。
余談だが、昨日会った時に彼女は確か空中に浮遊していた。それはつまり、地上にいた僕が自分の意志とは関係なく必然的に彼女のひらひらしたドレスの中身を目の当たりにしてしまう状態だったわけだが……はっきり言おう、穿いてなかった。勿論あの危機的状況で女子の下半身をまじまじと眺めるような疚しい真似をする程に僕は落ちぶれてはいなかったし、しっかりと見たわけでもなかったけれど、少なくとも体操着やパンツのような類は着用していなかったような……。
その事は棚に上げ、天界人秘丸優希は罵詈雑言の限りを尽くして僕を責め立て続ける。
「恋人は無理でもせめて友達ぐらいにはしてやろうとは思っていたが……やめだ! 貴様とは絶交だ、私の家に着くまでな!」
「絶交期間短っ!」
そうこうしているうちに、僕たちは見慣れた風景の中を歩いていた。昨日電柱が倒れてきた住宅街の付近である。僕の家とは方向が逆だったのであまり訪れた事はなかったが、それでも何度か足を踏み入れた事はある地域だ。
「さあ着いたぞ、ボサッと突っ立ってないでさっさと中に入れ!」
秘丸さんに促され、僕は目の前にある一軒の屋敷を見上げた。
(ああ、この家か)
うっすらと記憶に残っている建物だ。さすがに漫画やアニメに登場するような大豪邸までとは言い難いが、それでもなかなか立派な屋敷なので、前を通りかかる際にいつも少し気になっていた。和洋折衷を意識した洒落た造りで、周りには綺麗に整えられた庭が広がっている。門の表札には『秘丸』とだけ書かれていた。
「ほら入れ入れ! 鬱陶しいから早く入れ!」
背中を何度も小突かれながら、僕は恐縮しつつ秘丸邸にお邪魔する。高校生になってから誰かの家に遊びに行くなんてこれが初めてだった。しかもそれが女子の家とは。
(いや、別に遊びに来たんじゃない。秘丸さんは大事な話があるって言ってたし)
浮かれそうになる自分を戒めつつ、僕は粛々と秘丸さんに案内された。
玄関の前に到着するや否や、秘丸さんはまるで道場破りに来た荒くれ浪人のように大声で叫んだ。
「はねむちゃん! 中にいるか?」
はねむちゃん? 家族の名前だろうか?
「おかえりなさい、優希さん」
開かれたドアの向こうに立っていたのは、一人の若い女性だった。年齢は見たところ僕たちより少し年上ぐらい。十八歳か十九歳といったところか。小柄な秘丸さんとは対照的に、長身でスレンダーなモデル体型だ。
(秘丸さんのお姉さんかな?)
それにしてはあまり顔が似ていない気がする。
すると、秘丸さんは僕を強引に玄関の中に押し込みながらこう云った。
「紹介しよう、はねむちゃん。こやつは私のフレンド(仮)だ!」
「僕は友達にすらなれてないのか⁈」
「ふん、友達以上恋人未満という言葉があるが、貴様の場合は『友達未満、恋人なにそれおいしいの?』のレベルだ」
「ううぅ……」
僕たちの漫才のような会話を目の当たりにし、謎の女性は表情を綻ばせている。
「おっと、カメムシ、じゃなかった、憂島」
「それ普通言い間違える?」
「貴様にも紹介しておかないとな。こちらは
「補佐官?」
「初めまして、尊森跳夢と申します」
紹介を受けて、跳夢と名乗る女性は深々と頭を下げた。常に王様のような態度の秘丸さんとは対照的に、随分と奥ゆかしい雰囲気だ。
「それにしても珍しいですね。優希さんが一般の方を連れてくるなんて。もしかしてその方が例の……」
「ご名答。早速本題に入りたいと思うのだが」
「承知しました。では中にお入り下さい。すぐに紅茶とお菓子をご用意しますね」
案内された応接室は非常に趣のある内装だった。ゆったりとしたソファーの前には木製のテーブルが置かれていて、天井からはシンプルなデザインのシャンデリアがぶら下がっている。僕は秘丸さんの隣に、尊森さんはそのはす向かいに腰掛けた。
「優希さんからはどこまでお聞きになったんですか?」
「いや、とりあえず秘丸さんが天界人だという事ぐらい……。あの、尊森さんは」
「跳夢ちゃん、と呼んで下さい」
年上の女性を『ちゃん』付けするのは申し訳ない気がしたが、本人が希望するのだから仕方ない。
「は、跳夢ちゃんも天界人だったりするんですか?」
「はい、そうですよ!」
満面の笑みで答えてくれた!
「私から見ると一般人の方がここに来られるという事の方が驚きなんですが……」
「それって、つまり僕が選ばれた存在だという意味でしょうか?」
「厨二か!」
秘丸さんに即突っ込まれた。
「優希さん、この方にちゃんと説明はしたんですか?」
「何度もした! でもこやつの物分かりがあまりにも悪すぎるのだ」
「こらこら、自分の日本語力のなさを人のせいにしてはいけませんよ」
「すまん……」
素直だ!
ふと、跳夢ちゃんが『国語力』ではなく『日本語力』という言葉を使ったのが気になった。別に語彙としては何の問題もないのだが、まるで彼女たちの母語が日本語ですらないような、そんな言外の意味が感じられたからだ。あまり深くは考えてはいなかったのだけれど、秘丸さんの会話には少しイントネーションに不思議な所があって、それは訛りとも方言とも言い難い独特な雰囲気を帯びていた。
「じゃあ優希さん、もう一度きちんと話しましょうね」
「判った。憂島、貴様が何故二回も生き返る事ができたのか、そして何故私が家に貴様を招いたのかについて話そう」
「はっきり言おう。我々天界人は貴様ら人間とは全く異なる理を生きる存在だ。我々は産まれるのではなく、魂から『作られる』。作られた瞬間から既に自分が何者であるのか知っているのだ。だが、完全に人間と無関係か、と云えばそうでもない。何故なら我々は皆、天界人になる前は人間としてこの世を生きておったからだ。だからと云って、別に幽霊とかそういうわけではないぞ? 現に私は、秘丸優希という人物は、今ここにこうしてきちんと生きている。そうだな、決定的に一般人と違う点を挙げるならば、それは存在が極端に認知されにくいという事だ。貴様らの言葉で『影が薄い』という表現があるだろう? 私たちはまさにその状態だ」
例えるならば、かくれんぼをしてもなかなか最後まで見つけてもらえなくて、気が付いたらみんな探すのを忘れて先に帰ってしまったりとか、卒業アルバムの写真を見ても一人だけ画面から見切れていたりとか、そういう感じだろうか? いや、これ全部僕の事例なんだけど。
「だからこそ驚いたのだ。貴様が私の姿を視る事ができたからな。普通の人間ならぶつかってもそのまま素通りしていたに違いない。戸籍上も学籍上も、私は確かに存在する。だが、天界人には他人の記憶に残りにくいという最大の特徴があるのだ。むしろこちらが訊きたいぐらいだよ。何故天界人でもない貴様が私を目にする事ができるのか」
そう言われても答えようがないのだが。
「私は気になってしばらく貴様を観察する事にした。そしたらどうだ、まさか貴様の方から近づいてくるとはな。貴様の命を救ってやったのも、あくまで観察対象として保護する為だ。それ以上の他意はない」
ないのか。
「二回目は自力で復活できたな? あれは私が運命干渉力を用いて少しばかり天界人としての能力を貸与してやったからだ」
なるほどね。バスでお年寄りが料金を立て替えてくれたのも運命干渉力が働いたからだと言ってたな。
「優希さん、そろそろ本題に入った方がいいんじゃないかしら」
「そうだな。我々の真の任務について話さねばなるまい」
急に『真の任務』などという堅苦しい言葉が出てきたので、思わず僕は姿勢を正してしまった。
「我々の真の任務、それは『断罪者』だ。罪を断つ者――それこそが私たちが背負うべき使命であり、宿命なのだ」
「断罪者……」
僕は反芻するようにその言葉を呟く。響きだけで重くのしかかるような感覚に囚われる、そんな言葉だった。
「六百八十五人」
秘丸さんはおもむろに謎の人数を口に出した。
「えっ?」
「仮に北風たちがあのまま生き続けていたとしたら命を落とす事になる人間の数だ」
「な、なんでそんな事が……」
「判るのだ、我々断罪者にはな。奴らが直接命を奪う人数だけでなく、その怨嗟によって起こる死もカウントされている。家族や恋人や友人を奪われた者が復讐心に囚われ、更なる負の連鎖を巻き起こす。まさに怨嗟による連鎖だ。……昨今はあまりに無為で無意味に命を落とす者が増え、正直もう天界は満員に近い状況なのだ。そこで決められたのが選別法だ。死ぬべきでない命ではなく、死ぬべき命を死へと導く――それこそが断罪者の役目……」
「そんな、ありえない……だから僕を殺人犯に仕立て上げたってのか?」
「違う、断じて違うぞ!」
「じゃあどう違うって言うんだよ」
「我々の仕事は人殺しではない、運命を正しく導く、それこそが仕事だ」
そう云われても納得できない。確かにあのままだと僕は北風たちに殺されていた。でも『これから起こるであろう死』を防ぐ為に、今ある命を奪っていいのだろうか。
一方で、六百八十五人という数字は衝撃的でもあった。もし北風たちが生きる事によって、それだけの人数が僕と同じような目に遭い、殺したり殺されたりを繰り返すのだとしたら……。
「もし心配なら、明日のニュースでも観てみるといい。そうすれば貴様も安心するはずだ」
「ふん、どうせ僕が指名手配犯にでもなってるとか言うんだろ?」
その時、突然ポケットに入れていたスマホが震え始めた。一日に二回も鳴るなんて珍しい。
勿論相手は横にいる秘丸さんではない。滅多に電話なんて掛けてこない筈の親だった。
「何?」
『何じゃないわよ! あんた今どこにいるの?』
第一声の内容が秘丸さんの時とほぼ同じだったので吹き出しそうになった。
「どこって……図書館だけど」
咄嗟に嘘を吐いた。
『なら良かった。さっきあんたの学校から連絡があったのよ。クラスの子が交通事故で亡くなったってね』
「交通事故?」
『ええ。確か北風とかいう名前の子と何人か……。どうやら無免許飲酒運転の不良仲間の運転する車に乗ってて、ガードレールに衝突したらしいのよ』
「……」
僕は絶句した。どういう事だ? 一体どうなってるんだ?
傍らでは秘丸さんが『それ見た事か』とでも言いそうな表情を浮かべている。
「思い知ったか。これこそが運命干渉力だ」
「ふざけるな!」
僕は激昂して立ち上がり、そのまま玄関へと歩き始める。
「帰るのか?」
恋する少女に問われても、僕に返答する心の余裕はなかった。
振り返る事なく、僕は秘丸邸を去っていったのである。
(確かめなきゃ、あの場所に戻って……)
僕はがむしゃらに元来た道を走っていく。バスに乗るお金なんて持っていないし、工事現場の正確な住所すらちゃんと記憶に残ってはいない。それでも僕は走っていかざるを得なかった。どうしても自分の目で確かめたかったのだ。本当は何が起こったのか。本当に何が起こったのか。
だが、住宅街を走っているうちに、僕は見知らぬ袋小路に迷い込んでしまった。
「くそぉ!」
ガラにもなく悪態を垂れてしまう。肩で息をしながら立ち尽くす僕。こんなに走ったのは何年ぶりだろう。
ふと、背後から誰かが近付いてきた。
(秘丸さんだったとしても断ろう。僕はもう、こんな事には関わりたくない)
そう思って振り向いた。
「よぉ、よくもやってくれたな」
誰が予測できただろう。そこに死んだ筈の北風と取り巻きたちが、あちこち欠損し、決壊し、肉塊のような姿で立っているなんて。
「あれで全部済んだとか大間違いだぜ。俺たちはまだ生きている、そう、生きてるんだ……」
「黙れ、お前たちはもう死んだ筈だ!」
しかし、僕がどれほど叫んでも、何故かあの時のような不思議な力は発動しなかった。
絶望が徐々に心を支配していくのと同時に、北風たちは近くににじり寄ってくる。
「ずっとお前の存在が目障りだったんだよ、憂島ァ。俺らは行きたくもねぇ塾に行かされて必死で勉強してきたのに、ロクに塾も行ってねぇお前が成績トップとかよぉ。それで教師にもちやほやされて調子に乗りやがって」
「……たったそれだけで、それだけの理由で僕を殺そうとしたのか?」
いや、厳密には殺意ではない。あれは完全なる『殺害』だった。
僕の問いに対し、北風は馬鹿にしたように笑いながら答えた。
「はぁ? 人を憎むのに、理由なんて要るかよ」
その言葉を聞いた瞬間、僕は妙に納得して脱力してしまった。
(なんだ、そういう事か)
人を好きになるのに理由は要らない。それと同様に、人を嫌いになるのにも理由は要らない。
彼らはただ、単純な好き嫌いの問題で僕を殺めた。ただそれだけの事である。
サラダから苦手な野菜だけを取り除くように。花の周りに伸びる邪魔な雑草を抜くように。
きっと僕は、心の奥底のどこかで、彼らの真意を知りたいと思っていたのかもしれない。しかし今この瞬間、それを知ったところでどうにもならないという事を悟ってしまった。全てが無駄だったと悟った。
僕はその場に蹲り、『誰でもない誰か』に対して問い掛ける。
「どうして僕は死ねなかったんだ? どうして僕は生き返ってしまったんだ?」
「それは貴様が私を好きだからだ!」
突如響き渡る澄み切った声――。幻などではない。『彼女』は確かにそこにいた。
「私を好きになってくれた人間を、生まれて初めて好きになってくれた人間を、無駄死にさせるわけにはいかぬのだ‼」
金色の淡い光に包まれて、銀髪の断罪者――秘丸優希は立っていた。
「この世に害なす亡者共、一刻も早く立ち去るがいい」
彼女の手に握られた竪琴が、意志に呼応するかのように形状を変える。瞬く間にそれは一本の長杖、いわゆるメイスへと変化していた。
「笑わせるぜ! まるでお花畑みたいな脳味噌の女だな」
虚ろな眼窩を歪ませながら笑みを浮かべる北風たち。しかし、秘丸さんは全く動じなかった。
「お花畑? いいじゃないか、上等だ。草の一本も生えない不毛地帯のハゲ山みたいな貴様らの脳味噌に比べたら数億倍マシだと思うがな!」
「黙れぇ‼」
一斉に飛び掛かる亡者の群れ。僕は恐怖のあまり目を瞑った。しかし――。
「断罪執行!」
力強く放たれた言葉が、周囲の空気をも震わせる。辺り一帯を包み込む、真夏の太陽のような光……。その光が僕の瞼を抉じ開けた。
(目を逸らすな。これが現実だ)
秘丸さんの金色の瞳が無言でそう訴えていた。
メイスから伸びる光の矢は、次々と亡者たちを薙ぎ倒し、跡形もなく消し去っていく。僕が工事現場で用いたおぞましい力とは全く違う。ただひたすらに、芸術的としか言いようがなかった。そう、それはまさに、天から遣われし者こそが用いる力……。
決着はあっという間だった。秘丸さんがメイスを下ろすと、再びその場に静寂が戻っていく。それと同時に、彼女自身の姿も普通の女子高生へと完全に変化していた。
「やれやれ」
「秘丸さん!」
慌てて駆け寄る僕に対し、秘丸さんはぴしゃりと言い放った。
「貴様は詰めが甘すぎる!」
「え?」
「貴様の仕事が中途半端なせいで完全に亡者共を消去できておらんかったのだぞ!」
「ごめん……」
平謝りする僕に対し、秘丸さんはこう続ける。
「はぁ、本当に駄目な奴だな。これでは助手にすらできん」
「?」
「だからせめて、雑用係にでもなってみないか?」
「も、もし断ったら?」
「そうだな……もう一度電信柱が倒れてきた時に時間を巻き戻す」
「それだけはやめて!」
狼狽する僕の姿を見ながら、秘丸さんは快活そうに笑った。
「だったら私の言う通りにしておけ! 貴様の力はまだまだ不十分だ。またさっきのような事が起こるかもしれん。一丁前に力を使えるようになるまで、しばらく私の仕事っぷりを見て学ぶがいい」
「……はい」
即答してしまった。ついさっきまで『断罪者』という得体の知れない存在に対して、拒否感と嫌悪感しか抱けなかった筈なのに。
(そうか、これが『恋は盲目』ってやつか)
妄信であり、妄執だった。
ふと、僕は秘丸さんが先程天界人の姿で現れた時の事を思い出して訊ねる。
「秘丸さん、その……さっき助けてくれた時の言葉は告白の返事として捉えてもいいのかな?」
「はぁ?」
「うん、やっぱいい」
訊かない方が幸せだろう、多分。
かくして僕は断罪者見習い、もとい、雑用係として第二の人生を歩む事と相成ったのである。いや、二回死にかけたから第三か?
断罪(つみ)と懲罰(ばつ)と秘丸優希 六原とむて @rokuharatomte
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