<第三話> その3

「覚えてなさいっ! この借りは絶対、必ず、いずれ、遠くない未来に、なんとか、こう、どうにかして返してやるんだからっ!」

 俺とリョナの口撃を受けたネネコ先生は半泣きで公園から出て行った。

「……なんだったんだあの人?」

「さあ?」

 つっかかって来たので思わずマシンガントークで泣かしてしまったが、なんというか大人げないことをしてしまったかもしれない。

「お二人の息の合ったコンビネーション、さすがです」

 首を傾げる俺達に対し、イガミンが尊敬に目を輝かせてくる。

「ふふ、それほどでもないって」

 リョナは手をパタパタして否定する。まんざらでもないらしい。

 ――こいつも、俺に毒されてきたか。

 まあリョナも褒められて逆にプレッシャーを感じて胃が痛くなるようなタイプではない。そこそこ顔のいい異性におだてられて悪い気はしないだろう。

「あれ? でもどうして姐さんの学校の先生と面識があるんです?」

「色々あったんだよ。まあそれでもう俺達には関わらないくらいに嫌われたと思うのだけれど、ホントなんで話しかけられたんだろうな」

「うーん、なっちゃんの件はもう学校で触れられなくなったけどね」

「また何かお前やらかしたんじゃないのか?」

 俺の指摘にリョナは唇に人差し指をあて、うーん、と考える。

「……そうかもしれないけど、分かんない」

 どうやら心当たりがありすぎるらしい。

 未だによく分からん女である。

「え? 姐さんて、その、問題――に好かれるトラブルメイカーな人なんですか?」

 イガミンが問題児、と言いかけたのを咄嗟に訂正して訊いてくる。

「俺もよく知らん。けど、トラブルに愛されてるらしいのは間違いないだろう。俺には関係のないことだが」

 そうでなければ、出会った時に泥まみれだったり、頭からバケツを被って倒れてたりはしないだろう。

 しかし、今に至るまで俺はそんな彼女の身辺状況に対して特に口出したり問いただしたりはしていない。

「えー冷たい。私のこと助けてくれたっていいじゃない」

「知らん知らん。自分のことは自分でなんとかしろ」

「ええっ!? 彼女なのになんでセンパイは助けないんです!?」

 俺の態度にむしろイガミンの方が驚く。

 ――まあ、そもそもの出会いとして、イガミンが虐められてるのを助けたところからスタートしてるから意外に思われても仕方ないか。

 本来、俺は一匹狼体質で余り他人の面倒を見るタイプではない――と自分では思っているのだが。

「こいつはお前と違って、一人でもなんとか出来る奴だ。俺が出る幕じゃないよ」

 俺の言葉にイガミンはますます困惑する。

「じゃ、なんで一緒にいるんです?」

 イガミンの質問にリョナの目が細くなるのを感じる。

 何も言わないが、「あ、それ私も聞きたい。ちゃんとした答えをちょうだいよね」、て顔だ。

 まあ、こいつが家を出て行くことになりかけた時のあれこれで自称・他称の両方で俺とこいつは恋人ということになった。

 ――なにせ、あんなこと言っちまったからな。

 とはいえ、それから今に至るまで、こいつとは抱きしめることもしていなければキスをしたり手を繋いだりもしていない。

 不思議なことに、一緒にいるだけ、なのだ。

「知らんよ。でも、理由がなくても一緒にいられる関係になっただけだ」

 二人は何も言わない。ピンと来ないのか、俺の次の言葉を待っているのか。

 こういう時、反応に困る。仕方ないので言葉を続ける。

「遊ぶ約束をしたから、仕事だから、同じ学校だから、とか。

 特にそういう理由なしでとりあえず、隣にいるだけだ。

 それに特別な理由を求めず、『なんでお前ここにいるの?』て訊かない。

 そんな感じだよ」

「すごいっ! 恋人を通り越してもう夫婦の貫禄ですね! さすがセンパイです!」

 イガミンの感極まった声に隣に座るリョナの顔が紅く染まっていく。

「なに恥ずかしいこと言ってるんだか」

「……そっか悪いな」

 なんとなく、それをイジる気になれず、流すことにする。

 ――俺としちゃ、夫婦というより、幼なじみか妹くらいのイメージなんだがな。

 相性がよすぎて、イチャイチャするイメージが湧かない。

 少なくとも、親父と奈島さんみたいに膝枕で耳かきとかしそうにない感じだ。

「変なの」

 背後からの声に俺達は振り向く。

 ベンチの後ろには噴水があるだけ――のはずが、いつの間にやら一人の少女がこちらを見ていた。

 小学生低学年と見られる少女は俺達の視線を受けるとはっとして背を向け駆け出す。

「イガミン」

「はいっ」

 指をパチンと鳴らすとイガミンは即座に全力ダッシュ。あっという間に少女に追いつき首根っこを掴み、捕獲する。

 彼は身長の割に童顔ではあるが、華奢でもなければ虚弱体質でもない。その体格にふさわしい膂力をいかんなく発揮し、片手で少女を持ち上げ帰ってきた。

 子猫のようにイガミンにぶら下げられる少女を俺達はまじまじと見る。

 少女は悔しげにこちらを睨み返してくるが、何も言わない。

 ――またイジメ甲斐のある子が出てきたな。

「ふむ、この子――」

「――たぶん先生の関係者ね」

 俺の言葉をリョナが引き継ぐ。

  さらさらの黒い髪に高そうなブローチ、シックなシャツとスカート。まるで高級レストランにでも行くかのような「よそ行き」の格好なのに、何故か悪趣味な迷 彩柄のバッグを持たされている。さっきネネコ先生が持っていたバッグとお揃いだ。こんな趣味の悪いものを持たせるのはこの界隈ではあの先生くらいなものだ ろう。まさか、迷彩バッグが流行っているなんてことはあるまい……たぶん。なにより顔立ちも姉妹のように似ている。ネネコ先生と同じ猫っぽいつり目だ。

「ネネコ先生の子供? ――はないな。あの人が十六くらいで子供を産むはずがない」

「妹――にしては年が離れすぎ。兄か姉の子、それか……従妹ってところ?」

「生真面目なあの先生とは真逆な不真面目な兄か姉が若くして子供を作り、休みの日に子供の世話を妹に押しつけてバカップルな兄姉夫婦はデートに出かけている、とか」

「ありそう」

 好き勝手推理し合う俺たちにイガミンが息ぴったりですね、と笑う。

「で、どうなんだ? 君は鳥河寧々子の関係者なのか?」

 品定めをされていた少女が話を振られて応える。

「モクヒケンをエクササイズ!」

 強い口調で断言してくる少女。

「エクササイズ?」

「――運動する、の他に権利・権限を行使するって意味がありますよ」

 右手で少女をぶら下げつつ、左手でスマホを操作して意味を検索するイガミン。なかなかに器用だ。調教が行き届いている。さすが俺だ。

「外国育ち――の線もありえるか。見た感じハーフではなさそうだけど」

「香港育ちで、片親は華僑かも?」

「…………」

 楽しそうにプロファイリングする俺達を謎の少女は何も言わずただ睨んでくるのみ。

「仕方ない。俺達の会話を聞かれたからには殺すしかないな」

「……え?」

「そうね。死体は海に沈めましょ」

「……え?」

「分かりましたセンパイ。手早く済ませましょう。」

「……ちょっ、ちょっ……ええっ!?」

 突然の展開に少女は慌てだす。俺は元から無表情だし、リョナも顔から表情を消し、イガミンも声をひそめた。

「な、なんで! リユーは?」

「君は俺達の重要な秘密を聞いたかも知れないからな」

「ウソ……そんなのシらない、キいてないっ!」

 少女の顔には嘘よね、そんな流れじゃなかったよね、て気持ちが表れていたが俺達は加味しない。

「そうと決まれば話は早い。まずは手足を塞ごう。それから目と口だな」

 俺は持ってきていたカバンからタオルを取り出し、イガミンに手渡した。慣れた手つきで手首を縛るイガミン。

「準備いいのね」

「汗かきだからな」

 もう一つタオルを渡すとイガミンは手早く少女の目を覆う。

「もしも正直に名乗るのなら放してあげてもいいぞ?」

「ちょっと! やめてっ! 私にナニかあったら、ダディがダマってないんだからっ! シンガポールのエラい人だってシリアイなんだからっ!」

 俺とリョナは顔を合わせる。

「香港育ちは外れだったらしい」

「残念」

「しかし、可愛い女の子が目隠しで縛られているのはなかなかいい眺めだな。実にいい」

 思わず笑みを浮かべる俺にリョナの鋭い視線が突き刺さる。

「変態」

「知ってる」

「やだなー。ホント、こういう時は活き活きした笑顔見せるんだから」

 こればっかりはもう性分だ。直しようがない。

 なにはともあれ、イガミンの匠な技によっていたいけな美少女が両手足をしばられ目隠しをされた状態でベンチに寝転がされていた。

 ジタバタともがいているが、きつく縛られたタオルはびくともしない。イガミンてば、実に器用だ。

「さて、もう一度聞くか。君の名前は? 後、鳥河寧々子との関係は?」

「……六谷むつや・テレジア・飛鳥あすか。ネネコは私の叔母でもあり、従姉でもあるわ」

 目隠しをされたまま、それでも気丈に少女は名乗った。

「テレジア……ミドルネームつーか、クリスチャンネームか」

「そうよ。カッコイイでしょう?」

 拘束されたまま、それでも胸を張り誇らしげに彼女は笑う。自慢の名前らしい。思わずイジメたくなる。

「そうだな。お墓に書くにはいい名前だ」

「……ひぅ」

「ちょっと! この子泣きそうだからそろそろやめてあげなさい」

 むしろここまで泣かなかったこの子はなかなかえらい。リョナに言われて俺は仕方なく指をパチンと鳴らした。

 すると俺の意をくみ、イガミンは少女の目隠しをはずし、拘束を解いていく。

「……本当に、調教が行き届いてるのね。ひくわー」

「褒め言葉と受け取っておく」

 リョナの冷たい視線に思わず笑みを浮かべつつ、肩をすくめる。

「よし、飛鳥ちゃん。正直に名乗ったから殺すのはやめてあげよう」

「……ホントに?」

 目隠しの下から出てきた半泣きの目に睨まれ、思わず「やっぱりウソです。殺すよん」て言いたくなるが我慢。

「ああ、色々と冗談だ。さっきの会話は忘れてくれ」

 笑って誤魔化す俺。

 ――これはリョナに感謝だな。

 普段は愛想笑いとか出来ない俺も、リョナに睨まれてサドモードがオンになってるので自然と笑顔が出せた。我ながら難儀な体質だ。

「それはそれとして、叔母でもあり、従姉でもあるってなかなか含みのある言葉だな」

「少女漫画でよくある話じゃない。先生の姉が親戚の伯父と近親婚したパターンでしょ」

 俺の疑問にリョナがさらりと答える。

「……なに、その目?」

「お前、少女漫画とか読むんだな」

 リョナの目尻が更に鋭くなる。

「何か文句あるの?」

「可愛いところあるんだな、て――痛っ!」

 肘撃ち《エルボー》を喰らってしまった。

「おーう? なんだいっちょまえに照れてんのか?」

「べっっつに。気にしないで」

 ぷいっ、と顔を背けるリョナをもっと弄ろうとしたが、手足の拘束を解かれた少女――飛鳥ちゃんに睨まれ我に返る。

「おっと、思い出した。

 察するに、君はめんどくさい親戚であるネネコ先生から逃げ出してきた。

 で、先生を追い返した俺達を偶然に見て、なんとなく興味が湧いて見てた……とかそんなところかな」

「そんなところ。ショージキに言ったからハナしてくれない?」

「うーん、どうしようかなー。せっかく手に入れた面白いおもちゃだからなー」

 腕を組み、顎をさすりつつ、飛鳥ちゃんを見下ろす。実に気分がいい。

「先生に返してあげるのが筋でしょ?」

 今更ながらにまともなことをリョナが言ってくる。

「え? そんなのつまらん」

「ネネコのトコロにモドるのはイヤ」

 意見の一致に俺と飛鳥ちゃんは見つめ合う。

 そして、なんとなく手を差し出すとがしっ、と握手を返して来た。

「飛鳥ちゃん。どうやら君とは気が合うようだな」

「フシギね。私もそんな気がしてきたわ」

 ――チョロいなこの子。

「行きたいところあるか?」

「ズーっ! ドーブツエン!」

「はい無理」

 リクエストを即座に否定され、えぇー! と不満の声をあげる飛鳥ちゃん。

「この場所から近くてすぐ行ける場所には水族館しかないな」

「スイゾクカン? なにそれ?」

 ――おや、知らないのか。

「魚とかペンギンとか、イルカとか、海の生き物専門の動物園」

「アクァリーム! イルカ? イルカが見れるの?」

 ――すっごい食いついてる。そうか、水族館はアクアリウムっていうだか?

 目を輝かせる飛鳥ちゃんを見つつ、俺はどうでもいいことに感心する。

 ――まあそれはさておき。

「イガミン」

「はい、あそこの市立水族園、今なら小学生は無料で行けます。市内の生徒・学生なら学生証提示で五百円均一、一般は千五百円です」

 呼んだだけでさらっと欲しい情報を報告してくるイガミン。実に有能だ。

 ――俺だけ千五百円か。

 千五百円。バイトもしてない無職の浪人生にとってはなかなか痛い出費。今更ながらにさっきイガミンに渡した五百円が悔やまれる。

 思案する俺をイガミンが見つめてくる。信頼に満ちた目。

 ――し、信頼を裏切りたい。

 ちらりとリョナを見るとどうせ行く訳ないでしょ、て顔に書いてあった。それを見て俺の心は決まる。

「よし、俺とアクアリウムでデートしよう」

「ええっ?」

 飛鳥ちゃんではなく、リョナの目を見て誘ってみる。

 突然の決定に目を丸くするリョナを見て俺は再び会心の笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サディ・マディ・クエクエ ~クッコロさんは負けない~ 生來 哲学 @tetsugaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ