終章
終章
外からの大きな音に目蓋が開いた。体が汗ばむほどの温かさと薬草の香りに包まれている。リセアは分厚い布団の中で目を動かした。最低限の調度が並んだ質素な部屋で、椅子に外套がかけてある。オルダの家ではなかった。背骨を軋めかせて寝台に身を起こす。布団をどけようとした拍子に、右腕が痺れるように痛んだ。肩には添え木が当てられ、その下には別の包帯が巻かれていた。重い目蓋が落ちかけたところで、扉の開く音に顔を上げる。大柄な男が部屋に入ってきた。目が合うなり男が、おお、と声を漏らす。
「まだ横になっとけ。派手に折れてるからな」
「ここは」
荒れたのどに息を引っかからせてリセアは問う。咳払いをすると肩がびりびりと痛んだ。
「自警団の詰所だ。俺はスタース。医務を担当してる」
男が足置きストーブの前にしゃがみ込む。
「あんたはちょうど一週間前、倒れてるところを運ばれてきた」
「一週間前?」
「そうだ。夜中にあの子――ヤナが飛び込んできたんだ。大泣きしながらな。どでかい化け物とやり合う気だって」
男はストーブの上の器を取りながら話した。
「行ってみたらあんたが一人でのびてて、化け物はいなかった――心当たりはあるか?」
「殺しました」
「一人でか?」
器の中の薬草を替える手を止め、男がリセアを見る。一人で、という言葉にうなずけず、かといって否定や説明をするのも億劫だった。
「話す気が起きなきゃそれでいい。まだ調子も戻ってないしな」
飲むものを取ってくると付け加え、男が部屋を出た。リセアはゆっくりと横たわる。目覚めた時に聞いたのと同じ、重いものの落ちる音が震動を伴って響いた。屋根から雪が落ちたようだった。その余韻の残るうちに足音が駆けてきた。ヤナが軽く息を弾ませて現れる。外套に雪溶けの雫が光っていた。
「リセアさん」
ヤナが鼻をすすり、両腕を広げかけて下ろす。
「よかったです。ずっと寝たままだったから……」
「助けを呼んでくれたと聞いた。ありがとう」
リセアが頬をゆるめてみせると、ヤナが肩を縮こめて首を振った。そして、あの、と声を励ます。
「スタースさんが、肩以外大したことないし、目が覚めたらもう心配ないって言ってました。だから大丈夫です。肩はうまく治らなければ、もっと腕のいい人に相談してみるって……少し遠くの町にいるけど、雪がおさまったら来てくれるかもしれないって」
ハンネの華やいだ笑顔、それに寄り添ってゲルトの不敵な笑みが脳裏に現れる。レウァンツを発って何年もが過ぎ去っている気がした。
オルダを救う手がかりを求め、毎日学堂で書物をひもといていること。めぼしい成果はまだないが、オルダやカミーロの知り合いの助けを借りて続けていること。訥々と語った後、ヤナが部屋を去った。扉が慎重に閉じられる音を最後に辺りが静まる。
体が鈍って重かった。リセアは眉間の奥に意識を向けた。そこは虚ろな暗がりだった。赤い花弁も氷の破片もない。小さな灯火を思いながら試みに呼びかける。声なき声は何ものにも受け止められることなく消えて、それきりだった。恐れも焦りも芽生えなかった。驚くほどに落ち着いていた。失われたのならそれでいい、再び求めることはないだろうと思った。
息を吐き、目蓋をゆるやかに閉ざす。暗がりにただよっていた意識がほどけて溶けた。
終
紅蓮の氷華 藤枝志野 @shino_fjed
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