絶対絶命もとい絶体絶命

「いないな……」


「ユキトさん、あそこ」


ランはたぶん指をさしてんだろうけど、今は見えないんだぜ。

だけど、そこがどこなのかは直ぐに分かった。

このキャットウォークをぐるっと回った向かいの壁に沿う部分が部屋っぽくなってる。たぶん居室や更衣室として使われてた部屋なんだろう。そんなに広くはなさそうだけど、二室ぐらいは繋がっていそうだ。こっから中は見えないけど工場を見下ろせる窓も開いている。


「向かい側か」


「行ってみましょう」


お互いが見えないから逐一声を掛けなきゃ相手がどこにいるかも分からない。

通路を歩きながらオレは下の様子を観察する。

姿が消えているから安心してじっくりと見ることができる。

思い思いにだべってるヤツらや、ボケっとタバコを吹かしてるヤツ。マンガ雑誌を読んでるヤツ。時折思い出したように空中に切れ目が走り魔式がダウンロードされ、炎や魔弾の魔法なんかを使ってるヤツもいるが、概ね警戒とは程遠い雰囲気だな。


「しゃーねえなあ。オレが行ってきてやるよ!」


それまで無駄に大きな声で誰がコンビニまでタバコを買いに行くかを押し付け合ってたヤツラの一人がおもむろに立ち上がる。

ん? なんだか聞き憶えのある声。


「お、ウサギちゃん!」


周りから喝采ともヤジともつかない声があがる。



『名を喪いし兎よ 我にその脚を貸し 時の針を飛び越えさせたまえ


――クロック・ラビット』



あ、あいつは!

アキラのコテで手首を折られたバタフライナイフの……えと、確か、ミツル君!

つか、なんだよ。パシリなんかに魔法使ってんのか!? そりゃ早いだろうけどさ……。


「――さん、――ユキトさん」


ん? あ、ミツル君を見てたらランの声が聞こえてなかった。

で、ランの声は思いのほか近くで……


――ドン


「きゃっ!」


柔らかく大きな物の、何だか幸せを感じる衝撃……

ランにぶつかっちまったようだ。


「あ、ごめ……」


咄嗟に身を引いて手を突いたのは錆びついた手摺で――

手摺はボロッという感触だけをオレの手の内に残して崩れ去り――

一瞬ぐらりと平衡感覚を失くしたかと思えば――

オレの体は空中に投げ出されていた。


――ドガァンッ



派手な音が耳を占め、ヤバイとか怖いとか考える暇もなく、背中に衝撃。

肺の空気が無理やり押し出されて声も出せない。

そして視界がぐるぐる回転してまた落下。


「ユキトさん!?」


ランが声をあげる。姿は見えなくても異変に気付いたんだろう。

どうやら直接下まで落ちたワケじゃなく、積まれてたパレットに一度ぶつかったらしい……と、何とか理解できたのは、ミツル君他数名の黒ずくめ軍団のヤツラに取り囲まれながら、コンクリートの冷たい床に転がって背中の痛みに耐えてる時になってから。

って、なんでコイツラはオレが見えてるんだ!?

しかも何かオレの両足が光ってるし……。

一体何が起きたんだ??

驚いた顔をしていたミツル君と他の面々も順番に狂暴な顔になってくし。

よくは分かんないけど、この状況ってとりあえずオレの命ないよね。

いや、絶体絶命の時でも諦めたらダメだ。諦めたらそこで試合終了だって、どこかの偉い人も言ってたし。

とりあえず考えろ、オレ! 痛いのはガマンして考えるんだ!

何で透明魔法が消えてしまってるのか……? この足の光は何なのか……?

って光は見る間に消えてくけど、この光景には見憶えがあるぞ。

そうだ!

『クロック・ラビット』のエフェクトだ!!

それがオレに掛かってるってことは……

さっきミツル君が使ってたのに……


「横取り!?」


思わず声が出ちまった。

いや、自分で言っといてなんだけど、身体能力強化魔法って横取りできるのか??

でも、したとしか考えられない。んで厄介なことに、透明人間が消えちまったのはきっとそのせいなんだ。さっきランが言ってた、透明人間にはステータスアップ系の魔法の重ね掛けはできないってのは、実際にはそれをやってしまうと妖精王の加護が消えてしまうってことだったんだ。


「ほお、オレの魔法をパクッたってワケか。夏目クン?」


ミツル君がジャイアン顔どころじゃない思いっきり凶悪な顔をしてる。

たぶん手首を折られた怨みもあるからなんだろうけど、アレはオレじゃなくてアキラがやったんだからな。


「コイツが夏目ってヤツ?」


「なんだ、自分からここに来たのか?」


「突然出てきやがったよな」


スーパージャイアンその2、3、4が口ぐちに言う。

さらに他で魔法を撃ったりしてたヤツラも集まってくる気配がある。これは絶体絶命どころか絶対絶命じゃまいか。

どうする

どうする

どうする

――そうだ!

今のオレには時計ウサギの魔法が掛かってるんだ。ということは……

一度目的の場所を確認。

気合いを込めてオレは飛び起き、飛び起きた勢いのまま、膝を屈して――


「はぁっ!」


思いっきりジャンプだ。

人間離れした速力を生み出すための強化された脚力が、まるでトランポリンの反動を利用したかのようにオレの体を宙高く押し上げる。

飛び上がる力が強すぎるため足の方が頭よりも高く上がり、オレの体は天井近くでムーンサルトの軌道を描く。

下では突然の出来事にミツル君たちはオレがジャンプしたことにも気付けていない。

高い! 怖ぇえ! つか今さらだけどオレは高所恐怖症なんだ!


――ガァン


掠っちまった手摺を盛大に破壊しながらも何とかキャットウォークに着地。

そしてここは狙った通りに、部屋の入り口の真ん前だ。

安っぽいアルミ製のドアが開いている。これさっきも開いてたっけ。それともランがすでに中に入ったから開いてるのかな。

振り返ってみるとミツル君は再びクロック・ラビットの魔法を発動している。他のヤツラはみんなキャットウォークの反対の端についている階段に向かっている。

魔式が消えてミツル君の両足も光る。

そして一瞬の間も置かずに、全くためらいのないジャンプ――

そりゃオレが跳べたんだから、同じ魔法でミツル君もここまで来れるのは当然だよな。

……だからオレは呟く


「ばーか」


こちとら跳んでる間がどんだけ無防備かも体験済みなんだぜ? さらに軌道だってバッチリ分かってるんだぜ?

オレの手には手頃な長さの鉄棒。破壊してしまった手摺のあんまりサビのまわっていなかった部分だ。

それを構え――

月面宙返りして降りてきたミツル君に照準――

タイミングを合わせて――

フルスイング!


――ドボグッ


ホームラン、とはいかなかった。

鉄棒は対象物の芯を捕らえてめり込みはしたけど前にはほとんど飛ばさなかった。

けど飛ばない分、手応えは十分過ぎるほどだ。

ミツル君はキャットウォークに着地はできず、悲鳴も上げずに落ちていくと、地面に衝突して鈍い音を響かせた。

ちとやり過ぎた感ありありだな。頼むから治癒魔法使えるヤツ行ってやってくれよな。今のオレは敵を回復してやる暇はないし、そもそも回復魔法使えるお金がないからな。

階段上がってくるヤツラもいるし、とにかく急がないとな。

部屋の中へオレは飛び込むように入る。

広くはない部屋だ。

全体的に薄汚れてガランとしてる。壁際に寄せられた長テーブルには,

端に寄せて積まれた空き缶が造るカラフルな壁。事務用イスだとかパイプイスだとか所々破れた合皮ソファだとか雑多な種類のイス。

いかにも不良の溜まり場って感じだけど、意外にも空き缶以外のゴミや吸い殻なんかが溜め込まれてたりはしてない。

……やっぱそれは、この部屋を使ってるヤツの性格が表れてるからなのか。


「お見事! すごい手際だね、夏目君」


長井 竜がパンパンパンと拍手をしている。〈手際〉がミツル君をジャストミートしたことを指してるのだと、オレは一瞬気付けなかった。

「長井、お前……」


何を言うべきか言葉が見つからない。

心配した友だちのうち一人は、ブレザーのジャケットを脱いでシャツ姿にはなっているけど昨日の昼休みに見かけた時と変わらない無事な姿で、ここでこうして微笑を見せている。

これが何を意味するのか。考えたくなんてない。

考えたくないけど……、信じたくなはいけど、コイツが拘束もされずにいることと、この態度が全てを説明してる。

そして最早分かり切ったそのことを


「なんでここにいる?」


オレは訊かずにはいられない。


「説明、いるよね」


クスリと笑う余裕の表情は、この間まで色んなことを喋ってた長井とは別人のようだ。


「シードってクスリ、僕が流してるんだよ。マルチのネットワークに」


長井の口からシードとかクスリだとかいう単語が出てくることが、こうやって目の前にしても信じられない。

だけど言葉の違和感には気付く。いや、シードって、魔術士の魔力の種のことなんじゃないのか? 心臓にあるとかいう……。


「相づちぐらいは打ったらどう? あ、シードって名前はもちろん君たち魔術士の魔術の種からだよ。魔術士になれるクスリ、シード。ホラ、どんなドラッグよりも夢があるだろ?」


「全く意味が分かんねえ……。なんでお前がクスリなんかと関係してるんだ」


「前に言ったよね、母さんに彼氏がいるって。その人に別けてもらってるんだ。どこかの企業の研究員らしいんだよ。あ、ウチの母さんは医療機器メーカーの営業なんだ。学会で知り合ったんだって」


「研究員がクスリを……」


だめだ、すでに頭がこんがらがってきた……。


「僕の特技って何か分かる? それは誰とでも仲よくなれること。その人がどんな言葉が欲しいか分かる。だから誰の懐にでもするりと入り込める。これは自慢できる特技だと思うんだ」


それで、オレとも友だちになったフリをしてたって言いたいワケか……?

何でだ? ウメノを攫うためにか?


「マルチなんてさ、とっても分かり易いんだよね。アイツら人との繋がりを商売にしてるクセにその繋がり方がワンパターンだから、簡単にネットワークを乗っ取れる。いや、ま、僕の能力だけじゃなくてシードっていうエサがあるからこそ、なんだけどね」


研究員にクスリにマルチ……

何でそれをお前が喋ってるんだよ、長井。

何でお前がそんなものに手を出してんだよ。

何でお前にそんな物が必要なんだよ。

なんで。

なんで。


「何でだ、何でなんだ長井!?」


射貫かれた。長井の眼差しに。

それはコイツの見た目からは想像もできないような鋭さで

それだけでオレは黙らされてしまった。


「……夏目君には分からないよ」


そしてぽつりと言った言葉には、きっと恐ろしいぐらいの怒りが込められている。


「おらぁ、もう逃げられねえぞ!」


突然背後で怒声がする。いや、突然じゃないか。

さっきからキャットウォークを走るカンカンといった音が近づいてきてるのには気付いてたんだけど、そちらに注意を向ける気にはなれなかったんだ。

振り返ると居室のドアに男たちが殺到していた。

バンジキュウス、ゼッタイゼツメイ――


「みなさんすみません。もう少し待ってもらえますか? もう少し彼と話すことがありますので」


長井が男たちににこやかに話し掛ける。


「あ、それからサガラさん、ミツルさんを治しに行ってあげて貰えますか? さっきのは放っておくと本当に命に関わりそうですし」


驚いたことに男たちは長井の言葉に素直に従った。

みんな口々にオレを罵る言葉を吐きながらも居室には入ってこず、サガラと呼ばれたどことなく風采の上がらないネルシャツ男はいそいそとキャットウォークを戻っていった。


「大丈夫です。みなさんの命は僕がしっかりと救いますから」


なだめの言葉の締めにそう言うと長井はオレに向き直る。


「みんなシード飲んで魔術士になったんだけどさ、シードには欠陥があってね……」


長井はそこで一呼吸置く。


「魔術士になってしばらくすると死んじゃうんだ」


「え、死ぬ!?」


どうしても扉の所の男たちが気になっちまうオレの注意を、その言葉のショックが一気に引き寄せた。


「心臓にできる方のシードは、ウイルス性の腫瘍なんだそうだ。だったらそのウイルスを入れてやれば誰でも心臓にシードを作ることが出来る。単純な話だろ?」


ウイルス?

じゃあ魔術士ってのはビョーキなのか??


「心臓の細胞の一部を特殊な性質のガンにしてしまうウイルスから作ったワクチン――それがドラッグ・シードの正体らしいんだけど、やっぱりワクチンなんかじゃ腫瘍が不完全な形でしか形成されないことが分かったらしい」


「分かったらしいって、形成されないとどうなるんだよ?」


「だから死ぬんだよ。一度繋がった異界との交信の糸は途切れることはないから、不完全な腫瘍じゃその糸に耐えきれなくなってある日突然心臓が止まる」


「おい。フツーはそんなの、安全を確認してから使うもんだろうが」


「だから言ってるじゃないか。普通のちゃんとしたルートで流れてるクスリじゃないんだよ、シードは。今言ったことも僕の仲間の内で立て続けに三人が心臓マヒで死んで、その彼らを調べてもらってようやく辿り着いた仮説なんだよ」


「でも、それがどういう――」


言い掛けてオレは気付いてしまった。コイツラの目的が何なのか。それは口にすることさえおぞましい。

ワクチンで不完全なら、生きたウイルスそのものを取り入れれば完全になれる……ということか。


「みんなリスクは覚悟の上でシードを飲んだんだけど、それはあくまでリスクの話でさ。いざ心臓が止まることが確定してしまって、更にその対処法までがハッキリと分かると、やっぱり生き延びたいと思うよね」


そりゃ死にたくはないだろうけどよ。


「そんなの自分勝手過ぎんだろ。自分の責任で危ないクスリ飲んどいて、今度は自分が助かりたいからって人の心臓掻っ捌こうなんてよ」


あ、口にしちまった。


「夏目君だって実際にこの立場になってみたら必死になるさ。そう言えばキミたちのハントを邪魔した時はまだこのことが分かってなかったから気楽だったんだけどね」


必死に……もしかしたらそうなのかも知れない。

だけどやっぱり自分が助かりたいからって無関係の人間を殺していいなんて理屈には納得できるワケが――


「ウメノは!? ウメノはどうした!!」


オレは突然恐怖した。

まるで熱い氷が肺を貫いたみたいだ。本当に誘拐されたのだとしても、それは何かの目的のためで命まで取られるだなんて思ってなかった。まさか本当にその命そのものが目的だなんて完全に想像の外だった。

ここに長井がいるのを確認してからでさえ、まだ心のどこかには命までは取られていないだろうとの甘い考えがあった。


「鳴滝さん……?」


長井は少し首を傾げた。

それからズボンのポケットに手を入れて何かを取り出す。


「 いないよ?」


指先で摘んで掲げて見せられたそれは――制服の赤いリボンで


「……もうこの世には」


長井はニッコリと嗤った。

その言葉は頭が理解をする前に心臓を貫いた。


ナンダッテ?


ウメノガイナイ?


コノヨニイナイ?


疑問符と同時にこみ上げる嘔吐感。

鳩尾の辺りが急に空洞になったように感じられてその空洞が胃とか肺とか心臓とかを押し上げるんだ。

頭がカラッポ

鳩尾もカラッポ

まるで吐き気だけの存在になったようなオレは次の瞬間――

長井の背後にいた。


「ウソつくんじゃねーよ」


長井の肩をポンと叩いてから、オレは次の部屋へと入る。

振り返らずに長井が言う。


「クロック ラビットがまだ効いてたんだね」


次の部屋にウメノを見付けた時、鳩尾の空洞も頭の空洞も一瞬にして無くなっていた。

後ろ手に縛られて床に転がされている。スカートは引き裂かれブラウスのボタンは引きちぎられている。下着が丸見えの酷いありさまだ。

でも――生きてる!!

眠っているのか目は閉じたままだが、規則的に薄い胸が上下し呼吸しているのが見て取れた。

一瞬の安堵。

そして、無くなった空洞の換わりに怒りの熱が全身を満たす。

視界が赤く染まり、手が腕が肩が震える。

空洞から灼熱。立て続けに沸き起こるこれまでに体験したことのない感覚にオレは混乱する。

放置されたままのロッカーが横倒しになってる他には特に何もないような部屋。

ロッカーをイス替わりに座る男。見張り役か。

そいつを見つけた瞬間、壊せという衝動がオレを支配した。

魔法で強化された脚力で床を蹴る。視界が飛ぶ。一足で相手の顔面に膝を叩き込む。だけど


――ガシッ


伝わったのは予想外の感触。

受け止められた!?

膝は敵の手の平に包まれていた。

この速度に反応し、しかも真っ向から受け止める。幾ら鍛えてると言っても常人にできることじゃない。こいつも強化魔法使ってやがる。たぶん『ナイト コード』あたりか。


――ミリッ


「つっ!」


指が食い込み、慌てて振り解く。

やはり人間離れした握力だ。掴まれたままおとなしくしてたら骨なんて簡単に砕かれてしまいそうだ。

咄嗟に跳び退いて距離をとる。

相手が使ってるのが『ナイト コード』ならばこっちの部が悪い。速力に特化した『クロック ラビット』とは違い、力とかの身体能力プラス集中力や反射神経なんてのも研ぎ澄まされる魔法だ。

……などと頭は考えるんだけど、体すでにミリタリー野郎に殴りかかってる。

信じられないようなスピードのオレのパンチはそれでも簡単に受け止められ、換わりに強烈なボディブロウを貰う。それからコンビネーションで頬をぶん殴られる。

爆発したかのような衝撃。痛いというか苦しいというか。

だけどそのダメージはオレの芯には届かない。とても勝てる気がしないのに、それでもオレはなぜか目の前の敵を壊すことを確信している。

……ああ、あのウメノの姿を見てぷっつんしちゃってるんだな。

さらに腹に前蹴りを打ち込まれる。体ごともってかれる威力。

だけどオレは床に倒れ込むと同時に跳ね上がる。ウサギの脚力はオレの体を天井まで跳ばす。

オレは天井を蹴ってミリタリー野郎まで跳ぶ。速いが直線的なこの攻撃もあっさりと避けられる。

行き過ぎたオレは床を蹴ってそのまままた跳ね上がる。跳弾のように壁、天井、床と三角形に跳ね再び敵へと突撃。ミリタリー野郎はこれも難なく躱す。

だが流石にその顔には驚愕の表情を浮かんでる。

確かにオレは人間相手の喧嘩なんてマトモにやったこともないし、自信もない。だけど実戦に慣れてないわけじゃない。

高校に入ってからのこの半年近くでかなりの数のバグをハントしてきたんだ。魔法使った戦いならテメェらとはウンデーの差の経験があるんだ。

更に壁、天井と三角形に跳ね回ってから攻撃を仕掛けに突っ込む。

今度のは少し角度が浅い。

直撃ではなく、ホンの半歩程手前、つまり敵の真っ正面に着地。

ここぞとばかりにミリタリー野郎はオレを掴まえにくる。ちょこまかと跳び回られるのにイラついてたんだろう。

確かに捕獲されてしまえばオレにはナススベがない。元から強そうな上に強化されてんだ。パワーの差は歴然。

掴まれたままボディブロウでも打ち込まれれば内臓破裂とかすんじゃないか。

――そんなことは分かってるのにあっさりと首根っこに腕を回された。

ゼッタイゼツメイ……じゃない!

オレは拳を差し出した。敵の腹との距離ほぼゼロ。とてもパンチに威力を持たせられる距離じゃねえ

でも――


「インヴォーク」


オレたちの頭上では魔式が霧散してるはず。

ヒュッと高密度の空気が集まり圧縮され見えない砲弾を作る。


「くらえ、空気砲!」


――シュポン


間の抜けた発射音だけど一応威力はある。


――ボスンッ


この極至近距離、攻撃手段があるなんて思いもしなかった相手は腹筋締める暇もなかったんじゃないか?

向こうの魔法強化との差し引き考えたら、決定打にはならないかもだけど、何が起きたのか分からない驚きも加わって、ミリタリー野郎は腹を押さえて身を屈めた。

跳ね回りながら『空気砲』の魔式ダウンロードの呪文を唱えてたんだ。

『空気砲』の利点は呪文が短いこと。ちなみにダウンロードされる魔式も短い。

勝機はここしかねえ!!

コッチだって『クロック ラビット』で脚力は強化されてるんだ。

いつぞやのウメノの蹴りを思い出す。狙いはアゴ――

あんなに体柔らかくないから上体倒して地面に手を突いて、馬が後肢で蹴り上げるような格好になるけど、突き上げたオレの足は――


――ガゴン


敵のアゴだかクビだか分からない辺りを打ち抜いた。

数メートルの距離を飛んだミリタリー野郎はそれきり動かなくなる。

オレは倒れてる敵の元へと歩いていく。

蹴りを叩き込んだ時、足の裏に柔らかいゴムホースを押し潰したような感触があった。やっぱりアゴというよりはクビを蹴ったのかも知れない。

どちらにしてもあれだけ頭が振られれば、脳震盪起こして、すぐに起き上がってくることはないだろ。

ミリタリー野郎の傍らに立つと、オレは耳を狙ってサッカーボールを蹴る要領で革靴のつま先を蹴り込む。ためらいなんてない。いかに効率的にコイツを壊すか、それだけが頭を占めている。

鈍い音がして耳の穴から血がドロリと流れたけど、思ったより威力を感じず首も折れない。

ちっ、『クロック ラビット』の効果が切れちまったか。

足裏に残るのと同じような破壊の感触をもう一度味わいたかった。探すまでもなく、視界の端にお誂え向きの物を見つけた。部屋の隅に雑多に纏められたガラクタの中に立て掛けられてるモップだ。糸の部分はなく、それを挟み込む金属の金具が露出してる。サビついてるけど、まだまだ強度はありそうだ。

歩いていって木の柄を握る。しっかりしてる。大丈夫、使えそうだ。

これを振り下ろすのはどこがいい? どこが効果的だ?

クビか、それともやはりアタマか。

あまりノンビリもしてられない。まだ壊さなきゃならないのが沢山残ってるからな。

握り込む手の中の感触を確かめながらミリタリー野郎へと向かう。


「ヲイ」


声を掛けられた。ん?


「オトリコミチューのところ悪ぃんだけど、先にコッチをほどいてくれまてんかぬ?」


「ウメノ!!」


「あ、ソレからナ、どっかソコラヘンにナガイのブレザーが落ちてると思うから、先に掛けてくれまつか? オマエをムダにコーフンさせんのもナンだしぬえ」


「え、ブレザー? 長井の?」


「早くしろでつ。緊縛ビショージョ眺める趣味があるんなら、秒単位でガッツリ金取ってやるから、別の機会にするでつ」


分かった。

今すぐほどいてやるからな。

とりあえずブレザーだな。


「いや、板が縛られてるの見ても何も楽しくないんだけど今のコイツにそんなこと言うのも可哀想だからここは敢えて反論せずにほどいてやるか。もしも縛られてるのが柔らかマウンテンだったなら幾らでも眺めてたいんだけどな。残念だ」


「ヲイ、こんのボケナスが! パニクってるのは知ってるケド、発声と心の声が入れ替わってんゾ! ええから早よこの手ほどけやゴルァ!!」


今まで気付かなかったけど、確かにウメノが言うようにすぐ傍にブレザーは落ちてた。

長井のだということで引き裂いてやりたくなりはするけど、とりあえずウメノの言う通りに掛けてやってから縛めをほどきにかかる。

後ろ手で、タオルを巻いた上からビニール紐をぐるぐるにキツく巻かれている。固結びだし、こりゃほどくよりも切る方が早い。

ナイフなんて持ってないから、ポケットをあさって家のカギを引っ張り出すとそれでギリギリとやる。


「ツヨっつぁんがライター持ってると思うゾ」


「ツヨっつぁん?」


「オミャーがぶっ倒した、マッッチョなお方でつお」


なるほど。ライターで焼ききりゃ一発だよな。

オレは相変わらず身動きもしないミリタリー野郎のポケットを探ってジッポーを見つける。気を失ってるみたいだが、呼吸はしている。

ウメノとのやりとりでぷっつんからは醒めた感じがするけど、間近でコイツを見てるとやはり怒りが込み上げてくる。とりあえずトドメを刺しとこうか……。

オレの中で再び湧き上がってる殺意なんて気付かない様子で、背後からウメノは話し掛けてくる。


「ちなみにヒジョーに言いにくいんでつけどぬえ……ツヨっつぁんはどちらかと言うと他のケダモノだちがこのビショージョにイタズラせんように目を光らす、ボデーガードみたいなもんなんでつおね」


いっ!? なんだって??

オレは思わず振り返る。


「だって、おま……」


「とりあえず、さっさとコレほどいてくれでつ」


「あ、うん。でもよ、一体……?」


ジッポのオイルの匂いが辺りに広がる。火を近付けるだけで、ビニール紐は溶けるように切れた。

自由を取り戻したウメノは起き上がると、せっかく掛けてやったブレザーが落ちるのも気にせずに大きく伸びをする。

いやオレは何のためにそれを取ってやったんだよ。とりあえず隠せよ。目のやり場に困るじゃねえか。


「ナガイがたまたま席外してる時に、セーヨクオーセイなお年頃のケダモノタチが、このビショージョを前にしてジセイを効かせてられるハズがなかったんでつおね。んまあ、ミョーな着ぐるみのヤツとかが来たりして何とか間一髪オイラのテイソーは守られたんだけどぬ。んでもスカートとかこんなんされちまったからナガイがブレザー貸してくれて、ツヨっつぁんを見張りにつけてくれたってワケでつお。ちなみにツヨっつぁんはゲイだそーでつ」


経緯を話しながらウメノはブレザーを腰に巻いて、ブラウスの裾を鳩尾あたりで結ぶ。


「寝てるうちにブレザー蹴っ飛ばして、ブラウスもほどけてたみたいでつが」


えと……ウメノの説明はよく分からんところもあったけど、ツヨっつぁんへの怒りが誤解だということだけは把握した。で、この場合、オレは何を思えばいいんだ?


「つかよ、寝てたっつっても、途中から起きてたんだろ? 止めてくれたら良かったじゃねえかよっ」


責任転嫁だってのは分かってるけど、そう言わずにいられねえ。

だってよ、とりあえず何か怒鳴ってないと、ウメノがこうやって変わらずにいてくれたってコトで、こんな場合だというのにオレは笑い出しそうだからさ。

あ、ツヨっつぁんゴメンって気持ちももちろんあるけど。


「のおユキトよ。おみゃーツヨつっぁんに酷いことしてもうたぬぁんて思ってるんじゃないでつおね?」


「あ、いやそりゃ誤解だったワケだし……」


「変わらずバカでつな。どのみちコイツらはオイラの心臓掻っ捌こうとしてた敵でつお。ゆーなればバイオのゾンビでつお。そんなヤツラに同情してどうするんでつお」


ツヨっつぁんなんて呼んでるわりにゃ、中々にクールだな。


「まあいいでつお。おみゃーは変わらずバカなぐらいがハマり役でつ」


なんで助けに来て、こんなにディスられてんだ?

だけど怒ろうかどうしようか迷ってるウチに、ウメノは次の言葉を続け


「ホラ、バカはバカなりにちっとの間カカシみてぇに立ってロ」


その更なる罵倒を言い終わるやいなや、全く理解できない行動をとりやがった。

えと

えとえと

えとえとえと

オレの胸に飛び込んできたのは間違いなくウメノで。

背中に手ぇ回したこのスタイルはたぶんベアハッグかただのハグのどちらかで。

もちろん前者の可能性が高いかとは思ったんだけど、オレの胸にぎゅっと顔をうずめたウメノの背中は小刻みに震えてて。

何となく、そうした方がいいのかなって思ったオレは

気が付くと、震える小さな背中に手を回すともう片方の手で頭を撫でていた。

……いや、決してお前の存在を忘れてたわけじゃないんだぜ?

――長井


「見せつけてくれるね」


「悪いな長井。ウメノはやっぱりオレの方がいいんだとよ」


平静を装いながら、そっとウメノを離す。


「問題ないよ。心臓さえいただければ」


「ところが、その心臓込みでオレのもんなんだよな」


「こっちもそこは譲れないところでね。やっぱり力ずくでいくしかないのかな」


戸口に立つ長井はさっきまでと変わらない様子だ。

多分オレがツヨっつぁんと戦っている所も見てたんだろうけど、加勢もしなかったんだよな。何考えてんだ?

それにしても、自分の心臓のことを言われてるってのに、ウメノがえらい静かだ。

まさかまた寝ちまったとかじゃねえよな?


「おい、ウメノも何か言ってや……」


ん? 視線を下げてウメノを見たオレは異変に気付いて言葉が止まる。


「って、お前顔真っ赤だぞ。そんなカッコで寝てたから風邪でもひいたんじゃないのか?」


「ウッセー黙ってろ」


ウメノはくるりと背中を向ける。いや、オレなんか悪いことしたか?


「一応言っておくよ」


長井が一歩前に出る。


「孫さん――母さんの彼氏がいうには、僕たち全員を救うためのウイルス数は、魔術士一人の腫瘍だけで事足りるらしい。鳴滝さんを置いていくなら、夏目君は帰ってもらってもいいんだけど?」


「とりあえずな、心臓がどうとか今はいいんだ。オレはてめえをぶん殴るってさっき決めたんだよ」


今コイツが何かしてきたらオレにナススベはない。さっきの空気砲で本当に全財産使い果たしたしな。

宣言しといてなんだが、こうなったら本当にアキラみたいな先手必勝でぶん殴るぐらいしか手は残されてねぇ。


「勝ち目がないのは分かってるよね? 」


――バスン バスン バスン


言い終わるとほとんど同時に、長井が立つ戸口の両脇に穴が開く。魔弾系の魔法か。人が通れるぐらいのサイズの入口を無理やり三つ増やしやがった。

砕け散った石膏ボードが真っ白な粉塵となって部屋中に舞い上がる。そして増設入口から現れる人影。さっき居室の入口で長井に止められてたヤツらだな。

うん、もう先手必勝どころじゃねえな……。























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