(6)
大量のゲームを買い込んだフローレンスは、その後書店へ立ち寄った。
あれだけの買い物をしていたにも関わらず彼女は至って身軽だ。しかし、亜空に隔たれた
彼女の行動に違和感を覚えるものはいるだろうが、そういう結論には間違っても至るまい。人間の脳は、自分の常識からかけ離れた思考はできないものだ。そういうつくりになっていることを、フローレンスはよく知っている。
フローレンスは書架で太一が好みそうな書籍を物色する。
太一が好むもの。記憶。その中にはいくつかの書籍があった。多くは漫画や小説として定義される類のものだ。物語、というものをフローレンスは理解し得ないが、それらはどうも中途半端なところで止まっている。終わり、と明記されているものもあるが、太一の記憶に引っかかってるのはそちらのようだった。
記憶からタイトルを特定し、該当の書籍を探す。特定するところまでは難しくもなかったが、絶版になっているのか、それとも何らかの事情で打ち切りになったのか、手に入らないものもあったのが少し残念だった。
残念。そう思うことなど久しくなかった。ただ買い物をして、探している品物が手に入るか、入らないか、それだけのことで、こんなにも人の心はさざめくものだったろうか。フローレンスは生前の自分に思いを馳せる。
そういうものだったのかもしれない。
フローレンスの故郷は技術こそ発達していたが、異常発達した科学は人から創造性を奪っていた。ヒューマン・エラーを極限まで排除した社会において、日々は平穏に、そして平坦に、無為に過ぎ、人々は怒ることも悲しむこともなかったが、かと言って喜ぶことも楽しむこともなかった。
そんな世界にあっても、フローレンスの見繕った服を手にした人々の笑顔は本物であった。
喜ぶ。喜ばせる。感情のやり取り。
懐かしい絵本を読み返すような気持ちで、フローレンスは書籍を手にとった。長く続いているシリーズの小説だった。奥付を確認する。初版 2005年。第十七版 2016年。
長く続く冒険譚は未だ完結していないようだ。刊行ペースからすると、最新刊が出るのは三か月ほど先だろう。
また来よう。そう決めたフローレンスは、異質な視線を感じて振り返る。
これまでの好奇の視線とは違う――刺々しい、敵意のこもった視線。
視線はあっさりと消えた。敵意はあっても、今はまだ危害を加えるつもりはないらしい。
なら、どうでもいいことだ。フローレンスは、いくらかの書籍を手に、会計に向かった。
***
太一とフローレンスは、私室で並んで座っていた。
静けさばかりが広がっていたこの部屋が、少しばかり賑やかになった。フローレンスの用意した液晶ディスプレイは、カー・アクション型の対戦ゲームの、軽妙なバック・グラウンド・ミュージックを響かせている。
スピーカーらしきものはないが、音質はとてもクリアーだ。太一の世界で使用されていた規格に合わせて、フローレンスが制作したものである。彼女にクリエイティビティなどあるはずもない。そこに音質の好き嫌いなどなく、そのオーディオ・ウェアはあらかじめ記録された音声を淡々と、忠実に再現する――音楽にさして詳しくない太一に、その素晴らしさ分かるはずもなく。また、仮に気付いたところで今更驚きもしなかっただろう。
二人はそれぞれコントローラーを手にしているが、その様子は対象的だった。太一は前のめりになって必死に、体ごと手を動かしているが、フローレンスは淡々と、しかし異様な速度で指だけを動かしていた。
フローレンスの異常発達した脳機能は、たとえゲームを遊んだことがなくても、操作方法とルールを瞬時に理解し、最適化する――当然、太一に勝ち目などあるはずもなく。
「あー、もう、無理!」
第七百七十三レース目で太一はついに根を上げた。それでも随分根気はよくなったのだ。それでもさすがに七百七十三戦中七百七十三戦敗では心が折れる。
太一はコントローラーを放り投げて、立ち上がり背後にあるベッドに体を沈めた。
「フローレンス強すぎ」
少しふてくされたような声で太一がちらりと睨みつけた。
「不快でしたか」
振り返って、フローレンスが問う。
「不快?」
太一が体を起こして、首を傾げる。
「や、別にそんなことはないけど」
不快なわけではない。シーツを指先でいじりながら太一は答える。
「勝率が0パーセントってのも、ちょっとゲームとしてどうかと思う」
結果の分かっている勝負など面白くないのも事実だ。それでも以前と比べれば随分と、退屈は紛れたけれど。そもそも、フローレンスがまったく楽しそうでもなんでもないものだから、悔しいとかそういう気分にもならない。
「そういうものでしょうか」
「そういうものです」
そういうと、太一はごろんと、うつ伏せに寝転がった。
「やっぱネット引いてよ」
「お嬢様の言うところでは」
シーツに顔を埋めながら発せられた太一の要求に、フローレンスが淡々と答える。
「――物理空間的な連続性を持ってしまうので、魔術的な防御策を依頼する必要はあるでしょう。物理的クラッキングならいくらでも対処できますが、魔術的なそれはわたしでは対処のしようがありません」
「わかるようなわからないような」
つまりダメ、ということなのだろう。ネトゲなんて買ってきている以上は、フローレンスだってネットを引くつもりはあったのかも知れない。それでも少し疑問に思うところはある。なんでも好きにすればいい、と言いそうな吸血聖母が拒否するとも思えない。
「別に外の人が入って来てもなんともなくない? ここにいる限りは、俺たち死なないんだろ?」
この世界に、《吸血聖母(ブラディ・マリィ)》の庇護下にある限り、太一達は不死不滅の存在だ。仮に何者かの進入を許したとして、それで何かが変わるとも思えない。
「それはそうですが」
太一の問いを受け止めフローレンスが、コントローラーを置く。
「わたしは、今の静かな暮らしを気にいっているので」
フローレンスが立ち上がると、リモコンを操作したわけでもないのに、ディスプレイの電源が落ちた。それを合図としたかのようにディスプレイも、ゲーム機も、虚空に消える。
「招かれざる客に、この城を荒らされたくはありません」
吸血聖母(ブラディ・マリィ)の庭を、彼女のような存在が闊歩するこの地を荒らせる存在がそういるとも思えないが――
「そういうものですか」
太一が問うと、フローレンスは頷いた。
「そういうものです」
はっきりと答えたフローレンスは、少しだけ、そう――ほんの少しだけ、微笑んでいるように見えた。
「さあ、お茶を入れましょうか」
それは気のせいだったろうか、太一が確かめる前に、フローレンスは背中を向けて紅茶を入れ始めた。
そうだね、と太一は答えた。紅茶も焼き菓子も、吸血鬼となった彼らにとって意味のないものではあったが、とても美味しかった。
吸血聖母と、しもべのはなし。 先山芝太郎 @sakiyama_shibataro
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