第2話イケナイダンス
その日は朝から雪が降っていた。ここ最近の天気は晴ればかり続いていたので、突然の雪には驚いた。気温も雪の今日に合わせるかのように、急激に低下していた。これは裸で生活しているボクには大ダメージだ。朝恒例の『おはよーリビドー』がこの天気では実施出来ない。その代わり、家の鏡に向かって『おはよーリビドー』している。家の電灯の光がボクの体に反射し、煌びやかにそれを演出する。今日も素晴らしい裸だ。
「朝から何やってるの・・・・・・っていつものことか」
ワダジマエイミが恒例のごとくベランダからボクの家に侵入してきた。
「別に玄関から堂々と入ってくればいいのに」
「イヤだよ。変態に思われちゃう」
十分ボクに付き合っている時点で変態だと思うのだが。ボクの裸を見て、内心興奮しているんじゃないのか?顔に出ていないだけでそう思ってるんじゃないのか?
「それはない。それは断じてない」
また思考を読まれた。ワダジマエイミの心を読む能力さえなければ、今頃・・・・・・
「今頃、何?」
ワダジマエイミがボクの体に擦り寄ってくる。彼女が着ているセ-ラー服越しに、肌のぬくもりを感じる。ただでさえ今日は極寒であるから、余計にその暖かさを鋭敏に受け取ることが出来る。僅かながら、柔らかな双丘が肌に触れる。思わずボクのひみつのアッ○ちゃんがテクマクマヤコンしそうだ。
「ちょっと、興奮しないでよ」
しまった。ついつい鼻が制服に伸びていた。洗濯したてなのか、洗剤に含まれているのかそれとも彼女の発する匂いが混ざり合っているのか分からないが、鼻腔を刺激する芳醇な香りに包まれている。ダメだ。このままでは変態紳士がただの変態になってしまう!はあああああっん!!!!
「ああ、ごめん」
そう告げると、体をそっとボクから離し、地べたに女の子座りする。一瞬、座る際の風圧でスカートがパラシュート上に広がるが、敢え無く両手を添えられ秘密の花園への入り口は無念にも閉ざされた。
「駄目だよ、気を付けないとさ、こっちも変態紳士だけど、いつ紳士じゃなくなるか分からないよ」
「大丈夫でしょ、アンタはそんな度胸ないでしょ」
白い歯を見せてボクに笑いかけてくれた。透明に輝くその笑顔は、幸福を振りまこうとしているように見えるが、どこか人生に対する諦念を孕んでいるようにも見えた。
「それよりさ、デートしない?」
そんな鬱屈な気分を切り裂くかのように、突然話を切り出した。
「え?何だよ突然」
あっけにとられていると、ワダジマエイミがスマホの画面をボクに見せつけてきた。
「いいじゃん!ほら、ココだよココ!」
そこに表示されていたのは、この家から歩いて10分の距離にある『ゲラ山パスーランド』という、遊園地と温泉が合体した総合娯楽施設だった。全国とまでは言わないが、ある程度名の知れたスポットだ。
「ほら、お風呂なら裸で居られるし、良いと思うんだけど、どうかな?」
ワダジマエイミが上目遣いで懇願している。そんな潤んだ瞳で見られたらどんな男も首を縦に振らざるを得ない。
「ああ、分かった」
「ほんと?!やった~!」
まるで子供のようにはしゃぎ回る。今まで一度も遊園地に行かせてくれずに、ようやく今日初めて行ける事実に阿鼻叫喚しているかのように。実際にそうなのかもしれない。
「そうだよ。こういう所に行くの、生まれて初めてなんだ」
見事的中した。
「でも、その格好じゃ外出られないよね?」
「何を言ってるんだ?これが正装だよ」
「いや、世間的にはそれ裸って言うんだよ。公然とわいせつしちゃってるんだよ」
その言葉にボクは思わず笑みを浮かべ、こう切り返した。
「それは世間が間違っているんだ。ボクには裸で街を歩く『権利』があるんだ!」
そのまま玄関から外に出ようとするボクを、ワダジマエイミは右手を強く掴み、制止する。
「せめてさ・・・・・・せめて下着くらいは穿いたら?」
「ダメだ」
「え~、じゃあ何だったらいいのさ」
ボクの中では既に衣服を着るという選択肢は一切無い。ボクにとっては裸でいることがライフワーク、生きる意味すなわち『アイデンティティ』なのだ。ならば、ワダジマエイミはボクに何を求めるのだ?
「そうだな、下着がダメなら、首輪と鎖なんてどう?犬の格好ってことで」
ああ、神様。こんなに素晴らしい発想を思い浮かぶ女子高生に巡り会わせて下さってありがとうございます。『犬』ということであれば、裸でいることが必然的になる。むしろ電柱に尿を掛けたりするプレイなぞ、造作も無いことだ。人を舌で嘗める、鼻を体に密着させて匂いを嗅ぎまくる、脱○など、あらゆることが合法的に行うことが出来る。ボクは新しいセカイへの扉を開いてしまったのかもしれない。
「ありがとう。すぐに犬になるから、道具を貸してくれ」
この世で最も美しく希望に満ちあふれた笑顔を見せながら言うと、ワダジマエイミは学校に持って行っているウサギのアップリケが施された黒の布地のリュックサックから、あろうことか鎖、首輪、それに犬耳カチューシャ、尻尾まで持っていたのだ。普段から家族や友人に『犬プレイ』をさせているのか?それともこうなることがあらかじめ分かっていたのか?
「もしかして、考えを先読みしたのか?」
「ご想像にお任せします」
ワダジマエイミは不敵な笑みを浮かべ、ボクに『犬変身グッズ』を装備させた。ご丁寧にも手持ちの化粧道具で全身に犬メイクを施してくれた。一応のコンセプトは、毛が生えていないいわば裸に近い犬種である、『アメリカン・へアレス・テリア』。全身をグレーで色づけをし、とんがった耳のカチューシャをはめ、長く細い尻尾を付ける。これで何処からどう見ても正真正銘の『犬』だ。
ボクはワダジマエイミの鎖から伝わる指示のまま、四つん這いで外へ飛び出していった。
犬であるのだから、街中にあった人には『ワンワン』と元気に吠えて、尻尾を振らなければならない。そしてあわよくば股ぐらに侵入し匂いも嗅がなくてはいけない。これら一連の動作は、いわば犬に課せられた『義務』である。必ずこなさなくてはならない。しかも人間であることを悟られずに、だ。
早速通行人が現れた。年はだいたい30代前半といったところか。商店街から買い物の帰りなのだろうか、ネギや何やらが飛び出した大きめのバッグを抱えている。こういう主婦には『クゥ~ン』とおねだりボイスを発すれば、必ずや『かわいい~』といって夢中になるはずだ。
「こんにちわ~」
主婦はこちらに向かって笑顔で挨拶した。しかし、ボクの姿を見た瞬間、その笑顔は崩れ去り、畏敬もしくは驚異の顔に変わっていた。
「あ、あら~随分大きいワ、ワンチャンですね~」
かなり無理して笑顔を再度作った。このままではボクが只の犬の格好をした変態に見られてしまう。
ボクは必死に尻を振り『クゥ~ン』と鳴いてみせた。
「鳴き声も、なんだが野太くて凜々しい犬です、ね」
「そ、そうです、かね~」
ワダジマエイミも誤魔化そうと笑顔をとりつくろう。こういう時には咄嗟に笑顔を作れるものなんだなと、女の怖さを実感する。
ボクも怯まず第二撃として、舌を出し『ハァハァ』と息を荒くし、上目づかいで撫でて貰うようおねだりする。だが、これには主婦も苦虫を噛んだ顔を浮かべ、「で、では~」と会釈してそそくさと立ち去ってしまった。
「まずい、これバレてるんじゃないのか?」
「しっ!犬なんだからしゃべっちゃだめ」
口に人差し指を当ててボクに合図を送る。それに対してボクは元気よく『ワン!』と吠えて応えた。
その後は怪しまれることも無く(あるいは近寄りたくないため無視)、なんとか遊園地までたどり着いた。だか、ここに来て新たな問題が発覚する。
「しまった、この遊園地ってペット入園禁止なんだよね・・・・・・」
ボクは『キュ~ン』と鳴いて砂を噛み始めた。
さて、どうしたものか。このまま犬であることに執着し、遊園地に強行突破という方法もある。犬の散歩でも良くある、手綱を放してしまって勝手にどこかに行ってしまうアレだ。
「そんなんで騙されるかな」
ワダジマエイミは呟く。世間は犬猫などの裸の愛玩動物には寛容で、裸の人間にはとても冷遇を強いる。外を裸で歩いただけで、犬や猫は優しく撫でられたり優しく接するが、裸の人間にはこの世のモノとは思えないような叫び声を上げ、携帯電話を取りだし警察に通報するのだ。同じ動物だというのにこの差は一体何なんだ。可愛くないからか?ボクの裸が可愛くないからなのか?確かにアイドルの裸なら寄って集って祭り上げるだろう。きっとアイドルが裸で叫び声でも上げたとしても、それは眼福だ、耳へのご馳走だとかいってうやむやにされる。
今からでも遅くない。犬系アイドルに変身すれば、万事が解決する。
「それはないよ。ってかアイドルが犬になってしかも裸じゃ即警察行きだから」
そうだよな。さすがにアイドルでも裸で許されるのは乙女ゲーとかBLゲーだけだよな。やはり意識変革が必要だ。裸に対する抵抗感、嫌悪感から払拭していかなくてはならない。ならば・・・・・・
「ちょっと券買ってくるワン」
そう犬語で話すと、ボクは二足歩行を始め、首輪と犬メイクをしたままチケット売り場へ向かった。幸か不幸か、売り場には人はおらず、私とワダジマエイミしか居なかった。
「いや、それは、ちょっとまずいんじゃ」
「大丈夫だワン。案外堂々としていた方が上手くいくワン」
そんな持論を展開し、意気揚々と歩を進めていたのだが、ふとある重要なことに気づく。
「あ、財布・・・・・・無いワン」
裸でしかも犬であることに執念を燃やしていたボクは、財布の携帯し忘れていたのだ。当然も当然、服は着ていないからどこに財布を携帯するというのだ。
「うわー恥ずかしー」
自信をを無くしたボクはあえなく四足歩行に戻る。
「でも、堂々としている方が乗り切れるってのは、間違ってないかもね」
ワダジマエイミは手綱を引き、私をチケット売り場へと導く。
「すいませーん。大人2枚で」
チケット売り場の受付嬢に声を掛ける。受付の視点から見れば、大人が2人居るとは分からないので少し訝しげに話を切り出す。あれ、受付嬢の顔が良く見えないな。
「大人2枚・・・・・・でよろしいですか?」
「はい」
「二千円です」
ワダジマエイミが財布から千円札二枚を取り出し、受付嬢に渡す。ボクは見えない受付嬢の顔を、カウンターに手を掛け覗こうとする。しかし、ワダジマエイミの強烈な肘鉄を食らい、あえなくその野望は潰えてしまう。
「ありがとうございます。どうぞ素敵な一日を」
無事にチケットはワダジマエイミの手に渡り、人数の他には特に怪しまれることなくチケットを買うことが出来た。
次はゲート通過だ。必ず係員が立っており、不審者の侵入を全力で阻止しにかかる。ただ、ボクは何処をどう見ても不審者ではない。そもそも人ではない。『半犬半人』という存在なのだから、特にこの遊園地でも止める権利はないハズだ。
ボクはワダジマエイミからチケットを貰い、ゲートに悠然と向かう。その足取りはまさしく『裸の王様』のよう。誰もこのボクを止める者は居ない。今や地球上にたった一人の『半犬半人』だから、どんな概念もボクには一切通用しない。故に無敵。故に最強。裸が遂に罪にならない日が来たのだ。全世界のヌーディストに朗報だ。今すぐネットで動画をアップロードしてこの素晴らしい方法を拡散しなければ!!
もう頭の中ではセカイのスターになっている気になっていたボクに、ゲートに居る係の女性が声を掛けてきた。
「すいません。ちょっときてもらえますか?」
震え声でボクの腕を掴むのは、20代と見られる茶髪ロングヘアーの女。額辺りに赤のヘアピンを付けており、耳にはリンゴのピアスを装備。肝心の掴んでいる手を見るとイチゴの指輪を右手の薬指に付けている。怯えているのか、その場から動かなくなり、二の句も告げない彼女を優しくボクは肌で包み込み、耳元で囁く。
「そんなにボクのバナナが欲しいのかい?」
その言葉に体を痙攣させ、その場に倒れ込んでしまった。
「おや、刺激が強すぎたかな」
「今のうちよ。行きましょ」
そんな光景に目もくれず、ワダジマエイミはボクの手を引き、ゲートを通過させた。
何とかゲートを通過した二人であったが、肝心なことを思い出す。
「そういえばアンタ裸なのよね。アトラクションに乗ったらめちゃくちゃ寒いんじゃないの?」
「大丈夫だ。普段から裸だから問題ない」
すると、安心したのか再び笑顔を取り戻し、『こっちこっち!』と手招きをしてはしゃいでいる。
導かれた先は、遊園地の定番であるジェットコースターだった。ここのジェットコースターは世界最狂を謳っており、途中で線路が無くなり完全に宙に浮くという。安全面で大丈夫かと言いたくなる。
「これ、本当に大丈夫だよね」
不意に不安になったのか、ボクの手を握ってくる。手の平から汗がにじみ出ている。ボクはその手を握り返し、笑顔で応える。
「大丈夫だ。安心しろ。何かあったらボクが守ってやるさ」
そう言い放つと、ボクはワダジマエイミを抱きかかえ、堂々とお姫様だっこでジェットコースターに乗り込む。
スタッフが苦笑いしつつ、座席につきシートベルトを着用する。やがて発車のブザーが鳴り、恐怖への坂道を登り始める。
「ほ、ほんとにだいじょうぶ、だ、だ、だよね」
目の前に広がる線路の無い青空に、死すら覚悟し震えているワダジマエイミをそっとボクは抱きしめる。
「大丈夫だ。さっきも言っただろ」
「し、信じてるから」
いよいよ下り坂に差し掛かろうとしたその時。ワダジマエイミのシートベルトが壊れていたらしく、ロックが解除されてしまった。シートベルトで押さえ込まれていたGは解き放たれ、あっという間にワダジマエイミの体を浮き上がらせた。
「キャアアァァッァアアアアア!!!!!!」
ボクはすぐさまシートベルトを外し、ワダジマエイミの腰を両腕で掴む。ジェットコースターから離れかけていた体を抱き寄せ、無事着席させる。しかし、ジェットコースターの性質上これだけでは終わらない。第二波、第三波がやってくる。このままでは同じことが繰り返される。何か手を打たなければ、ワダジマエイミが放り出され、地球とお友達になってしまう。・・・・・・そうだ、シートベルトが壊れているのなら、ボクがシートベルトになれば良いのだ。
着席させているワダジマエイミの腹部に顔を寄せ、腰に腕を密着させる。両手は座席の背もたれの根元を掴んでいる。ボクも落ちては元も子もないので床に四つん這いスタイルで屈んでいる。
「もうちょっと、しっかりロックしてよ」
ボクの頭を押さえつけ、更に密着させる。スカートに付けていると思われる洗濯糊の匂いが一層強くなる。太もものふわふわとした柔らかな感触もより伝わってくる。振動で微かに双丘が頭をボクシングしてくる。なんだこのドリームランドは。ここにもテーマパークがあったというのか。
「は、はひぃ」
その後の記憶があまりなく、気がつくと遊園地のベンチで膝枕されていた。
次はどこに連れて行かれるのかなと勘案していると、遊園地のステージで開催されているヒーローショーに導かれた。
ヒーローショーは既に始まっており、最前列にちびっ子達が群がっている。それと対照的に後方列は閑散としており、寂しい風景が広がっている。
「ずっと見たかったんだよね~、ヒーローショー」
ワダジマエイミは最後方の列の席にハンカチを敷き、スカートを揺らめかせて座る。それに続いてボクも隣にちょこんと座る。尻からは冷え切った席の手荒い歓迎が伝わってきた。
「ヒーロー、好きなんだ」
「うん、大好き。好きすぎてアタシがなっちゃおうかなって思うくらい」
無邪気にヒーローに手を振るワダジマエイミ。その姿を眺めて悦に浸っているボク。ボクを見て俄然やる気が入るヒーロー。ここに幸せの永久機関が成立した。
『キャー助けてー』
いよいよヒーローショーも終盤にさしかかり、悪役が卑劣な手段を使ってヒーローを苦しめ始める。悪役は台本通り、司会をしているお姉さんをさらい、人質にする。『なんて卑怯な・・・・・・』とヒーローが呟き、懐から必殺武器を取り出す。いつものヒーローショーで良く見る、テンプレートパターンに入っている。この後は間違いなく武器を使おうとするが、敵にやられて挫けそうになる。『もうダメだ』みたいなことを言い出して、司会のお姉さんの掛け声で子供達が『がんばれー!』とエールを送ると、ヒーローが再び奮起し、見事人質を助け出し、敵も木っ端みじんに粉砕する・・・・・・みたいな筋書きだろう。
「ちょっと、初めて見るんだから余計なこと考えないで」
そうだった、そもそもワダジマエイミにとっては初めて見るものなんだ。余計なことを『考えて』しまうと意図しなくても伝わってしまうのだ。
邪険な顔で見つめてくるワダジマエイミの手をそっと握り、ボクは満面の笑みを浮かべ語りかける。
「世の中台本通りに上手くいくことなんかほとんど無い。ボクが証明してあげるよ」
そう格好良く台詞を吐き捨てると、一直線にステージへ急行する。子供達が必死に応援しているところを無理矢理掻き分け、ステージの縁に手を掛ける。
ステージ外の異変にいち早く気づいた司会者の女性は、ボクのあられもない姿を見て一瞬凍り付いたようにも見えたが、さすが舞台慣れしているだけあって直ぐに気を取り戻し、叫び声を上げ始めた。
『キャー!!!怪人の仲間よ!みんなで追い払って!』
そう呼びかけると、子供達はボクに群がり始め、様々な部分を掴んでは離し、殴る蹴るの暴行を加え始めた。だが子供の力ではこのボクを止めることは出来ない。子供達の痛気持ちいいマッサージを名残惜しみつつ、掴んでいたステージの縁を強く握り、よじ登った。
その瞬間、舞台袖に控えていた警備員らしき人物が出没し、ボクを床に倒し取り押さえようとする。しかし、僕の体は全身犬ペイントを施していたため手が滑ってしまうようで、上手く押さえ込むことが出来ないようだ。
そんなボクを見て、ワダジマエイミだけは遠くから『がんばれー!』と声援を送ってくれる。無垢な笑顔を浮かべ、楽しそうにこちらに手を振る姿は、まるで現世に降り立った天使のようだ。
据え膳食わぬは男の恥。女の子に応援されているのだ。ここで負けることは決して許されない。ボクは内に秘めたるリビドーを解放し、筋肉に活力を与える。すると、今までへこたれていた体が見る見るうちに奮起し、押さえつけている警備員を突き飛ばせるまでになった。何が起こっているのか状況の整理がつかない怪人役は、そのまま呆然と立ち尽くしている。それとは打って変わって、司会者の女性は舞台裏に急行し、マネージャーらしき人物と何やら話し込んでいる。当のヒーローというと、ボクの姿を指をくわえて見つめている。
「何をしているんだ!ヒーローだろ!早くなんとかしろ!」
突き飛ばされた警備員が、ヒーローに罵声を浴びせる。そんな姿を見るに堪えなかったのか、その場を立ち去り始める親子や、泣き出し始めてしまっている始末。最早ヒーローショーどころではない。
大騒動になり始めている気配を察知したボクは、ステージを一瞬の隙を突いて抜け出し、ワダジマエイミの手を取り逃げ出した。もうこの遊園地に居たら直ぐに捕まってしまうと思い、遊園地の隣の温泉に逃げ込むことにした。温泉は遊園地と共通券なのでゲートでの検問は一切無い。
「はあ・・・・・・はあ、すごく・・・・・・面白かったよ」
息を切らし、苦しそうな表情ながらも、歯を見せボクに親指を立てて微笑んでいる。
「そう・・・・・・それはよかった」
必死に足掻いた甲斐があった。汗でにじんだ犬メイクが、ワダジマエイミの掴んでいる腕に一滴落ちる。
「と、とりあえず、お風呂、入ろう。背中ぐらい流すよ」
か細い声で、ワダジマエイミはこの温泉に備え付けの『家族風呂』に導く。
汗でべっとりとなった体をさっぱりするには、やはりお風呂だ。女の子の汗も服を絞って飲んでみたいものだ。使用しているシャンプーの香り、体にさりげなく付けている芳香剤の香り、衣服から漂う洗剤の香り、汗と皮膚の成分が混じり合い滲み出す体臭、どれをとっても格別だ。
ちょっと待て。香りとかそんな話の前に、気にすることがあるだろ。『家族風呂』・・・・・・だと?現世に残る唯一合法的に混浴が出来る夢のような施設。その『家族風呂』に・・・・・・さ、誘われているのかこのボクが?ダメだ・・・・・・あ、頭がスパークして何も考えられない。こんな幸運が突然降って湧いてくるなんて、ボクの人生じゃもう二度と無いかも知れない。覚悟を決めろ。そうだ、風呂はボクのホームグラウンドみたいなものだ。裸が真の意味で許される場所。裸で居ることが正しいとされる場所だ。自信を持つんだ。アウェーなんかじゃない。堂々と踏み出せば良い。地上の楽園、『家族風呂』へ。
はやる気持ちを抑え、ボクは『家族風呂』の扉を叩く。既にワダジマエイミが受付を済ませ、鍵を手にし中で脱衣をしている。さすがにいきなり全裸を見られるのは抵抗があるということで、時間差で風呂に入ることにした。かくいうボクは脱衣の必要は無いので、先に入って待っている方が理想的な時間の使い方ではあるが、彼女曰く『女が先に待っていた方が嬉しいでしょ』と持論を展開した。別に先でも後でも『芸術』を見られることに変わりは無い。だが、こう待たされていると想像が妙に膨らんでしまう。どんな体型なんだろう、どんな○○なんだろうかと、際限なくあふれ出てきてしまう。
もう耐えきれない。扉に手を伸ばしたその時。
「どうぞ」
桃色に包まれたその声が、更衣室越しに聞こえてくる。いよいよ禁断の花園への切符を手にした。恐る恐るその扉を開く。
まず目に入ってきたのは、風呂の内部を映すガラスだ。残念ながらそれは磨りガラスのため、中は輪郭しか把握することが出来ない。既に体を洗い始めているのか、シャワーの音が湯船の音に混じり微かに聞こえてくる。であれば、彼女が脱衣所に感心が向くことはあまりない。・・・・・・遂に来た。この『ゴールデンタイム』が。
ありがとう!ホットスプリング!この時を待っていた。女子更衣室は男のパラダイスとは言ったものだ。常に男の歴史は、この女子の領域にいかに侵入するかということで試行錯誤を続けて来た。ある時はのぞき穴、またあるときは風呂の壁からの越境、あるいは脱衣所に盗撮カメラを仕掛ける、極めつけは女装。ありとあらゆる手段で女のセカイへの侵入を試みてきた。大概の企みは失敗しあえなく説教あるいは警察行きを命じられることになる。
だが、この家族風呂は『家族』という言葉を有効活用し、異性が風呂を共にする口実を得ている。『家族』という言葉は異性が一つの場所に居ることを合法化する強力な武器になる。本来男女の壁は存在しないハズであるから、この『家族』というものは、本来の人間の暮らし方に回帰した姿とも言えるのかも知れない。つまり、この家族風呂は合法的に混浴でき、かつのぞき見、テイスティングし放題のワンダーランドなのである。
早速ボクは玄関にちょこんと置かれている、ワダジマエイミの靴に手を掛ける。走っていた直後だから、たっぷりとエキスが染み込んでいるに違いない。ゆっくりと鼻を近づけ、靴の中の匂いを嗅ぐ。汗の臭いと思われる甘酸っぱい匂いが鼻腔を駆け巡る。全身に広がる多幸感にボクの顔は意識もせず頬を緩ませていた。匂いを味わった次は味だ。テイスティングは匂いと味で決まる。革靴は汗が染み込めば染み込むほどダシが出るというものだ。恐る恐る舌を中敷きに伸ばし、丁寧になめ回す。合皮のビニール臭と汗の塩辛さ、更に肌から発せられる女の子の匂いが混ざり合い、極上のグルメと化している。このまま鍋に入れて調理して食べてもいいくらいだ。
前菜である靴をある程度味わった次は、メインディッシュである服のテイスティングだ。脱衣所の籠に綺麗に畳んである制服と、その上に置かれている下着達に手を伸ばす。既に制服に関してはジェットコースターの段階で味わい尽くしているので、今回は下着を中心にしゃぶっていこう。
今まで下着については拝むことが出来なかったので、とても新鮮な気持ちで挑むことが出来る。ご覧下さい、この輝くまでに汗で濡れている桃色の下着を。ボクはそれを手に取りじっくりと味わう。少し酸味がかっている。喉を潤す汗の雫。エキスを絞り、ボクはいよいよ頂点に達する。もうここまでじっくりテイスティングしたんだ。生身が素晴らしくない訳がない。
風呂場の扉に手を掛け、スライドさせる。そこにはタオルを胴体に巻いたワダジマエイミが居た。
「随分遅かったね。どうしたの?」
「え、あ、いや・・・・・・」
言葉を探しどもっていると湯船に浸かっていたワダジマエイミは、立ち上がりボクに近づき始める。
「どうせアタシの下着でもクンカクンカしてたんじゃないの?」
「そ、それは、否定できない」
「さすが『HENTAI』ね」
ボクを洗い場の椅子に誘導し、着席させる。
「今日はありがとう。たのしかったよ」
背中から抱きつかれる。その体温から愛の形が伝わってくる。
「そう。それは良かった」
何かもっと気の利く言葉があるはずだろ!男なんだから、色々巻き込んで済まないくらい言わなきゃカッコつかないだろ。いや、ダンディーならここでは君の笑顔が見れて良かったよぐらいのキザな台詞を言わなきゃいけないだろ。
「もう『聞こえてる』から十分だよ」
そうだった。彼女には言わなくても伝わるのだ。言葉なんて要らないかも知れない。でも、言葉にしなければ伝わらないこともきっとあるはずだ。
「君の笑顔を見れて、本当に良かった」
面と向かってこんな言葉を言わせるのも彼女の能力なのかも知れない。
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