大浴場にて
慌てて太刀を抜く宏次に、弥一の刀が振りあげられる。
これまでかと、宏次は覚悟を決めた。刹那、振り上げた弥一の腕に、一閃が走る。
「……水の刃?」
怯む弥一の真横を走り抜く小夜は、振り向くと同時に、左肩から右腰に掛けて袈裟斬りを放つ。
「氷雨返し」
弥一の膝を地に着け座り込む姿を見た小夜は、刀の納刀を終える。雌雄を決したのだ。
「小夜、助かった」
「私はお前の用心棒なのだろう?」
墓川の兵が、一斉に動き出して弥一の身体を抑える。
「良い、その傷では、よもや抵抗も出来ぬであろう」
宏次の声に、抑えられた弥一の身体が解放され、地面に寝転んでは荒い息を吐く。
「弥一と言ったか? 虎白から金で雇われたか?」
「……否、長月の兵に妻と娘を人質に取られていた」
「なんと……! 妻と娘は無事なのか?」
「わからぬ。もしや俺の敗北を知って殺されているやもしれぬ。もう、……息が切れそうだ。……すまぬが辞世の句を述べさせてくれ」
「あきらめるな!」
「無駄だ。息の根を止める様に切ったんだ。それもまともに入った」
小夜の冷たい言葉に、宏次は少し顔をしかめた。
「……俺は先に逝く。もし、生きているなら俺の事は忘れ、強く生きてくれ……」
弥一は、言葉を言い終えると、静かに息を引き取った。
「……雪定、確か南に村があったな? 村に向かうぞ」
「若、長月の城とは逆方向ですよ?」
「いいから、いくぞ」
馬に跨る宏次が先陣を切ると、墓川の兵もそれに続いて行く。
◇◇
村に着くなり、手に縄で結ばれ、身動きが取れない宏次と、その前を歩く籠を被った虚無僧の姿があった。
村の外れにある小屋。そこへ二人は歩いて行く。
木の扉が横に開かれると、
「なんだ? わざわざ捕らえて来たのか? 殺して首にしてしまえば楽であったものを。しかし、流石は剣豪と呼ばれるだけはある」
虚無僧の姿を見て、男の一人は言った。
「ご苦労であった。弥一殿、墓川の若大将を渡してもらおう」
男の言葉に対して、虚無僧は、宏次を渡そうとはしない。
「……お前等、長月の兵だな? 自ら戦に赴かず、人質を取って他力本願とは……今に天柱が下るぞ」
「威勢だけは良いようだな。だが今の状況をよく考えては如何か? 墓川の若大将よ」
「ふん、人質を解放してやれよ。こいつだって、家族の為に命張ったんだ。もう、お役御免だろうよ」
「……まあいい、弥一の嫁と娘を開放してやれ」
もう一人の男が、木の牢の扉を閉じ込めている杭を横に引くと、若い赤の着物を着た女性と、年6つぐらいの小さな女の子がゆっくりと出て来る。二人は、宏次と虚無僧の姿を見つめては、小屋の外へと出て行った。
「さあ、人質を解放してやったぞ。墓川を渡してもらおう」
「それには及ばん」
籠から聞こえる女の声に、長月の兵達は刀を抜いた。
「女の声? さてはお前!」
籠を取ると同時に、目の前の男に一閃を浴びせる。続け様に、立ち上がろうとする もう一人の男に、小夜は刀を振り下ろし、確実に仕留めては刀を鞘に納めた。
「うまく行ったな」
宏次がそう言うと、小夜が刀を振るい、宏次の腕を縛っている縄を斬る。
「弥一が、籠を被る虚無僧でなければ、どうするつもりだったのか聞きたいものだな」
「そうだな……一人誘き出せば、もう一人ぐらいはどうにかなっただろう?」
「少し安直な気がするが……まあ嫌いではないな。その考え方は」
小屋から外へ出ると、人質であった赤の着物を着た女性と、子供が居た。
「助けて頂いてありがとうございます。それで、弥一は……」
小夜の顔を見るなり、女性は不安そうな顔で言った。
「すまぬ。私が斬った」
「そうですか……武士として死ねた事だけが、あの人に取っても幸せだったでしょう」
その時だった。小夜に頬に、子供の手に納まるぐらいの石が飛んできた。
「人殺し! お父ちゃんを返せ!」
「およしなさい。助けて頂いたのに申し訳ございません」
女性は頭を下げる姿を見る小夜は、少し驚いた後、悲しそうな顔を浮かべる。
「……いや、いいんだ。父を殺されて怒るのは当然だ」
◇◇
——涼し気な風が吹く夜の丘にて、鈴虫の音色が聞こえて来る。小さな雑草が辺り一面に見える景色に、腰を下ろして遠くを見つめる小夜の姿があった。
小夜の後ろから聞こえて来る足音に、小夜は腰に差した刀を手に取る。
「大丈夫か?」
振り向かず、宏次の声である事に気付いて、手に掛けた刀を離す。
宏次は、水に濡らした布を小夜の目の前に持ってきた。無言で小夜はそれを受け取り、石を投げられた頬を浸した。濡れた布は冷たく、頬を潤した。
「何、人斬りをしていれば、こうゆう事もあるだろう」
「損な役回りをさせてしまったな。すまん」
「謝る必要等ないだろう。悪いが一人にさせてくれ」
「今晩は、この村に泊って行く。落ち着いたら来るといい」
それだけを言って宏次は去って行く。振り返り、小夜の背中を見つめては、何処か寂しさを、宏次は感じていた。
◇◇
村の外に陣を構えており、宏次はその幕の中へ入る。宏次の背中を見つめる影が一つ。
影は動き出し、村の中へと動く。
やがて影は、木で出来た小さな小屋の中へと入る。
「ご報告致します。墓川軍が、この村に滞在しております」
暗い小屋には、茶色と灰色の布を継ぎ接ぎで作られた服の姿の女性が四人居た。
「墓川軍がか? 何かの間違いではないのか?」
黒く長い髪をした女が答える。細い眼つきに、高い鼻。健康的な小麦色した肌が見える。見窄らしい格好に似合わない、怪しさを持った美しい女性であった。
「墓川の若大将。墓川 宏次を見ました」
「よもや、
「別行動をしていた長月の部隊がこの村の剣豪、早瀬 弥一の家族を人質に取り、墓川軍に差し向けた様です。だが、失敗に終わった模様。我等の策には気付いてはないかと」
「そう簡単に気付かれては、
「ごもっともで……。どうしますか?
継魅と呼ばれた女性は、少し考えた後、怪しげな笑みを浮かべた。
「ふむ、良い事を思いついたぞ。この村の温泉宿を奪う。もし、墓川の大将がのこのことやって来たなら、そこで首を取る。来なければ、予定の通り、大山喰の谷で挟み撃ちにするぞ」
◇◇
翌朝。朝霧が立ち、日が昇り始めた——卯の刻。
小袖姿の宏次は幕を開いて外へと出る。朝の日差しを受けては、大きく伸びをした。
「良い朝だな! 今日も暑くなりそうだ」
風が吹くと、宏次の長い後ろ髪が揺れる。同時に、鼻に異変を感じた宏次は、顔をしかめる。
「……何の匂いだ? これは」
「確か、この村には温泉があるみたいでございます。その匂いなのでは?」
小袖姿の雪定は、宏次の横に立つ。宏次と同じ様に日差しを受けては大きく伸びをした。
「この村には、温泉が湧いているのか?」
「若、入って来ては如何ですか? 大山喰の谷を越えれば長月の城まで目と鼻の先でございます。この後は、休息と呼べる場所は無いでしょうし」
「んじゃ入って来るか」
「小夜殿、用心棒として、若をお願いしますよ」
陣の外に立つ、大きな木に背中を預けて腕を組む小夜は、雪定の声に応える様に宏次の目の前にまでやって来る。
「無論だ」
◇◇
墓川軍の将、宏次と用心棒である小夜。二人は村を歩き、温泉の匂いを頼って足を運ぶ。二人の視界に、沢山の人だかりが出来ているのが見えた。
「これは何の騒ぎだ?」
宏次が、一人の男を捕まえて話しかけていた。
「あんた見ない顔だな。何でも
「夢売り小町? なんだそれは?」
「なんでも
「一夜の夢?」
「んだ。わしの家の隣のばぁさんが夢売り小町にお願いした所、死んだ旦那が帰って来た! とか言っておったな」
「死んだ人に会えるのか? それは凄いな。……小夜は会いたい人はいるのか?」
「所詮一夜の夢なのだろう? まやかしに興味は無い」
「そりゃそうだが……」
「温泉にいくのだろう? 早く行くぞ」
「お……おう」
先を歩く小夜の後ろを付いて行く宏次。やがて辿り着いた場所は、木の板を縦に並べて壁になった外周が見える。入口はそこそこ大きな木の小屋だった。
「それじゃあ、私は外で待っているから。何かあれば大声を出せ。直ぐに駆けつける」
「わかった」
小夜は、温泉宿の外周を周る様に立ち去る。宏次は、入口の中に入ると、まず
番頭の女将は、黒の長髪をしており、頭には白の布を巻いている。細い瞳に、整った美人顔。赤の着物を着ている。
「ようこそいらっしゃいませ。温泉宿へ」
「温泉に入りたいのだが」
「承知致しました。お客様、温泉内では諍(いさか)い事は御法度にございます。申し訳ありませんが、御腰にある武器を預からせて頂きます」
「ふむ、分かった」
宏次は、腰に下げた神戌を女将の前に差し出すと、両手で丁寧に受け取った。
太刀を預かると、代わりに白い布を宏次に手渡す。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
◇◇
一方、小夜は店の外にて、木の策に背中を預けて、腕を組み宏次が上がるのを待っていた。何故そこにいるのか、それはいつでも聞き耳を立てられる様にだ。
「こんな所で何をしているのですか? 小夜殿」
雪定の声に、小夜は気付いて振り向くと、雪定と、大きな荷物を持った墓川の兵が六人程雪定の後に居た。
「雪定か? お前こそ何をしている」
「武器の手入れや備えの帰りです。用心棒である貴方がこんな所で何をなさっているのですか?」
「決まっているだろう? 怪しい奴が来ないか見張りだ」
「小夜殿、私は貴方に用心棒をお願いしたはずですよ?」
「だからこうして、怪しい奴が来ないか見張っているのではないか?」
「では、聞きますが、中で暗殺されていたらどうなさるおつもりで?」
「む」
「用心棒とは、主の傍を四六時中居なくてはいけません。何かあってからでは遅いのです。そもそも事の始まりは——」
「わかった! 一緒に入ればいいのだろう! 一緒に入れば!」
雪定の話は長くなりそうだと感じた小夜は、大きな声で雪定との話を断ち切る様に背を向け、温泉宿の入口へと歩いていく。
小夜が店の入り口の中へと入る。
「いらっしゃい」
「私も頼む」
「お客様、申し訳ございませんが、武器は預からせてもらっております」
「む? 私は用心棒なのだが……」
「規則ですので」
「……わかった」
渋々、二つの刀を目の前の女将に渡すと、白い布を代わりに渡された。
「それではごゆっくりどうぞ」
◇◇
「温泉は最高だな!」
大きな岩に囲まれた湯船に、筋肉質の肩を湯船の中に浸かると宏次は思わず大きな声を上げた。折りたたまれた白い布を頭の上に、そして気持ち良さそうな笑みを浮かべている。
「うむ、是非とも墓川城の中にも作ってほしいものだ。うむ、温泉は最高だな!」
宏次が辺りを見渡すと、立ち込める湯気のその向こうは、緑溢れる山と岩が見える。山の絶景を一望でき、檜の香りが楽しめる温泉は、宏次を大いに楽しませた。
「長月との戦。白狼の首、俺に取れるのであろうか? それに虎白も居る」
自分の兵には見せる事は出来ない、不安に満ちた顔をしていた。
「勝てるか? 長月 白狼に? 否、勝つんだ!」
湯船を立ち、大きな叫び声を上げる。
「風呂で、何を叫んでいる?」
聞き覚えのある女の声に、宏次は驚いて振り返ると、そこには白い布で身体を隠した青い髪の少女の姿があった。女の姿を見た宏次は、しゃがんで湯船につかり、自分の身体を思わず隠した。
「おおぅ!? 小夜か? なんでここにいる!?」
結った髪が解かれており、青の髪が肩までおろしている少女は、一瞬誰だか解らなかったが、何でここに小夜がいるのか? もう解らない事だらけだった。
「雪定が、用心棒なら傍にいろっていうからだな。仕方無くだ」
「なるほど、雪定か」
小夜の布で隠されている白い身体には、肩や腕等に無数の傷跡があった。それは、ここ最近着いたものでは無い、古い傷跡の様だった。
「ジロジロと見るな」
「すまん」
傷跡も気になるが、宏次は女性としての身体に戸惑いを隠せなかった。宏次は女を知らなかったのだ。
「らしくないな」
「すまん」
「私も、湯船に浸かりたいのだが、入ってもよろしいか?」
「……どうぞ」
宏次は、目を瞑る。すると、背中に、小柄な身体が着いた。肩甲骨の感触が、小夜と背中合わせにある事が解ると、宏次はまた顔を赤くした。
「大きな背中だな。まるで爺ちゃんみたいだ」
「おいおい、俺はまだ若いぞ?」
宏次は背が高い。小夜は、その大きな背中に幼少時に見た、亡き人の背中を重ねていた。
「気持ちがいいな。なぁ宏次殿」
「小夜、その宏次殿は辞めないか?」
「ふむ、それでは宏次でいいか?」
「そっちの方が気楽でいい」
「お前は、つくづく将軍に似合わないな」
「ほっとけ……なぁ、小夜」
「なんだ?」
「お前は、墓谷 赤影を探していると言ったな? お前と墓谷の間に何があった?」
「……。」
小夜は答えない。
「もしや——」
宏次の口に、小夜の手が覆われる。
「静かに……殺気を感じる」
×妖刀 @ハナミ @hanami
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