#29 それでいい 【終】

 長い長い回想の旅から現在に帰ってきた。と言っても、思い返していたのは、ほんの数秒の間だが……。10ヶ月間の出来事が、まるで走馬灯のように流れていったのだ。そう…………早乙女薫に関わらなければ、ゲームにハマることもなく、当然借金などとは無縁だったのに。こうなったのは全部あいつのせいだ。


 現実逃避して冷静になっていた心に、再び早乙女薫に対する怒りと、それと同時に爆発的な危機感が襲ってくる。そう、俺は今闇金に追い詰められている。どうすれば……どうすればいいんだ。今から警察を呼んでも、この調子だとそれまで持ち堪えられる気がしない。まずは逃げなくては。俺は窓の方に目をやった。ここは2階だ…………だが、2階ならまだ何とか……。俺はバスタオルをかき集め、それらを結んで1本の長いタオルを作った。脱出のためのロープ代わりだ。そっとベランダに出て、手すりにそれを結び付けた。手すりを跨いで、タオルを強く握って、ゆっくりと下りていく。俺の全体重を預けた手すりが、ミシミシと嫌な音を立てる。いや、手すりもそうだが、俺の腕もやばい。半引き篭もりのオタクに、自分の体重を支える腕力などない。しかし、最も早く限界に達したのは、手すりでも腕でもなく、バスタオルだった。結び目が解けて、俺の体は2メートル以上の高さから落ちて、尻をアスファルトに強打した。


「……っつあ!」


 痛みを必死で堪える。2階で良かった。3階以上だったら大怪我するところだった。とにかく早く逃げなくては。俺は身を起こし、後ろに振り返り様に駆けだした。


「ぶっ!」


 その瞬間、何かにぶつかって再び尻もちをついた。くそ、何だってんだ? 俺は鼻を擦りながら見上げた。


「よう。お出かけか?」


「…………あっ」


 社長の酒井が、煙草を加えながら俺を見下ろしていた……。既に先回りされていたなんて。入口側にいた社員2人もやってきた。もう駄目だ…………逃げられない。


「お出かけのところ悪いが、ちょっと付き合ってもらおうか?」


「はい……」


 近くに停めてあった黒塗りのベンツ。社員の1人が運転席に座り、もう1人と酒井の間に挟まれる形で、俺は後部座席に座らされた。ベンツがゆっくりと発進する。行き先は地獄か、それとも魔界か。しばらくすると、酒井が口を開いた。


「君のようなタイプは、最も行動が読みやすいんだ。金を借り逃げする奴の典型だからな。今までに何十人と、同じようなことをした奴を見てきたよ」


「か、借り逃げなんてそんな…………ついうっかり忘れていただけで……」


「そうか、それは誤解して悪かったな。じゃあ銀行に行こうか。42万2500円、払えるんだろう?」


 25日に給料が12万入っている。しかし家賃の支払いやらいろいろあって、仕送りを含めても10万ぐらいしか残っていない。


「す、すいません。10万ぐらいなら何とか……」


 恐る恐る口に出すが、酒井は怒るどころか、不気味な笑みを浮かべるだけだった。それがますます恐ろしい。


「本来なら、とりあえず利息だけ払ってもらって、また10日間待つことも出来るんだがな。うちとしても、一度に完済されるよりも、そうやって利息だけを回収し続けた方が、結果的には儲かるんだ。だが、君の場合は駄目だな」


「な、何でです?」


「俺は、一度でも逃げる意思を見せた人間は、二度と信用しない。今回は運悪く俺達に捕まってしまったが、次こそは上手く逃げおおせるかもしれない。そんな面倒なリスクを背負うぐらいなら、今日このまま完済させた方がいい」


「でも……42万なんて大金、とてもじゃないけど一括でなんて……」


「なあに、心配することはない。君のその若くて健康な体は、それだけで財産になるんだ。老人や病人じゃあその価値すらないが、君は自信を持っていい」


 酒井はそう言って、ニコリと笑いながら俺の肩に手を置いた。おい……どういう意味だ。どういう意味だよそれ……! 俺の体をどうするつもりなんだ。タコ部屋ってやつに入れられて、死ぬまで重労働させられるのか? それとも、金持ちのホモオヤジに売られて、ケツを掘られるのか? まさか……内臓を切り売りされるのでは? 嫌だ、死にたくない。掘られるのも嫌だ。


「ま、ま、待ってください! 親に、親に電話させて下さい! 残りの32万ぐらいなら、親に頼めばきっと……」


「却下だ。君の親は、君の連帯保証人でもなんでもない。逆さにして振っても、一銭も出ないような債務者に対しては、親を追い込むこともあるが、さっきも言ったように、君はその気になれば完済出来るんだ。既に買い手も見つかっている。わざわざ君の親を引っ張ってくるよりも、そっちに流した方が平和的に終わるんだよ」


 だから買い手ってなんだよ! 俺を一体どうするつもりなんだよ! 俺は頭を抱えた。恐怖で涙が溢れてくる。窓の外には見覚えのある風景が流れ始め、スマイル金融のビルが見えてきた。もう駄目だ…………終わりだ。


「ん? 誰だあれは」


 酒井が呟いた。ビルの前に誰かがいる。あれは…………レナ? 何故レナがここに? 疑問が晴れないまま、ビルの前で俺達は車を降りた。


「社長さん、お久しぶり」


「ああ、誰かと思ったら、藤森の所のレナか。こんな所で何をやってるんだ?」


 何だ、知り合いか? まあ、酒井と藤森は友達同士だから、客として店に行ったことがあっても、おかしくはないか。


「そいつ、うちの従業員なんだけどさ、いくら借りたの?」


「ん、40万以上だが。それがどうかしたのか?」


 それを聞いたレナが、肩から提げているバッグから分厚い封筒を取り出し、それを差し出した。


「これで足りるよね? 一応100万ぐらいは入ってるし」


 レ、レナ……? どういう事だ? 何でこんな…………。


「どういうつもりだ? 君に連帯保証人を頼んだ覚えはないが」


「そいつには、ちょっとだけ借りがあるのよ。社長さんはお金が返ってくれば、それでいいんでしょ? 何も言わずに受け取ってくれない?」


 レナは、いつも客に対して見せるような笑顔で、酒井の手に封筒を握らせた。


「…………おい、領収書を切ってこい」


「へ、へい」


 酒井に命じられた社員がビルに入っていき、その間に酒井が札を数え始める。数分後に社員が領収書を手に戻ってきた。


「君は運のいい奴だな。まあ、これに懲りたら、もう下手な気は起こさないことだ」


 それだけ言うと、酒井達はビルの中へ入っていった。俺は、助かった…………のか。未だに実感が湧かない。信じられないことの連続で、思考がついていかない。レナ……こいつのおかげで、俺は……。


「……ありがとう、助かった。マジで殺されるかと……」


「馬鹿ねぇ。たかだか40万の借金で、命まで取られるわけないでしょ。ていうか何泣いてんのよ。いい歳した男が、かっこ悪~」


 レナが馬鹿にしたような口調で、俺の顔を指差した。俺は慌てて袖で涙を拭く。


「でも、何でこの状況が分かってたんだ?」


「あんた、あたしを拉致った時に言ってたでしょ。あたしを探すために闇金で借金して、しかもそれを踏み倒すつもりだって。あれからずっとその事が気になってて、さっき藤森を問い詰めたら、今頃は酒井達が取り立てに行ってる頃だって吐いたのよ。あんたが踏み倒すことは、酒井達は当然分かってたってさ。それで慌てて店を抜けて、ここまで来たってわけ」


 そうだったのか……。俺は最初から踊らされていたのだ。俺は、どこまでも間抜けな男なんだな。とことん自分が嫌になる。


「あんたにはいろいろ非道いこともしたし、感謝しなきゃいけない事もたくさんあるからね」


「ああ……もう充分だよこれで」


「ただし! お金はちゃんと返しなさいよね。期限も利息もないだけ、ありがたいと思いなさいよ」


 怒った表情で俺を指差したレナが、フッと笑った。俺も釣られて笑った。


「ちゃんと返すよ。もう月に何万も、馬鹿なことに金を使うことはないからさ」


 そう、明日からは、DOGを始める前と同じ生活に戻ることになるだろう。まるで長い夢を見ていたかのように。DOGはアンインストールする。大学も、今更かもしれないが、ちゃんと行こう。しかし今のバイトだけは、続けることになるだろう。安心したら、腹の虫が大きく鳴いた。そういえば、飯を食おうと思ったところで攫われたんだった。それを聞いたレナが、再び吹き出した。


「ぷっ。何か食べに行く?」


「金持ってねぇよ……」


「奢るわよ。あたしの方が年上だし、あんたの何倍も稼いでるしね」


「じゃあ、遠慮なく」


 俺達は肩を並べて、駅の方へ歩き出した。俺はふと、あの日レナとデートした時のことを思い出す。あの時は確か、レナの方から俺に腕を絡ませてきた。あれも、早乙女薫の指示でやったことなんだろうか? それとも…………。って何考えてんだ俺は。当たり前だろう、そんなこと。一瞬胸に湧いた、馬鹿な期待を投げ捨てた。


 俺が愛したリナはネカマだった。俺はそうとも知らずに、まんまと騙されていろいろな物を失った。「リナ」なんて女は存在しなかった。でも今、俺の隣には「理奈」がいる。とりあえずは、それでいい。それだけで充分だ。俺は1人で勝手に納得した。



 *



カオル:えっ、嘘。こんなのくれるの?

シュージ:もちろんだよ。カオルのためなら何でも買ってくるさ

カオル:でも、高いのに……何か申し訳ないなぁ(>_<)

シュージ:気にしないで。俺がやりたくてやってることだから

カオル:ありがとう、大事に使うよ。シュージって優しいんだね

シュージ:そんなことないよ。こんな事するのはカオルに対してだけだから

カオル:そうなの? 私だけ特別?

シュージ:ああ。カオルのこと、好きだからさ

カオル:ありがとう、凄く嬉しい。私もシュージのこと大好きだよ!

シュージ:カオル……


「…………ふ……ふふふ。間抜けがァ……」


 リナの時以上のモテっぷりだ。僕のネカマテクにも、一層磨きがかかったとみえる。僕は休憩がてら、一旦ゲームからログアウトして席を立ち、ベランダに出て煙草に火を付けた。


 DOGはあの後すぐにアンインストールした。僕の敗北の象徴など、いつまでも残しておきたくはないからだ。その後、新たな「釣堀」を探した。そこで見つけたのが、今やっているこのクラッシュアンドトリック、通称CATだ。DOGの時とは違い、僕がこのゲームを見つけたのは何と、ちょうどリリース前日だった。おかげでスタートダッシュを切ることが出来たのだ。今度は、前回のようなヘマはしない。今度こそ必ず、僕はこのCATで頂点に立つ。


 端から見れば、懲りない男だと僕を馬鹿にする者も出てくるだろう。あんな目に合って、まだネカマなんて生産性のないことをするのかと。だが、あそこで辞めるなんて出来るはずがない。だって僕は、まだ何一つやり遂げてはいないのだから。いや……仮にあの時、DOGで1位になったとして、僕はそれで満足出来ただろうか? 潔く引退して、後は敷かれたレールの上を走る人生を送れただろうか? 無理だ。無理に決まっている。世界で一番美味い食べ物が手に入ったからといって、他の食べ物はもう要らないと思うか? 世界一の絶景を見たからといって、もうそこ以外には旅行に行きたくないと思うか? それと同じ事だ。結局僕は、また別の場所で同じ事をするだろう。頂点への欲求、ネカマという娯楽、この2つからは、僕は一生切り離すことは出来ない。


 涼子とは別れた。当然、涼子の父親の会社への就職も無くなった。だが、それでいい。一向に構わない。そんなしがらみは、これからも続いていく素晴らしきネカマライフには不要だ。さあ、休憩は終わりだ。楽しい楽しいゲームを続けようか。




『愛した人は、ネカマでした』


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愛した人は、ネカマでした ゆまた @yumata

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