#28 『2』

「う…………くっ」


 体の痛みで目が覚める。ここはどこだ……。自分の車の後部座席か。窓の外では、既に日が昇っている。そうか、あれからずっと気絶していたのか。くだらない逆恨みしやがって、クズ共が。騙されたお前らが間抜けなんだろうが。


 僕はハッとなって、腕時計を見た。6月1日午前11時。DOGは……DOGのランキングはどうなった!? 僕は体の痛みに歯を食いしばりながら、運転席に滑り込み、エンジンをかけた。アクセルを踏んだ瞬間、何かにぶつかったように車がガクンと動きを止めた。そうだ、コインパーキングに停めていたのだった。金を払わなければ出られない。僕はポケットに手を入れた…………無い。慌てて車を降り、昨夜襲われた場所の周辺を見渡す…………無い。


「くそが!」


 僕は車に戻り、少しバックをさせてから、一気にアクセルを踏み込む。凄まじい衝撃と音と共に、車は束縛から解き放たれた。そして自宅に向けて、猛スピードで車を走らせる。0時の、勝利が確定する瞬間には立ち会えなかった。残念だが、もうそれは仕方ない。だが既に虹の翼と虹の冠が、運営から贈られてきているはずだ。それさえ確認出来ればそれでいい。


 マンションに到着し、足を引きずりながら自分の部屋を目指す。ふと、自分の集合ポストに目がいった。大量の封筒が押し込められている。手に取ってみると、どれも聞き覚えのない名前ばかり。というか住所も名前も、一目でデタラメだと分かるものばかりだ。僕はその中の1つを手に取り、封を開けた。


「……ふざけやがって」


 開けた瞬間異臭が鼻孔に飛び込んだ。潰れた犬の糞だ。僕は全ての封筒を、中身も確認せずにゴミ箱に投げ捨てた。名前も住所も知れ渡っている。一体どうやって調べたんだ。だがここはオートロックのマンション。イタズラ出来るのはここまでだ。僕はエレベーターに乗り、自分の部屋の階を押した。


 ようやく部屋に到着して鍵を指すが、鍵が開いている……まさか……! 恐る恐るドアを開けると、玄関には涼子の靴があった。そうだ、あいつには合鍵を渡していたのだった。一瞬ヒヤッとしたぞ。


「あ、お帰りなさい。昨夜はどこへ行っ……きゃあ! 薫君どうしたの!?」


 リビングから出てきた涼子が、僕の顔を見るなり悲鳴をあげた。どうやら顔も相当痛めつけられたらしい。


「…………どけ」


「あっ!」


 涼子を突き飛ばし、真っ直ぐパソコンへ向かう。起動を待っていると、部屋のインターフォンが鳴った。


「何してんだ。早く出ろよ」


「あ、うん……」


 涼子がテレビドアホンの受話器を取り、応対し始める。くそ、早く起動しろよ。イライラさせやがる。


「あ、あの、薫君…………ピザ屋さん来てるんだけど。20枚も頼んだの?」


 血管がキレた。立ち上がり、涼子から受話器を毟り取る。


「うちは頼んでない! 誰かのイタズラだ! 常識的に考えれば分かるだろうが馬鹿が! さっさと帰れ!!」


 受話器を叩きつけ、恐怖の表情を浮かべる涼子を無視して、パソコンチェアーに座り直す。やっと起動したか。僕はDOGもすぐさま立ち上げ、5月の最終ランキングを確認した。さあ、待ちに待った瞬間だ。このために僕は今まで……。


5月ランキング結果発表

戦闘力ランキング

1位 ハルト 800123pt

2位 リナ  791877pt

3位 cube  736589pt


デュエルランキング

1位 ハルト  4838pt

2位 リナ   4836pt

3位 零    4590pt


「…………は?」


 何だこれは…………おい、間違えてるぞ。何やってんだ運営。ちゃんと仕事しろよ。僕は震える手で、結果ではなく現在のランキングの方を確認した。結果は…………同じだ。


 …………ば、馬鹿な。何故だ! 何故今更ハルトが上に来る! 僕が理奈に呼び出されて、DOGを中断したのが昨夜の8時。まさか、その後の4時間で、再度リナを追い抜いたというのか。暴露して以来、奴は一切DOGには手を付けていなかったというのに。……狙ってやったとしか思えない。パトロン仲間の暴行やイタズラなどはただのおまけで、奴の本当の狙いはこれだったのか…………。僕が何としても1位を取ろうとしていたことを、知ってやがったんだ。


「か、薫君、本当にどうしたの? 大丈夫?」


「……失せろ」


「えっ」


「僕の前から消えろ! 目障りなんだよ! とっとと出て行け!」


「……!」


 涼子が逃げるように部屋を飛び出した。そんなことには気にも止めず、僕はパソコンに向き直った。くそっ……何度ランキングを見直しても、結果は変わらない。2位…………2位、2位、2位、2位、2222222222222222!! 僕が、最も嫌いな数字だ……! ふざけるな……ハルトの野郎……ふざけるな…………ふざけるな…………!!


「…………ちくしょう…………ちっくしょおおおーーー!!」



 *



 俺は、パソコンのモニターの中で、虹色の冠と翼を身に付けている、我が分身を眺めていた。DOG最強の証……か。今となっては虚しいものだ。今の俺にとって、その事に一体どれほどの価値があるだろう。だが、リナは……早乙女薫は……誰よりもそれに執着していた。それを阻止できただけでも、充分大きな意味がある。奴の悔しがる顔が目に浮かぶようだ。


 俺は探偵に依頼した後から、もう一度ブログを開設初期の頃まで遡って見直した。やはり、そこにはリナの正体に繫がるものは無かったのだが、1つ気付いたことがあった。奴はどのゲームでも一貫して、常にトップを目指していた。しかし、結局その悲願が達成されたことは無いようだった。


 ハルトに届いた、何者かからのメール。それによって俺は、リナがネカマであることを確信した。ウルフが引退して、俺がランキング1位になった直後の出来事だ。よくよく考えれば、タイミングが良すぎるのだ。あの時は気付かなかったが、あれを送ったのは恐らくリナ自身だろう。あの時点で俺がやる気を無くして、最も得するのは他ならぬリナだからだ。そうまでしてリナは、DOG一周年記念となる、5月のランキングで、1位を取りたかったのだ。そうと分かれば、当然そうさせるわけにはいかない。


 だが俺は、ギリギリまで身動きが取れなかった。ハルトは既にDOGを辞めたと、奴に誤解させたかったからだ。何故かというと、単純に奴を油断させたかったというのもある。しかし、本当の理由は他にある。一度はハルトを追い抜かせ、束の間の1位を味わわせてから、ゴール直前で一気に抜き去る。これが俺の理想で、奴に最もダメージを与える手段だからだ。昨日の昼間、一瞬だけログインして、ランキングを確認した。それを見る限り、恐らく夜までにはリナがハルトを抜くことは予想できていた。


 そしてその夜、自宅に戻った俺は、残っていた資産を全て、装備の強化素材や、パワーアップアイテムに変え、戦闘力を大きく上げた。戦闘力ランキングでリナを抜いたのを確認してから、闘技場で暴れまくり、デュエルランキングの方でもリナを抜き返す。それが終わったのが、昨夜の11時50分。ギリギリだった。


 でも実は、もう少し余裕があった。嬉しい誤算があったのだ。被害者の会のDOGプレイヤーの何人かが、俺にアイテムを贈ってくれていたのだ。つまりリナを2位に落とすために、俺を助けてくれたということだ。結果的には、それらの贈り物に手を付けることなく勝利出来たが、マラソンのゴール直前で応援されているようで嬉しかった。受け取ったアイテムは、後でちゃんとお礼と共に返しておこうと思う。


 いろいろあったが、ひとまずこれで、俺の気は済んだ。腹も減ったし、飯でも食うか。パソコンの電源を落とし、立ち上がったその時、部屋のインターフォンが鳴った。誰だ? またどうでもいい勧誘か? 玄関へ出向き、ドアスコープを覗き込んだ。


「…………っ!」


 叫び声を上げそうになる口を、咄嗟に両手で塞ぐ。ドアの外にいるのは、2人組の厳つい男…………スマイル金融の社員だ。今日は6月1日、返済日は5月31日…………1日過ぎている。いや、金を借りたんだから、当然返すように言ってくることは想定していたが、まさかいきなり自宅に押しかけてくるなんて思わなかった。まずは電話でもしてくるものだとばかり思っていた。今度は乱暴にドアをノックしてきた。俺は音を立てないように、摺り足で部屋に戻っていく。


「おいコラ白鳥ぃ! てめえ、いるのは分かってんだよ!」


「うるぁ! 出て来いや!」


 やばい…………これはやばいぞ。やばすぎる。俺は今更、社長の酒井のあの言葉を思い出した。


『ウチは貸した金はどんな手を使ってでも回収する』


 俺は、馬鹿だ。踏み倒しなんて通用する相手じゃない。警察なんかにビビるような連中でもない。リナへの復讐心に駆られて、こんな大事なことを忘れていたなんて。

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