第13話 神竜の過去

三日ぶりに訪れるハインツの部屋は、相変わらず暖炉の暖かい温もりに満ちている。


ハインツはいつも座っているロッキングチェアーではなく、窓際に置いてある小ぶりなベンチに腰掛け、その向かいの席を俺に勧めた。


勧められるまま、その椅子へと俺も腰を据える。


ステアが持ってきてくれたお茶は、一口含むだけで身体の隅々まで行き渡り、試練の疲れを癒してくれるように染みる。


生きている実感とは、この事だな。


「さて……」


ハインツが口を開いた。


「お前さんが見た光景。どうだった?」


俺は返答に少し迷った。


まだ、頭の中が混乱している。整理もできていないのに、どう話せばいいのか……


見た事そのまま言っても、理解は得難いように思うが……


だが、ハインツは全て知っていた。

そう、全て……


「まさか、竜が人に操られるとは、思わんかっただろう?」


「神の引き出しを持つ種族は、この世界を裏から導く事が出来る。ミルージュが言っていた……」


俺はミルージュの言葉を思い出す。


「神の叡智は竜のそれよりも莫大な知識だ。いくら竜でも、敵わんよ」


ハインツの口元がほころぶ。


「じゃあ、何故? 何故、あの村は滅んだんだ?」


俺はハインツに聞いた。


恐らく、あの村に住んでいた人達は竜と何かしら関係があるはず。でなければ、額に角があったりするはずがない。人間離れした容姿だ、誰が見ても分かるだろう。


ハインツは、俺の事をしばらく眺めてから、視線を変えた。その目は、まるで遠くを眺めるかのような……


懐かしいものを見つめるような眼差しになっている。


彼はポツポツと語り出した。


はるか昔。竜人と呼ばれる、神竜に祝福され、その加護を受けている種族がいた。


彼らはその容姿から外界との接触を断ち、自分達だけの集落を作り、細々と生活していた。


彼らは、ある力が神竜より与えられていた。


その力は二つ。


一つは未来を予見する力。


もう一つは、世界に災いが訪れた際に神竜より与えられた力で、災いから世界を守る事。


だが、長い間、災いも無く、小さな紛争こそあるものの、世界は平和そのもの。


竜人達は、長い時間の中で神竜より与えられた力の事を忘れていた。


しかし、ある時。世界が未曾有の戦乱に巻き込まれた。


神竜戦争である。


神竜は、かつて力を分かち合った竜人達に呼び掛け、互いに協力して戦乱から世界を守る為に戦おうとした。


ところが、竜人達を呼んだにも関わらず、誰一人として集まって来ない。


長い時の中で、竜人達は神竜との盟約を忘れたのかもしれない。もしくは、呼び掛けたものの、その声が彼らには届かなかったのかもしれない。


いくつもの憶測をしつつ、神竜は使いを出し、彼らの様子を見に行かせた。


ところが……


「一匹の竜が、村を襲撃していた……」


俺の言葉にハインツは頷く。


「その通り。神竜の命を受けた使者は、村の光景を見て神竜に伝えようとしたが、襲撃した竜に見つかり殺されたのだ。いつまでも戻らない使者を探しに来た神竜は、その村に行く途中で死に絶えた使者を発見した……それが」


その亡骸は神竜と番いの竜……彼の妻だった。

手足は食いちぎられ、首は残されていなかった。恐らく、追ってに喰われたのだろう。


更に、その腹には、神竜との間に育んだ子供がいたが……腹から引きずり出され、無残にも踏みつけられて惨殺されていた。


「そこまでは記憶にあった! それからは……途切れ途切れでよく分からなかった……どうなるんだ?」


俺が言うと、ハインツは頷いた後、続けた。


怒り狂った神竜が、竜人の村まで行くと、そこにはすでに襲撃者の姿はなかった。


あったのは、残骸から上がる煙。押し潰された家屋。


そして、村の通路には、幼い子供や女の焼け焦げた姿、踏み潰された跡、恐らく逃げている途中で喰われたのだろう、飛び散った肉塊……


男の姿を見かけなかったのは、果敢にも立ち向かい返り討ちにあったか、傷を負わせ、逃げる敵を追いかけたか……


何にしても、村の状態は酷かった。


神竜は悔やんだ。自分と盟約さえ結ばなければ助かった命達、愛しい番いを失い、まだ見ぬ我が子さえも奪われた。


神竜は我が身を恨み、憎んだ。


涙が出る限り泣き、声が続く限り叫び、全てが終わった後、彼の蒼き瞳は涙が枯れ果てた紅に変わり、彼の穏やかで全てを静寂に導く美しい声は、しゃがれ、言葉すら聞き取れない程に枯れてしまった。


後々分かった事だが、彼の妻を殺し村を壊滅させた竜は操られていたのだ。


神の引き出しを持つ種族に。神の叡智は、竜でさえ操る術を持っていた。


しかし、何故竜を操り、神竜に敵対したのだろうか?


「神……特にルカーは、力を持つが故に自分達に協力しない神竜が気に入らなかったのだ」


ハインツはお茶を一口飲むと、ふーっと大きく息を吐いた。


「神竜戦争の引き金は、神の引き出しを持つ種族が起こしたもの。それは、神竜を神々の前に跪かせ、神々の為にその力を使わせる事が目的だった。しかし、神竜は彼らの思惑通りには動かず、結果として神々の敵となったのだ。神竜は神々と戦う為にある事を行った」


「ある事?」


俺がハインツに答えを求めると、ハインツは目を閉じてそれに答えてくれた。


「己の血を、己が選定した人間に飲ませたのだ」


俺の背中を雷が走った。それって……俺が飲んだのは、神竜の血なのか⁉︎


「お前さんが飲んだのは違う。神竜の血なんぞ、もう残っておらん」


ハインツはハッキリとそう言うが、俺の見た記憶は確かに神竜の話と一致する。訳が分からない!


俺が飲んだのは、一体何なんだ?


「気になるか? 自分が飲んだ血が?」


俺は頷く。誰だって、訳分からん奴の血なんか飲みたくもない。……血もごめんだけど……


「お前さんが飲んだのは、神竜の番いの血と言われとる。確証はないがな。もっとも、竜は死ぬ間際に自分の意識をその血に移す事が出来ると言われとるが、それならば自分を襲った奴の顔も分かるはずだが……そこは分からんままだ。思い出したくなかったのかもしれんな」


そうか、俺のは一応、女の血なんだな。女か……竜だけど……


でも、自分の子供を殺されたんじゃ堪らんよな……悲しすぎるだろ、それ……


「神竜は選定者に血の試練を行い、合格した者だけを従えた。故に、彼らは竜戦士(ドラグナー)と言われとる。お前さんも、もうドラグナーだな」


そう言ってハインツはニッコリ笑った。


ステアに「もう一杯」と茶の催促をする姿は普通のおっさんなのに。いや、初老に見えるからじいさんか。


何にせよ、俺はドラグナーとやらになったらしい。ドラグナー……この凄まじい力を、どう扱えばいいのか……


「力の使い方……不安ですか?」


いきなりステアが話しかけてきた。彼女も笑顔だ。


何だか、とても清々しく見える。


「大丈夫。貴方なら正しい方向に導けますわ。だって、竜の涙の理由を知ったのですから」


竜の涙……そうだった。記憶の試練が終わった後、無性に悲しみがこみ上げてきて、気が付いたら涙をボロボロ流していた。


自分の事ではないのに、大昔の事なのに……


竜の心の奥底に潜む想いを知ると、泣かずにはおれなかった。


重なったのかもしれない。


目の前で友を失った俺自身と。


「ま、今夜はゆっくり休みなさい。後の事はそれから考えればいい。ステア、部屋まで連れて行ってあげなさい」


ステアは頷くと、俺の傍らに立ち手を引いた。俺はステアの手に促され、ハインツの部屋を後にした。


試練の後だからか、足取りが重く、頭も朦朧としていた。さっきまでハッキリしていたのに。


そういえば三日三晩、一睡もしていない。

部屋に入ると、ベットに向かって倒れこんだ。


そのまま寝息を立て始めた事は、言うまでもない。

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竜のナミダ としくん @toshi0620

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