形而上的存在との遭遇

綿貫むじな

形而上的存在との遭遇

とても退屈な日常だった。

誰一人友人などいやしない僕にとって学校という場所は、いかにして暇を潰すかという事に心血を注がねばとてもではないが過ごせない場所だった。


最初のステップ、入学時の同じクラスの人々に対する自己紹介で盛大にずっこけたのが悲劇の始まりだった。

その頃はいわゆる中二病を発症しており、厭世的でニヒルでクールであることが一番カッコいいと思っていた。

自己紹介もそのようにやってしまったら「とても痛い奴」と思われて全く話しかけられない、という事態に陥ってしまった。

数日経って、計画が大失敗した事に気づいたもののキャラクターを突然変える事も出来ず、世の中を僻んでいる根暗野郎として認識されてしまった僕は以後、ずっと友人というものが出来ないまま過ごす羽目になったわけで。

頭が良くて勉強がすごくできるというわけでもなく、運動神経が抜群でもなく、では何かしらの才能があるかというと別にそんな事はない僕。教師に気に入られる所か認識すらされていない、存在感すら空気。ヘタに特別であろうとする事自体が間違っていたのだった。


多感な思春期に孤独であることは一番精神を蝕むと思う。しかし余計なプライドが邪魔をして、また時期を逸したおかげで今更、それぞれのグループに分かれた人々の中に割って入ることも憚られる。

じゃあどうするかというと、僕は想像上の友人を作るしかなかった。

イマジナリーフレンド。僕の好きなように、僕の思った通りに、時折想定外のふるまいをする、わりかし自分に都合の良い存在。

脳内で自由闊達に僕と一緒になって遊んだり、囃し立てたりしてくれる唯一の存在。

わかってくれとは言わないが、ただ寄り添っていてほしい、そんな存在が欲しかった。でもそれが叶わないなら自分で紛い物を作り出すしかないだろう?

ごっこ遊びと言われてもしようがないが、一人の辛さを紛らわす為には必要な事だったんだ。



―昼休み。

学校は行き交う生徒たちの群れでにぎわい、一番活気あふれる時間帯。

僕はその時間帯、孤独を一層感じるのがたまらなく嫌で、いつも屋上に逃げることにしていた。

学校の屋上は鎖と南京錠で施錠されているのが世の常だが、そんなものはお構いなし。安っぽい南京錠なんかちょっとした衝撃を与えるか、少しごつめのボルトカッターを使えば直ぐに破壊できる。

そうでなくとも、屋上に続く通路に無造作に置かれている使われない机と椅子があるおかげで、ちょっと高めの位置にある窓のカギを外してしまえば簡単に屋上に侵入できるけども。

今日も今日とて南京錠を手際よく切断して鎖を解き、屋上に続くドアを開く。

薄暗い通路にまばゆい太陽の光が差し込み、僕の目をちょっと眩ます。眼前に広がるのは、目を覚ますような青い空の色と、真っすぐに伸びている飛行機雲、そして屋上を囲む落下防止用の金網。

ベンチみたいなものは何もないけれど、置き場所に困って捨て置かれた椅子と机があるから大丈夫。

僕はここでいつも昼食を取った後、想像上の友人と戯れる。

しかし今日はおかしい事に、目を瞑って名前を呼んでもちっとも姿を現してくれない。声の限りを尽くしても、脳の何処を探り当てようと努力しても。

自分はもう役目を終えたんだと言っているかのような気さえした。

そんなことはない、僕にはまだ君が必要だというのに!


ハッと目を開くと、青いはずの空はとっぷりと日が暮れて真っ暗になっており、太陽が照らしていたはずの光は、月の穏やかな光にとって代わられていた。

眠っていた?気絶していた?いやその前に、授業を結果的にサボる形になっているのに誰も呼び止めにも来やしない。

一体どれだけ、僕は世の中から無視されているのだろう。どこに居場所があるというのか。家に帰っても家族も冷たい態度しかとらない。


僕はどこへ行っても疎外感しか得られないというのか!


どうしようもない悲哀と、寂しさと、やるせなさが胸に詰まって、こわばって動けなくなった。

力が抜けて寝転ぶ以外、何もできないくらいの虚脱に陥いる。なんのために生きているのか全く分からない。存在価値など路傍の石ほどもないんだと、螺旋階段を転げ落ちるかのようにどす黒く心が染まっていく気がする。

転げたコンクリートの床はひんやりと冷たく、硬い。でも今はそれが心地よい気がする。ヘタに生暖かいものなど要らない。

空を見上げれば、無数の星が輝いている。星は青く輝くものもあれば鈍い赤い光を発しているものもある。月は青白く輝いている。太陽に照らされて反射光で輝く、地球を回る衛星。僕はあの空に輝くどの星でもない。銀河系を当てもなく漂流している隕石みたいなもので、しかも誰にも観測されていない。

漆黒の宇宙を惰性の力で無為に動き続けているのだ。今はその力も失いかけている。


…いっそのこと、金網の向こう側に足を踏み入れてしまおうか。


そんな事を考えていると、屋上のドアの向こう側から物音が聞こえた。こつん、こつんという足音。

こんな時間に学校をうろついているのは、宿直の人か、そうでなければ守衛の人くらいのものだ。

今更見つかるのもバツが悪い。かといって、屋上には身を隠す場所などありはしない。

死刑執行を待つ身の如く、屋上のドアが開かれるのをただ寝転んで待つしかなかった。

足音は歩を進めるごとにはっきりと音を響かせて、屋上へ向かっている。

足音が、ドアの前で止まった。

さび付いたドアノブを回す耳障りな金属音が聞こえる。ぎ、ぎ、ぎ、と立て付けの悪いドアがゆっくりと開いた。

ドアを開いた先に居た人は、守衛の人でもなければ宿直の先生でもなかった。

金色に輝く艶めいた髪に、碧い瞳をしている端整な顔立ちの、僕の学校の制服を着た女の子だった。

何処からどう見ても西洋人なのだが、彼女が発した言葉は「こんばんは」だった。随分と日本語が達者だな、と間の抜けた感想を抱く。

いや、その前に、こんな都合の良い存在が僕の目前に現れるのは一体どうしたことなのだろうか?

あ、そうか。この人は僕の新しいイマジナリーフレンドなんだ。

今までは僕と似たような男の子だったけど、彼から彼女に役割が引き継がれたんだ。

そうかそうか、それなら話は早い。きっと楽しい話や趣味の話が出来るだろう、そんな期待は早くも打ち砕かれる。


「夜の学校で何をしてるの?好きな娘のリコーダーでも盗みに来たの?」

「は?」

「貴方みたいな根暗な人が、夜の学校に侵入してやる事と言えば大体そんなところでしょ?」

「違うわ!」


思わず反論の声が出てしまった。


「その前に、君は誰なんだよ?なんで僕と同じく夜の学校に来てる?」

「ウフフフフ」


不気味に笑った想像上の彼女は踊るようにステップを踏み、金網に寄り掛かった。


「夜の学校って、誰も居なくて静かで、ちょっと不気味でワクワクすると思わない?一度侵入してみたかったの」

「…」


これは思った以上の不思議ちゃんだ。到底僕の手に負えるような存在じゃない。早いところ記憶のかなたにお帰り願いたい所だが、まったくもってそのような気配がないので困る。

彼女は空を見上げ、月に向かって手をかざしている。何をしているのか?


「月はね、神秘の力を持っているの。特に今日のような満月には一番力を放出してる。手を差し伸べるとそこから全身に神秘の力が行き渡るんだよ?知ってた?」


さも当然のように聞かれても全くの初耳だ。戸惑うばかりの僕を気にも留めずに彼女は全身で月の光を受け止めるようなポーズをしている。

月光に輝いた彼女の立ち姿は、とても綺麗で、美しくて、何時までも見ていたい。そんな感情に襲われた。

所在なく立ち尽くしてその様子を見ている僕に気づいた彼女は、手をかざすのをやめてこちらに向かって歩いてきた。真っすぐ僕を見据えて、微かに笑っているかのような表情を浮かべて。

ようやく歩くのを止めたとき、彼女は僕の顔、真正面のごく近くまで迫っていた。吐息を感じられるくらいに近い。人の、暖かな体温があるような気がする。


「君がここにいるのも神様の思し召し。わたしと一緒に夜の学校探索大冒険、しようよ」


僕が答える時間も与えないままに、彼女は僕の手を取って駆けだした。

ところで僕はホラー映画やお化け屋敷が苦手で、夜の学校なんて特に怖いものの筆頭なのだがそんな事はお構いなしに、あらゆる所に引っ張りまわされる。

先ほどは職員室に侵入し、今は各階のトイレを探索している。何が目的かって?

学校の七不思議を確かめるとかいう、今時小学生でも誰もやらない事をやっている。


「ひいいいいいいいいいいいいいいいいい」

「あはははは!トイレに花子さんは居なかったね!じゃあ今度は音楽室のベートーベンの肖像画の瞳が動いたり夜中にピアノが誰も居ないのに演奏されたりしないのか確かめに行こうよ!」

「嫌だぁあぁあぁあぁあぁ」


こういった特別教室は施錠されているものなのだが、彼女は懐から取り出した道具で手早く開けてしまう。それ、ピッキングツールってやつで鍵屋か泥棒でもない限り持ってない代物なんだけどどうやって手に入れてるんだ。

あっけなく開いた音楽室の扉を開き、僕らは中に入った。

先ほどの職員室探索では散々先生の机の中を荒らしまわり、そのくせ何も盗みはせずにモノの配置だけ少しずつ入れ替えたりずらしたりする、というよくわからない嫌がらせだけして出てきた。

そういえば金庫の中も開けたりした。何故金庫の暗証番号まで知っているのか、つっこもうかと思ったがイマジナリーフレンドだからなんでも知ってるんだろう、多分。そうでも思わなければ今の異常な状況に対応できない。いやすでに流されてるので対応なんか出来やしないのだけど。

こういう場合は流れに身を任せて穏やかな流れに至るまでじっと待つしかないのだ。そうやって僕は今まで生きてきた。奔流のような彼女に抗うのは賢い行動ではない。というか、抗うほどの体力と気力も残されていないんだけれども。


夜の音楽室は勿論暗い。けど、今日は満月なので窓から差し込まれてくる月光によって部屋の様子がうっすらとわかる程度には明るい。どこに何があるのか、シルエットくらいは見える。

彼女は早速肖像画に向かってぐりぐりと指を突き立てては動いていないか確認している。もちろん動くはずもないだろ。阿呆か。


「あー、やっぱりダメか。所詮現実って夢や妄想と違って無味乾燥でちっとも面白くないわ」


落胆の色を見せた彼女は無造作にピアノに付属の椅子に座り、鍵盤に手を置いた。演奏、できるのか?

彼女の白い指が白い鍵盤を弾き、ピアノの弦を叩く音が響く。音を確かめるかのように、ひとつひとつ、鍵盤を叩いていく。調律がキチンとなされている事を確かめて、音が正しい事に満足気な表情を浮かべた後、彼女は演奏を始めた。

何の曲かはクラシック音楽に詳しくない僕にはさっぱりわからない。

けれども、流麗でプロのピアニスト顔負けに思わせるような演奏に、僕は心を鷲掴みにされた。

今まではちょっと頭のおかしい狂気の色が入った人形のような印象だったが、ひとたび鍵盤を弾き出すとその印象がガラリと変わった。

大人びて、儚げでそれでいてやっぱり綺麗な彼女。ちょっとばかり可愛げもあるように見える。それはたぶん演奏が終わってしまえば雲散霧消するものとわかってはいるのだけれども。

今しばらくは、このまま目を瞑って演奏を聞いて、何もかも現実の嫌な事を忘れてしまいたい。音楽にはそんな力がある。音の組み合わせとリズムには不思議な魔力がある。そうだ、音に身を任せて思考は排せよ。今ここには無限の宇宙がある。僕の彼女だけの広がった世界だ。

僕は聞いているだけなんだけど、何だかそのように思えたのだ。


しかし、演奏会は唐突に終わりを告げる。

夜間の音楽室からピアノの音が聞こえるという通報によって駆け付けた警備員の人々(入ってきたときはおっかなびっくりで腰が引けていてちょっと笑った)によって、僕らはこっぴどく怒られてしまった。

僕らは引き離され、その後会話をする間もなくお互い個別説教をされて解放され、家に戻る事になった。

学校を出ると、もう夜が明けて、山の向こうからひょっこりと太陽が顔を見せようとしている時間帯であることに気づいた。空は黒から紫色に変化しており、太陽が頭だけを見せている山の付近はオレンジ色に輝いている。

また無味乾燥な現実が始まる予感。一人である事を否が応にも突き付けられる一日がまた始まるのかと思うと、うんざりしてしまう。

その日は眠気が限界だったので学校を休んだ。

翌日、憂鬱な気分のまま登校していた。また今日も退屈を凌ぐためだけの日々を過ごすんだ、という諦めに近い気持ちが僕を支配している。

後ろから「おーい、おーい」と誰かの声が聞こえるが、大概それは僕に向けた言葉ではないので無視して歩いていた。声はだんだんと大きくなってきており、背後に迫ってきている。

唐突に、背中全体に重みを感じた。しかしずっしりとした重さではなく、あまり力持ちでもない僕でも何とか背負える程度である。それ以上に不可解なのは、背中に柔らかな感触を得ているという事で。人肌のような温かさというか…人そのもの?


「無視してるの?それとも世の中を僻んでるうちに聴力まで失って見ざる聞かざる言わざるのお猿さんになってるの?」

「はぁっ!?」


耳元に聞こえたその声は、まさしく一昨日の女の子の声だった。吐息が耳に掛かって身もだえていると、彼女は僕に体を押し付けたまま、言葉をつづける。


「私、今日から君の所の学校に通う事になったっぽいから色々教えてね」

「お、教えるって、何を」

「ウフフフフフ…」


彼女は僕の首筋に手を入れ、肌をまさぐる。


「それはもういろいろと~?なんてね」


パッと僕の背中から飛び降り、学校へ向けて駆け抜けていく金髪の女の子。ふと、途中で走るのを止めてこちらへ振り向くと、にっこりと僕に笑顔を向けて手を振り、また駆けだした。カバンも何も持たずに学校へ行くというのか…。


「…」


僕の背中と首筋には、まだ彼女からの暖かな体温と触感が残っていた。

そうか、人と触れ合うという事はこう言う事なんだ。久しく忘れていたな。彼女がやってる事自体はセクハラ逆バージョンみたいなものなんだけども。

ぼうっとしているうちに、携帯電話のアラームが僕の学生服のポケットから響き渡った。

いけない、そろそろ校門が閉められる時間が近い。

僕は学校へ続く坂道を駆け足で登っていく。いつもはしんどいだけのこの坂道も、今日からは何とか頑張れそうな気がする。


僕の退屈な日常を、吹っ飛ばしてくれそうな人がようやく見つかったのだから。

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