死神さゆりの懐中時計

綿貫むじな

死神さゆりの懐中時計

 「あなたあと5分で死ぬわ」

背後からいきなりぶっ飛んだセリフが聞こえた。

今、僕は受験勉強の真っ最中で5分すらも無駄にすることが惜しいのに、冗談でもそんな事を言うのはやめて欲しいものだ。

誰がこんな事を言っているのかと確認の為に安物の椅子を回転させて振り向くと――

そこにはわかりやすいシルエットの死神が居た。

フードの付いたグレーの外套を着た、絹のような黒髪で髪型は前髪パッツンのボブカット少女が僕の背後から様子を伺っていたのだ。

「うわ、いかにも死神でございって感じのコスプレ。で、誰?」

「私は死神。死神さゆり。あなたの死を見届けてあの世へと魂を連れて行く案内役よ」

「嘘だぁ。死神ってのはなんかこう、ノート的なアレとか、化け物めいた面構えのアレとかそんなんだよ」

「あなた週刊少年マンガ雑誌の読み過ぎじゃない?それも若干昔の奴じゃない」

「しかも寿命を司るっていうならロウソクじゃないの?」

「私はあんなアナクロな道具は使わないの」

そう言って死神は懐から懐中時計を取り出した。金細工を施された、素人目にもこれは高そうと思わせる懐中時計だ。

「懐中時計も今どき趣味の道具だと思うんだけどなぁ」

「そんな事言ってる間に一分経過。思い残すこととかないの?」

時計の針は深夜1時56分を指している。


「これマジ?」

「マジもマジ。そんなに私が疑わしい?」

いや思い切り疑わしいというか、電波な少女が不法侵入しに来たとしか思えませんが…。

「いきなり部屋に入って泥棒か何か?お巡りさん呼ぶけどいいの?」

「呼んでもいいけど来るまで何分掛かると思ってんの?その間にアンタ地獄へ行くわよ」

「さっきあの世に連れて行く案内人って言ってたじゃねえか!なんでいきなり地獄行きに決定してんだよ!!」

「大丈夫、私には決定権は無いけど閻魔大王に口が利くから地獄へ行くように進言するだけだから」

「余計駄目だろ!越権行為じゃねえか!ふざけんな!」

「そんな事言ってる間に二分経過。思い残(以下略」

時計の針は深夜1時57分を指している。


「ちょちょちょちょっと待てよ!僕はまだ死にたくねーよ!!!なんで死ななきゃいけないんだよ!」

あまりにも突然の事に納得出来ない僕。当然泡を食って慌てだして死神さゆりと名乗る少女の襟首を掴み掛かる。ふうとため息を付いたさゆりは懐から黒いノートを取り出して――

「ってそれ例の死因が書かれたら死ぬノートじゃないのか!?やっぱりお前が死ぬ原因とか書いてるんだぁ!!!」

「ちょっとは落ち着いてよ。このノート私は書き込む権限はないよ。私は、これを読んでどういう風に死ぬんだろうなっていうのを確認する為だけにしか使えないから大丈夫」

「何が大丈夫だ!誰がそれ書いてるんだよ!!」

「わかりやすく言えば神様よね。いわゆる良くあるギリシャ神話の最高神みたいなアレ。神、いわゆるゴッド」

「それマジ?」

「マジもマジ。これ二回目だけど」

「あっはい。って結局死因書かれるノートじゃねえか!!死にたくなぁあああい!死にたくなぁああああい!!」

みっともなく涙とか鼻水を垂らして泣き出す僕を冷ややかな視線で見つめている死神さゆり。何度も何度も同じ光景を見てきたかのような、そんな感じだ。

「こんな事してる間に三分経過。思(以下略」

時計の針は深夜1時58分を指している。


「せめて5分前じゃなくて一日前とかにそれを告げてくれればまだ身辺整理とかも出来るのに急過ぎるんだよお前!!」

「だって一年前とか一ヶ月前とか一日前だろうが腹が据わる人は据わるし、何時まで経っても屁垂れな人は屁垂れだもの。だったら5分前に言った方が面倒じゃなくていいわ」

「完全にお前の都合かよ!少しは人の気持ちを考えてくれよ!」

「考えた上での行動よ。貴方達こそ死神の気持ちを考えて欲しいものだわ」

「鬼!畜生!外道!ろくな死に方しないぞ!!」

「鬼でも畜生でも外道でもないし死神だっつってるでしょ。というか死を超越してるし私以上の存在から何らかの攻撃でも受けでもしない限り私が消えることなんてあり得ないから」

「あっはい」

「で、こんなやりとりしてる間に四分経過。もう少しであなたの生命、無くなるわよ」

時計の針は深夜1時59分を指している。もう時間が無い。


「今までの人生なんだったんだ…」

完全に途方に暮れ、諦めモードに入った僕を見て、死神さゆりは真正面から僕を見つめて言い放つ。

「人生って何?と考えられる程知性を持ったのは人間だけなのよ。そんな余計な事を考えられる程の知性を持った存在って、仕事をする上では鬱陶しいけどね。私に言わせてもらえば、生に価値や意味があると思うのは人間の傲慢さよ。最も、そう思わなければ生きていけないってことの裏返しとも言えるけどね」

「…生に、価値なんて無いって断言するのか?」

「私の立場からすれば死こそが価値のある事よ。死ぬことは全ての生物における、たった一つの平等な結末。この世に生まれ落ちる生命は種族・立場・知性・体力様々な条件が違いすぎて、とても平等とは思えない。でも、遅かれ早かれ、なんであろうと生きている限りはいずれ死は訪れる」

「…」

時計の秒針は6を指している。まもなく、僕の生命の灯は消されてしまう。

「お別れの時間ね。じゃあノートに書かれてる死に方を確認して…と」

ノートを開いて眺める死神。すると怪訝な顔をし始める。

「ん?何これ。鎌を使って魂を狩れ?…随分と、これはまた、アナクロなやり方ね…面倒くさい方法を指定しないでほしいわあの爺」

ぶつくさ言いながらも懐(何でも入っていて四次元空間とでもつながっているのだろうか)から大きな鎌を取り出した。作り自体は非常に簡素で、飾りも何も無い取っ手と刃だけの、まさに実用性だけを重視した大鎌だ。

「久しぶりだから上手くできるかな?」

僕の首に鎌をあてがい、刃を喉に向ける。切れ味鋭そうで今にも僕の首から鮮血が零れ落ちるような印象を受けるが、鎌そのものは半透明で実体は無い。触れていても肉体的に感触は無い。

ただ、例えようが無い猛烈な嫌悪感を喉周辺に感じさせられている。死の雰囲気を魂が感じ取っているためなのだろうか?

時計の秒針が、12付近に近づいて行く。秒針が刻む音が、そのまま僕の死ぬまでのカウントダウンだとそう告げている。カチ、コチ、かち、こち。死ぬ前の静かな音が、僕にはやけに大きく聞こえる。長い。何時になったら死ぬんだ。

その前に死ぬ感触って、どんなんだ――


そう思う前に、僕の目の前は真っ暗になった。


何も無い漆黒の空間。何も感じない。何も見えない。何もさわれない。無だ。

今までの上下動した感情すらフラットになり、全てが平穏に思える。いや思っているかとか、そういうのすら僕は知覚できていない。

全てが闇に混ざり合い、融け合い、今まで堆積した死の数だけが累積していく――

僕も闇の一部になろうとした瞬間、突然天上から眩い光が差し込まれて来た。


---



「ごめん、いまのなしね」

「…は?」

唐突に、雲と太陽の光が広がる空間に投げ出された。それ以外何も無い空間から、脳内に直接響いてくる誰かの声が聞こえる。傍らに、あの死神さゆりの姿もあった。何だか怠そうな表情をしている。

「だから、ノーカウント。ごめんごめん」

「は?…は?」

「儂ね、君が死ぬ日付、間違って書いてたの。今日じゃなくて、あと数十年後の深夜2時に死ぬ予定だったんだよね。許してくれるかい?許してくれるね?ありがとう!現世までグッドトリップ!!」

一方的に声は脳内にそう言い残すと、僕は光に包まれていきなり現世に投げ出された。


「はぁああああああああああああああああ!!!!????」


気づけば、そこは僕の部屋だった。机には勉強しかけのノートと開きっぱなしの教科書が無造作に散らばっている。僕は机に突っ伏していた。

一体今日の出来事はなんだったんだろう…。

そうか、夢か。机には涎のあともあるし、髪の毛は寝癖ついてて逆立っているし…。

きっとそういうことだ。疲れてたんだろう。ははは。

僕の机の上にある、高そうな懐中時計は深夜2時半を指している。そろそろ風呂にでも入って、明日に備えてもう寝よう。

…懐中、時計?

疑問に思って振り向くと、机の上にはいつものデジタル時計が鎮座していた。時計はやはり2時30分を表示している。やっぱり見間違いだった。あんな高そうな懐中時計が僕の部屋にあるはずが無いものね。

そして僕は風呂へと向かうため、部屋の電気を消して下の階へと降りて行った。



「…危ない危ない。うっかり時計をあいつの部屋に置いていくところだったわ」


---

死神さゆりの懐中時計 END

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