第34話 潔癖男子の爽快
何でかしら。やたら早く目が覚めるなんて。
もう秋なのにタンクトップとショートパンツで寝ていたせいで寒くて目が開いたのかしらと、階段を亀のようにのそのそ下りながら考える。
トーストとコーヒーの香りが漂うリビングのドアを開けると、眉をこれでもかと吊り上げて腰に手を当てた母親と目が合った。あ、やばい。これは雷が落ちる寸前。
「美波! あんたはもういい年してだらしない……! 嫁にも行かずにフラフラしてるなら、朝ご飯の用意くらい手伝いなさいよ!」
「あーあーもう。朝から叫ばないでよ。そんな厳めしい顔してたら小じわ増えるよー?」
母親の小言から逃げるようにリビングのソファへ掛けて、はたと気付く。
「あれ? 新聞は?」
「まだ取ってないわよ。あんた読むなら取ってきなさい」
「えぇー? 乙女がこんなカッコで新聞取りに行ったら、ご近所のおじさんたちが興奮して卒倒しちゃう」
「乙女って年でもないでしょ」
後ろからお盆でコンッと母さんに頭を小突かれる。むうっとむくれたアタシは、ソファにくしゃくしゃに丸めて置きっぱなしにしていたパーカーをはおり立ち上がった。
何よ、これでも引く手はあまたなんですからねーっだ!
ぷりぷり拗ねて玄関の戸を開ける。と、郵便受けの下に、白いビニール袋に包まれた見慣れないものがあった。
やだ、なぁにー? もしかしてその辺のガキが、ゴミをウチに置いてったんじゃないでしょうねぇ。
目を三角にしたアタシは、むんずとビニール袋の持ち手を掴む。するとレンガの擦れるようなゴトリとした音がしたことと、思ったより重いことに驚いた。
「なにー……?」
気になって袋の中を覗きこむ。途端に、視界いっぱいに鮮やかな世界が広がった。
「……綺麗……」
アタシが普段好んで身につけているアクセサリーのような人工的な綺麗さじゃない。幾重にも重なった花弁が愛らしい花が、植木鉢いっぱいに咲き乱れていた。でもそれを見ている気分は、宝石箱を開けた時と同じように高揚した。
「手紙……?」
花と花の隙間に差しこまれていた封筒を抜きとり差出人の名前を見る。差出人を視認した瞬間、心臓が止まったかと思った。
「湊多……? か、母さん! 父さん! 湊多から……っ」
アタシが戻ってくるのが遅いと訝っていたのか、呼ばれた父さんと母さんは靴を引っかけ、すぐに出てきた。
「湊多が来たのか!?」
息を弾ませた父さんは辺りを見回して問う。その横顔にかすかな期待がこもっていることを、アタシは見逃さなかった。
「違うわ」
父さんと母さんの瞳に落胆の色がにじむのを見てから、「でも」とアタシは続けた。
「湊多からこの花と手紙が届いたの」
そう言って、アタシは父さんの手に花を、母さんの手に手紙を握らせる。二人は不安そうに目を見合わせたあと、花を見て息をのんだ。
「これ……百日草ね……」
「お前、手紙の中身は?」
花にすっかり目を奪われている母さんへ、父さんが急かすように言う。母さんは我に返った様子で手紙の封を開けた。普段なら包装紙についたテープまで丁寧にはがす母さんが封筒の端を破くように開けたのを見て、よっぽど余裕がないのね、とアタシは苦笑を漏らしてしまった。
「なんて書いてる?」
アタシが促すと、母さんは
「この百日草……湊多が育てたらしいわ……」
と、声を震わせて言った。
父さんは幽霊でも見るような目で百日草を眺めていた。アタシは……アタシは驚いたけど、いつか駅前で見た湊多の様子を思い出して、不思議と腑に落ちた。電車に乗れたあの子なら……って。
「他にはなんて書いてあるの?」
アタシは震える母さんの肩を抱きこみながら、優しく語りかけた。理知的で厳格な母さんは、珍しく声を詰まらせながら、甘えるように寄りかかってきた。
「母さん……百日草には……絆という花言葉があるらしいです……今は無理でも、この咲いた花のように、家族の絆を咲かせられたら……って、書いてあるわ……」
喜びから泣き崩れそうになる母さん。それをアタシの反対側から父さんが抱きとめて、不器用に微笑んだ。
「なあ……近いうちに会いに行こう、湊多に。今まで忙しさにかまけて聞けなかった分、沢山あいつの話を聞いてやろう。離れている間に俺たちが湊多を突き放して後悔したってことも、全部、全部話そう。……やり直そう」
「ええ……ええ……」
父さんに優しく誘われて、母さんは瞳を濡らしながら何度も何度も頷く。アタシはそんな二人を見てから、明澄な青空をあおいだ。
――――ああ、大丈夫。咲くわよ湊多。私たちの絆も咲くわ。
蕾はもう、綻んでいるんだから。
完
潔癖男子の憂鬱 十帖 @mytamm10
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