おまけ

二月十三日のはなし

「わあ……っ」


 ドアを開けるなり深浦が声をあげた。

 今日は二人が付き合い始めて三回目のデート。そしてここは「ご休憩」できる某ホテルの一室。


 深浦の初心なリアクションが見たいがために、昭久は深浦を言葉巧みに言いくるめ、ここへ連れてきたのだ。

 もちろん、二人の仲が少しでも進展すればいいなあという下心込みだが。


 付き合い始めて日が浅い昭久としては、もっと深浦といちゃいちゃしたい。だが人一倍恥ずかしがりやな深浦は、昭久がちょっと腰に腕を回しただけで大袈裟なくらいに体を強張らせ、そそくさと昭久の腕から逃げてしまう。


 付き合う前はもっと普通に接することができていた。なのに、どうも昭久が学食で告白をした際、深浦にキスしてしまったのが良くなかったのか、あの日以来、昭久はまともに深浦に触れることができていない。


「わ、すごい! テレビがおっきい……あ、ゲームもある! 新田くん、後でゲームする?」


 いつになくはしゃぐ深浦の姿を微笑ましく思いながら、一方で昭久は「後でゲームじゃないことがしたいな、俺」と、心の中でそっと呟いた。


「あのさ、深浦……」

「――――あ」


 部屋の奥から深浦の声がする。

 昭久がちょっと目を離した隙に、深浦は部屋の奥へと行ってしまったようだ。


「深浦? どうかした?」

「…………」


 声のした場所へ昭久が顔を出すと、そこには深浦が昭久に背中を向けて呆然と立ち尽くしていた。

 深浦の目の前にあるのはバスルーム。しかも部屋とを仕切る壁は全面ガラス張りで、中が丸見えになっている。


「これ……お風呂の中が見えてる。新田くん、これだとお風呂に入れないね」


 みんなどうしてるんだろう、と言う深浦。

 口調や声音はつとめて平静を装っているが、髪の隙間から覗く耳の端っこが真っ赤になっているのを昭久は見逃さなかった。


「深浦」


 期待どおりの深浦のリアクションに、昭久は堪らず深浦のことを背後から抱きしめた。深浦の体がそうと見てわかるくらいに緊張で強張る。


「これね、外からは丸見えだけど、中からは外が見えないようになってるんだ。だから大丈夫」


 昭久はわざと声を潜めて深浦の耳元で囁いた。

 いや、なにが大丈夫なんだとツッコミを入れたいところだが、深浦にそんな余裕などない。昭久の腕の中、体を固くして頷くのがやっとだ。


「ここに来る人たちは、みんなお風呂は一緒に入るのが普通なんだ。だから中が見えたところで意味ないんだけどね」

「ふ……ふうん、そ、そうなんだ」

「深浦。一緒に入る?」

「う、う……ええっ!?」


 ここぞとばかりに昭久が深浦の耳朶へチュッと音をたててキスをした。


「に、に……新田くんっ? なに? え、一緒……って、えっ!?」

「お風呂、一緒に入る?」


 恋人のうろたえる様子があまりにも可愛くて、昭久は深浦の肩に頭を乗せると、横から真っ赤になっているであろう顔を覗き込んだ。


「深浦?」

「………………」


 頭のてっぺんから湯気が出そうな状態なのに、なぜか深浦は昭久から逃げ出そうとしない。

 それどころか昭久の思い過ごしでなければ、とても控えめではあるが昭久の体へ背中を預けている。


「…………いの」

「え?」

「ぼ、僕なんかで……いい、の?」


 深浦がおずおずと昭久の方へ顔を向けた。


「あの、僕だって一応、ここがどんなことをする場所かはわかってて……えっと……わかってて、来たから。だから」

「…………っ」

「明日はバレンタインデーだし――横山くんにプレゼントは何がいいかなって相談したら『僕をあげる』って言ったら新田くんは喜ぶからって」


 いっぱいいっぱいなのだろう、眼鏡の奥の深浦の目が潤んでいる。

 横山に相談したとか引っかかるところはあるが、深浦から想定外の反撃にあってしまった今の昭久はそれどころではない。

 窺うように深浦から見つめられ、昭久はずるずるとその場にへたりこんでしまった。


「――え、新田くん? 大丈夫?」

「あー、えっと」


(待て、待て、待て。なんだこれ。え? 本当にいいのか? 今日はキスだけでもできればいいな、とか思ってたのに)


 可愛いウサギが「僕を食べて」と目の前で震えている。

 これまでの昭久なら迷うことなく美味しくいただいているところだが、こうやって深浦から直球で迫られてしまうと、なぜか最後の一歩を踏み出すことができない。


 好きすぎて手が出せない。だなんて都市伝説だよなと笑いとばしていた過去の自分に言ってやりたいと昭久は思った。

 「本当に好きな相手だと、お前はとんでもなくヘタレになるんだぞ」と。


「新田くん、ごめんね」

「へ?」

「僕、変なこと言ったから。も、もう言わないから、今のは忘れて……っ」

「や、待って。深浦、違うから! あの、俺も深浦と、その……シたい、し」

「新田くん」

「ただ……ごめん。俺、深浦のことが好きすぎて、緊張して」


 恋愛に勝ち負けなんてないが、あるとすれば完全に惚れた方――昭久の負けだ。


「心の準備ができたら、手、出させて」


 昭久がそう言うと、深浦は恥ずかしそうに首を縦に振った。

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これは恋……なんかじゃないっ! とが きみえ @k-toga

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