月光散歩帳

朔  おはようございます。今日の月の出は五時十九分。


夜が朝と混ざり合って溶け出すような深い色が、空を緩やかに染めてゆきます。


太陽がとても眩しくて、今日の月はどこにいるのでしょう。夏の盛りを過ぎて苛烈さが和らいだ日差しは、それでも直視することのできない眩さです。きっとすぐ隣に浮かぶ月を、私は見ることができません。そこに確かに在るはずのものを見ることができない。それは曖昧な気持ちを見ることができないのと同じですね。けれど見えなくても確かに存在して、私と世界を繋ぎながら渦巻いているのでしょう。


やがてお昼を過ぎて、明るい街を一人で散歩しながらそんなことを考えるのです。北に位置するこの地域に訪れる秋は早く、澄んだ秋の空はどこまでも高くて、もこもこと触り心地の良さそうな雲がのんびりと浮かび流れています。蜻蛉が自由に飛び交い、たまに枝の先でひと息ついて、そんな昼下がり。のどかでふわりと進む時間のおかげで、いつもより寄り道もたくさんできました。


今日の月の入りは十七時二八分。素敵な今日を思い出しながら、おやすみなさい。


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繊月  おはようございます。今日の月の出は七時三十九分。


太陽の少し後ろをついてゆく姿はどこか儚く、そして細くて可憐です。けれど眩しく大きな太陽が地平に沈んでから僅かの時間しか、私はその姿をはっきりと見ることができません。それは少し寂しくもあり、それでも足元の星から反射した陽光が、月の暗い部分を薄く照らし出しているのを見て、私は少しだけ優しい気持ちになれました。今なら遠く離れていても、細やかに繋がっていると分かる気がします。


やがて日が沈み、薄明の空に溶け込んだ不思議な時間に迷い込み、今日の散歩はどこへ向かいましょう。空いた小腹が、私を賑やかな商店街へ誘います。


夕暮れを過ぎた商店街は活気に満ち、呼び込む声は一日を終えるのが勿体無いと思えるほどでした。人の良さそうな店主からいただいた、小さな焼き芋を食べながら、私も活気溢れる街の風景に溶け込むのです。ちょっとお行儀が悪いけれど、なんだかそれすらも楽しくて、やみつきになってしまいそう。


今日の月の入りは十八時三十九分。まだまだ夜は始まったばかりです。


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弓張 上弦  おはようございます。今日の月の出は十三時五分。


太陽がとても眩しいですね。寝起きの目にはすこし刺激が強いほどです。意を決して空を見上げるとそこには、数日前より丸くなった月が浮かんでいました。秋色に澄んだ空に薄く白く浮かぶ姿は儚げですが、きっと数日後には真ん丸になって夜の闇を照らしてくれることでしょう。


月が高く昇ってくる頃、私は深まった夕闇の街へと出掛けます。今宵はどんな出会いがあるのでしょう。空には弓に張った弦の月。無機質ながらも冷たさと温かさが混ざり合った月明かりは、散歩している犬にも、帰宅を急ぐ人にも、談笑する学生たちにも、同じ早さでついてゆきます。少しの駆け足にだって、ほら。


いつもとほんの少し違う速さで視界を流れる街並みは、私の心を高揚させるには十分すぎるほどでした。この足取りなら、もっともっと遠くへだって行けそう。


今日の月の入りは二十三時四分。日付が変わる少し前。西の空に沈む月をずっとずっと見送ってから、今宵の私は眠るのです。おやすみなさい。


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十三夜  おはようございます。今日の月の出は十六時十一分。


誰かに呼ばれた気がして、初めての道に迷い込んでみました。街灯の心細い明かりを頼りに目を凝らすとそこには白い猫。あの子が私をここに導いたのでしょうか。


周りの家々からはそれぞれの明かり。微かに風に乗る夕餉の香りは幸せの色をしています。脇を通ると団欒の声が聞こえ、そこに生活する人たちの幸せを垣間見ることができました。私と同じ時を生きる、交わることのない人たち。それでも今ここで感じた生の脈動は、一人でないと思えるものでした。


ともあれ、路地裏の屋根と電線で切り取られた空は狭く、少し窮屈です。そこから見える月が、まるで網となった電線に捕らわれているように見えて、私は路地を抜けて開けた場所を探すのでした。すると外し忘れた風鈴の澄んだ金属のような音が、微かな風に乗って私の耳に届いた気がしました。さようなら、白い猫さん。またいつか素敵な月夜にお会いしましょう。


今日の月の入りは三時二十四分。おやすみなさい。


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十五夜  おはようございます。今日の月の出は十七時九分。


今宵は満月。真ん丸の月は煌々と輝き、いつもよりも頼もしい光で地上を照らしています。今夜はささやかながら、お団子と薄、そして御神酒を用意いたしました。いつも夜を優しく照らしてくれてありがとうございます。昨年は無月でしたが、今年はとてもよく晴れてくれました。


縁側に腰掛けると、夜風がどこまでも優しく涼やかに、私の頬を撫でてゆきます。小さな盃に月を浮かべて、少しだけ飲んだお酒がふわふわして、なんだか気分がとても軽くなったようです。風にそよぐ草木の音を聴きながら食べるお団子は、真ん丸な月を食べている気分。ひとくち食べると、あら、三日月になってしまいました。


南の空高くに月が届く頃、今日は昨日になり、明日が今日になります。過去と今、そして未来が混ざり合って迷子になりそうな時間。私はいつものように当てのない散歩へ出掛けます。満ちた月に照らされる夜道を歩けば、どこへだって行けそうです。


今日の月の入りは五時二十七分。月が沈むまで散歩をしましょう。


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十六夜  おはようございます。今日の月の出は十七時三十九分。


夜の帳が緩やかに下りて、静かな夜の始まりを告げました。今夜は十六夜ですね。今までと反対側に欠けた月が、昨日より少し遅くになってから顔を出しました。


夜風に乗って流れる金木犀の香りは甘く、さらさらとした秋特有の風と、そよぐ草木の音だけが夜を包んでいます。


古い家屋が連なり、少し上り坂になった道を歩くと心も弾みます。頭上から照らす月明かりが足下に落とす小さな私の影が、私の足取りに合わせてちょこちょこと舞踊を披露したように見えました。観客は月と夜の風、そして秋の花。私だけの舞台はこの先にある丘。


辿り着き開けた視界の先に、細やかな明かりを湛えた街が見えました。静かに眠る街のうねるような胎動は、まるで明日を夢見ているかのようです。街全体がひとつの有機的な繋がりを持ち、そこに住む人たちは血管内を流れる血球そのものです。


今日の月の入りは六時二十七分。おやすみなさい、今宵も胎動する街の中で。


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立待  おはようございます。今日の月の出は一八時一二分。


空は次第に夕闇を迎え、西の地平へ日が沈んでゆきます。染まる空の反対側、月が地平から昇ってくるのを、私はぼんやりと立ちながら待っていました。


少し欠けた月は、無欠な満月よりもどこか親しみやすい気がして、欠けてばかりの私はそんな月に密やかな親近感を覚えるのです。


お気に入りの懐中時計。竜頭をかりかりと巻いて、その動きが止まらないように。私が生きた時間よりも長く時を刻んできた時計は、今私の手の中で、私と同じ時の流れに乗っていることでしょう。やがてその短い針が九を指す頃。秒針がかちかちと進む微かな音に合わせて足を踏み出せば、まるで私が時を刻んでいるかのようです。


小さな一歩を重ねれば、いつか遠くのどこかへ辿り着くこともできるでしょうか。それとも月の小さな満ち欠けや、時計の秒針が同じところをくるくると廻るかのように、同じところに帰ってきてしまうのでしょうか。それはそれで良いか、なんて。


今日の月の入りは七時二六分。おやすみなさい。


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居待  おはようございます。今日の月の出は一八時四七分。


鴉の鳴き声と帰宅を促す鐘の音が聞こえ、夕闇は段々とその色を濃くしてゆきます。もう一度明るくなったとき、それは今日ではなく明日なのです。今の私には、そんな当たり前のことすら寂寥を感じるには十分すぎるほどでした。そんなことを縁側に座って考えていると、いつの間にか今宵の月が顔を出しています。


お昼の短い間にとても強く降った雨は、道路のあちこちに水溜まりを残していきました。その水面に静かに浮かぶ光は、見上げる月よりとても小さく可愛らしく思えて、今夜の散歩はたくさんの水溜まりに寄り道をすることになりそうです。


水分を含んで吹く風はいつもよりひんやりとして、髪を撫でてみると指にしっとり馴染みました。私はなんだか嬉しくなって、指先をくるくると動かしてその感覚を楽しむのです。路上の小さな水面はそっと波打ち、浮かぶ月が柔らかく揺れました。


今日の月の入りは八時二四分。夕暮れに見た空は燃えるように赤かったので、きっと月が沈む頃には、素敵な秋空が広がっていることでしょう。おやすみなさい。


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寝待  おはようございます。今日の月の出は一九時二七分。


早めの湯を浴びたあと、気持ちの良い夜風に吹かれた私は、少しの間うたた寝をしてしまいました。湯冷めしないよう浴衣の上に羽織を着ると、芯に籠もった熱が巡ったような気がして、なんだかいつもより温かくなりました。


ころん。下駄を履いて庭に出ると、夏の星座が足早に西の空へと逃げてゆくのが見えます。東の空には昇り始めた秋の星座。目立つ星の少ない秋。ちらちらと光る星明りは、月に負けないように懸命に瞬いているようで、とても健気に思えます。


家の裏手の道へ出てみました。見慣れた表通りとは違い、寂れた空気が郷愁を募ります。するとそんな私の寂しさに気付いたのか、どこからともなく艶やかな黒い毛の猫が擦り寄ってきました。寝転がって喉を鳴らす姿に、思わずくすりと笑ってしまいます。屈んで撫でたときに伝わる少し高めの体温が気持ちよくて、いつまでもこうしていたいくらい。けれど黒猫は気紛れに、にゃん、と鳴いて闇の中へ。


今日の月の入りは九時二〇分。気ままな猫のように、私も眠ることにいたします。


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更待  おはようございます。今日の月の出は二〇時一〇分。


最近の月はお寝坊さんですね。今日の天気は薄曇り。白く薄い布のような雲は、風に乗って足早に空を流れてゆきます。


ようやく顔を出した月も、どこか朧気な表情をしているようです。晴れの夜の月は明るくてとても綺麗ですが、雲や涙で滲む月はどこか胸の奥が締め付けられるような気がして、私はいつも思いを寄せるのです。


そうそう、今宵は先日いただいた本を読むことにいたしましょう。冬の街を舞台にした切なくて優しい物語。私がこの街で迎えるひとつ先の季節には、いったいどんな景色があるのでしょうか。


灯した明かりは浮かぶ月よりずっと明るくて、それでもたまに本から視線を外し仰ぎ見ると、まばたきをするように月が雲で見えたり隠れたり。


月が薄い雲でそっと目蓋を閉じるように、朝を迎えても沈まぬ月を思い、私も眠りにつくのです。


今日の月の入りは一〇時一三分。おやすみなさい。


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弓張 下弦  おはようございます。今日の月の出は二三時四五分。


夜も深まりひんやりとした空気は、ひっそりと忘れられたように咲いた名も知らぬ花や、家主のいなくなった蜘蛛の巣に、透明な水滴を落としてゆきます。淡い月明かりを受けて静かに光るそれは、そっと指で弾くとどこまでも澄んだ音を奏でてくれます。それはとても切ない響きで、映り込む世界は夢の泡沫そのものでした。そっと湛えた涙もまた、月光を浴びて光るのです。


私は頬を伝う水滴を感じながら歩き出しました。少しぼやけた世界は光が滲み広がって、夢の世界に迷い込んだ私の存在までもが泡沫のように消えてしまいそう。けれど涼しい夜の風はすぐに私の頬を優しく撫でて、そんな夢の世界をあっという間にぬぐい去ってゆきました。そしてやがて来る薄明過ぎの光を浴びて、月光とは違う色に輝く朝露が夜を見送り、まさに始まる日を迎えるように見える頃、私は静かに笑みを溢すのです。その視線の先にはきっと、夢より素敵な世界が広がっています。


今日の月の入りは一三時一一分。おやすみなさい。


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晦  おはようございます。今日の月はかくれんぼ。


白黒だった淡い夜の世界に、太陽が鮮やかに色を乗せてゆきます。この世界を、どんな色に染め上げてくれるのでしょう。それは夢から覚めるように、世界を初めから再構成するようで、けれど入れ替わるものなどなにもありません。


すべてが変わるような大きな出来事はあまりないけれど、僅かな移り変わりにも気付いてゆける、そんな心でいたいと思うのでした。月明かりの機微に触れながら日々を歩けば、私の心も欠けたり満ちたり。


久しぶりに月のいない世界。短い別れと、あなたのいない暗い夜に少しの寂しさを感じつつ、きっと会える明日を描き、思いを馳せながら今日は眠りにつくのです。


おやすみなさい。良い夢を、素敵な明日を。

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