或る街の詩編
かなで
春待ち
初めまして。
久しぶりに手紙を書くことになり、少し手が震えています。字を間違えずに最後まで書き切ることができるか心配です。誰かに宛てて言葉を選ぶのはなかなか難しいのですね。なんだかいつもより自分と向き合っている気がします。
私の住んでいる街では、桜が見頃を過ぎて散り始めたところです。少しの寂しさと、これからの季節に思いを馳せたときの静かな高揚が混ざり合って、なんだか不思議な気分になりました。
私は生まれてからずっとこの街に住んでいます。まだ行ったことのない土地、そこに住む人たち。遠くのことを考えるのは楽しく、そして少し窮屈かな、なんて。
素敵な春をお過ごしくださいね。では。
四月十五日 ○○○
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初めまして。
この手紙があなたに読まれるのは朝でしょうか、昼下がりでしょうか。あるいは夜でしょうか、もしかしたら深夜でしょうか。晴れ、それとも雨。そんなことを考えながら筆を走らせています。少し時間がかかってしまいごめんなさい。字、とても読みやすくて綺麗でした。僕も久々の手紙に緊張しています。
僕の住んでいる街ではちょうど今、桜が満開です。
そちらの街とはずいぶん気温が違うようですね。四月に満開の桜、実はあまり経験がないので憧れています。桜と共に迎える生活の変化はどんな気持ちになるのでしょう。きっと素敵で、もしかしたら少し切ないのかもしれません。
ありがとう、素敵な春でした。そちらも良い日々が過ごせますよう。では。
五月六日 ◇◇◇
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こんにちは、お久しぶりです。少し間が開いてしまいごめんなさい。
私の街は少し前に梅雨入りしました。毎日のように降る雨のせいで、部屋から見える景色もどこか落ち込んでいて、私まで元気がなくなってしまう気がします。
春にこの部屋から見えた桜花はもう名残もなくて、代わりに青々とした若葉が雨粒を乗せて茂っています。私たちにはあまり嬉しくない雨でも、外の木々にとっては恵みそのものなのでしょうね。
梅雨に入ると少し涼しくなるので、私は毎年のようにこの時期体調を崩していました。でも今年は違うんです。上着を羽織るように心がけたので、今のところ元気なんです。なんだか笑われちゃいそうですね、お恥ずかしい。
雨は苦手ですが、傘を差すのは好きなんです。素敵な雨を。では。
六月五日 ○○○
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こんにちは、手紙ありがとうございます。
そちらから遅れること二週間あまり。こちらの街にも梅雨が来て、やっぱりどこか憂鬱な気分になってしまいそうです。小さい頃は雨も好きだったのですが、いつの間にか重苦しく感じるようになってしまいました。それでも雨上がりの日差しと地面から感じる熱が、次の季節を感じさせてくれる気がします。
先日、使っていた傘が壊れてしまったんです。ずいぶん長い間使っていたので仕方がないのですが、少し落ち込みました。代わりに買ったのは安い透明な傘。最初は違和感を覚えましたが、見上げると透明な膜に水滴が踊っていて、その向こうに灰色の雲が流れていて、こんな風景も悪くないな、と。そう思いました。
雨の日が少し楽しく過ごせそうです。今年も素敵な夏が来ますように。では。
六月三十日 ◇◇◇
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こんにちは、お元気ですか?
私の街は数日前に梅雨が明けて、ようやく夏本番の日差しがじりじりと照りつけています。梅雨の間に濡れた地面が蒸すように熱を帯びて、日陰でも茹だるような暑さを感じます。たまに吹く風も夏の香りになりました。
ええと……書こうかどうか迷っていたのですが、おそらくいつか打ち明けるだろうことなら早いほうが良いかと思い、書きますね。実はこの手紙を書いているのは病室なんです。以前書いた、この街から出たことがない、というのもそのせいなのです。唐突で、そして少し戸惑うかもしれませんね。ごめんなさい。それでも知って欲しかった。その上でもしこんな私で良ければ、これからもお手紙送ってもいいですか。
良い夏が過ごせるよう願っています。では。
七月二十日 ○○○
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こんにちは、暑い日が続いていますね。
梅雨の時期は雨に飽き飽きとしていたのに、夏の日差しばかりになると今度は雨が恋しくなります。遠雷を連れて時折降る夕立は激しさを帯びていて、それでも暑さを和らげるには足らなくて、それが夏らしくもありますね。
なるほど、そうだったのですね。打ち明けてくれてありがとう、その信頼がとても嬉しいです。たとえば「苦痛を代わってあげられたら」と言ったところで、不可能だからこそ無意識に出る言葉なのかもしれず、そう考えるととても偽善的に思えて口を噤んでしまいます。けれど、せめて気持ちだけでも傍にいたい、と思う気持ちに嘘や偽りがないことを伝えたいです。こちらこそ、これからもお話させてください。
どうか穏やかで優しい日々がありますように。では。
八月十日 ◇◇◇
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お返事とても嬉しいです。
なんと言い表せば伝わるのか、言葉がうまく見つけられないのですが、ありがとうと言わせてください。前回の手紙を出したあと、いっそずっと秘めておけばそのまま遣り取りが続けられたのではないか、もう返事は来ないかもしれない、そんな不安に駆られていました。けれどその不安は嘘のように、私の気持ちは晴れています。
お医者様は、完治する可能性もあるとおっしゃいました。けれどそれには少し大きい手術を受けなければならないとも。でも怖くて、切っ掛けを掴めず迷いを捨てられずにいます。けれど、移ろいゆく季節を確かに感じられる幸せが、ずっと続けば良いのにとも思うんです。私はどうすればいいのでしょう。まるで迷子の気分です。
素敵な秋が共にありますように。では。
九月十五日 ○○○
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こんにちは、こちらは夜風が急に涼しくなってきました。寝相が悪い僕は油断していると寝冷えをしてしまいそうで、それが少し心配です。日に日に雲の浮かぶ高さが上がり、深まりゆく秋を色濃く感じるようになりましたね。
このままの緩やかな未来、そして一歩踏み出して変化した未来。どちらも想像できるからこそ動けなくなってしまうその気持ち、今までずっと葛藤してきた辛さを僕が軽くすることもできず、こうして細く繋がり合うことしかできずごめんなさい。
けれどきっと答えはもう心のどこかにあって、それを見つけたくない気持ちが目隠しをしているような状態なのだとも感じました。それでも僕は、何度でも巡る季節を、ずっと先まで見続けて欲しいと思っています。
進む季節がいつも優しくありますように。
十月十三日 ◇◇◇
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こんにちは、お久しぶりです。秋の涼やかな風が、次第に乾いてひんやりとした空気に変わりゆき、過ぎゆく秋と迫る冬を感じさせます。いかがお過ごしですか?
私の心をすっかりと見抜かれてしまいました。おかげで迷う自分の背中をそっと押すことができた気がします。怖さは依然胸に残ったままだけれど、手術受けようと思います。この街のことも嫌いではないけど、まだ知らない世界を見に行きたいから。そのためなら乗り越えなきゃいけないって思えるようになったんです。ありがとう。
手術は今月の終わり頃、たぶん十一月二十九日になると言われました。術後もしばらく経過を見る必要があるようです。だから、もし成功して、私が本当の意味で外に出られるようになったら、一緒に桜を見ていただけませんか? あなたの街で。
同じ春を迎えられるよう、頑張ります。ありがとう。
十一月十五日 ○○○
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真冬も間近な日々、いかがお過ごしでしょうか。手術の前に手紙を届けたかったので、間に合うことを願い初めて速達を使うことにしました。
先日、こちらでは初雪が降り積もりました。写真を同封しますね。冷たい風に乗って舞う牡丹雪は冬そのものでした。けれど遅い春に見た桜の花びらをどこか連想させて、雪の遠く先に再び春が来ることを思い出させてくる、そんな気もするんです。
今月の終わり、ですね。おそらくその日、僕はなにも手が付かないことでしょう。遠く離れた僕には、すべてが無事に終わることを祈ることしかできません。それでも、きっと叶えられる約束をすることはできます。来年の春は一緒に桜を見ましょう、僕の街で。そしてそのあとも、まだ見ぬ世界を一緒に見たいです。
優しい雪解けを。そして一緒の春を迎えられますよう。今も心は共に。
十一月二十三日 ◇◇◇
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