第6話
恥の多い生涯でした。
自殺を繰り返した太宰治は自伝とも言える小説にそう書き残した。
しょうもないことを思い出しながら数歳しか変わらない少年のことばに俺は圧倒され、刺された気分になった。
生きたい人間がいるのに、生かしたい弟がいるのに、何故この健康そうな人間は死にたがるのだろう…。
…それなら弟にことばを譲って欲しかった。
ここでの一日が自分の世界の一秒に値する時が流れにくいいまでも、緩やかに弟はことばを消費しているだろう。
胸を塞ぐ悔しさと…羨ましいという浅ましい自らの感情に刺されたような気がした。
息苦しさに自然と喘ぐように呼吸を繰り返した俺を置いて時計はかちこちと鳴り、この場が長い間静寂に包まれていることを知らせる。
アリアはかつて見たことない、陶器のように冷たい表情をしていた。
「なんで、死にたいの?」
端的なアリアのことばに吐き出せた安堵からか微笑みすら浮かべて少年はことばを消費する。
「生まれた時から間違った人生だなあ…って思ってたんだと思います」
そう、まさに恥の多い、間違った生涯だった。
「お父さんもお母さんもいなくて…、親子ほど歳の離れた兄しかいなくて。でも兄は片親が違うみたいです。二人とも別々の親に似たからか血のつながりは苗字しかなくて」
それでも質の悪い施設で育ち、苦労した兄はまだ若いのに懸命に育てて、親と変わらぬ愛情をかけてくれた。
「でも」
ひといきついて少年は俯きがちだった顔をあげた。
疲れきった、瞳に光がない顔だった。泣きそうに歪んでいるようにも見えた。
「兄はもう子供を持っている、女と不倫の末できた非嫡出子を育てていると勘違いされて、
…そりゃそうですよね。働き盛りの20代で家族が熱だのなんだので帰るんですから…結婚したともいってないのに」
根も葉もない噂で兄は職場で孤立していった。
元々勤務年数はまだまだ少なく、暴力の横行する施設で人間不信、年上不信に陥った兄は相談できる上司もいなかった。
孤立は暴力と汚いことばに晒された幼い記憶を踏み潰し、せせら笑い、苦しみばかりか積もった。
誰かにぶつけたい遣る瀬無い感情は、…弟に向かった。
「僕が全部悪いんです…、僕が生まれたから…」
苦痛もなにも浮かばない兄を憐れむ顔にひとすじの涙が零れた。
「今日も兄は仕事にいけず、布団で隠れて震えています。たぶん、施設の人と同じように職場の人が部屋に来て暴力を振るうんだと思ってるんです。…かわいそう」
そして、少年にやっと感情らしい感情が生まれた。
「きっと僕は呪われているから。だから僕が死んだら兄は熱で早退することも、幼稚園の送り迎えに走ることも…」
ぼたぼた、少年から大粒の涙がほおを伝い落ちた。鼻水があふれ、目は充血してきている。
ひどい有様だ。
けれど、俺には何も言えなかった。
「疲れて家に帰ってきたのにご飯作らなきゃいけなかったり、宿題の面倒みたり、ぐずる僕の頭を撫でて慰めなきゃいけなかったり…、…親がいないことを八つ当たりされても…ずっと、ずっと」
どんどん加速して行くことば達は小さなこの店じゃ溢れかえってしまうような激情をふくんでいた。
少年は体の水分が全て抜けてしまいそうなほど大粒の涙を沢山流していた。
「きっと僕は生まれてきたのが間違いだったんだ…、なんで生まれてきたんだろ…」
いつも死のうとカッターを手にしても、屋上に登っても死ねなかった。
柵越しにみた下界は荒んだ家庭とは違って輝いていて、 三つの仲良い点が横に並ぶ姿に涙が溢れて六つに、九つにぶれてみえた。
羨ましかった。
なんで僕は二人揃った両親の元に生まれなかったのだろう。真ん中のカラフルな点が憎らしく見えた。
そうやって恨みに恨んで、死にたい死にたいと唸っても、死ぬ間際には何もかもぼやけてカッターのいい刃の位置も、人が途切れた飛び降りやすい瞬間も、見えなくなって口中が塩辛くなった。
なんで死にたいのにこんなに大好きな家族の思い出が溢れて止まらないんだろう。
life しゅか @silyuka
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