第12話 未来へ
妖精は、メルフェン村を西から東へ、猛スピードで飛び抜けていた。
人を捜しているのだ。彼女は焦っていた。早くしないと、大変な、恐いことがまた起こる。
焦燥が大きくなって、体が震えてきた。けれど、目的の人物は見当たらない。
その時、耳に優しい音色が、少し離れた所から聞こえてきた。オカリナで奏でられるその曲に、彼女は聞き覚えがあった。
その場で方向転換して、音の方向へ飛ぶ。すぐに、村の中心にある、真ん中あたりでぼっきり折れて、大きな枯れ木となった『世界樹』さまが見えてきた。
そして、まだ残っていた枝に腰掛けて、オカリナを奏でる、その少女の姿を見つけた。
古ぼけたとんがり帽子を被り、かたわらの中空に、同じくぼろになった箒を浮かばせた、十七歳くらいの女の子。
「ティミー!」
妖精のフローライトは大声で友達の魔法使いに呼びかけた。
演奏をとめて、少女が顔を上げる。そして訊いた。
「フローちゃん、どうしたの?」
「また魔物が出たの!」
ティミーは表情を険しくした。
「どこに?」
「村に西の入り口に。すごく恐そうな奴。この前出たのより大きいよ」
「ニャロは?」
訊きながら、ティミーは箒にまたがった。すでにその目は、遠見の魔法で村の入り口周辺を覗き込んでいる。
そしてティミーは魔物を発見した。銀色の毛を逆立てた、虎の獣人のような見た目の、体長五、六メートルはありそうな大柄な怪物だった。額に埋め込まれた赤い宝石は、あの魔物がやはり何者かに使役されていることを示している。
「わからない。ニャロも捜してたけど、先にティミーを見つけたの」
「じゃあ、フローちゃんはこのままニャロを捜して」
「ティミーは?」
「あいつをやっつける!」
全速力で、ティミーは飛びだした。
彼女が本気で飛べば、『世界樹』さまから村の端まで行くのに、ものの数秒もかからない。
それでもその数秒のうちに、村に被害が出てしまった。魔物はマーの店の屋根をばりばりと踏んで突き破ると、そのままバラバラに引き裂いてしまった。
咄嗟に逃げ出したマーは無事だった。しかしすぐに魔物の凶暴な双眸が彼女を捉える。
「ひぇっ」
短く悲鳴を上げたマーの頭上に、怪物が腕を振り上げた。そしてその腕が振り下ろされる!
マーの体は、魔物の爪に八つ裂きにされてしまった──ということはなかった。
通り抜けた一陣の風が、彼女を救い出していたからだ。
ティミーだった。少女は、マーを少し離れたところで降ろすと、魔物を睨んだまま告げた。
「マー、早く逃げて」
「……ティミーちゃんは?」
「大丈夫だから」
ティミーは、半分だけ振り返って微笑んだ。
マーはためらっていたが、魔物が一声、どう猛な唸り声を立てると、恐怖が勝ったようで、その場から急いで駆け出していった。
これでいい。ティミーは魔物を正面に見据える。そして、まだいくばかのあどけなさが残る顔で、精一杯魔物を睨みすえた。
「村のみんなを傷つけたな。絶対に、許してあげないんだから」
集中する。彼女の周りの空気が変わった。大気が渦を巻き、温度が上昇していく。熱は、ティミーが上向けた手の平に集まり、やがて燃えさかる火球へと変化した。
魔物が雄叫びを上げて突進してきた。
しかし敵が接近する前に、魔力を込めた右腕を、呪文とともに突き出した。
「フラーマ!」
魔法の炎の潮流が、邪悪な魔物だけを、その一撃で吹き飛ばした。
「……と、いう夢を見ました」
ティミーがみんなの前で、説明すると、はじめ全員言葉を失ったようにぽかんとしてみせた。
それから最初にルゥが口を開いた。
「いや、何その俺TUEEE的な感じ夢」
「はうっ!? えっと、だってでも本当にそういう夢を見たんだもん!」
フローライトも呆れた調子で言う。
「哀れなティミー。早く一人前になりたいからって、ついに願望が妄想になっちゃったのね」
「はうぁっ!? ええっと、それはもう一人前にはなりたいけど」
トロツキーがさらに追い打ちをかける。
「メルフェン村にそんな魔物が出るわけねーし」
「おううっ!? それもわかってるけど……」
とどめを刺したのはシャルロだ。
「ティミーがそんな魔法使いになっているなら、わたくしは大賢者ですわね」
「ほぅわわっ!? 確かに最近魔法の授業でシャルロっちゃんの方が優秀だってグレーテルが褒めてるけど!」
そしてみんなにため息をつかれる。
『いやあ、だってねえ』
ちょっと涙目になってしまうティミー。けれど彼女は気を取り直して言う。
「で、でもね。なんだか昨日見た夢は、ただの夢じゃない感じがしたっていうか、なんだか細かいところがすごくリアルに見えたりして……。それに、わたしもフローちゃんが言ったようなことは、夢の中で最初に考えたの。これは自分の理想の未来の姿なのかなって。でも、夢にはまだ続きがあってね……」
魔物の姿は影も形もなくなっていた。魔力の炎は、自然界の火とは違う。術者の能力次第で、消し炭さえ残さず対象を燃やし尽くすこともできる。
ティミーは大きく息を吐いた。今のは彼女の全力だった。もし、あれで魔物を倒せていなければ、実はもう早くも彼女に打つ手はなかった。
現れる魔物は、段階的に強力になっている。次はもう、自分の力では村を護れないかもしれない。
そう考えると憂鬱な気分になった。
「お見事だにゃ」
後ろから声をかけられた。振り返ると、フローライトに先導されて、額に大きなバッテンの傷をつけた、大きなねこのニャロが歩いてきた。
「ティミーは強くにゃったにゃ。もうおいらの助けもいらにゃいかもしれにゃいにゃ」
「そんなことないよ……」
ティミーは沈んだ声で言った。謙遜ではなく本心だった。
「ニャロはどこにいたの?」
少女の問いに、ニャロは言った。
「墓参りの途中だったにゃ」
ああ、とティミーは思う。
「今日でちょうどあれから五年だにゃ。ティミーも忘れてにゃいだにゃ?」
当然だった。だから彼女は笛を吹いていた。トロイメライから教わった、葬送曲を。
「おいらこれから墓に戻るにゃ。ティミーはどうするにゃ?」
「わたしも行くよ」
ティミーは言った。
村のはずれの小さな墓地。そこに二つの墓石があった。
そのうちの一つには、でこぼこに歪んでしまった鎧甲が、
もう一つには、年季の入った、業物の魔法の杖が添えられていた。
二つの墓に刻まれた命日は、ともに、五年前の今日の日付だった。
彼女は、墓の前で静かに黙祷を捧げた。
二人は魔法使いの少女にとって、育ての親のような存在だった。むしろ、実の親を知らないティミーにとっては、ある意味、本当の両親よりも大切な人かもしれなかった。
彼女の頬を一筋の涙が伝った。もう泣かないと決めたのに、それでも泣き虫のティミーは泣いてしまう。
子供の頃は、その泣き虫をよく友達にからかわれたものだ。でも、その友達も、五年前を境に、二人が彼女の前からいなくなってしまった。
街のお嬢様だったシャルロ・ヴァレンティーナは、五年前の一件以来、村には一度も姿を見せていない。お屋敷にこちらか行ったこともあったが、彼女はティミーに会ってさえくれなかった。
そして、ルゥは──
「……ニャロ」
ティミーは言った。
「もう……限界かもしれない」
「にゃにがだにゃ?」
「ニャロだってわかってるでしょ? 魔物の出る頻度も、その強さもどんどんエスカレートしていってる。狙いは……六星術師の血を引くわたしなのは間違いない。みんな優しいから、村にいていいよ、って言ってくれてるけど、本当は怖がってるのがわかる。その証拠に、キャスタは店をたたんでいなくなっちゃったし、メヌエットもこの村の郵便配達の担当を外れた。トロイメライも、三年くらい前を最後に、もう来なくなっちゃった」
「まー、そうだにゃー。でも気にすることにゃいにゃ。いなくにゃったのは、みんにゃ元はメルフェン村の住人じゃにゃい人にゃ」
「だけど……そのうち、昔からいる人も、きっと去っていく。今日は、マーの店が壊れちゃった。マーがわたしを見る目……すごく怯えてた。わたし、今日はっきりわかったよ。
わたし、村の疫病神だ。いない方が、きっとみんな幸せだ」
「……まっ、確かにそうかもしれんにゃ」
「……ぷぷ」
「にゃんで笑うにゃ?」
ティミーはおかしくて笑う。少しだけ、泣きながら。
「ニャロの方こそ。ひどいよ。こういう時は慰めてくれるものじゃないの?」
「ウソついてもしゃーにゃいにゃ。で、どうするつもりにゃ?」
「……村を出る」
言って、ティミーはとんがり帽子を脱いだ。
「だけど、逃げるためじゃない。わたしは、ニャロが思ってるほどじゃないけど……それでも少しだけ強くなった」
そして、帽子を鎧甲にかぶせて、言った。
「だから……わたしは戦う。見ててね、ヨロジー、グレーテル先生」
出発は、夜のうちにすることにした。
最低限の荷物をととのえて、ニャロと一緒にこっそり村の入り口へ向かう。
星の明るいよく晴れた夜だった。村を出るまで、幸い誰にも会うことはなかった。
と、思ったら、入り口でぽつんと立つ人影を二人は認めた。
カルバリーニョだった。
「おや、ティミー様、ニャロ様、こんばんは。こんな夜更けに村の入り口でどうなさいましたか? いやはやはてさて……ああ、わかりました! わたくしわかってしまいました! ずばり天体観測でございますね。確かにかように星のきれいな夜はうっかりお空を見上げたくなるものです。しかしどうぞお気をつけください。お空を見上げていますと、足下を見ながら歩くことができません。すると転んでしまうのです。あいたたたー、でございます」
「相変わらずヘンテコにゃ奴だにゃ。お前、にゃんでこんなとこいるにゃ」
ニャロはけっこうひどいことを言うけど、ティミーは本当にいつもと変わらぬ調子の人形にクスリと笑ってしまった。
この五年間、本当にいろんなことがあった。ティミーの世界はすっかり変わってしまった。それでもカルバリーニョだけは少しも変わらなかった。
「おいらたち急いでるにゃ。そこどくにゃ」
「……残念ながら、それはできないのですニャロ様」
「にゃ?」
だけどその時はじめてカルバリーニョが、変わったことを言った。
「引き留めるつもりにゃら諦めるにゃ。ティミーは本気だにゃ」
「ああそんな! 引き留めるだなどと滅相もございません! わたくしは、今しばらくお待ちいただきたいと申しておるのでございます」
「にゃ?」
首をかしげるニャロとティミー。いったいカルバリーニョはどうしてしまったのだろう。不思議に思っていたら、背後からどたどたと騒がしい足音が聞こえてきた。
「やった! 間に合った! おーい、ティミー! 待って! 待ってくれ!」
びっくりして振り返る。息を切らして走ってきたのは、なんとトロツキーだった。驚いたのは、彼が来たことだけではない。子供の頃、いつも背中にゼンマイをつけていた少年だったが、今その背中にあるのは、大きなリュックサックに詰まった、溢れんばかりの大荷物だったからだ。
「トロツキー……?」
「墓地での話を聞いてたんだ。ティミー、俺も旅について行くよ!」
ティミーは、心の底からびっくりして、目を丸くした。
「ダメにゃ。危険にゃ旅ににゃるにゃ。役立たずはいらにゃいにゃ」
ニャロがにべもなく言う。しかしトロツキーは引き下がらなかった。
「黙ってろよ! 誰がなんと言ったって、俺は無理やりにだってついていくからな! 俺はティミーの……友達なんだ! たとえ村のみんながティミーを大嫌いだって言っても、俺は、ティミーのことが、大好きなんだ!
だから、絶対絶対ティミーを見捨てない! どこまでだってついていってやる!」
「トロツキー……」
ティミーの目に涙が浮かぶ。
その時、突然ポロロンと、ハーブの音が鳴った。そして、魔法のランプが村の入り口をぽうっと照らす。格好つけた演出とともに、芝居がかった様子で現れたのは、なんとトロイメライだった。
「帰ってきたばかりで状況が全然飲み込めないけれど、なんだか感動のシーンみたいだね、そんな君たちのこの曲を捧げよう。名付けて『出会いと別れのバラード』」
情感たっぷりに吟遊詩人は曲を奏でる。ティミーはまた、驚いてしまっていた。
「トロイメライ、どうして……」
「やあ、ティミー。久しぶり。しばらく遠方を巡業していて、メルフェン村にくるのがずいぶん久々になってしまったよ。君はとても素敵なレディーになったね。これは、そんな美しい君を褒め称える曲でもあるんだよ」
ティミーはもう何も言えなかった。一言でも口を開けば、嗚咽が漏れてしまいそうだったから。
奇跡は続く。トロイメライの演奏する曲は、村中に響き渡り、寝静まった村の住民たちをなんだなんだと起こしていく。そしてその全員が、旅立とうとするティミーの姿を認めると、揃って彼女を引き留めにくるのだった。
特に、フローライトとニコの取り乱しようは大変で、二人の泣き声は、トロイメライの音楽より大きかったほどだ。
ティミーももう涙をこらえきれずぼろぼろと涙を流した。
みんなと別れたくなかった。
ずっとずっとメルフェン村で暮らしたかった。
村のみんなが、それを望んで、許してくれた。
それでもティミーは行かねばならなかった。
大好きな村のみんなを守るため。そして先に村を去ることを余儀なくされた、大切な友達のため。
「ティミー」
涙しながら、ぎゅっとティミーを抱きしめながら、ニコが言う。
「私、あなたのことを本当の妹みたいに思ってた。いなくなったら、寂しいよ」
「わたしにとっても、ニコは大切なお姉ちゃんだよ。今までありがとう」
「なんだかとっても変な気分」
フローライトもまた泣いていた。それでも気丈に、妖精は笑っていた。
「あたしね、ティミーのこと赤ちゃんだった頃から知ってるから。だからあんなにちっちゃかった女の子が、いつの間にかあたしより大きなお姉さんになってるのがすごく不思議。でも、それだけあたしたちが出会ってから時間が経ったってことなんだよね。ティミー、あたし……妖精じゃなくて人間の子供に生まれたかった。ティミーと一緒に、二人で年を取っていきたかったよ」
「見た目なんて関係ない。フローちゃんはずっとわたしの友達だよ」
「トロツキー、あんた、絶対ティミーを守るのよ。と言っても、今じゃティミーの方がよっぽど強くて、あんたなんて役に立たないだろうから。あんたはティミーを危険から守る生きた盾になるのよ。わかった?」
「最後ぐらい、俺の心配もしてくれよ……」
フローライトの毒舌に、半眼になるトロツキー。この二人は、見た目がトロツキーの方が大きくなっても、ずっとこんな感じだ。
「最後じゃないでしょう?」
ニコがみんなに呼びかけるように言った。
「ティミーも、ニャロもトロツキーも、必ずまたこのメルフェン村に帰ってくる。そうでしょ? だから、『さようなら』は言わない。ティミー」
「……うん」
猫耳のお姉ちゃんは、ティミーの手を取って、そして思いの丈を込めてその言葉を贈る。
「いってらっしゃい。あのばかを見つけたら、きっとここまで連れ帰ってきてね。みんなを心配させた罰として、お姉ちゃんパンチ百連発の刑なんだから」
「いってらっしゃい、ティミー」
フローライト。
「メェ〜、いってらっしゃい」
ノルマンディー神父。
「いってらっしゃーい、がんばってー」
マー。
「いってらっしゃい、かわいい魔女さん」
トロイメライ。
「それではいってらっしゃいませ、ティミー様」
カルバリーニョ。
ごろごろ。
ゴロゴロ。
ティミーは涙をふいた。
もう泣かない。必ずここへ帰ってくる。それを誰よりも、ティミー自身が信じて。
そして彼女は、最高の笑顔で言った。
「いってきます!」
さあ、ルゥを助けにいこう。
「……と、いうところで夢は終わったのです」
みんな黙り込んでいた。
それは、さっきの沈黙とは少し違う。不思議な説得力とリアリティのある夢の内容に、もう誰もティミーを馬鹿にしようという気はなくなっていた。
と、思ったら一人だけ例外がいた。
「認めん」
ルゥが、むすっとした顔で言う。
「いや。認めん、って何がだよ」
「だってさぁ! なんでおれがティミーに助けられなきゃならないんだよ! そこは逆だろ! だって英雄になるのはおれの役目だし。おれがティミーを助けるならいいけど、逆はダメなの!」
尻尾を振り回して、本気でぷんすかルゥは怒っている。
「ティミーはどう思うの? その夢について」
フローライトが訊くと、ティミーはうーん、と首を捻った。そうしてしばらく考えてから、言った。
「わたしは……ただのなんでもない、夢だったらいいな、って思う」
「どうして?」
シャルロに問われて、ティミーは答えた。
「だって、わたしは、これからもずっと、この村でみんなと楽しく暮らしていきたいから」
それが心からの、小さな魔女の、小さな願い。
夢は夢。未来のことは誰にもわからない。少年少女たちは解散し、みなそれぞれの家族の待つ、暖かい家に帰る。
そして今日という日を終えて、一歩一歩未来への道を歩んでいく。
夢はもしかしたら現実となり、平穏な日々はある日突然終わりを告げるかもしれない。
しかしその日が訪れるまでは、もう少しだけ、優しい夢の中で幸せをかみしめる。
永遠に変わらないものなどないからこそ、せめて変わらぬ時を生きるこの瞬間に感謝を込めて。
メルフェン村は、今日も明日も明後日も、毎日がとっても平和です。
Marc -メル- 小さな魔女のものがたり 浄化 @joker36
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます