第2話
「空賊だーーーー!」
そして、温室から走り出た大人の一人がそう叫ぶのを皮切りに、狂乱が村中に広がっていった。
「賊だって!? どうしてこんな辺境にまで!」
「半年前に、ササリの街が襲われたって聞いたな。まだ懲りねえんだ!」
「したって、こんな小さな村にゃ、何もねえぞ――」
一しきり驚愕に喚いた後、大人の多くは自分の子を連れて家に籠もり、戸を固く閉ざした。いつか、餓えた暴れ熊をやり過ごした時のように。中にはなりふり構わず、北や東の森へ逃げ込むものもいた。
僕はようやく騒ぎに気づき、二階へ駆け上がると窓に隙間を開け、上空をうかがった。
森林を拓いた村の真上に、青く澄みわたる空。
そこへ黒い尾を引き、鈍い焦げ茶色の弾丸が飛来する。
大きさは目測で家一軒ほど――天の白光を鋭く撥ねつける錬化鉄製の球体は、目を凝らせば、下部がわずかに伸びて頭蓋骨を思わせる。
それは『潜水メット型』と呼ばれ、半球状のガラス窓を頂点と左右の三箇所に配した、超小型熱気船だった。
熱気船――金属の塊が空を飛ぶ。それは<熱風石>を搭載した浮揚力機関(コルディサイティス)の賜物だが、実物を見ようとは夢にも思わなかった――ちょうど頭蓋の両目のあたりを直角に削り取った甲板に、人影になびく黒衣が見え隠れする。
リン、リィン……と震えを帯びた鐘の音が大気に染み渡り、三つのガラス窓が赤く明滅するなり、その物体は急停止する。後方軌道に赤い光の粉を噴くと、続き、
キィン――!
と快いほど高く研ぎ澄まされた音を蒼穹に解き放つ。
すると、一旦上空に留まった球体状の船が、今度はゆっくりと下降してくる。
円形に落ちる影はちょうど村の広場の中央に定まり、範囲を広げ、船体が家の屋根の高さに迫る頃には、風圧で地面の雪をクレーター状に激しく蹴立てていく。
――そのまま徐々に減速し、地面に接する瞬間にちょうど完全停止に至る。まるで風船一つを据えるように柔らかな着地だった。
その間わずか十数秒。驚くにも時間が足りない。
船体の帯びる高熱に触れた雪はジャッ! と悲鳴を上げて蒸発し、周縁からみるみる溶けて透明な水溜りを広げていく。足場を崩して前傾していく機体の甲板が露わになる前に、そこから低い防護壁を蹴って、人影が跳んだ。
「いよっと!」
広場の雪に飛び込んだのは、黒いロングコートの前をはだけた男だった。
焦げ茶色の短い髪は遠目にも癖があって毛先に空気をはらみ、どうやら右眼に黒い眼帯をしているらしい事はうかがえる。
「誰かいねえのか? あん?」
静まりかえった村の景色に、響きの強い大声を張り上げる。
彼は大げさな身振りで周囲を見回すと、また大げさに肩を竦めてみせた。そして右手にあった黒っぽい筒状のものを、天高く掲げてみせた。
長さは腕の半分ほど――顔の前に両手で据えた筒の先を、視線の果てにそよぐ森の上空へ、差し向けた。
男が何か呟き、添えた手をすべらせるのと同時。
筒の先に赤黒い光が点り、みるみる明度を増して白熱していく。直視できないほど輝くところへ、光が長い尾を引き、筒から放たれた。
その軌道は村の上空を走り抜け、森の上部に達した瞬間、八方へ眩い閃光を散らす。
枝や幹の爆ぜる鈍い悲鳴が、一瞬のうちに入り乱れる。
光に眩んだ視界が戻る。後には、数本の樹木が、幹の上端を失って見通しをよくしていた。消し飛んだ部分の輪郭はくっきりと円形に抉られ、細い黒煙を引いている。
男は満足げに、大きく頷いた。
「上~々。さあ、隠れてる奴みんな出てきな。出遅れたやつ、妙なマネしたやつ、みんなこいつで撃っちまうぜ!」
と、その場で一回転しながら、手に構えた筒の照準を、軒並みの窓に合わせていった。
それはどうやら『光熱収束銃』――浮揚力機関の応用の産物だろう。熱気船同様、風の噂にしか聞いたことのない代物だ。
僕はその男から眼を放せぬまま、窓辺に尻餅をついた。腹の底が激しく脈動しており、ごくりと喉が鳴って、冷や汗が全身を伝い落ちていくのを感じる。
ただ、そこから広場を見守ることしかできない。
閉ざされた扉が開き、次第に一家族、続いてもう一家族と姿を見せ、後は雪崩れを打ったように現れ始めた。家長の男は妻や子を背後の扉に押しつけるようにして庇い、誰も広場の中央の男に近寄ろうとするものはない。
次の瞬間、僕は心臓が止まるのを感じた。
「そこがまだだ」
男の鋭く細めた眼差しが、ちょうど僕のいる窓へと向けられた。彼は同じように、まだ立てこもっている数軒の家の戸や窓を、凄むように顎と銃の先端で促した。
そして、恐る恐る、女子供だけの世帯や、足や腰を痛めた老人たちが広場へ吸いだされていく。
その人々の歩みの中にセイシェルの後ろ姿を見つけ、僕は思わず腰を上げていた。足をもつらせ階段を駆け下り、夢中で扉を出て、彼女の背を追いかけ、その衣服をつかんだ。
セイシェルはゆらり、と振り向く。虚ろな眼差しに、ふっと困惑の色が過ぎる。
その男は軽く村を歩いて巡り、同じやり方で凄んでみせた。
あっという間に、住人は一人残らず広場の片隅に集められた。男が気まぐれに動かす片手にさまよう銃口が少しでも近づくたび、女の悲鳴と男のどよめきが波打ち、あっちへ、こっちへと流れた。
「さて――おまえら」
「待ってくれ!」
賊の男の声に重ねて、集団から人影が走り出る。白っぽい金髪を品よく整えた、四十になったばかりの若村長だ。彼は不自然な中腰になって続けた。その声は始めから震えていた。
「な、なな、何が狙いなんだ。こんな村には何もねえ……ないです、よ」
「<熱風石(コルディサイト)>に決まってんだろ!」
振り向いた男の剣幕と銃口に押され、あえなく村長は腰を落とした。
「……それなら、村長さんとこにあるぞ!」
「そうよ!」
誰かが叫んで、女の声が唱和した。
「誰か持ってこい! だから、命だけは助けてくれえ――」
村長は声の上がった方角と、空賊の男を交互に見比べ、笑ったような顔で力なく首を振った。皆の無言の視線が彼の背に集中するところへ、賊の男が淀みない口調で言い放つ。
「そんなもん、後続の奴らにくれてやんな! 俺が探してんのはそんなチンケなもんじゃねえ。森に眠るでっけえ<熱風石>――知ってんだろ!」
群衆に走るどよめきを、彼は否定と受け取ったらしい。めいっぱいに眉をしかめた――その時、僕は怯えた顔を初めて上げていた。
気迫の漲る男の目つきは鋭く声の響きも然りだが、どちらもまだあどけない様子を残した少年らしい。彼は呆れたように声を低めて腕を組む。
「まあ、そうだろうな。極秘情報なんだ……じゃあ誰か、森に詳しいやつを出せ」
その視線が、品定めするように人混みをなぞる。逃れるように、村人たちもせわしない視線を交わし始めた。みな顔が恐ろしいほど強張っていた。賊の男が今にも、おまえだ、と口をきくのではと竦みあがっていた。
僕は震える脚で、セイシェルの隣にすり寄った。だが、彼女の前に立とうとして、動かなくなった。
焦点の合わない瞳を、ふと上げた。
誰かが僕を見ている。あの人も、この人も。
「こいつだ!」
誰か声を張り上げた。
それは冷たく冴えた空気を押し分け、まぎれもなく、僕へ届いた。
僕は眼を開けたまま、景色が遠ざかるのを、感じていた。声が動線を描いて視界を飛び交い、狙いを定めて次々と僕へ突き立つようだった。
「そうだ。その子供は森から来たんだ」
「うってつけだ。間違いねえよ」
何が間違いないのか――?
何も考えられないまま、空賊の少年と視線がかち合った。
そして彼はすっと眼差しを細め、眉間に皺を寄せる。物言いたげに浮いた唇を歪めたまま、眼差しはどこかを睨み据えた。憤り、苛立ちなのか――左目の黒っぽい瞳が、燃え滾る炎のごとく、はっきりと激しい感情をのせて、横手へ流れていった。
そして、僕へと返る。視線が合ったまま、彼は雪を蹴り上げ、筒の先を向けてまっすぐこちらへ歩いてくる。
殺される――身が竦んだ。
不意に、少年の表情に険悪さが消える。その唇が不敵に笑った。
「いいぜ。来な」
と、銃を構えたまま、傾き続ける熱気船の舞台状の甲板へ、顎をしゃくって見せた。
「早くしろ!」
と叫んだ。
僕が振り向くと、人々の瞠ったまま微動だにせぬ眼差しが、みな僕という一身に注がれていた。石像の群れに囲まれるような、その視線に押し出されるように、僕はよろめきながら、一歩踏み出した。
わけもわからぬまま、二歩目……三歩目と進む。
少年は苛立たしげに腕を組み、足を水溜りに踏み鳴らしている。
僕はハッと振り返って、ただ一対の色を求める。
セイシェルの青い瞳。光を受けて揺れる瞳を宿したまま、眼差しは僕へ開かれていた。
いつぶりだろう、僕を見る。いとも哀しげに和らいだ眼差しに、ゆっくりと突き放すような、空の色。
行けばいいじゃない――行きなさい。
そんな言葉は妄想だ。けれども、僕は首を振って、走り出す。激しい動悸はどこか遠くで鳴り響き、頭は真っ白になっていった。足元の雪を蹴立てて待ちかねていた少年に腕を掴まれ、引きずり上げられるように壁を越え、船の甲板へ身を投げた。固い石張りの床に身体を打ちつけて、そのまま動けなくなった。
「よし。じゃあ、行くぜっ!」
空賊の男は掛け声とともに、倒れ伏す僕の隣に飛び降りた。
わずかな静寂。
彼の立つ前方から、チン……と澄んだ鐘の音が響く。
床が振動を始める。数秒ののち、激しく揺さぶられている。
リィン……キィン!
空気に波紋を広げて、耳を刺すように純度の高い音色が解き放たれる。
床が発熱している。そう感じた時、熱い風が勢いよく押し寄せた。甲板の舞台を取り巻き、嵐のように猛る暴風の中、僕は頬にひやりとした違和感を覚える。
悲しい……のだろうか? 僕は――
風が止む。かき乱された髪が、はらはらと舞い降りる。
視界の先に、黒い三角屋根が見える。消えていく。
僕は身を起こした。視界はどんどん高く。針葉樹の枝が細り、黒々とした先端が消えて、
――後にはただ青く澄んだ空が広がり――
胸の中に、青い景色が流れ込む。見とれてしまったのは、閃きのような既視感のせいなのか。
知っている? 僕は、この景色を。
カン! カン!
乱暴な音が耳を打ち、少年が高らかに叫ぶ。
「どっかに掴まってろよ!」
甲板に突風が吹きこみ、僕は身を伏せる。
船は流星のごとく加速の軌道に乗った。
こころの翼 夜薙煇 @YanagiKagaya
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