第4話 始まりの夜4


 パジェロのライトに照らされて姿を見せたのは、二階と同じ高さに頭がある巨大な人型だった。


 腐乱した肉と体液を撒き散らし、腐り落ちた片方の眼窩には瘴気が凝縮して、赤い光となって俺たちを睨めつけてくる。

 先ほどに倍する死臭も関わらず、高村は幸せそうに寝入っている。


「こいつ、実は神経図太いよな」


 パジェロの助手席に高村を放り込み、霊装に込められた霊気がいまだオーラとなって全身を守っているのを確認してドアを閉めた。


 俺は意識を切り替え、聖剣を背負って巨人に向かって駆けだした。


 腐乱した巨人が咆哮をあげる。


 精神をえぐり取るかのような雄叫びだった。足下の枯れ草が一斉に着火して、燎原の火となって燃え広がり、周囲を明るくてらしあげる。

 霊装にも強烈な瘴気の圧力がかかってきた。

 "霊装流気オーラフロー"を全開にすると注ぎ込まれた霊気は、すぐに臨界に達し黄金色の燐光を放ち始める。


 一直線に巨人に向かって走った。


 聖剣。霊気を込める。黒い陽炎が鞘から立ちあがった。


 巨人も、こちらに向かって右手を振り上げている。

 ザカルを操って、肉体の限界を突破。巨人の右手が迫る。両足を踏みしめ、左手で巨人の拳を受け止めた。

 風圧が足下の砂利を吹き飛ばし、降り注ぐ腐肉と体液は霊装流気が吹き飛ばした。


 ありったけの霊力を、かき集め重みに耐え続けた。強すぎる練気に、内蔵がすり潰されるような痛みが走る。


 巨人の瘴気が俺の左手から染み込んできて、悪意が心に満ちていく。満ちた悪意は心を黒く塗りつぶし、憎悪は力となって全身を駆け巡る。


 ゾーマ級の悪霊は、健全な精神を汚染してくるが、汚染される健全な精神がなければ影響もない。


 巨人の右拳を振り払い、聖剣を抜いた。


 使い古された質素な両刃剣。

 俺の霊気をまとって放つ光は漆黒で、夜の闇よりもなお深い暗闇を内包している。


 巨人の左手が、俺を握りつぶそうと迫ってくる。踏み込んだ。下から上へ。手首を狙って斬り上げた。重い手応えがあったのは一瞬だけだった。斬り落とされた左手は、その場で霧散。巨人が絶叫をあげた。


 霊装に強烈な負荷が生じる。炎ではなく熱エネルギーそのものをぶつけてきている。

 砂時計が落ちるように、霊気が急速に削られていく。


 霊装流気とザカル。

 全力全開にした。生と死の狭間。

 覚醒した超感覚的知覚は周囲のすべてを把握し、霊気と瘴気の流れを見極め、"死相デッドゾーン"と呼ばれる無想の境地へと俺を導いていく。


 跳躍した。

 巨人の頭より高く飛び上がる。聖剣は黒い光の尾を引いて闇を斬り裂き、巨人を頭蓋から一刀両断にした。


 断末魔の叫びをあげながら、黒い炎に包まれて巨人が燃え尽きていく。


 霊力を著しく消耗した俺の左手は、いつの間にか本来あるべき姿、骸骨と化していた。



 朝日が昇り、高村が退勤しても俺は幽霊課のパイプ椅子に座ったままぼんやりしていた。


 左手は戦闘後、霊力の回復と共に元の人間の手にもどった。全力戦闘を行えば、いつもこうなる。慣れたものだった。


 ただ、戦闘後は心に虚無が満ちてくる。


 虚無は気がつけば、いつも心の中にあった。

 昔は何かもっと希望のようなものを持っていたような気がする。その希望が絶望に変わって、いつの頃からか空白となって気がつけば虚無としか言いようのないものに置き変わっていたのだった。


 もしかすると、左手に同化した悪霊の手による侵食なのかもしれない。


 今となっては、ただ季節が巡るように時を静かに待つことだけが、俺に許されたことだった。

 人に、いつか一度は必ず来るというときを――



第一部 完


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聖剣使いの夜 ホルマリン漬け子 @formalindukeko

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