03:仁子

 イワオと二人、秘蔵の珈琲を飲みながらコウヘイ叔父さんの思い出に浸っていた時だった。

 喫茶店のドアの向こうで、こっちの様子を伺っている男の人がいることに気がついた。

「あれ? 誰だろ」

「お客さん……かな?」

 慌ててドアを開けて、お客さんと思われる人を出迎える。

「すみません、今日はお店はお休みなんです」

「あ、違うんです……いや違わないか……えと、その」

「……?」

 少し挙動の不審な人だなと思ったけれど、喫茶店この店で培った営業スマイルで、その印象を飲み込む。

「何か御用ですか?」

 様子を見ていたイワオが、あたしの後ろに立ってお客さんに話しかけた。

 イワオは背が高くて体格も良い。だからこういう時に近くにいてくれると、正直ちょっと、心強い。

 改めて、お客さんに目をやる。

 サラリーマン風の、男の人だ。年はたぶん25~6歳くらい……かな? 叔父さんよりも若いと思う。心底困ったような顔で、言葉を言おうとしては飲み込んでる。


(見覚えある?)

(あたしはない。イワオは?)

(オレもない)


 そっと目線だけで会話を交わし、取りあえずお客さんの次の言葉を待つことにする。

 ポリポリと頭を書きながら、手の中のメモを見直しているらしいその人は、ようやく勇気が出たのか、

「あの、ここって喫茶シュガーであってます……よね?」

 と、弱々しく尋ねてきた。

「あの、僕は木島と申します」

「はぁ」

「えっと、その、この喫茶店の主人って、佐藤航平さんです……よね?」

「えぇ、そうですが……」

「……やっと、やっと見つけられた……」

 ため息とともに、木島さんと名乗った人は、呟いた。


  ------


 入り口で膠着状態っていう状況もなんだったので、取りあえずお店に入ってもらった。店の一番奥の、外から目立たない席に三人で座り、お茶を飲みながら話を聞く。


 木島さんは、見ての通りのサラリーマンだった。長い引きこもりの期間を経て、今年ようやく、社会人として自立できたのだという。

 で、自立のきっかけを作ったのが、どうやらコウヘイ叔父さんらしくて、木島さんは叔父さんに一言お礼を言いたくて、わざわざうちの店を探して探して、ここまで来てくれたそうだった。


「佐藤さんに会った頃、僕はまだ、人が怖くて仕方がなかったんです。でも佐藤さんは、そんなこと全然気にしない感じで接してくれて……なんで赤の他人の僕のこと、気にかけてくれるのか全然分かんなくて。正直最初は、うっとおしくて仕方がなかったんです。もう、僕のことなんてほおっておいてくれって。でも、なんかあのひと、気が付くと僕の隣に座って、ただずっと、傍に居てくれて」


 木島さんは、最初はポツリポツリと、でも段々とその頃の気持ちを思い出したのか、堰を切ったように話し始めた。


「最初は僕、無視してたんです。僕なんか、ゴミみたいな人間だ。きっとこの人も親切そうな顔をしているけれど、僕を笑ってるに違いないって。——今なら分かるんです。それは僕の思い込みで、僕自身が、僕のことを価値のない、ゴミみたいな人間なんだって決めつけて、思い込んで、そうやって人と関わることから逃げてたんだって」

 そこまで一気にしゃべると、ふと我に返ったのか、木島さんは恥ずかしそうな顔でうつむいてしまった。

「……あの、すみません。初対面の人に、なんかこんな変な話しちゃって」

「あ、いえ大丈夫です、全然大丈夫です」

 イワオがよく分からないフォローを入れる。

 すっかり冷めてしまったお茶を飲むと、木島さんはまた話しだした。

「佐藤さんが、僕の態度に懲りずに話しかけてくれたから、なんとなく僕も、佐藤さんと話せるようになって。話しているうちに、なんか自分が悩んでたこととか、思ってたこととか、ぼんやりとだけど分かってきたんです。……あの人って、不思議な人ですよね。ただ話を聞いてくれているだけなのに、聞いてもらっているうちに、なんかこう……心が落ち着いてくるんですよね。ホント、不思議だった」

 そう言って、木島さんはふと微笑んだ。優しい、ほっこりした微笑み。

 その笑顔を見たら、あたしはなんだかすごく、胸の中がぐわぁ……ってなった。一度収まった寂しさが、さっきと同じかそれ以上の大きさで、押し寄せてきて。


 あーダメだ。また涙出てきそう。


「お茶冷めちゃいましたね。珈琲入れてきます」

 がたんと音を立てて席を立つ。そのあたしの様子に、木島さんが驚いてこっちを見た。

 イワオも心配そうな顔であたしを見るので、手をひらひらさせて(あとは任せた)と合図を送る。

 カウンターの奥に引っ込み、適当に珈琲を選んで豆を挽く。ゆっくり、落ち着いて、豆を挽く。深呼吸して、ゆっくりと。

 珈琲の香りが、気持ちを落ち着けてくれる。お湯を沸かしている間に、カップとソーサーを選ぶ。あたし用のカップ。イワオ用のカップ。木島さんには……そうだな、せっかくだから、特別なお客様用の、年代物のカップ。

 これ、おじいちゃんがこの喫茶店を開いた時に買った、ちょっと特別なカップなんだって、叔父さんが誇らしげに言ってたやつ。真っ白い陶磁器で、桜の花の模様がうっすらと浮かんでるの。

 カップの準備をしている間に、程よくお湯も沸いたので、珈琲を入れる。心を込めて、飲む人がほっとしてくれるようにって。叔父さんが口癖みたいに言ってたっけ。


 やだなぁ。やっぱり涙出てきた。手元が滲んでくる。

 叔父さんのバカバカバカ。


 大きく息を吸って、ゆっくり吐く。

 うん。大丈夫。涙を拭いて、入れた珈琲を持っていく。


「お待たせしました。熱いので気を付けて下さいね」

「あ、すみません……えっと、お幾らですか?」

 慌てててお財布からお金をだす木島さん。

 ——あ、そうだよね、これ一応、商品だもんね……。

 でも、今日はお休みだし(っていうか、もしかしたらたたんじゃうかも知れないし……)、うん、あとで伝票切ればいいや。

「サービスです。あたしが勝手に入れちゃいましたし。それに……」

 大きく息を吸って、本当は言いたくない言葉を、言う。


「このお店の主人の、佐藤航平ですが、先日——亡くなったんです」

 

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