02:仁子

 コウヘイ叔父さんのお葬式が終わって、一週間。

 いきなり死んじゃったもんだから、うちの中は、まだバタバタしていた。

 地味に色んな手続きがあるみたいで、お父さんもお母さんも、悲しむ暇もないみたいだった。


 あたしといえば、叔父さんが死んだって事が、理屈では分かるんだけど、何だか実感が湧かなくて。

 もしかしたらまだ、ふらふらと放浪してるんじゃないかって。

 そんな風に感じてしまうのは、やっぱり叔父さんの顔を見なかったからなのかなーって。

 家に帰れば、叔父さんの遺影と位牌、それから骨壺がちょこんとあるのだけど。

 納骨の時に、骨を拾ったりもしたんだけど。

 やっぱり実感が湧かないままだ。

 

  ------


 シャッターの鍵を開けて、ガラガラと上げる。

 一週間振りの、叔父さんのお店。空気が少し湿っぽく感じたので、お店の窓という窓を開けて、空気の入れ替えをする。ついでに冷蔵庫を開けて、賞味期限のヤバそうな食材をピックアップして、ダメなヤツは廃棄、平気なヤツは、家で使うことにする。

 牛乳はダメ。卵は、ギリギリ大丈夫。パンもダメ。野菜室のキャベツは……うん、大丈夫そうだ。

 期限切れの牛乳を、「カミサマ、御免なさい」って呟きながらシンクに流す。カビが生えたパンは、きっちり封印し、持参したゴミ袋へ。

 紅茶や珈琲豆も、状態をチェックする。叔父さん程の知識はないから、フタを開けて、変じゃないかをさらっと見るだけだけれど。


 ある程度の片付けが終わって、ふと、お店の中を見回した。

 主人あるじの居ないお店は、シーンとしていて、何だか寂しい。


 ……喫茶店、どうするのかな。

 やっぱり閉店しちゃうたたんじゃうのかな……。


 胸が、ギューッと掴まれたみたいに、苦しくなる。

 叔父さんとの想い出が詰まった、お店。

 珈琲や紅茶の淹れ方を教えてもらったり、試験前には夜遅くまで入り浸って勉強したり、ウェイトレスの真似事をしてみたり……。


 美味しいパンケーキの作り方も、秘伝のミートパスタのレシピも、まだ教えてもらってない。本当に美味しかったのに。



 ——もう、食べられないんだ。



 不意に、涙が出た。

 関を切ったように、ぼろぼろぉ……って。

 あぁ、もう叔父さんはいない。どんなに待っても、二度と帰ってこない。

 その事実が、急に実感として湧いてきて。


 子供みたいに、ワンワン泣いた。大きな声で、泣いた。

 何で何で。

 コウヘイ叔父さん、何で死んじゃったの。

 バカバカバカ!


 しゃがみこんで、膝を抱えて泣きじゃくっていたら、ほんのチョットだけ、気持ちが整理されていく気がした。叔父さんが死んだって事を、やっと受け入れる準備が出来たような。

 泣くだけ泣いたら、幾分かスッキリした。手の甲が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃと気持ち悪い。ティッシュかタオルで拭こうと、顔を上げてお店の中を見回したら、入口の所で気まずそうにこっちを見ているイワオと、目が合った。


「……あー、うん、見てない、見てない」

 ばっちり見てたんじゃん!




 イワオは、あたしの幼馴染だ。付き合いを辿ると、あたし達のお爺ちゃんまで遡る。お爺ちゃん同士が幼馴染(戦争の時、同じ船に乗ってたらしい)で、戦争が終わってからも、同じ釜の飯を食った仲ということで、家族ぐるみの付き合いを続けていた。だから、お互いがオムツを付けていた頃からの付き合いになる。

 なので、イワオもコウヘイ叔父さんと面識があった。

 子供の頃は、一緒に喫茶店に入り浸ってはおやつを食べさせて貰ったり、一緒に遊んでもらったりしてた。宿題を教えてもらう事もあったし、あたしそっちのけで、二人で話に盛り上がる事もあった。

 叔父さんにとってイワオは、年の離れた弟みたいな存在だっんだろうなって思うし、それはイワオにとっても同じことで、二人はとても仲が良かった。

 だからイワオも、叔父さんのお店がどうなってしまうのかが気になって、様子を見に来たんだそうだ。そしたらお店が開いていたので、中を覗いたら、あたしが居て、まぁ、その、アレだったもんで。取りあえず様子を見守っていたとのこと。

 

 空気を入れ替えたら、お店の空気もスッキリした——ような気がする。

 改めて、お店の中を見渡す。叔父さんが居た時と、何も変わらない。

 ただ、叔父さんが居ない。たったそれだけの事なのに。


「……何か、淋しいな」

 ぽつりと、イワオが呟く。


 そうなのだ。お店の中が、とても淋しいのだ。

生前も時々お店を空ける事があったけれど、その時とは全然違う店内の空気に、叔父さんの死を、改めて突き付けられた気がした。


「全然、変わらないのにね」

「ホントだよな」

「馬鹿だよね、叔父さん」

「まったくだ」

「あたし、まだあのミートパスタのレシピ、教えてもらってないんだよ?」

「俺だって、コウヘイさんから本借りっぱなしなんだぜ?」

「誰に返せばいいのよねぇ」

「ホントだよ。もう、このまま貰っちゃおうかな」

「貰っちゃえ貰っちゃえ。叔父さんの形見分けだよ」

「……ははは」


 笑ってるけど、イワオは泣いてた。あたしも、やっぱりまた泣いた。

 ふたりして、叔父さんの想い出話をしては、笑って、泣いて。

 あんまりにも泣いたもんだから、喉が渇いて来たので、叔父さんが個人用にと隠していた珈琲豆を挽いて、二人で美味しく頂いた。

 お湯を沸かして、豆を挽いて。記憶の中の叔父さんの手元を、思い出して。

そうやって淹れた珈琲は、ほんの少しだけど、叔父さんの淹れた珈琲に近かった……と、思う。


  ------


「……お店、どうなるって?」

「まだ分かんない。お父さんもお母さんも、まだバタバタしてるし……何か聞きづらくて」

「そうだよなぁ」

「それに、ヒトミの事もあるし……」

「あ……」


 そう。ヒトミの事も、あるのだ。

 叔父さんと最期の対面をしたあの日以来、ヒトミはずっと寝込んでいる。それだけ ショックが大きかったんだろうなと、思う。

 2~3日前から、少しずつだけれども布団から出られるようになって、ちょっとずつ、ご飯も食べられるようになってきた。

 とは言っても、まだまだ顔色は悪いし、一日中、ぼうっとして過ごしている。

 あたしも、何か話しかけようとは思うんだけれど、いつもと全然違うヒトミの様子に、どうやって接すればいいのか分からなくて……。

 元気になって欲しい。でも、どうしたらいいのか、何をしたらいいのかが、全然分からなくて。


 たった一人の、肉親を亡くす。

 それがどんな事なのかを考えると、言葉を失くしてしまう。

 それが態度にも出てしまって、気が付くとヒトミを避けてしまっている。

 そんな自分に——正直、失望してしまう。


「あたし、ダメだよね」

 ぐちゃぐちゃと考えてたら、ため息がでた。

「叔父さんの事、大好きだったのに。なのにさ、叔父さんの顔、ちゃんと見られなかった。あんなに好きだったのに、怖くて、見られなかった。お別れをちゃんとしようって思ってたのに、怖くなった。ダメだった。近寄れなかった。でも、ヒトミはちゃんと、顔をみて、お別れをしてさ。あたしより全然年下なのにだよ? 本当に、凄いって思った」

 

 イワオは、何も言わない。慰める言葉も、いさめる言葉も、言わない。

 ただ、静かに聞いてくれている。

 その事が、今は素直に有難かった。

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