第八話:任意同行

「俺が保証人になるのは、避けた方がいい」

『どうして?』

「警察がマンションの前で監視しているんだ。あまり大声で話すのもやめておこう」

 受話器の向こうで息を飲む音が聞こえて、優一はやはり征子は警察の監視に気づいていなかったらしい事を知った。


「契約書を交わすときに直接会う必要はなくても、契約後に書類を確認される可能性はある」

 自分が自己保身のための言葉を吐いていることを自覚し、自らに対して内心罵倒の言葉を浴びせながら、優一は説明を続けた。

「保証人は不要にできる事もある。保証会社の審査さえ通れば大丈夫だから、店に行って相談するといいよ」


 そうなんだ、と納得した征子に優一は言葉を続けた。

「とにかく職場が決まれば、基本的にはその家賃の物件なら通ると思う。そこの会社が使っている保証会社なら、同じ保証会社を使ってひどい滞納でもしてない限りは大丈夫だ」

 信販系などの保証会社だと、以前や現在の借入や事故次第で通らないこともある、と丁寧に言葉を重ねたのは、優一自身が自分だけ安全な場所にいる罪悪感からかもしれない。


『そういえば、仕事決まるかも』

「良かった。どんな仕事?」

 優一が聞くと、受話器の向こうでごそごそと探るような音がしてから返事が来た。

『お弁当を作る工場だって。明日面接に行くけど、多分雇うって言われたよ』

 征子が水商売を選ばなかった事に、優一は身勝手ながら安堵を覚えた。またスナックやラウンジに行けば、矢野のような男に捕まる可能性もある。


 そこまで考えて、優一はふと冷静になった。

 彼が心配するようなことでは無いのだ。征子にはすでに正春という恋人がいて、もう優一の恋人ではない。

 優一はこの時、征子の立ち退きが終了した時点で彼女と距離を置こうと決めた。それまでは、元恋人としてではなく、店子としてできるだけ優しくする。


 警察については考えないことにした。

 悪いことをするわけではない。ただ、征子との間に以前の関係があったことを言わないだけだ。

「俺の名前は、出さなくていい。その会社にいる神田って奴は、軽い感じがするけど悪い奴じゃない」


 話しながら、優一はタブレットを手元に引き寄せて起動すると、神田が勤める業者のホームページを確認する。

 すぐにその部屋は見つかった。トップページで大々的に募集がかかっているのだ。

「ホームページを見たと言っていけば大丈夫だよ。それで怪しまれることも無いし、仕事が決まった後なら、職場に在籍確認の連絡があることを伝えておけばいい」


『待って。メモするね』

 いくつかの確認に対して丁寧に答えた優一は、一通りの話が終わった後で、言っておくべき事があるのを思い出した。

「保証人が要らなくても、緊急連作先だけは必要になる。基本的には血縁の誰かになるんだけど……」


 征子は黙ってしまった。

 彼女は実家を頼ることはできない。頼るべき実家がないのだ。もし両親が健在であれば、彼女も今のような状況であえぐことはなかっただろう。

「すまない。忘れていた。知っていたのにな……」

『ううん。気にしないで。でも、どうしたらいいかな……』


 迷いに迷って、優一は結論を出す。

「この前、訪ねてきていた正春……と呼んでいた彼はどうかな」

 征子の答えを聞きたいと思いながらも、優一は彼女の言葉を遮るように話を続けた。

「とにかく連絡がつけば大丈夫なんだ。保証人じゃないから、何かあっても責任は取らなくていい。本人のサインや印鑑もいらない」


『……わかった。頼んでみる』

 話はそれで終わった。

 明日面接の後にでも内見に行って、気に入ればすぐ申し込みを書いてくるつもりだと告げて、一言礼を言ってから征子は電話を切った。

「……これで良かったんだ」


 いつから自分はこれほど薄情になったのか。

 優一は、自分は大人になったと言いながらひたすら臆病になったような気がしていた。助けを求めているとわかっていながら、彼女をまだどこかで好いていながら、それでも警察が怖くて手を差し伸べることができない自分が情けなかった。

 もしあの頃なら、どうしていただろうか?


「たぶん、何も考えずに征子のために動いていただろうな」

 気づくと、優一はジャケットを着ていた。

 車のカギをつかもうとして、ふと止まる。会いに行ってどうするというのか。彼女が求めているのは恋人ではない。行って抱きしめたところで、彼女にとっては迷惑でしかない。

「気持ち悪い奴だ」


 自分に向けての侮蔑の言葉を吐き、ベッドに向けてジャケットを投げ捨てた。

 その横に腰かけて、両手で顔を覆う。

「さっさと終わらせよう。都合よく征子にも仕事が見つかったようだし、あと数日だ」

 自分にも新しい恋人でもいたなら、忘れられるのだろうか。

 そんな悩みを抱えたまま、優一は深夜まで自分を責め続けた。


 翌日、三上とは別の刑事が優一を訪ねて会社にやってきた。

 時刻は夕方。間もなく就業という時間だ。

「野辺山優一さんですね?」

 警察手帳を見せたが、相手は名前は名乗らなかった。

「結城征子の件で、ちょっと署で話を聞かせてもらえませんか。……彼女が、貴方と話がしたいと言っているんですよ」


 どうやらその日、面接の帰りに不動産屋を訪ねたのを知った警察は、逃亡の可能性があるとみて任意同行を求めたらしい。

 そして、混乱した征子は優一の名前を出したということだ。

「どうしてご指名かはわからないんですがね。ご迷惑とは思いますが……」

「わかりました。行きます」


 店長に断りを入れると、できるだけ協力するようにと言われて優一はすぐに支度をした。

「行きましょう」

「では、こちらへ」

 覆面パトカーに同乗し、警察署に向かう間優一は一言もしゃべらなかった。

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