終:母の遺したもの

「何だ?オークにハーピーだと?何故やつらが人間の手助けをする!」

驚きを見せるグラルドに、フリックが斬り掛かっていった。振り下ろされた斬撃をグラルドは余裕の表情でかわす。が、弾かれるように放たれた二撃目はグラルドの予想よりも遥かに速かった。振り上げた剣先がグラルドの胸をかすめる。続けて放たれた四連撃に防御したグラルドの腕が削られた。細かい傷を付けられ、グラルドが舌打ちする。少しは本気で、と身構えたグラルドだが、不意に背後から強烈な殺気を感じ、ぞくりと背筋を凍らせた。

――アクラか!

グラルドは慌てて大きく横に飛び退き、距離をとって顔を上げる。しかしアクラは家の壁に背中を預け、胸を抑えなんとか立っているだけだった。ただその目は力強くグラルドをにらみつけていた。グラルドが再び舌打ちをする。

「アクラ、大丈夫か」

アクラをかばうように立ち、フリックが声を掛ける。

「ああ……すまない、助かった」

アクラは体を起こし、フリックの横に立った。地面にプッと血のつばを吐き、呼吸を整える。爛々らんらんと輝いた瞳が、まだまだこれからだと訴えている。そんなアクラの頼もしさに、フリックは思わず笑みをこぼした。

「よし、二人で奴を倒すぞ!アクラ!」

「ああ!」


グラルドの目を盗み、ミーナは草原を迂回してベリアを探していた。そして森の中で血だらけで体を横たえるベリアを見つけた。ああ、ベリア!心のなかで叫び、彼女のもとへ駆け寄る。

「ベリア、ベリア、しっかりして」

体を抱き起こし声を掛ける。体中に傷を負ったベリアは全身から血の泡を立てていた。魔人の回復が追いつかないほどの傷の多さと深さに、ミーナはぎゅっと唇を噛んで彼女を抱きしめた。

「アクラ……お姉様……」

ベリアがつぶやいた。

「ベリア、しっかり!」

ミーナは顔を上げ、ベリアの手を握った。

「アクラは今グラルドと戦っているわ。大丈夫、きっとグラルドをやっつけて、ベリアを自由にしてくれるわ」

ミーナの言葉にベリアはうなずくように微笑むと、ミーナの手を握り返した。

「ベリア、アヴェイロのペンダントは持っている?」

「服の中……隠してある……」

ミーナがベリアの服に手を入れると、血に濡れた黒いクリスタルのついたペンダントが出てきた。

「借りるわね。ベリア、ゆっくり休んでて」

ミーナは静かにベリアの体を横たえると、ペンダントを握り走っていった。


フリックとアクラはグラルドを挟むようにして戦っていた。

手負いのアクラと人間一人、まだまだ物の数ではないとたかくくっていたグラルドだが、二人の連携の取れた攻撃に徐々に追い詰められていった。魔人のアクラはともかく、人間がこんなに鋭く剣を振れるものかと、グラルドは苛立いらだたしさと共に余裕をなくしていた。

まとわりつく虫を振り払うような爪の一撃を、フリックは剣で捌くとグラルドのすねを斬った。すかさずアクラが跳び上がり、グラルドの首を狙って爪を振るが、これは紙一重で躱された。アクラはグラルドの肩を蹴って後方に飛び退き、着地するやすぐにまた突進し距離を詰める。

そのとき、「ドクン」とアクラの体が、内臓が、血液が、大きく波打った。

アクラの想定よりも早く、限界の時はやって来た。突然ぐらりと体勢を崩したアクラにグラルドの爪が襲いかかる。アクラの危機を察知し、フリックは強引に二人の間に割って入った。振り下ろされたグラルドの爪がフリックの肩を切り裂いた。血しぶきが上がり、フリックの顔が苦痛に歪む。グラルドは嬉々とした顔でとどめの突きをフリック目掛けて放った。アクラが目の前のフリックを横に押しのける。

ぐさり。

グラルドの爪が深々とアクラの胸に突き刺さった。


グラルドが爪を抜くと、アクラの胸から鮮血が吹き上がった。がくりと両膝をつく。倒れかかったアクラの体をフリックが受け止めた。

「アクラッ!アクラァーーッ!!」

フリックの腕の中で、アクラは魔人から銀髪の人の姿になった。

「だめだ!アクラ!魔人化を解くな!傷を治せ!」

フリックが悲痛の叫び声を上げる。

「フリッ……ク……」

アクラは焦点の合わない目でフリックを見上げた。ぼやけたフリックの顔に震える手を添える。フリックはその手を握り締めた。

「ベリアを……助け……」

ごぼりとアクラの口から血があふれた。


「なぜ魔人の姿をやめる!そのまま死ぬつもりか!」

グラルドが激昂して叫んだ。

「まさか……長く魔人でいられないのか!?クソッ!何てことだ!殺してしまったではないか!何たる欠陥魔人だ!」

吐き捨てるように言うグラルドを、フリックは殺意のこもった形相でにらんだ。

「きさま……だけは……!」

足元の剣に手をかける。

「まったくとんだ無駄骨になったものだ。もう全員殺して終わりにしてやる」

グラルドはフリックを見下ろし、アクラの血で濡れた爪を向けた。


「フリック様!」

フリックが声のした方を振り向く。ミーナが彼に向かってアヴェイロのペンダントを投げた。

フリックはそれを受け取ると、アクラの胸のペンダントと重ねてアクラに握らせた。

「アクラ、二つのペンダントが一つになったよ」

そう言ってアクラの手の上に自分の手を重ねる。アヴェイロが語った、ペンダントに込められたオリビアの思い。それは。


――アクラ、お前の赤い結晶石クリスタルと、ベリアに渡した私の黒い結晶石には、それぞれ母様オリビアによって『力の封印』がなされているのだ。赤には母様自身の『解放の力』が、黒には私の『魔人の力』が込められている。母様の血を引くアクラなら、解放の力を発動させることができるはずだ。二つの結晶石を合わせ、祈りを込めろ。さすれば赤い結晶石が黒い結晶石の力を解放させ、何者をも打ち倒す魔人の破壊の力がき出るだろう――


アクラの手の中でクリスタルが輝き出す。まばゆい光が辺りを照らした。

「何だ……!?」

一瞬ひるんだグラルドの眼前に、フリックが黒いペンダントを放り投げた。アクラに覆いかぶさって地に伏せる。落雷のような轟音が鳴り響き、閃光が辺りを包んだ。


音と光が収まり、フリックは顔を上げた。砕けた黒いクリスタルの結晶がキラキラと辺りを舞っている。

その中でグラルドが全身を白く染め、驚愕の表情のまま石像のように立ちつくしていた。グラルドの体が灰のようにボロボロと崩れだす。ぼろりと首が崩れ、頭が地面に落ち、土細工のように割れた。やがて全身が大きく崩れ、そこには灰の山だけが残った。

アクラは――。

「アクラ、終わったよ……」

フリックの腕の中、アクラは動かずに目を閉じたままだった。


トロルたちはグラルドが倒れるとほぼ時を同じくして、魔人の血に耐え切れなくなり、血を吹いて次々に絶命した。戦いを生き残ったガストンが、ブルーゾが、ルルワが体を起こす。ただアクラだけが動かずに、体を横たえたままだった。





アクラは夢を見ていた。幼いころの、母との思い出だ。

「母さま、なぜ母さまと父さまは、全然違うの?」

「それは種族が違うからよ。私が人間で、父様が魔人。でも種族が違くても愛し合っていれば、結婚することはおかしいことじゃないのよ」

「ふ~ん。じゃあアクラは?」

「アクラは半分人間で、半分魔人ね」

「どっちでもないの?」

「ううん、違うわ。どっちでものよ。アクラは人間で、魔人なの」

「そうなんだ!どっちでもいいんだ!」

「そう、なんでもいいの。アクラは、アクラなんだもの」


まぶたを開けると、高い天井が目に入った。

ここは……私の家?

「フリック!フリック!お姉様が目を開けた!私、ミーナたちを呼んでくる!」

ベリアがそう言って家の外へと走っていった。

「おはよう、アクラ。もう何日も寝ていたんだぞ」

ベッドの横に膝をつき、フリックが優しくアクラに微笑みかけた。その瞳は涙で潤んでいた。

「私……グラルドに……」

体を起こし、胸を見る。胸の傷は跡もなくきれいに塞がっていた。

「私……何で生きて……?」

アクラの問いに、フリックは「さあ」という顔を返した。

「きっと、アヴェイロとオリビア様が守ってくれたんだよ」

アヴェイロのクリスタルの力を解放した時、そこから噴き出した魔人の力は、破壊の力だけではなかった。アクラに手を重ねたフリックは、アクラを助けたいと強く念じていた。その思いがアクラを通してクリスタルに流れ込み、破壊の力とは別に、魔人の治癒の力を発揮させたのだ。それはアヴェイロも想定していなかったことだった。簡単にいえば、そう、奇跡が起こったのだ。


「アクラ……!生きていてくれて、本当に良かった……!」

フリックが絞り出すような声で言い、アクラを強く抱きしめた。アクラは嬉しそうにはにかみ、フリックの背に手を回した。

「アクラ……」

フリックがアクラの口に口を寄せる。

「フリック……」

アクラは受け入れかけて、咄嗟にフリックの顔を手で抑えた。

「ちょ、ちょっと待て、フリック」

「……どうした?嫌か?」

「い、嫌ではないが……おぬしこそどうした……急にそんな……」

「夫にしてくれるんじゃなかったか?」

「あ、ああ、そのつもりだが……その……今はまだ混乱していて……目覚めたばかりで……」

もじもじと照れくさそうに目を逸らすアクラの顔を、フリックはぐいと掴んで自分に向けた。

「俺がどんな思いでこの数日を過ごしたと思っているんだ?もう抑えられない。いいから黙って、俺に抱かれろ」

「だっ、抱かれっ!?ま、待ってくれフリック!……こっ、こら!待てと言うに!」


「お姉様とフリックは、いったい何をしておるのだ?」

窓から中を覗いたベリアが横のミーナに訊いた。

「……さあ、なんでしょうね」

ミーナはやれやれといった顔で答えた。

「フリック様ーっ!ベリアの教育に悪いので、やめて下さーいっ」



その後フリックは、国を捨て、アクラと共に生きる道を選んだ。

アクラがアクラとして生きる世界を目指して、各地を旅して周った。

その各地で様々な伝説を残し、いつしか人は彼を「勇者フリック」と呼んだ。





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二十年後の勇者伝説 柳ユキノリ @momochop

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