30:二人の魔人

アクラがグラルドの気配を察知し、皆の顔に緊張が走った。森の中から草原を注視する。

草原の向こう、四人がひそむ森の反対側からグラルドはやって来た。彼は悠々と草原にその身を晒した。待ち伏せや、罠を張るつもりなど毛頭ない。人間にしてみれば正々堂々といった感じだが、魔人にとってはこれが普通なのだ。しかしグラルドも無策でここに現れたわけではなかった。


「ベリアの姿が見えない……。アクラ、ベリアの気配は感じるか?」

「微かだが、感じる。ベリアも近くに来ている」

フリックの問いにアクラが答えた。

草原の中心で、グラルドは辺りを見回すと、大きな声で叫んだ。

「アクラ!こそこそ隠れているのだろう?姿を見せろ!出て来ないと……ベリアの傷がぞ」

そう言ってにやりと笑う。

「……おのれ!」

アクラがぎりりと歯を噛んだ。そんなアクラに冷静に、と言うようにフリックが肩に手を置く。

「……行こう。ただ、ミーナ」

フリックがミーナを見る。

「ミーナはベリアを探してくれ。奴が来たうしろの森の中だ」

ミーナがうなずく。

続いてガストンと目を合わせ、互いに無言で頷き合うと、フリックは木の陰から出て行った。アクラとガストンが後に続く。


姿を表したアクラを見て、グラルドの口が大きく歪んだ。これから手に入れる女を前にした、下卑た笑いだった。

「グラルド!ベリアはどこだ!」

アクラが叫ぶが、グラルドはそれに答えず、無言で片手を上げた。

それを合図に、グラルドのうしろからズシンズシンと大きな足音が響いてきた。トロルが五体、グラルドの横に並んだ。みな一様に肌を赤黒く染め、狂った野犬のように興奮している。

「あの症状は……昨日のトロルと一緒だ!」

フリックが声を上げた。

「こいつらには魔人の血を与えた。魔人の血を与えられた者は肉体を強靭にし、優秀な戦士となる」

グラルドが言った。

「頭を狂わせて何が優秀な戦士だ!昨日ハーピーを襲ったトロルもお前の仕業だな!」

フリックが怒りに叫んだ。

「ああ、この三日何匹かのトロルで実験してな。血を与え過ぎて死んだ者や暴走した者も多い。そのうちの一匹と会ったか?」

「実験だと……!命をもてあそぶのが魔人のやり方か!」

「人間とて獣を殺し、利用するだろう?それと同じよ。われにとっては獣も亜人も同じ、魔人以外はみな等しく下等種、ただそれだけのこと」

グラルドはそう言うとフリックを指さし、トロルたちに向かって叫んだ。

「やれ!」

トロルが一斉にフリックらに襲いかかって来た。

「くそっ、アクラ!まだ魔人化はするなよ!」

フリックが叫び、三人は剣を抜きトロルを迎え撃った。


棍棒を振り回し、トロルが襲い来る。あっという間に乱戦になった。魔人の血を受けたトロルは力を増大させ、恐怖も痛みも感じない、殺戮のみを求める狂戦士と化していた。通常のトロルには遅れを取ることはないフリックも、この狂ったトロルたちには苦戦を強いられた。

その乱戦の中を、グラルドがアクラに狙いを定めて飛び掛かる。グラルドの飛び蹴りを受け、アクラは大きく吹き飛ばされ、地面を転がった。

「アクラ!」

フリックが叫ぶ。アクラは二人から離れ、孤立してしまった。グラルドと一対一で対峙する。フリックとガストンは暴れ狂う五体のトロルに行く手を阻まれ、援護に向かうことが出来ない。

グラルドがアクラに襲いかかった。アクラは人の姿のままそれを迎え撃つ。アクラは剣でグラルドの爪をなんとかさばく。正面から力を受けないよう、体をひねり、回転させ、グラルドの爪をいなすように素早い動きで弾き続ける。だがグラルドの動きはそれ以上に素早い。グラルドがアクラとすれ違うように脇をすり抜けて行ったかと思うと、アクラの太腿ももから鮮血が吹き出した。

アクラはがくりと膝をついた。激痛に顔を歪める。傷は深くえぐれ、立ち上がることが出来なかった。

アクラは覚悟を決める。カッと目を見開くと、魔人の姿に変貌した。

赤い髪が背中に大きく広がり、肌の色が赤く染まる。指の先からビキビキと鋭い爪が伸び、頭からは二本の角が天を向いた。琥珀色こはくいろの瞳が炎のように一層鮮やかさを増していく。

「ガアアアアアッ!!」

アクラが大きく吠えた。脚の傷からは血の泡が立ち、見る見る塞がっていった。

「ククク……素晴らしい……」

グラルドはそうつぶやくと、アクラに応えるように咆哮を上げた。


向かい合う二人の魔人の圧倒的存在感に、辺りの空気までも温度を上げ、草木までも緊張に震えるようだった。

グラルドが地を蹴り、低い姿勢でアクラに突進した。グラルドの眼前に迫ったアクラが一瞬で姿を消す。上だ。アクラはグラルドを飛び越えるように跳躍し、くるりと一回転して着地した。グラルドの頬が裂け、血が吹き出した。アクラの爪の先が赤く濡れている。グラルドは頬から流れる血をぺろりと舐めると、にやりと口の端を歪めた。

グラルドの身長はアクラの倍以上。大人と子供の様な体格差がある。一対一では分が悪いとフリックにも言われていたが、もうやるしかない。全力の魔人化が何時いつまで持つか分からないし、あまり時間も掛けられない。そうアクラは考えた。グラルドもまた、フリックらがトロルを突破する前にけりをつけようと考えていた。

二人の魔人が、互いに向かって駆け出す。爪と爪がぶつかり合い、金属音が響いた。魔人同士の戦いは速度を増してゆき、激突しもつれ合う二つの体はまるで小さな竜巻のようだった。

体格に劣るアクラは互角にやり合う為にグラルドの周りを大きく動き回らなければならなかった。そうして疲れの見え始めたアクラを、グラルドが徐々に押し始める。グラルドの爪がアクラの体をかすめ、アクラの血が宙に舞っていく。ここぞとばかりにグラルドの攻撃が激しさを増した。グラルドの両の爪が上下からアクラを挟むように同時に襲いかかる。それを横にかわし、アクラは両腕を振り切ったグラルドに好機を見たが、次の瞬間グラルドの蹴りが横腹に食い込んだ。ぐらりと体勢を崩したアクラの脚を目掛けて、グラルドが爪を突き下ろす。間一髪でアクラはその突きを小さく跳んで躱すことが出来た。そしてその腕を足場にグラルドの首まで駆け上がり、首に向かって爪を振った。

「――とった!」

アクラの頭にそうよぎった刹那、グラルドの頭突きが顔面を打ち、アクラは地面に叩き落とされた。

顔を抑えよろよろと立ち上がったアクラに、グラルドが爪を振るった。その爪はアクラの肩を切り裂いた。鮮血が舞い、アクラが悲鳴を上げる。続けて振られた爪が脚をえぐる。さらには蹴りが胸に食い込み、アクラは吹き飛んで体を丸太の家に打ちつけ、どさりと地に伏した。

「アクラァァァッ!!」

トロルに囲まれ、アクラのもとへ寄れないフリックの叫び声がむなしく響いた。


「ぐぅ……」

うめきながらアクラは何とか体を起こした。口の端から血を垂らす。

肩と脚の傷はぶくぶくと泡を立てて塞がっていくが、呼吸がままならないためか治りが遅い。グラルドは今のうちに脚を切断してしまおうと爪を光らせながらアクラに近付いて行った。

フリックは強引にトロルを振りほどこうとしたが、棍棒の一撃に体を弾かれてしまう。地面に倒れたフリックを挟むように立った二体のトロルが、その頭上に棍棒を振り上げる。ガストンは別のトロルの棍棒を剣で抑えて動けずにいた。

「フリック様ーっ!」

ガストンが叫んだ。

フリックに棍棒を振り下ろさんとしたトロルの顔に、どこからか飛んできた斧が当たった。ひたいを割られたトロルが、どろりと頭から血を流してもだえる。フリックはその隙に体勢を立て直し、もう一体が振り下ろした棍棒を飛び退いてかわした。

フリックが顔を上げて斧の飛んできた方向を見ると、そこにはブルーゾが数人のオークを従えて立っていた。

「だらしねえぞ!フリック!」

ブルーゾが叫んだ。

「お前たち、何故ここに……」

戸惑うフリックに、オークたちのうしろからフィガロが顔を出した。

「俺が案内してやったのさ!」

そう言ってフリックに向けて親指を立てる。フィガロはフリックたちと別れた後にブルーゾのもとを訪れ、魔人と戦うつもりのフリックたちを何とか手伝ってやれないかと説得したのだった。

「借りっぱなしってのも、しゃくだからな!」

ブルーゾが言った。

呆然とするフリックに、一体のトロルが突進してきた。するとそのトロルに、頭上から数人のハーピーが飛びかかった。それはフリックらをもてなしたハーピーたちだった。鉤爪かぎづめに顔を引掻ひっかかれ、トロルが目を抑えてうめく。

「ごめんねアクラちゃん!遅くなったよ!」

ルルワが声を上げた。ルルワもまた、フリックたちの戦いの手助けをして欲しいと、仲間のハーピーを説得したのだった。

「フリック!トロルはワシらに任せて、アクラを助けろ!」

ブルーゾが叫び、オークたちがトロルに向けて突撃した。

「ブルーゾ……ルルワ……」

フリックは感謝に胸を詰まらせながらも、感傷に浸る間もなくグラルドに向けて駆けて行った。

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