第6話


 皇花林を抜け、山奥の古びた板葺きの屋敷に到着したのは、日没も近い時間帯だった。


 茜色の残光に、『主人公』の顔が照らされている。

 彼と正面に向きあった皙は、死にたい気持ちでいっぱいだった。


 その容姿を表現するなら、皙の身長を十五センチばかり伸ばし、年齢を二歳ほど足し、全体的にほどよく筋肉をくっつけ、顔立ちを少しばかり(そう、少しばかり)凛々しく整え、さらに灰色の小袖に黒の羽織を着せ、脇に太刀をさしてみた――つまりは皙の『憧れ』の体現なのであった。


 いざ実物と対面すると、恥ずかしくて仕方がない。逆に自分のコンプレックスを突きつけられた気分だ。


「……あー……?」


 目をひん剥いた『主人公』もまた、謎の音声を漏らしつつ、こちらを見おろしている。


「あの、兄上、これは、その……」


 ハミヤは真っ青な顔で、口をもごもごさせている。こっそり戻るつもりが、門で待ち構えられていたためだろう。設定どおりなら、ハミヤは『主人公』に頭があがらないはずだ。


 すると、『主人公』は不意に顔を改め、厳かに声を放った。


「ハミヤ」

「は、はいっ!」


 ハミヤは直立不動でぴんと立つ。

 『主人公』は真顔で言った。


「想い人を連れてくるなら、事前にそう言え。びっくりするだろうが」

「は、はい……はい!?」


 ハミヤが頬に勢いよく血をのぼらせて後ずさる。

 唖然とする皙に、『主人公』――セキヤは、ニッと満面の笑みをうかべてみせた。


「よく来たな。おまえ、なんていうんだ?」


 セキヤ、十七歳。桜ノ国の皇族のひとりにしてハミヤの兄。黒髪に黒目。得物は黒鉄の太刀『八咫鴉やたがらす』。とある特別な出自から、皇位継承権を失っている。神速の刀術の持ち主、本編の主人公――。


 皙が創りだしたキャラクターは、皙が創りだした姿のままで、手を差しだしてくる。


「俺は……皙」

「セキか! 俺はセキヤだ。似た名前同士、よろしくな!」


 勝手に右手をとられてぶんぶん振られる。


「にしても、うちのハミヤを落とすなんて、見あげた根性だな。まあ、見てのとおりの跳ねっ返りだが、よろしくしてやってくれ」

「兄上! やめてください、なにか勘違いをしていらっしゃいます!」

「照れんなって。べつに俺は、おまえの恋路をやかましく言う気はねえよ。おまえも、自分がこれと決めた男なら、胸張って紹介しろ。張るほど胸ないけどな、お前! わはは!」

「あ、兄上!!」


「ハミヤ様、戻られたのですか!」


 野太い声に振りむくと、中庭のほうから、白髪の偉丈夫が小走りに駆けてきた。武人らしく具足に身を固めており、素早い足捌きは衰えを全く感じさせない。

 あ、と思う前に、一喝が轟いた。


「ハミヤ様!! いったい、何処へ参られていたのか!!」


 びりびりと鼓膜を刺激されて、皙はたまらずのけぞった。ハミヤも飛びあがって立ちすくむ。セキヤは、耳に指を突っこんで平然としている。


「御身の立場をわきまえられよ! ハミヤ様はこの国の希望なのですぞ!」


 どうやら勝手に抜けだしたことを叱られているらしい。


「う、だ、だがな、その、わたしは神呼びの儀を」

「問答は無用、そこに居直られい!」

「……む、むう」


 地面に正座をさせられて説教されるハミヤを遠巻きに眺めながら、皙はひとり納得した。


「あれ、ゲンゼンだよな。ってことは、ここはゲンゼンの隠れ家敷か、国境近くの」

「ん? おまえ、よく知ってるな」


 セキヤが不思議そうに眉をあげる。


「それは、まあ当然だ。神なんだから」

「神?」


 皙はあらためて、山陰に建てられた古屋敷を見あげた。周囲は漆喰の塀で囲まれ、数百人規模の兵が寝泊まりできるように長屋が連なっている。中央の御殿は質素な造りだが、障子と縁側、苔むした屋根などが、なんとも良い風情を出していた。


 皙が作りだした拠点、『ゲンゼンの隠れ家敷』。設定どおりの造りに、皙はにんまりとしてしまった。


 もっと傍で見たくなり、引き寄せられるようにふらふらと歩きだす。


 不意に、なにかが視界を遮った。

 首筋に冷たいものがあたり、悪寒とともに全身が硬直する。


「!?」

「そこまでです」


 いつの間に現れたのだろう。藤色の髪の少女が、すぐ横から腕を伸ばし、皙の首筋に小刀を突きつけていた。


 背丈はハミヤよりもやや高く、髪を両耳の横からおさげにして細く垂らしている。切れ長の瞳に隙はなく、表情は研ぎ澄まされた刃のようだ。手首には、シンプルな銀の輪飾り。


 はっとする。この少女を、皙は知っていた。――いや、創っていた。


「な、なんだ、カゲバネか。脅かすなよ」


 カゲバネ。ゲンゼンと同じく、サブキャラクターとして作りだした暗殺者の少女である。


 途端にカゲバネの瞳の温度が氷点下にまで下がった。かなり、いや、本気で怖い。


「なぜ私の名を知っているのです?」

「うおーい、カゲバネ。そいつ、敵じゃないぞ。ハミヤの想い人だ」


 こちらがピンチだというのに、セキヤがのんきに勘違い発言をしてくれる。

 カゲバネはセキヤを横目で一瞥すると、皙から身体を離した。


 ほっとしたのもつかの間、今度は後ろから拘束された。


「ぐ、ぐひ!?」


 首に腕を回され、変な悲鳴が漏れる。背後に密着され、身動きがとれない。


「いかにハミヤ様が信用されたとはいえ、不審な点が多すぎます。セキヤ様、始末の許可を」


 なんだか冗談ではなく不穏当な発言が聞こえてきた。


「お、おい! 俺はそんなんじゃなくて」

「んー、俺はハミヤの決めたことにはあまり口を出したくないんだがな」

「セキヤ!? おまえも助けろ!?」


 必死で訴えていると、ハミヤとゲンゼンもこちらの状況に気づいたようだった。


「ハミヤ様! そもそもあのわっぱは何者か!? この拠点の位置は極秘だとあれほど申し上げましたのに!!」

「だから言っておろう! あやつが、わたしが神呼びの儀によって呼びだした――」


 立ちあがったハミヤは皙を鋭く指差し、全員に向かって告げた。


「この世界の、神なのだ!!」


 …………。

 水を打ったような静けさが場を支配した。


「神?」「か、神……?」「…………」


 セキヤ、ゲンゼン、カゲバネが三者三様に皙を見つめる。

 特にゲンゼンは露骨に困惑し、視線をハミヤと皙の間で往復させた。

 そして、気の毒そうな表情を浮かべてハミヤをうかがう。


「失礼を承知で申し上げるが、ハミヤ様。熱をお召しでいらっしゃるか?」

「なっ、なにを言うのだ! この国に伝わる神呼びの儀は知っているだろう!? その手順に則り儀式を行ったところ、あやつが現れたのだ。これが神でないはずがなかろう!」


 ハミヤは顔を真っ赤にして怒鳴ると、つかつかと近寄ってきて、皙の頭を指し示した。


「この顔をよく見るがいい、兄上にそっくりではないか! これはもう、神というより他はない!」


 どういう理屈だ。


「確かにかんばせは似ていますが、セキヤ様はこんな間の抜けた顔はしません」

「む、むう。それは否定せぬが」

「ぐふっ」


 カゲバネとハミヤの容赦ない指摘に、いたく傷つく。


「小僧、偽り言は為にならぬぞ。叩っ斬られたくなければ、正体を明かすがよい」


 今度はゲンゼンに凄まれ、皙はやれやれとため息をついた。またこの流れだ。

 左手の甲に現れた『子午の誓約』を見せればいいのだろうが、その前に神の力を見せてやることにする。


「俺は皙。この世界を創った神、創造神だ。ゲンゼン、おまえはカゲバネと同じサブキャラクターだ。ええと、先代の皇王の忠臣で、マサトキの御世になっても身を隠しつつ解放軍を集めてる。性格・石頭だけどむっつり。こんなところか……よく覚えてるよな、俺。設定したの一年前なのに」


 うんうんとうなずいていると、呆気にとられていたゲンゼンが、唇をぶるぶると震わせはじめる。


 爆発寸前の顔は足が震えるほど怖かったが、ハミヤとの一件を踏まえて、皙は強気にでた。


「いいか、ゲンゼン。おまえは、先代の皇王から下賜された立派な文鎮を持ってるはずだ」


 いまにも刀の柄にかかりそうだったゲンゼンの手が、ぴくりと止まった。


 皙は『この拠点で起きるイベント』の設定を思いだしながら先を続けた。


「それを、あろうことかおまえは紛失した」

「はうっ!?」

「へえー。そうなのか、ゲンゼン?」

「なっ、なななな、滅相もござらん!! 恐れ多くも、あのような大切なものを失くすなど!」

「文鎮はいま、鶏小屋の奥の藁の中だ。おまえがうたた寝してる間に、烏が盗んで隠したんだけどな」

「……し、失礼ッ!」


 逡巡したかと思うと、ゲンゼンは脱兎のように駆け去っていった。

 数分後、服に藁をくっつけて戻ってきたゲンゼンは、右手に文鎮を持ったまま怒鳴った。


「何故、言い当てることができたのだ!?」


 皙はふーっと溜息をついて、得意げに腰に手をやる。


「だから言ったろ。俺は神だって。ちなみに本来ならセキヤが犯人だって疑われて一揉めするんだ。とんだネタバレだよ、まったく」


 ハミヤは、自分の功績だと言わんばかりに「どうだ」と胸を張った。


「む、むむむむ。まだ信用したわけではござらん! カゲバネ、その者を離すでないぞ!」


 カゲバネは相変わらず、皙を後ろから拘束している。


 周りを見る余裕がでてきた皙は、背中にぴったりと密着する二つのふくらみの感触にようやく気づいた。ロマンを詰めこんで設定したカゲバネの柔らかさは、なんというか、うむ。異世界にきて本当に良かった。


「セキ。なにを赤くなっているのだ」


 ハミヤにじとりと睨まれたそのとき、耳元で声。


「……神であるがゆえに私の名を知っている。貴方はそう仰るのです?」

「ふっ!?」


 耳たぶに息が触れて、皙は動揺しながら答えた。


「そ、そりゃそうだ。おまえは秦嶺ほうれい山脈の奥地にある暗殺者集団の里の生まれで――」

「それ以上の説明は不要です」

「ひ!?」


 首に添えられた刃に、そっと力がこめられる。カゲバネは質問を続けた。


「それでは、貴方はこの世界にいる人間のことを一人残らず知っているのです?」


 唐突に弱いところを突かれたことに気づいて、皙は言いよどむ。

 至近距離から、カゲバネの冷たい眼差しが皙を貫いている。


「人だけではありません、木々や花の名前。地名。歴史の事象の数々。それらをすべて創りだした全知全能の神。それが貴方だと、そう仰っているのです?」

「……ん、それは」

「たとえば、この薬草はなんという植物の葉です?」


 カゲバネは腰につけた革袋から、干した葉を一枚取りだして皙に突きつけた。

 ところが、皙の目からしてもただの葉っぱである。まったく見覚えがない。


「い、いや。俺は話に必要な部分を創っただけで、山の一つ一つ、木々の一本一本まで創ったわけじゃないんだ」


 そんなことまでしていたら創作ノートが何冊あっても足りない。書いた内容にだって覚えていない部分があるのだ。


「まあ、俺が創ってない部分はきっといい具合に補完されてるんだよ、たぶん」

「見苦しい言い訳ですね。知能も低いように感じます。敵方の間者とみて始末すべきと判断します」

「ま、待て!?」

「そうだ、待つのだ、カゲバネ! これを見よ!」


 飛びだしてきたのはハミヤだった。皙の手を取り、甲を上にして持ちあげてみせる。

 ゲンゼンがぎょっとして叫ぶ。


「これは『子午の誓約』!? しかも、大聖者スフィラの紋章ではありませぬか!」


 目にするのも恐れ多いとばかりに、ゲンゼンは飛び退る。

 カゲバネからも、わずかに息を呑む気配が伝わってきた。

 皙は内心で唇をとがらせる。


(結局こうなったか。もっと驚かせて、俺のことを崇めさせたかったのに)


「大聖者スフィラは、この聖なる刻印とともに<神さびの呪歌>を神から授かった。この紋章をもつ者が、神でないはずがないであろう」


 ハミヤは自信満々に胸を張り、それまで声を挟まなかった人物に顔を向けた。


「兄上も、分かっていただけましたか?」

「…………」


 すると、セキヤが、ゆっくりと組んでいた腕をといた。

 皙は思わず身構える。自分そっくりの外貌をしているが、セキヤの佇まいには、主人公にふさわしい風格があった。


 彼は、神の出現になにを思うのだろうか。


「カゲバネ、セキを放せ」


 低く、その口が告げる。


 カゲバネは不服そうにしながらも、静かに離れていった。


 二人、対峙しあう。

 風に吹かれながら、セキヤはわずかに目を細めた。


「おまえが本当に神だというなら。俺もひとつ、聞きたいことがある」

「な、なんだ」


 注意深く聞き返すと、セキヤは真剣な眼差しで問うた。


「カゲバネの胸の尺はいくつだ」


 …………。

 すべてを察した皙は、セキヤと同じくらい真剣な眼差しになった。


「Fカップだ」

「えふかっぷってなんだ。神の使う単位か?」

「ああ。スリーサイズをこの世界の単位で言うと、胸囲八十八セン、ウエスト五十四セン――」

「――相分かった。おまえを神として認めるぜ」


 ふたり、親指を立てあう。


 次の瞬間、すう、とセキヤの首筋に背後からカゲバネの小刀が近づくのを、皙は見た。


「うおーいカゲバネ、俺の寿命がたった今尽きたように思うのは気のせいか?」

「ご安心くださいませ。まだ選択権がございます。刺殺と撲殺と毒殺、どれがよろしいです?」

「セキ、ちなみにハミヤの尺はいくつだ?」

「そりゃ、上から、ごふっ!?」


 答える前にハミヤの太刀が鞘ごと脳天に炸裂した。


「そんなことまでそなたが創ったというのか! この不潔な小男め! ええい、その先を兄上に言ったら神といえど殴るぞ!」

「いや、もう殴られてる……」

「わはは。減るもんでもないだろうに。それに、あっちでゲンゼンが赤くなってるぞ」

「なっ、セキヤ様!! 私めは不埒な妄想などしておりませんぞ、決して!! むむ、鼻血が!?」


 皙の口元は、自然と綻んでいた。

 自分の創ったキャラクターが次々と現れ、自分の創ったとおりの性格で話しかけてくる。


 苦痛な勉強も、口うるさい説教も、嫌なものがなにもない。

 なんと素晴らしいことだろう。


 元の世界に帰りたいなどとは少しも思わない。

 むしろ、この世界こそ自分の帰るべき場所だったのだ。


「暗くなってきたな。奥でメシでも食いながら、ゆっくり話そうぜ」


 セキヤが、楽しげに提案する。カゲバネは小刀を弄びながら、うなずいて返した。


「急ぎ用意いたします。セキヤ様も、お昼を召しあがっていないでしょう」

「そうなのですか、兄上? 珍しいですね」


 無邪気に笑うハミヤを横目に、カゲバネは冷たく告げた。


「ハミヤ様が勝手に屋敷を飛びだして、戻ってこなかったからです」


 ぴくりとハミヤの眉があがり、狼狽したように兄の顔をうかがう。

 セキヤは既に、踵を返して本殿へ歩きだしていた。

 ハミヤはなにかを言いかけ、そして悄然と俯いた。


(……なにやってんだ、こいつ)


 皙は首を傾げながら、セキヤの後を追った。


 まだまだ、彼らと話したいことは山ほどあった。

 心は躍り、足取りは軽かった。


 このとき皙は、まだ気づいていなかった。


 物語ることを忘れられた世界で、放りだされた登場人物が強いられた道。

 その、途方もない恐ろしさに。

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皇花召呼 kubiwa @neko_kubiwa

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