第5話


「かっ……!?」


 ハミヤが復唱しようとして、絶句する。

 皙と塔との間で何度も視線を往復させ、そしてようやく大声をだす。


「ま、待て! 待つのだ! そなた、<神さびの呪歌>と言ったか? それは大聖者スフィラが神より与えられた伝説の呪歌ではないか!?」

「うん、そうだけど……ちょっと待て、設定を思いだす」


 皙はぽりぽりと頬をかいて、その指を立てた。


「えーと、たしか<神さびの呪歌>は、四十四の詠唱から成る伝説の呪歌。千年前に起きた天呪戦争では、八詠士を率いた大聖者スフィラが、この呪歌によって災厄の謳い手ゼプトを斃し、戦争を終結させたんだよな」

「当然であろう! なぜ使った本人がわたしに訊くのだ!?」

「仕方ないだろ。俺だって、うろ覚えなんだよ。……ん?」


 皙は自分の左手の甲が妙に熱いことに気づいた。


 いつの間にか、皙の左手の甲に、蛇のからみつく杖と茨の冠をモチーフにした複雑な紋章が青く浮かびあがっている。


 見覚えがあるどころではない。皙が作ってノートに記した設定通りの紋章であった。


「やっぱり『子午の誓約』か。なるほどな」

「どうした? なにをぶつぶつと言っているのだ」

「ほら、俺が神である証拠だ」


 皙は現れた紋章を示してやる。

 ハミヤの瞳が、キョトンと丸くなった。


「おまえの左手にも『子午の誓約』――戦乙女レンの紋章があるだろ? 八詠士の直系には必ず紋章が刻まれているはずだ」


 ハミヤの甲を見ると、とぐろを巻く龍の紋章が浮かび上がっている。


「当然だろう。わたしは八詠士がひとり、戦乙女レンの末裔なのだからな。しかしそなたのものは……これは、大聖者スフィラの紋章ではないか。うーっ、どういうことだ! わたしにわかるように説明するのだ!」

「だからな、もともと神は大聖者スフィラに、この紋章とともに<神さびの呪歌>を与えたんだ。そして大聖者スフィラの死とともに、紋章は神に還された。だから神である俺のところに、この紋章が顕現しているんだ、たぶん、おそらく」

「さきほどから、うろ覚えだとか、たぶんとかおそらくとか、なぜそう曖昧なのだ?」

「うっ……だ、だからな、俺が神としてこの世界を創ったのは一年前なんだ。ノートに書いたことぜんぶを覚えてはいないし。いま使った<神さびの呪歌>だって、発動するかは一か八かで、本当に使えるとしても、ちょっと土が盛りあがるくらいで済ませようと思っ」

「そこだ! そこが重要なのだ!」

「ぐえっ!?」


 腕を引かれたかと思えば、ハミヤの顔面が視界いっぱいに広がった。


「そなたが使ったのは、間違いなく<神さびの呪歌>なのだな!?」

「ええ……? だから言ったろ、<神さびの呪歌>の第三十五歌で、大地を自在に隆起させることができ」

「真実なのだな!?」

「は、ハイ、ソウデス」

「…………!!」


 紅玉の瞳を何度も瞬いたハミヤは、うつむいた。


「おい、ようやく信じる気になったのか?」

「……った」

「うん?」

「やったぞ、わたしは……」

「おい?」


 かすれた声が聞こえたと思ったそのとき。


「わたしは間違っていなかったのだ!!」


 大声に鼓膜を直撃されて、皙は思わずのけぞった。

 かというハミヤは、拳を震わせて喜びを噛みしめる。


「疑ってすまなかった。そなたはやはり、神だったのだ。よかった、これでマサトキを倒すことができる……兄上のお役にたつことができる!」

「え、あ、おい?」


 皙の疑問符にも構わず、ハミヤは真剣な顔で皙を見つめた。


「わたしは、神とは全知全能で強大な力をもつ、なにか恐ろしい存在だと思っていた。しかし、実際はこのような貧相な少年であろうとは。これまでの非礼を詫びよう。許してほしい」

「貧相で悪かったな」

「とにかくだ! そなたが神であるなら、この世界のどんな脅威も敵ではないのだろう?」

「この世界の脅威……?」


 皙は首をひねる。

 たしかに皙は創作ノートにこの世界のすべてを綴った。ハミヤが言うのがいわゆる『敵キャラクター』だったとして、創ったのは皙自身だ。


 そういえば、と皙は考える。

 ハミヤの仇敵は、確か……。


「どうした。もしかして、すべてわたしの思い違いか?」

「え、いや」


 ハミヤの顔を見た皙は、声を詰まらせた。


 紅玉の瞳が、自分のことを、すがるように見つめている。

 ――いままでに、だれも向けてくれなかった期待の眼差しで。


 心臓が高鳴り、皙は思わず胸を張って言っていた。


「あ、ああ、問題ない。なんせこの世界は俺が創ったんだ。向かうところ敵なしってやつだ、わは、わはは」


 するとハミヤは、興奮した様子で頬を赤く染めた。


「そうか! 頼りにするぞ。そなたが来てくれて、本当に良かった……」


 ぎゅっと皙の腕を抱いて、安堵の笑みをこぼす。

 頭がぼうっとして、胸に熱いものが湧いてきた。


 ハミヤは皙の力を認めてくれたのだ。元の世界でだれも認めてくれなかった皙の力を、心から喜んで受け入れてくれたのだ。


「う、うん、そうか」


 明後日のほうを見ながら頬をかく皙である。それにしても、腕に押しつけられている胸の感触は、なんともこころもとない。こうなることを考えると、もうすこし設定を変えておいたほうが良かっただろうか……。


「な、なあ、ハミヤ。あのさ」

「なんだ?」


 皙は視線を泳がせる。彼の興味は、すでに別のところに移りつつあった。


 異世界にやってきた。性格は別として、可愛いヒロインに会えた。伝説の力が使えることも分かった。

 ならば、他のキャラクターにも会ってみたいではないか。

 ノートに創りだした、色とりどりの『登場人物』――彼らに会えると想像するだけで、胸が踊る。


「おまえの仲間たちのとこに連れてってほしいんだけど、いいか?」

「仲間……?」


 ハミヤは、不思議そうに首を傾げた。


「そうだよ。いるだろ? ノエリーとか、キーリャとか、あとラランとか」

「誰だ、それは?」

「は?」


 不審げに問い返されて、皙は言葉に詰まってしまう。

 いま挙げた名前は、『皇花のハミヤ』に登場するメインキャラクターばかりだ。ヒロインであるハミヤが、知らないわけがない。


「本当に会ってないのか? そういえばおまえ、そもそも――」

「むう。待て」


 突然、ハミヤが視線を巡らせて表情を険しくした。


「どうした?」

「化怪どもが寄ってきているようだ」


 皙は、はっとした。見れば、遠くの空に砂粒のような影が多数浮かんでいる。

 改めて、皙はこの国の情勢を思いだした。桜ノ国は、ハミヤたちを追いだした邪悪な宰相マサトキの支配下にあるのだ。


 目を向ければ、満開の桜が茂る広大な皇花林の中心に、黒い丘が見える。あの丘こそ、皇都霊陽――ハミヤの故郷であり、強大な力をもつマサトキの根城なのである。


「お、おいハミヤ、これはまずいんじゃないか。やつら、俺たちを襲う気だろう」

「うん?」


 ハミヤはのんきに首をかしげた。


「当然だろう。神呼びの儀を行ったり、あんな巨大なものを呼びだしたりしたのだからな。だが……」


 そして、ニコッと笑うと、当然のごとく言ってくれた。


「なんせ、いまは神がいるのだ。あの程度、造作もなかろう?」


 ぴきーん、と音を立てて、皙の背筋が凍りついた。

 沈黙、数秒。


「い――いやいやいやいや」


 全身に鳥肌をたてて、皙は首をふる。


「うん、どうしたのだ? さきほどの<神さびの呪歌>でもくらわせてやるとよいぞ」


 まだ影は遠くにいるが、設定通りであれば、あれは醜悪な姿をした子鬼どもだ。しかも、かるく百匹以上いる。

 あれと相対すると考えただけで、冗談のように手が震えてくる。


 いかに神の力を持っていようと、ただの高校受験に失敗した中学生である皙に、太刀打ちできるはずがあろうか。いやない、と皙は全力をもってして断じる。それに、<神さびの呪歌>にはまだハミヤには言っていない弱点があるのだ。


「逃げよう」


 本能そのままを口にすると、ハミヤは怪訝そうな顔をした。


「なにを言う。むしろ、このままマサトキの城に乗りこんでも良いではないか。そなたの力があれば、マサトキなど簡単に倒せるのだろう?」

「えっ?」


 マサトキ。その名を耳にした皙は青くなる。それはハミヤの仇敵にして、皙が創りだした物語のラスボスである、強大かつ残虐な敵の名前であった。


「あ、あー……まあ、その」


 怖いから嫌です――そう言いかけて、皙はぐっと詰まった。そんなことを言ったら、ハミヤに失望されてしまう。それだけは嫌だった。


「えっとだな、あれだ。まずは体勢を立て直したほうがいい。マサトキはどんな手を使ってくるかもわからないからな。ちゃんと作戦を立ててから行こう」

「ふむ……確かに。そなたの言うことには一理ある。わかった、それではここは退こう」


 瞬間、バン、と彼女の足元が爆発した。


 桜の花弁をたなびかせながら、すさまじい速度で大剣の塔とは反対方向に飛翔する。

 もちろん、腕を掴まれた皙も巻きぞえだ。あまりの高速移動に、皙は思いきり舌を噛んだ。


「ひょっ、あが、ちょ、――ち、ちょっと速くないか!?」

「当然だ! ここは敵地なのだぞ。このくらい出さねばやつらは振りきれぬ!」

「ひーーーーっ!?」


 足のはるか下方を、高速で皇花林が流れていく。

 もみくちゃにされながら、皙はハミヤの言ったことを考えていた。


 ハミヤは皇花林が敵地だと言った。つまり、まだこの国の奪還には至っていないのだ。


 ならば、なぜこんな場所にハミヤがいるのだろう?


 宰相マサトキの謀反によって両親を殺されたハミヤは、兄とともに国外へと脱出した。それが、『皇花のハミヤ』のプロローグだ。


 しかし――皙は苦々しい事実を思いだす。


 『皇花のハミヤ』を作っていたころ、創作ノートの存在は、誰にも言ったことがなかった。


 単純に、恥ずかしかったのだ。こんな妄想に没頭していると、クラスメートに知られたくはなかった。一度、リビングに出しっぱなしにして母に読まれたときには、本気で自殺を考えたほどだ。


 インターネット上で、『皇花のハミヤ』を公表しようかと、考えたこともあった。これが物語となって公開されたら、傑作中の傑作、新進気鋭の新人作家による超大作として、インターネット史に刻まれるであろうと確信していた。


 しかし、皙が作っていたのはあくまで世界観と人物の設定集にすぎない。設定を練り終えたら本編を書こうと思って、プロローグだけを先に作っておいた。


 だが結局、本編を書く前に、創作の熱は失せてしまった。


 ノート十二冊におよぶ大量の設定と、プロローグを残して、物語は完結しないまま放置されたのだ。


 そしていま、ハミヤは皇花林の上空を飛んでいる。皇国追放プロローグの後に、いったいハミヤはなにをどうして、桜ノ国に戻ってきたのだろうか。


「まずは、兄上に会うと良いだろう。きっと兄上もそなたを歓迎するに違いない」


 兄上。その単語に、皙の心臓は大きく跳ねた。


「あ、兄上って……!」

「この先に潜伏している。わたしは神呼びの儀を行うために、……その、こっそり抜けだしてきたのだ」


 ばつの悪そうな声だったが、皙はすっかり上の空だった。

 ハミヤは不思議そうに一瞥をくれて、さらに続けた。


「そういえば、そなたの名を聞いていなかった。なんと呼べばよいのだ?」

「……ん」


 こんなときに、嫌なことを訊いてくる。

 皙は、渋々と答えた。


「藤間、皙。……皙、でいい」


 振りむいたハミヤの瞳が、丸くなる。


「なんだ。面立ちが似ていると思っていたが、名も兄上にそっくりなのだな」


 そりゃそうだよ、と皙は心の中でやけっぱちにつぶやいた。

 だって、ハミヤの兄は、この物語の真の『主人公』だ。


 そのモデルは他でもない、自身なのである。

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