第4話
「咲け、
ざわり、と。鳥肌がたった。
耳朶を打ったのは、聞き間違えようもない、皙自身がノートに書いた詠唱だった。
これは。そう思ったとき、視界に桜の花弁がよぎる。
美しくたなびくそれらは、周囲の桜が降らせたものではない。
根源は――ハミヤの持つ、白銀の太刀。
次の瞬間、太刀から桜の花弁が洪水のように噴きだした。
ハミヤが低く、謳うように紡ぐ。
「汝、
「なっ、じゅ、
呪歌。それは、皙が創りだした、この世界独自の魔法の行使体系だ。
『謡い手』と呼ばれる呪歌の使い手は、心から生まれた詠唱を口から紡ぎ、自らの耳で聞くことによって心に循環させ、全身を、そして魂を震わせる。
魂の振動は内包する真の力を発動させ、その手に持つ呪具――ハミヤの場合は白銀の太刀『彼岸櫻』――を媒介に、常人をはるかに超えた動作や自然現象の顕現、物体の召喚を可能とする――。
つまりハミヤは、皙にむかってそんな魔法をぶっ放そうとしているわけで。
「ちょ、おい、待て!?」
どういうことだ、と問う前に、ハミヤが口を開いた。
「いま、ようやく分かった」
地獄の釜の蓋が開いたような、怨嗟の声。紅玉の瞳が、激しく燃えている。
きっ、と涙目でこちらを睨んだハミヤは、刃を放つかのごとく叫んだ。
「そなたは神ではない。ただの、ヘンタイだ!!」
「嘘だろ!?」
「いったい、いつからわたしの周辺を嗅ぎまわっていたのだ!? 斬り捨ててくれる!」
「まっ、待て、ハミヤ!」
「待たぬ!」
本気で怒らせてしまったようだ。花弁の奔流の中心で太刀を構えるハミヤは、胸をうたれるほど綺麗だったが、見とれている場合ではない。
転がるように背後の桜の後ろに隠れる。
間一髪。放たれた純白の衝撃波が、皙の頭上すれすれで桜の木を水平に断ち斬った。
「ひ!?」
皙の胴体より太い幹がずるりと滑り、轟音とともに倒れる。
「おまっ、ここ、
「やかましいぞ! 桜が心配なら、さっさとそなたが斬られろ!」
「そんな無茶な!?」
ちなみに皇花林とは桜ノ国をとり囲む広大な桜の森の名だ。『久遠の桜』と呼ばれる桜が、永久の時を咲き誇り――いや、そんな設定を脳内に垂れ流している場合ではない。
「遺言くらいは聞いてもよいぞ」
乱舞する花弁の中で太刀を腰だめにするハミヤに、さすがに皙はむっとした。
せっかく見た目は可愛いのに、誰がこんな融通のきかない性格にしたんだ。俺か。馬鹿だ。頑固でツンデレな女の子っていいよなあなんて創作ノートにペンを走らせていた過去の自分に飛び蹴りを叩きこみたくなる。
こんなことになるのだったら、天使か聖者のような性格にしておくのだった――。
そのとき、脳内に閃きが走った。
あった。皙が神だと示す方法が。
成功の可否は微妙なところだ。しかし、いまはそれしか選択肢がない。
尻餅をついたまま、皙はハミヤを指さした。
「お、おい、ハミヤ! いまから俺が本物の神だって証明するぞ!」
「この……っ、この期に及んで、まだ戯言を弄するのか!」
「神に楯突いた罰だ! いいか、笑うなよ。絶対笑うなよ!」
「なにをわけの分からぬことを!」
意を決して、皙は口を開く。
脳裏に思いうかべるのは、二冊目のノート。世界の伝承と詠唱文をまとめた部分だ。
「わ、我が魂を以て祈願する――」
言いはじめた途端、鳥肌が立った。
いや、決して未知の力に目覚めたわけではない。ただ。
(恥ずかしい、めちゃくちゃ恥ずかしい!!)
夜な夜な考えた詠唱を自分で(しかも女の子の前で)言うのは苦行にも等しい所業だった。
「い、祈りの根源は――業火の地底。祈りの終極は、も、燃え盛る雷電の空」
ハミヤはどんな顔をしているだろう。そう考えると、頬が燃えそうなほどに熱くなる。
死ぬ。言い終わる前に羞恥で死ぬ。こんな設定、作るんじゃなかった。
両手で顔を覆いながら、皙はヤケクソで続けた。
「私は誓おう。最も固く、最も厳しい誓いの証なる、滴り落ちる冥府の流れも照覧あれ! 天をも貫く矛にて、地をも割る刃にて、破魔の儀を打ち立てんことを!」
「な、そなた――っ!?」
皙の左手の甲が、突如として輝きだした。
その身を中心に、青白い光が放射状に土を舐め、複雑な魔法陣を形成する。
だが顔を覆う本人は恥ずかしさでそれどころではない。
ゆえに皙は、怒鳴り散らすようにして完成させる。
太古の伝承――創作ノートに記された、失われた禁呪の詠唱を。
「顕現せよ! その誓いを以て、今こそ
瞬間、強烈な爆発音がした。
「危ない!!」
「お?」
妙な浮遊感に、顔から手をどけた皙は、ようやく自分が爆風の中にいることに気づく。
服と髪が千切れそうなほどにはためき、身体はごみくずのように飛び、桜の森が広がる地上は遥か遠く、足も宙に浮いている。
あれ? 浮いている……?
「の、のおおおおっ!?」
「騒ぐでない! わたしから手を離したら真っ逆さまだぞ!」
パニックに陥りかけた皙を、ハミヤの一喝が引き戻してくれた。
ハミヤは皙の腕を片手で吊りあげるようにして、皇花林の上空に浮かんでいたのだ。
詠唱が完成した瞬間、彼女はとっさに発動していた呪歌を使って、爆発から皙を助けてくれたのだった。反対の手に握られた太刀から、桜の花弁が名残のように散っている。
「な、なんだよ。助けてくれるんじゃないか」
そう言って振り仰ぐと、ハミヤは呆然とした顔で、一方向を見つめていた。
怪訝に思って同じ方向に視線を転じた皙は、息をのんだ。
びゅうびゅうと、冷たく乾いた風が、二人の衣服をはためかせている。
「なあ、ハミヤ。皇花林に、こんなものはなかったよな……?」
すがるように問う。
「当然だ。たったいま、そなたが出したのだからな」
ハミヤの声もまた、驚愕に震えていた。
抜けるような青空の下、関たちの目の前に聳えているのは、剣のごとく大地から突きでた、巨大な塔であった。
大きさは、高さ百メートル――否、この世界の言葉でいえば百メルテ、幅十メルテほどもあろうか。頂上の尖った切っ先が、峻厳な眼差しで桜の森を睥睨している。
「これは、そなた、なにをした……?」
畏怖がこめられたハミヤの問いに、皙は恐る恐る答えた。
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