挿話:魔女の苦悩~試練~
食材や果汁の食用可能な部分。
その中でも、美味なる箇所だけを抽出した芳醇さ。
「あぁ……」
ただ甘い辛いだけに留まらず、僅かに感じる苦味と酸味が、味わいを引き立てる。
鼻腔を擽る、名も無きエキゾチックな香り。鼻から脳へと駆け抜け、激痛を訴える中枢を麻痺させようと、魔女を酩酊状態へと誘った。
「ダメだぁ……」
舌を介さない採血が、指先を通して五感へと魅力を主張する。
知識の泉へ触れた痛みが断罪され、甘美と快楽によって昇華されていく。
意思を蔑ろにし、心身を虜にして、克己心の支配から逃れる。
体内で混ざり合う魔力と血流。
鉱山から稀少金属を発掘し、または、砂漠の一筋の滴を突き止めたような多幸感。
清なる乙女が今、己の性を律しては苦悩し、生たる血潮をたぎらせては成果を求む。
――魅了族が、魅せられるのは駄目。
痛みに霞む脳裡から、遠い記憶が引き起こされる。
擦り込まれた使命の咎。刻み込まれる苦衷。生まれ出る恍惚。蕩ける心身。
「……っはぁ……」
遠退く思考、惹き起こされる誘惑。
瑞々しき肌を滴らせ、蜜なる水を得、密なる未知をその身に充つ。
「これ、絶対お祖母ちゃん方の血のせいだ……」
血に呑まれては、智を得られず。
成すべき月まで、封じるべし。
封じ能わず解き放たれた刻、悲願の途が開かん。
幼き日に口伝された、禁忌と秘儀。
混血ゆえに、純然な血統の系譜すら凌ぐ、大いなる業。
秘められた血筋が、遠い祖先より一族の末裔へと伝承され、解かれていく。
膨大な量の事象を知る為に、一族が一丸となって使命を果たす。
親子、夫婦、兄弟姉妹の身命を賭して、在世の者が去る際に伝える術儀。そこには犠牲も厭わない、強烈な意志と戒律が、秘術に刻まれていた。
種の本質たる性が官能へと溶かそうと導く。だが、痛みと理性がそれを許さず、現実へと連れ戻す。
「痛……ぁ、くっ……」
――お前は、悪魔の子だ。
――捧げよ。身を、魂を。
――魔を超え、人を超え、世を統べよ。
――魔を憎め。人を憎め。
――やがては、一族の礎となるべし!
「……ご先祖様だって……」
――お前は、俺とこの人の子だ。
――血と智に恥じない生き様を。
――魔を知り、人を知り、世を支えなさい。
――人魔に境無し。他を愛せよ。
――いつかは私達のように、家族を築いて。
無垢なるままに接受し、盲信と弁駁の挟間で心が千々に乱れる日々。追懐された情景によって窮愁を呼び覚ます。
乖離し続ける現実が、水火に耐える月日が、孤独からの救済を希求するのは自明であった。
嫌悪を表さず、己を人の身と変わらぬ態度で接する迷い子。共存の夢を語れば、同意を示した異邦の若者。
――他の種族と手を取り合えたんだ。
純血主義を掲げ、相違なる者を排斥する、魔に属する民。種の違う者同士であるがゆえに、懇意関係であったと伝え聞く類縁の者。
「セイジも応援して、くれるから……!」
悪の囁きに耳を貸さず、渇望の宿命へと刃向かう。
願わくは、人魔に理解ある道を、共に。絆された情が、悲願を成す伴にならんことを願って。
「……分かってきた」
魔力を吸い、採血を終え、自らに取り込んだ魔女。
その潤んだ紅い瞳が映すのは、夢の扉と地獄の門を彷徨う男。
魔女の肉叢の内側で交錯する因子。同調しては愉悦を、反発しては苦悩を訴求する。
滲む双眸の向こうに見えるのは、未達の知と知を持つ種の雄。
胎動する男女。
差し遣わされた指先から、嵐の如く送り込まれる。
混濁の最中にあるにも関わらず、生を主張するが如く拍動する両者。
眼から流れ出るのは、苦痛ゆえか。あるいは、郷愁の念か。
「もうちょっと、だけ。ごめん」
触れずにいた指先から伸びる、異種族を繋ぐ線。
その距離が消失し、より強大な刺激を齎していく。双方の身体が揺れ動き、熱を孕んだ身軀から汗水が流れ落ちる。
荒立つ悔苦、大海の快楽に身を委ねつつも抗いながら、新たなる船旅へと始動する。気を昂らせる波が寄せては返し、その果てにある、訓蒙の域へと達する。
「――……っ!!」
今こそ、伝承の刻。
魔女の奥底に眠る、種族相伝の奥義。
子孫が宿命や強い意志に目覚めた際、封じられた枷が外れていく。
記憶に無い情景が、眼瞼にありありと浮かぶ。
思い出されるのは、眩い金の髪と、真紅の瞳を持つ厳格な母の姿。
想起出来ない母の言葉、訓辞。
親として、智を司る長寿の族長として、娘に宣言が下された。
――他から学び、己を高め、他を理解していくべし。
「やってるもん……」
――立ち止まるのは良い。己の歩んだ道を自省し、顧みよ。
――長寿族といえども、全てを知るのは不可能である。
「知ってるから……」
――進むべきこと同様、諦めるべきことも存在するのだ。
――選択に迫られても、悔い無きように生きよ。
「後悔して生きてきたら、この街に来ちゃったよ……」
悔しさに唇を噛み締め、容貌を一層、悲痛なものへと歪ませていく。
――だが、考えることをやめ、他への理解を示さない場合はどうなるか。
――お前なら分かるだろう。
「うあぁ……!」
魔女の頤から、水が滴り落ちる。
――人魔共存の夢は幻となり、お前の手から抜け落ちていく。
――どころか、お前は孤独に包まれ、無為な魂と共に掻き消える。
「……嫌だ、ぁあ……!」
――敵を知れ。己を知れ。驕らず、放棄せず。
――会得した知識に留まるな。
脳内へと脈々と流れ込む、馴染みの無い理屈。
既知の見聞と合わさり、己を書き換えていくような錯覚。
両者の心身が無遠慮に撫で回され、しかし相容れなければ死が別つのみ。
――適性無き者は、道半ばで死せるのみ。
――他者は無論、たとえ伴侶だろうと、片割れが滅びれば、諸共果つ。
――生を掴めたとて、亡骸同然の抜け殻に過ぎぬ。
――理ある者を理解せよ。
自身の消失へと続くのは、彼が故か、己が為か。
幻と現実の最果てに控えているのは、亡者の列か。
――血肉を捨て一族の糧となるか、意志を以て一族の道となるか。
――刻が満ちた今こそ、我等一族が見定めん。
血肉と伝統を授けた者からの、別れの宣託。
智の血を継ぐ者から彼の者へ、魔が抽送される。
「セイジの血が……ある、か……ら……!」
魔に触れ、血を吸い、魂を視るのだと、抵抗を示す。
男の中に在る、密やかな想いの欠片を基として。
巡る魔の煌めきを通じ、逸し兼ねない程の小さな光へ、手を伸ばす。
「あ、ああぁ……!」
自己喪失の渦中にあった魔女。
忘却と記憶を繰り返す冷たい海に弄される。抗えども溺れ、沈むのを待つだけであった。
感覚が一つ消え、想いがまた一つ失われる。幾多の因子の一つへと混ざり、溶けていく。
「ラ、フィ」
その細指に伝わるのは、暖かい力。
「っ、セイジ!」
大丈夫なのか、終わったのかと問う、魔女と痛みを分かち合っていた男。
彼はその身を硬直させ、大粒の汗と後を引く苦痛によって、夢路と現実の境目で揺蕩っていた。
それでも、尋常ならざる様子に気付き、名を呼ぶ。
心配を、不安を、痛みを気遣うように、なるべく安堵させたいという思いを込めて。
「……ラフィ」
――お前を支える者を忖度せよ。
叡智の波間から押し上げられ、繭に包まれたような感覚を抱く。
よくぞ、と最後に告げ、口元を不格好に綻ばせた母の姿。
光となって弾け、魔女へ、我が子へ最後の知識と魔力を授け去った。
終えたことを宣言すべく、言葉を発しようとしたが
「上手く、いったんだ……な」
分かる、ありがとう。お疲れ様、という言葉が籠った目線を悟る。
「うん……うん!」
喜びを、感謝を伝えようと手を握り返す。
悠々とした時の流れへ、遥かなる鈴の音が朗々と奏でられる。
蠱惑的に染まりゆく心音への警鐘となり、夢の時間の終わりを告げた。
「もう少し、だけ」
漸く苦患を乗り越え、滲ませた汗と苦悩の表情の中に、僅かなが生まれる。
ふわふわとした感覚から浮上し、魔女は男へ柔らかな布を掛け与える。
懺悔と謝罪、感謝と期待。
そして、親愛をその心に抱きながら。
再び軽やかな音色が響いてくる。
眉を寄せ、不満げな顔へと表情を変えていく、親譲りの金の髪を持つ店主。
男は指の力を緩めてから、苦笑しつつ話す。
「客をあまり待たせるなよ」
膝が笑う疲労に耐え、気力を総動員して男が立ち上がる。
倒れ込むのは、店主を見送ってから。
「っ、はいはーい! ただ今参りますー!」
繋いだままの手を引かれ、砕けた腰へと喝を入れる。
ラフィアルーンが何か言い掛けるも、度重なる鈴の音に諦める。
扉を開けて店内へと声を発し、慌てて身だしなみを整えていく。
店主としての役割を果たすべく、幻影で色を変え、風魔法で匂いを撒き散らさないように。
そうして、表情を改めてから店内へと駆けていった。
異世界報恩記 皐月 show @rising-dragon623
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