第16話:痛みをこえて

 食事を終え、身体や衣服の汚れを落とし、セイジが室内着に着替えてから数刻。

 この街の住人を証明する物品が、陽が沈んだ後に役所から届けられた。

 配達された物をラフィアルーンが受け取り、同居人へと説明しながら手渡す。

 彼の知る、前の世界のカードよりも厚みのあるそれが、証明品というべき魔道具であった。

「はい! 登録おめでとうございます!」

 これでセイジもこの街の一員だよ、と語るラフィアルーン。

 彼女もまた、己の懐から同じ物を取り出し、

「同じ物!」

 と言って見せつつ、嬉しそうに笑った。

 ラフィアルーンに言われるがまま、住民登録したセイジ。

 元々は彼女に迷惑を掛けないように、と考えているだけであった。

 ――登録一つでこんなに喜んでくれるなら、まぁ……。

 登録は義務ではないと聞き、その日の内に事件に巻き込まれ、負の感情に陥り掛けた。

 それでも、帰宅してすぐに彼女に出迎えられたことと、今もこうして彼女の笑顔を見たことで、セイジ自身も嬉しい気持ちになった。

「ははっ、有難き幸せ」

「おおっ!? こっちの言い回しだ!」

 男は両手を差し出し、腰を曲げて礼をしつつ、殊勝な態度を示してみせた。

 この世界の言葉へ言い換えてから、証明証をラフィアルーンから受け取った。

 形状記憶金属と粘土の中間といった材質で構成されているような、身分兼住人証明証である。本人の名前などが記載された、カードのような登録証明証を取り出す。

 白と青の色を基調に、元々暮らしていた世界の文字で書かれたセイジの名前が刻まれていた。住所こそ役所側が記入していたが、何となく嬉しくなったセイジは手中で眺めていた。

「ヤバい。なんか、癖になる」

「セイジがおかしくなった」

 試しに折り曲げたところで、本来の小型な長方形へと自然に戻っていく。

 目を中空に彷徨わせたまま、彼はひたすらグネグネと手元で弄っていた。

 魔女が半笑いの表情で語るが、セイジはカードに夢中であった。


「……癖になるのはセイジの血、魔力なんだけど」

 意図的な発言なのか、意図したつもりはないのか。

 どうせ聞いてないと思って呟いた魔女の発言を、セイジは耳聡く聞いていた。

「何の話だ、ってまた勝手に吸ったのかよ!」

「ん? 聞こえなかった」

 本人証明の板を机に置き、セイジはラフィアルーンの方へ振り向いて叫ぶ。

 それに対して両耳を手で塞ぎ、目を閉じて話す金髪の魔女。

「いつ!? 勝手に読まないとか言ってなかったか!?」

「言葉だけですぅー! ……セイジの思い出は、そっとしてあげておきたいの」

 セイジの発言を受け、反論をかざすことで魔女は正当性を主張する。耳に当てていた手を胸へと持っていき、静々と語り始めた。

 一瞬、その様子に気圧された彼は腕を下げ、開いた口を閉じて眺める。

 しかし、ちらちらとセイジを窺う様子から冗談だと悟り、

「良い話に持っていこうとするなよ!」

 セイジは拳を掲げながら指摘。

「反省してます。私、今とても」

「その話し方はやめろ。こっちの話し方が分からなくなる」

「反省、私。している最中、凄いです」

「やめんかー!」

 真顔でセイジから離れては、妙な言い回しをする魔女。

 その彼女へ手を伸ばして追い掛けるセイジ。

 せっかく覚えつつある文法を、粉々に破壊されるような感覚になるのであった。


 その翌朝、日月暦の火曜日二月二日

 果実や麦、種などを乾燥させた物――米成分の無いシリアル――と牛乳。

 それと焼き上げたパンを食べた二人は、店の開店準備を終え、開店時間を待っていた。

 その間、彼らは魔道具により暖められた部屋で談笑していた。

「ねぇセイジ」

 向かいのソファーにちょこんと座るラフィアルーンが呼び掛ける。

「ん?」

「痛いのと、苦労するの。どっちが良い?」

 その魔女から、究極の二択が課せられた。

 ――糞択だこれ!

 ゲームをしていた頃にしばしば見られた、分かっていても防ぐことが困難な選択肢。

 胸中でそう反応したセイジであったが、魔女の真剣な様子を見て思い改めた。

「その過程と、得られる結果による」

 メリットとデメリット。二つを考慮して、期待値の高い方を選びたい。

 セイジはそう決意し、

「や、やる気なの?」

 どちらも苦しむことになる、と言外に示す魔女に対し、

「ああ」

 彼は間髪を置かずに返答する。やらないという選択肢は既に無かったのである。

 自分達の為を思っての提案だろうと考えるセイジ。

 何だかんだ言っても、己への協力を惜しまない彼を、ラフィアルーンは嬉しく思うのであった。

「ありがとう。分かった、方法と結論を説明します」

 恋愛や家族感情というよりは、利害の一致による関係に近い二人であった。

 それでも、彼らは互いのことを考え、信頼し始めていた。

「まず、セイジの魔力を全て使います」

「うん」

「セイジの血も、ちょっと使います」

「ああ」

 互いの目を見ながら、しっかりと話を交わす男女。

 相槌を打つセイジも、返す言葉こそ短いものの、真剣に受け止めていた。

「そ、それから」

 説明しにくいのか、一旦間を置いてから、魔女が説明を続けていく。

「……そ、その後、体の中で、私の魔力と、血を……混ぜます」

「……はい!」

 セイジの鼻の下が伸びた。

 彼自身でも自覚出来る程、だらしない顔だったのだろう。

 送れてした返事も立派だった為、ラフィアルーンはパッと顔を上げた。

「いやらしい意味ではありません!」

 彼の鼻先に炎が一瞬だけ現れる。

「おわぁ!わ、悪い! つい……それで?」

「もー! 人がせっかく真面目に話しているのに!」

 怒り散らすラフィアルーンへ、謝りながら宥めるセイジであった。


 結局のところ、セイジの血と魔力を用いて、彼女の体内で合成した後、魔素認証の共通化を最大まで強め、それらをセイジの体へ戻すという話であった。

 魔女の説明を自身の脳内で再構築し、己が分かりやすく噛み砕いていく。

 ――料理教室みたいだな。

 そんな場違いな所感を得たセイジであった。

「すると、セイジも読み書きが多少出来るようになります」

「おー」

「反応が弱い!」

「いや、そんなこと信じられないし」

 どうだと言わんばかりの魔女に対し、築き上げた信頼に翳りが見えそうな発言をする男。そんな非現実的なことが可能なら、という印象しか抱けなかったのである。

 彼はこの時までは呑気に考えていたが、続く言葉に苦しみを伴う二択だったということを思い出す。

「痛みはその、凄いと思う」

 実際、凄いんだろうな、と彼女の表情と声音からセイジは察する。

「苦労するのは、全ての記憶、出来事を忘れる方法」

「それはやめよう。やるなら、痛い方で頼む」

 魔女から下された審判の内容をセイジは瞬時に棄却し、控訴する。

「本当に良いの? 苦労する方は、痛くないよ?」

「忘れるぐらいなら、痛い方がマシだ」

 ――ラフィを忘れるぐらいなら。

 言葉にこそしなかったが、内心ではその思いで埋められていた。

 この時、既にセイジはラフィアルーンへ好意を抱いていた。

 だが、その想いを告げることで、とも考えたのであった。

 「ラフィアルーンを、信じる」

 心意を知ってか知らずか、ラフィアルーンは表情を引き締めてから宣言する。

「セイジの決意、しっかりと確かめました」

「……お手柔らかに頼みます」

 それを受けたセイジは、別に痛いのが好きな訳ではないという意味も込め、頭を下げて願い出る。

「はい!では早速」

 その頭へ、ぽふりと魔女の手が乗せられた。

 黒の繊維越しに微かに感じた、ラフィアルーンの手の暖かさ、柔らかさ。

 次いで、体内から急激に魔力が吸われ始めていく気配に気付く。

「えっ今、か!?」

「早い方が良いと思う!」

「え、ちょうおおおぉああああ!!!」

 急な魔力の減少により、強烈な頭痛や不快感に襲われる。

 だがそれも長くは続かず、痛覚をカットしようと脳が働き、セイジは気を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る