第332話 家族

 朝起きて、隣で寝ているヨハンナ先生の顔を見る。


 人の寝顔を見るなんて趣味が悪いって先生は怒るけど、朝、カーテンの隙間からの光で先生の寝顔を見る時間は、僕に撮って至福しふくの時間だ。


 この綺麗な寝顔は、僕しか見られない。

 ほかの誰も、先生自身だって、見られない顔なのだ。


 右のほっぺたを枕につけて、隣に寝た僕の方に向く幸せそうな寝顔を見て、先生が僕のお嫁さんになったんだって実感する。

 手を伸ばせば、こうやって先生の白いほっぺに触れることも出来た。



 そんなふうに寝顔を十分に眺めたあと、僕は先生を起こさないようにそっとベッドから抜け出して、朝食とお弁当の準備をする。


 今日の朝食は、アジの干物に、長芋の味噌汁、オクラ納豆、ポーチドエッグとベーコンとアスパラのソテー、わかめとえのきの和え物、そして、デザートに自家製ヨーグルトとキウイフルーツだ。


 朝食の準備を終えて、新聞をテーブルに置いたら、寝室に先生を起こしに行く。



「ヨハンナ先生、朝ですよ」

 僕は先生に呼びかけながら、カーテンを開けて寝室に朝日を呼び込んだ(僕は今でも先生のこと、『先生』って呼んでいる。先生は『ヨハンナ』って、呼び捨てにして欲しいみたいだけど)。


 部屋の真ん中に大きなダブルベッドを置いた僕達の寝室。


 実はもう起きてるくせに、先生が中々目を開けないから、僕は先生の前髪を掻き上げておでこにキスをする。


 すると、先生がぱっちりと目を開けて、「おはよう」って言う。

 これは、毎朝の儀式だ。


 おはようのあと、「んっ」って、先生が僕に手を伸ばしてくるから、僕は先生に首を差し出す。

 先生が僕の首に手を回したところで、お姫様抱っこでそのまま洗面所へ。


 先生が顔を洗っている間に、僕はダイニングテーブルにご飯と味噌汁をよそる。


「いただきます」

 二人向かい合って座って手を合わせた。


 僕達の朝食は、ご飯と味噌汁が基本の日本食なことが多い。


 おかずを「あーん」って食べさせるのは休日の時間があるときだけで、今日みたいな平日は、先生も自分で箸を使って食べた。


 朝ごはんを食べ終わったら、先生の髪をかして、着替えを手伝う。

 僕は、アイロンでパリパリに仕上げたシャツを先生に渡した。

 着替えるとき、ヨハンナ先生は姿見の前で一旦パジャマを脱いで下着姿になるんだけど、未だにそのときの先生は直視出来ない。

 恥ずかしがる僕を見て、先生がニヤニヤするのがくやしかった。


 先生がメイクしたり、トイレに行ってる間に、僕は台所を簡単に片付けて、お弁当を包んで、先生の鞄を玄関に用意した。


 そして、僕自身も着替えて、車のキーを手に取る。


「先生、遅刻しますよ」

 僕は先生に呼びかけた。


「ごめんごめん」

 少しして、先生がトイレから出て来る。


 いつもは準備が早い先生だけど、今日はなんだか時間が掛かった。



「はい、お出かけのキスは?」

 ばっちりと紺のスーツで決めた先生が訊く。

「さっき、したじゃないですか」

「朝一番のがおはようのキスで、さっきのはご馳走様のキス。だから、お出かけのキスはこれからでしょ?」

 先生がキス魔だってこと、結婚してから知った。

 でも、これは嬉しい誤算だ。


 メイクが落ちないように、軽くお出かけのキスをしたら、玄関を出て鍵を閉める。



 ここは、学校から少し離れた場所に先生が買った中古の一軒家。


 僕達の結婚に際して、賃貸のマンションかアパートに引っ越すのかと思ったら、

「塞が一日家事をするお城になる場所だもの、狭くても一軒家にしよう」

 ヨハンナ先生はそう言ってローンを組んだ。


 白い下見板張りの二階建てで、どこか寄宿舎を彷彿ほうふつとせさるこの家は、小さいけど庭もある僕達の夢の住まいだ。


 僕は、ガレージスペースに停まっている青いフィアットパンダの運転席に座る。

 先生を最寄りの駅まで送り迎えするために、僕も運転免許を取った。


 シートベルトを絞めてエンジンを掛ける。

「さーて、今日も一日、頑張ろうっと」

 助手席で先生が言った。



 結婚してから一年、僕達はこんな生活を送っている。

 僕が運転席でヨハンナ先生が助手席っていう、この状況にもだんだん慣れてきた。



 僕達の新しい生活が軌道に乗ったように、僕の周りの人達も、それぞれの生活を続けている。


 家が近くなった母木先輩とは、時々会って情報交換していた。

 政治家志望の鬼胡桃会長は、国会議員の選挙の手伝いをしたり、野望に向けて突き進んでいる。


 高校二年生になった妹の花園と、三年生になった枝折は、寄宿舎から我が母校に通っていた。

 花園は新聞部に入って活躍していて、枝折は「超常現象同好会」の部長になって未だに謎な活動をしているらしい。

 それでも定期試験ではいつも学年一位で、大学受験の模試ではA判定連発なところは、さすが枝折だ。


 二人とは電話で毎日連絡を取り合ってるし、寄宿舎のことは、なにかあるたびに管理人の新巻さんがメールで教えてくれた。

 作家、森園リゥイチロウとしての新巻さんも相変わらず活躍中で、最近、異世界召喚物の新連載を始めて、それが好評を得ている。


 寄宿舎の寮長は宮野さんになった。

 今、枝折と花園の他に六人の寄宿生がいて、宮野さんはみんなをまとめている。


 そして、寄宿生をお世話する我が主夫部も、部活としての最低構成人数の五人を揃えて、どうにか活動を続けていた。

 顧問には、北堂先生が就任している。


 主夫部の部長をしているのは、以前、僕が花園のストーカーと勘違いした高五木たかいつき君だ。

 彼は花園の後を追うように我が母校に入学して、主夫部に入った。

 部長になって主夫部を支えてくれるのはいいけど、彼には花園が僕の妹だって、そこははっきり言ってある(花園と付き合うなんて、5000けい年早いのだ)。


 その主夫部の指導に、御厨がOBとしてちょくちょく顔を出していた。

 卒業して、縦走先輩が所属する実業団合宿所の寮父になった御厨。

 卒業したらすぐに縦走先輩と結婚するって息巻いきまいてたけど、縦走先輩がオリンピック陸上競技の強化選手に選ばれてしまって、それは先延ばしになった(二人がラブラブなことに変わりはないけど)。


 卒業後、お父さんの元で働きながら、「Party Make」のライブに付いて回っている錦織が、「僕と古品さんとの結婚の方が先になるかもな」とか、御厨を茶化していた。


 「Party Make」といえば、去年の年末、武道館2Daysのライブをやったり、人気はうなぎ登りだ。

 出版した写真集の売り上げが好調で、その専属カメラマンである萌花ちゃんにとっても、飛躍ひやくの年になった。


 カメラマンとして、順調に活動の場所を広げている萌花ちゃん。

 「普通の男子高校生シリーズ」の写真展が成功したことで、その写真集を出すっていう企画も進行してるらしい。

 でも、そんな写真集、「塞しか写ってない写真集なんて最高じゃない!」って喜んでる僕マニアのヨハンナ先生以外、誰が買うんだろう?



 そして、高校を卒業した弩は、アルバイトをしながら起業の準備を進めている。

 お母さんの元で経営者としての修行を積むのかと思ったら、自分で起業して、自分の力で経営者として認められたいってことらしい。

 起業資金を出そうってお母さんの提案も断って、アルバイトでその資金を捻出ねんしゅつするのだとか。

 今、弩は三つのアルバイトを掛け持ちしている。


 やっぱり弩は、僕なんかの想像がつかない、大人物になると思った。


 大学に通いながら、弩が暮らすアパートに時々掃除に行ったり、ご飯を作ったりしている子森君が、その様子を伝えてくれた。


 子森君によると、弩のホワイトロリータ好きは、今でも変わらないみたいだけど。



 みんな、それぞれの道で忙しい毎日を送っていた。

 だから僕も、毎日、主夫として全力で頑張っている。




「ねえ、塞、この車、そろそろ買い換えようか?」

 駅までの道で、助手席からヨハンナ先生が話しかけてきた。


「えっ? このままでいいですよ。まだ走りますし、思い出の車で、愛着があるじゃないですか」

 先生が独身時代から乗っている、この青いフィアットパンダ。

 僕達はこの車で、たくさん思い出を作った。

 いろんな所へ出掛けて、僕は助手席からいつも先生の横顔を見ていた。

 ボディのあちこちに傷は付いてるけど、エンジンとか調子よくて、ちゃんと整備すればまだまだ走りそうだ。


「うん、そうなんだけど、これ2ドアだから、後ろの席にチャイルドシート付けたり、乗り降りするとき不便でしょ?」


「まあ、そうですけど……」

 僕が答えたところで駅に着いた。


 僕は、いつものように車を駅のロータリーの端に寄せて停める。

 先生がシートベルトを外した。


 あれ?


 でも、先生、今なんかさりげなく特別なワードを発した気がする。


「えっ? んっ? チャイルドシート?」

 僕は車から降りようとするヨハンナ先生に訊き返した。


「もしかして、先生!」

 これってまさか!


「うん、まあ、そういうこと。さっき、トイレで検査薬使ったらね」

 先生がそう言ってお腹の辺りをさする。


「今日、放課後病院に行ってちゃんと検査してくる。だから、ご馳走用意して待ってて」

 先生はそう言ってウインクした。


 車を降りて、「行ってきます!」って残して、駅舎の方へ颯爽さっそうと走って行くヨハンナ先生。


 先生の金色の髪が、春風になびいた。

 背筋をピッと伸ばした頼もしい後ろ姿。

 僕が愛した美しい人だ。



 僕は、駅のロータリーで車のハンドルを握ったまま武者震むしゃぶるいする。



 どうやら僕は、パパになったみたいだ。

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主夫部、いつか来るその日のために僕たちはセーラー服に全力でアイロンをかけてパリパリに仕上げる 藤原マキシ @kazz

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