第331話 あの時

「ヨハンナさん。あなたはこの男性を夫とし、すこやかなるときもめるときも、富めるときも貧しきときも、変わることなく、愛し合うと誓いますか?」

 北堂先生先生が訊いた。


「はい、誓います」

 ヨハンナ先生が答える。


「塞君。あなたはこの女性を妻とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、変わることなく、愛し合うと誓いますか?」


「はい、誓います」

 僕も、はっきりと答えた。


 ヨハンナ先生が、ちゃんと言えたね、みたいな目で僕を見る。

 言えました、って、僕は目で返事をした。


 こんなふうに、僕達は結婚しても先生と生徒なんだと思う。

 この関係は変わらないと思う。

 先生は僕を教え導いてくれる、最高のパートナーだ。



 寄宿舎のサンルームに作られたステージに立つ、僕とヨハンナ先生。



 先生は純白のウエディングドレスに身を包んでいる。

 肩を大胆に出したオフショルダーで、スカートがふんわりと膨らんだプリンセスライン。

 まとめた金色の髪の上には、上品な輝きを放つティアラアが乗っていた。

 ベールに隠れていても、その神秘的な青い瞳が、林の木漏れ日を写して輝いている。


 本当に、童話の世界から抜け出したお姫様、そのものだった。


 先生の長いスカートの裾を持ってくれたひすいちゃんが、妖精みたいに見えてくる。


 隣で、着慣れない白のタキシードに身を包んだ僕は、どうみても七五三の子供だった。



 サンルームから続く食堂のテーブルには、御厨を中心に主夫部が作ったご馳走が並んで、着飾った両家の家族や、寄宿生、主夫部部員が集まっている。


 紺のワンピースを着た北堂先生が、僕達の人前じんぜん式の司会を買って出てくれて、式を進行していた。


「次に、指輪の交換をしてください」

 北堂先生が言って、錦織がシルバーのリングを二つ、白いサテンのリングピローに載せて持ってくる。

 このシンプルなリングは、錦織が鬼胡桃会長と母木先輩の時にも作ったものだ。


 僕達は、向かい合ってお互いの薬指にリングをはめた。

 リングをした手をみんなに見せると、萌花ちゃんがシャッターを切って、みんなが拍手をくれる。


「それでは、誓いのキスを」

 北堂先生が言った。


 僕は、ヨハンナ先生の顔に掛かっているベールを上げる。

 ヒールの分、先生の方が背が高いから、先生は僕に向けて少しかがんでくれた。


「なんか、みんなの前だと照れちゃうね」

 ヨハンナ先生がパチパチまばたきしながら言う。


「あれ、みんなの前じゃないところでは、普通にキスしてたみたいな言い方ですね」

 新巻さんが突っ込んだ。


「それは、まあ、ほどほどにキスしてたよね」

 ヨハンナ先生が言って、みんなが笑う。


 おかげで、緊張が解けた。


 笑い声が収まって、先生が目をつぶったところで、僕達はキスをする。

 何回キスしても、先生のくちびるの柔らかさを表すたとえが見つからない。


 みんな、盛大な拍手で迎えてくれる。



 誓いのキスのあと、二人を代表して先生が挨拶に立った。


「ええと、みなさん、本日は私達のために集まってくださって、ありがとうございます。そして、こんな素敵な式の準備をしてくれた主夫部と寄宿生のみんな、本当にありがとう」

 先生が会場全体を見渡す。


「私達はお互い、運命の相手に巡り会うことが出来ました。こうやって、この思い出の場所で結婚式が出来る私達は幸せ者です。それを大好きなみなさんに祝ってもらえて、これ以上の幸せはありません。お父さん、お母さん、今まで、私達を育ててくださって、本当にありがとうございました。これから、私達も二人で家庭を築いて、そして、みなさんのような、立派な父親と母親になりたいと思います。未熟な私達で、これからもみなさんのお世話になることがあると思いますが、どうぞ、よろしくお願いします」

 僕達は二人で頭を下げた。


 見ると、僕の父が涙を流している。

 それを見て、母がハンカチを差し出した。


「それじゃあ、堅苦しい結婚式はこれくらいで、みんなで、明日の朝まで盛り上がりましょう。それが、パーティー好きな私達にふさわしい披露宴だからね」

 ヨハンナ先生が言って、みんなが歓声を上げた。

 同時に、ステージ脇に設置してあるスピーカーから、四つ打ちのキックが流れる。


「はい、じゃあみんな、盛り上がっていきましょー!」

 古品さん達「Party Make」がマイクを持ってステージに上がった。

 入れ替わりで、僕とヨハンナ先生がステージから下りる。


「さあ、ヨハンナ先生と篠岡君が結婚するっていうこの良き日を、私達の特別なメドレーで飾ります! みんな用意はいい?」

 古品さんが投げかけると、

「いえー!」

 ってみんなが返した。


「それじゃあ、私達の代表曲から始めます。『Party Make』で、『ポリフォニック』!」

 三人の完璧にシンクロしたダンスが始まる。

 厳粛げんしゅくな結婚式会場が、途端とたんにライブ会場になった。

 ステージから下りた僕達も、観客に加わる。



「塞君」

 みんなが三人のステージに夢中になってるところで、先生のお父さんが僕の隣に並んだ。


「ヨハンナを頼むよ」

 お父さんが、ステージを見たままぽつりと言う。


「あの子は、子供の頃から周りのことに一生懸命になって、自分のことは後回しにしてしまう嫌いがあったから、心配だったんだ。教師になったらなおのこと、自分を差し置いて生徒にかまけるんじゃないかって、ずっと気掛かりだった」

 お父さんの言葉は、もっともだと思った。

 先生はいつも僕達のことを考えてくれる。


「君のような男性が現れて良かった。ヨハンナのことを第一に考えてくれる君がいてくれれば、もう、なんの心配はない。どうか、ヨハンナをよろしくお願いします」

 お父さんがそう言って頭を下げるから、僕はその手を取って頭を上げてもらった。


「絶対に、先生を幸せにします」

 僕が言ったら、お父さんが笑顔で僕の手を握り返してくれる。



「ここにいるのは、本当に気持ちの良い人達ばかりだね」

 お父さんが言った。


「こんな人達が集まるのも、君の人徳じんとくなのかな?」

 お父さんはそんなふうに言ってくれるけど、これは、ヨハンナ先生の人徳なんだと思う。


「ほらそこ! なにしんみりしてるの! 盛り上がって!」

 古品さんが、僕とお父さんを指して言った。


「盛り上がってますよ!」

 お父さんが、腕を上げる。



 僕達は、飲んで食べて踊って、大いに盛り上がった。

 みんなが着飾ってること以外、いつもの僕達のパーティーと変わらなかった。


 だけど、こんな披露宴も僕達らしくていいと思う。




 「Party Make」のライブが一段落して、妹の花園と枝折が、あらためて僕にお祝いを言いに来た。

「お兄ちゃん、おめでとう!」

 レモンイエローのドレスの花園と、ミントグリーンのワンピースの枝折。


「あのウエディングドレスを着るのは、花園だったのにな」

 花園が言った。

「花園よりヨハンナ先生を選んだからには、幸せになってよね」

 花園がわざとほっぺたをふくらませて言うから、僕はそのほっぺを突っつく。


「タキシードのお兄ちゃん、カッコいいかも」

 枝折が言った。

 枝折がこんなこと言ってくれるのは、初めてじゃないかって気がする。


「枝折ちゃん、そんなカッコイイお兄ちゃんと、花園ちゃんの三人で写真撮ってあげる」

 僕達にカメラを向けた萌花ちゃんが言った。

 萌花ちゃんが、僕達兄妹の写真を撮ってくれる。


「先輩、おめでとうございます」

 写真を撮った後で萌花ちゃんが言った。


「それであの、先輩にお話があるんですけど」

「なに?」

「はい、お世話になってる写真家の先生が、先輩を撮り続けた『普通の男子高校生シリーズ』で写真展開いたらどうかって言ってくれてるんですけど、いいですか?」

 萌花ちゃんがとんでもないことを訊く。


「いいじゃん、お兄ちゃん」

 花園が無責任に言った。

 冗談じゃない、こんな僕の写真で写真展が開かれるなんて!


「ギャランティーのほうは、マネージャーの私を通してくださいね」

 花園がふざけて言った。



「先輩、おめでとうございます」

 水色のワンピースを着た宮野さんも、僕にお祝いを言いに来る。


「あの、これ、僕からのプレゼントです。良かったら新居で使ってください」

 宮野さんが僕に渡してくれたのは、手彫りの木の表札だった。

 「霧島」って、力強い文字が彫られている。

「ありがとう」

「いえ、今の僕には、こんなことしか出来ませんから。でも、いつか、お二人の家を設計させてくださいね」

 宮野さんが言った。


 それはまだ、ずっと先のことになると思う。



「先輩、おめでとうございます」

 今度は、御厨がお祝いを言いに来る。


「先輩に続くのは僕なので、その時は、お二人で婚姻こんいん届の証人になってください」

 御厨が言った。

 いつも控え目な御厨が、随分強気な発言をする。

 その視線は縦走先輩を見据えていた。


「うん、喜んで、引き受ける」

 僕は御厨と約束した。

 そんな幸せな証人なら、こっちから立候補したい。



「篠岡、おめでとう」

 御厨の次は、錦織だ。

「篠岡はいいよな」

 錦織はそう言って溜息を吐いた。

「どうした?」

 僕は訊く。

「古品さんの人気がどんどん出て来て、二人で一緒にいられるのは、まだまだ先になりそうだよ」

 錦織はそう言ってもう一回、溜息を吐いた。


 現役アイドルと付き合ってる男の、贅沢な悩みだから、僕は親身しんみになってあげない。



「先輩、おめでとうございます」

 そして子森君も、そう言って僕にジンジャーエールをおしゃくしてくれた。


「あの先輩、僕、先輩に話があるんですけど」

 子森君が言うから、僕達は食堂の隅に移る。


「先輩、僕、弩のことが好きです」

 子森君は、声を落として、僕の耳元で言った。

「絶対、弩と結婚しようと思ってます」

 真剣な顔で言う子森君。

「僕は、弩の一生懸命なところが好きです。あの小さな体で、どこにそんな力があるんだって、彼女のことが大好きです」

 子森君は、噛みしめるように言った。


「うん、頑張れ」

 僕は、子森君の背中を叩く。


 兄として、子森君になら、弩を任せられる気がする。


「なに話してるんですか?」

 そんな僕達のところへ、弩が来た。


「いや、なんでもない」

 子森君は、飲み物を取りに行くふりをして、この場から消える。



「先輩、おめでとうございます」

 弩が、屈託くったくのない笑顔で言った。

「やっぱり、二人はお似合いです。くやしい気持ちも起きないくらいお似合いです」

「ありがとう」

 どう見ても、僕の方が不釣り合いだけど。


「弩、主夫部を頼んだぞ」

 僕は言った。

「はい、任せてください」

 弩が胸を張る。


「ところで弩、こんなに豪勢だと、片付けとか大変そうだけど、大丈夫か?」

 僕は訊いた。


「もう! 新郎が片付けの心配なんてしないでください!」

 弩に怒られる。


「今日の片付けは私達でやって、先輩には一切家事をさせませんから」

 そんなひどいことを平気で言う弩。



「先生が酔っ払う前に、みんなで記念写真撮りましょう」

 萌花ちゃんがみんなに言った。


 僕達は、寄宿舎の正面玄関に移動する。




 掃き清められた玄関の前には、椅子と踏み台が並べてあった。


 僕とヨハンナを中心に両家の家族が前列に並んで、二列目に北堂先生とひすいちゃん、寄宿生、主夫部部員。

 三列目に、先輩達と「Party Make」が並んだ。


 萌花ちゃんは、がっちりした大きな三脚に中判のデジタルカメラを据えて、ピントを合わせた。


「そのまま、動かないでくださいね」

 準備を終えた萌花ちゃんが、カメラのリモコンを持って列に戻る。




「ねえ、塞君」

 レンズに向けてポーズをとりながら、ヨハンナ先生が話しかけてきた。


「二年生の春、君の担任になって、初めて君と向かい合って進路相談をしてた席で、こうなるんじゃないかって予感がしてたって言ったら、信じる?」

 先生が訊いた。


「あの時、私は君と結婚するんじゃないかって感じたの。君とこうやって、ウエディングドレスで写真を撮る自分の姿が見えたの」

 先生が続ける。


「まさか……」

 あの時の僕はただ、ヨハンナ先生と向き合ってドキドキしてるだけだった。

 主夫になりたいっていう夢を大人達に真剣に取り合ってもらえなくて、ちょっと怒ってたし。


「本当のことなんだけどな」

 ヨハンナ先生はそう言って微笑んだ。


「それじゃあ、撮ります。はい、チーズ」

 萌花ちゃんが合図した瞬間、先生が僕のほっぺたに顔を近付けてキスをした。


「えっ?」

 僕はびっくりして目を丸くしたままの顔で写真に納まる。


「ごめんね。あの時のこと思い出したら、君にキスしたくなっちゃったの」

 ヨハンナ先生が言った。




 このとき撮った写真は、今でも、二人の寝室のチェストの上に、大切に飾ってある。

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