第12話 エピローグ

 五月の初めに曲が完成した。

 去年の夏から彼女をイメージして作っていた曲。フレーズの断片だけがいくつも溜まっていたけど、それからなかなか集中することができずにいた。新学期が始まって落ち着いた頃から、また作業に取り掛かった。

 今の彼女を思うと、また新しいメロディーがいくつか生まれた。前に作ったものとは少し色合いが変わっていた。それを組み合わせると、ひとつのストーリーになった。Aメロ、Bメロ、サビメロ、Cメロの単純な構成だったけど、最高の出来だと思った。間奏のリフだけでさえ思いがこもっている気がした。アコギで仮オケを作って彼女に聞かせると「嬉しい」と目に涙を溜めた。

 彼女が詞を作る間に、ぼくはアレンジを考えた。彼女はちょっと古いガールズバンド系のサウンドが好きだった。BanglesやSweetboxやCyndi LauperやAvril Lavigneなんか。ぼくはそんな感じで、アコギ、エレギ、ベース、ドラムスだけの構成で伴奏を考えた。エフェクトもあまり多用しなかった。ギターのリフを印象的に仕上げた。

 四日くらいかけて彼女が作った詞は、キミとワタシが交互に問いかけ合うストーリーだった。キミとワタシは、ぼくと彼女のどちらとも取れるみたいだった。なんとなくいい感じのメロディーが命を持った。

 タイトルは『wanderers』だった。歌詞には出てこない言葉だった。

「ワンダラーズって、どういう意味?」

「これはね、風来坊。さまよう人とか歩き回る人っていう意味」

 まいったと思った。言葉がなかった。ささやかなラブストーリーの中に、遥かな悠久の流れが見えた。いつか言っていたふたりの未来の情景、とりとめもないおしゃべりをしながら歩く公園、学校の坂道、好きだと言った保健室前の廊下、陽炎の揺れる堤防の道、彼女が今日まで生きてきた道のり、何の意味も見出せないでいたぼくのあの頃、出会ってから泣いたり笑ったりした日々、まだどこに続いているのか分からないふたりのこれから。そんな全てがひとつの大きな流れになって、ゆったりと揺蕩っていた。ありふれた、なにげない、けれど大切な思いがこもった言葉たちが、その川をキラキラと流れていた。

 ぼくはアレンジを極力シンプルに作り直した。アコギを前面に出して二重に重ね、エレギは音量を落としてバッキングにした。ベースは譜割りを削ってロングトーンにし、ドラムはビート感を抑えた。その代わりテンポを少し早くした。

 彼女はキミのパートをぼくに歌わせたがったけど、すべて彼女に歌ってもらうことにした。詞のワタシをボクに替えて少し手直ししてもらった。そうすると、どちらが男でどちらが女なのか、どっちにも取れるニュアンスが増した。彼女のクセのない澄んだ声によって、いっそう中性的な雰囲気になった。優しく、せつなく、可愛らしく、軽快で広がりのある曲になった。

 そんなふうに、この曲が完成した。聞く度にふたりでしんみりしてしまった。そして、思いを分かち合うみたいに微笑みを交わした。

 いい曲だと思った。誰かに聞かせたいと思った。でも家族とか友達とか、身近な人に聞かせるのは少々恥ずかしかったので、ネットで匿名で流すことにした。ユニット名を考えようということで、彼女が一日足らずで思いついたのは「L」だった。

「エルって、どういう意味?」とまたぼくが尋ねる。

 彼女がいたずらっぽく笑って、逆に問いかける。

「先輩のイニシャルって?」

「JKだけど」

「私のイニシャルは?」

「NMでしょ」

「では、その真ん中はなんでしょう」

「ABCDEFGHIJKLMN、でLか!」

「そう。ふたりの真ん中のL。私のイニシャルはMNってことにして下さい」と笑う。

「それに、Lにはまだ意味があるんですよ。さてなんでしょう」

「あ、LOVEか」

「うふっ、正解。それともうひとつ」

「もうひとつ?」

「先輩の好きなもの」

「ナナカはNだしな。エル、エル、ラーメンじゃないよな、LASTでもないか」

「ブッブー。正解はLEGです」

「そうか〜。そうなるともう反対できないな」

「じゃこれで決まり?」

「OK。シンプルで響きもいいし、気に入ったよ」

「やった〜!」

 ぼくたちの子供に「エル」と名付けたのは、それからまだ何年も先のこと。

 公園などで撮った彼女の写真の腰から下だけを切り取り、簡単なスライドショーのPVを作って動画サイトにアップした。

 始めの一、二週間はどんな反応があるか気になってチェックしていた。コメント欄には「×××の曲のパクリじゃね」とか「何のステマだよ」などの雑言もあったけど「いい歌ですね」「せつなくてキュンとしました」「なぜか泣けちゃう」「声が素敵」「この足はなんていうモデルさん」「童話の世界が目に浮かびます」「他の曲はないんですか」など、おおむね好評のようだった。再生回数も見るたびに増えていた。

 使わなかったフレーズを発展させて次の曲を作り始めたり、今度は彼女にどんな服を着せようか考えたり、貸衣装サービスを始めたらどうでしょうという彼女のアイデアをみんなで検討したりしているうちに、そんなことも忘れてしまっていた。

 冬のある日、ぼくはそろそろ受験勉強もやっておかないとと作業台で赤本に取り組んでいた。彼女はガラステーブルで期末試験の勉強をしていた。

 彼女は勤勉のようでいて、そうでもなかった。得意な学科、英語や国語をササッと片付けて、あとは気の乗らない様子でダラダラとやっている。まあ、ぼくも似たようなものだから文句は言えない。いつの間にか彼女はパソコンを開いて「先輩、こんなのはどうです?」と声を掛ける。ぼくもこれ幸いと赤本を閉じてテーブルに座る。

「ほら、こんなストッキングはどうですか?」

 見ると、下着通販サイトの柄物ストッキングを指差している。花模様がプリントされたもの、黒地に白い星が散りばめられたもの、白地にパールのワンポイントが入ったもの、ドット柄、格子柄、ボーダー柄、チェック柄、レース模様などなど。

「このチェックのなんて可愛いと思いません?」

「う〜ん、まあね。ナナカが履けば、きっとどれも似合うと思うけどね」

「あれ、なんか反応薄いですね〜」

「どうも柄物とかカラーストッキングって、あんまりそそられないんだよな」

「やっぱり黒の普通のがいちばん好き?」

「そうだね。あとは肌色とか、たまに白とかも。あ、でも、このサイドにアーガイル模様のは可愛いかな。でもこれなら綿のニーソックスの方がいいかも」

「あ、それならこっちに編み込み模様のニットタイツもありますよ」

「冬の寒い日なんかは、いいかも知れないね」

「ん〜難しいな〜。ニーソックスもこのタイツもあんまり変わんないと思うんですけど」

「いやいや。ニーソとタイツはまったく別物だよ。鑑賞性と実用性というか……」

「あ、それならこっちの網タイツは? お肉がムチムチっとして男の人は好きそうですよね」

「ぼくとしては、それもあんまりそそられないんだよね」

 渋い顔をするぼくを見て、彼女がクククッと笑う。

「まだ先輩の好みは謎だな〜。じゃ、ふつうの黒でガーターで吊るすタイプは? これなら色っぽくてそそられません?」

「それがさ、そうでもないんだよね」

「スカートに隠れて見えないから?」

「じゃなくて、なんて言ったらいいのかな〜。ほらパンストって上の方でお尻とか股間とかをピタッと包んでるでしょ。でもガーターストッキングにはそういう連想っていうか妄想を掻き立てられないって言うか、はいここまで靴下って分断されてるって言うか……」

「ニーソだって」

「ニーソはソックスの長いやつだから、上への連想はムチッとしたふとももなんだよね。それがキュートかつセクシーなあやうい幅で見えてるって感じ」

「う〜ん、分かるような分かんないような……」

「ナナカは柄物のストッキングも履きたかった?」

「家の中なら可愛くていいかなって思ったんですけど。でも先輩があんまり好きじゃないなら履く意味ないですね」とちょっとしょげる。

「いや、ナナカが履きたいならいいよ。きっと可愛いと思うよ」

「いえ、なんか私も履きたくなくなっちゃいました。結局いつもの黒いパンティストッキングがいちばん好きなんですね」

「うん。柄で飾るよりも、ぼくはそれがナナカの足がいちばんきれいに見えると思うな。いつ見てもときめくしね」

「うふっ、分かりました。はい、ときめいてください」と、きれいに履いた半透明の黒い足をスカートの裾から伸ばして見せる。

「いつも見てるのに、なんで見飽きたり感動が薄れたりしないんだろうな。ナナカの七不思議のひとつだよ」と言いながら、慈しむようにそっと撫でる。彼女は少し頬を染めて、くすぐったそうに嬉しそうに微笑みながら「ほかの六つの不思議って?」と聞く。

「いつまでも素直なままだとか、着るものによって雰囲気がガラッと変わるとか、恥ずかしがり屋なのに淫乱だとか……。数え上げると七つじゃ足りないか」

 そんないつもの他愛ない話をしていた時、パソコンでメール着信の音が鳴った。ふたりでそれを覗き込むと、こんなことが書いてあった。

「突然のメールにて失礼いたします。私はNHKで「みんなのうた」という番組のプロデューサーをやっております桂秀俊と申します。さっそくではありますが、L様の制作された『wanderers』という楽曲を拝聴しまして大変興味を持ちました。つきましては一度お話をさせていただきたくメールを差し上げた次第です。ご都合のよろしい時にでも返信をいただけたら幸いに存じます。また下記電話番号にご連絡いただいても結構です。では何卒よろしくお願いいたします」

 ぼくたちはびっくりした。「みんなのうた」と言えば、彼女のおじいさんが音のないテレビを見ていたあの時を思い出す。「おじいちゃんもおばあちゃんも好きだったの」と彼女が言う。

 桂プロデューサーと何度かメールのやり取りをしてから一度会いに行って契約を交わし、その番組で流されることになった。オンエアされたのは半年ほどあとだった。ぼくは大学生、彼女は高三になっていた。

 童話の紙芝居のようなアニメーション映像がついていた。オオカミとウサギが手をつないで歩いていた。「おじいちゃんたちもきっと見てるね」と彼女が涙をこぼした。オオカミとウサギは、ぼくたちではなく、おじいさんとおばあさんでもあった。

 ぼくたちの曲は一カ月間くらい放送されていた。それから間もなく桂プロデューサーから電話が来た。

「なかなか評判がよくて問い合わせもいろいろ来ているんですよ。うちの関連会社の音楽出版社からもCD化してはどうかという話もありますし、一度お話ししてみてはどうですか」ということだった。

 その音楽出版社といろいろ話をして、楽曲の版権管理してもらうことにした。ぼくらの意向を汲んでくれて、特に対外活動はしなくていいので自分たちのペースで曲作りをしてこちらに預けて下さい、ということだった。ぼくは作曲家、彼女は作詞家、Lはアーティストとして音楽団体に公式に登録された。

 そして『wanderers』のCDを制作することになった。音楽ディレクターやミュージシャンと相談してアレンジも少し変え、カップリング曲とともにスタジオで再録音した。彼女は緊張しすぎて声がうまく出なかったけど、照明を落としてもらいぼくの手を握り、三テイクでOKが出た。

 CDが発売になると、親父は三十枚も買い込んで知り合いに配ろうとした。ぼくは、大っぴらにしたくないので止めてくれと言って残念がらせた。それは仏壇の隅に供えられた。ぼくたちがそういう活動をしているのを知っているのは、家族のほか、ほんの数人だった。

 その後ものんびりとコンスタントに曲作りをした。たまに他のシンガーのための曲の依頼が来たりもした。

 アイディアは次々に湧いてきた。イメージはいつも彼女だった。イメージは涸れることがなかった。可愛い曲、エレガントな曲、快活な曲、恥ずかしがりやな曲、ちょっと悲しい曲、あたたかい曲、弾んだ曲、踊るような曲、いたずらっぽい曲、しとやかな曲、泣き虫な曲、せつない曲、おしゃまな曲、ときめく曲、まばゆい曲、清らかな曲、しあわせな曲。つまりは、いつかの、いつもの、彼女の姿だった。まだ行ったことのない風景に彼女を置いてイメージすることもあった。どんな風景にも彼女はするりと溶け込んで、また新しい顔を見せてくれた。

 曲想にぴったりの詞で、あるいは曲想とは別のイメージで、彼女がメロディーを物語にしてくれた。ぼくがボーカルを取ることもあったけど、メインは彼女だった。彼女が歌うと、よくある言葉がメロディーにフィットして、最初からそうあるべきだったような分かちがたいものに聞こえた。時々、ここの言葉がどうも馴染まない、ここのフレーズがうまく歌えないということもあった。そんな時は音符を手直しして詞を優先させた。そしてどの曲も愛着のある大切な宝物になっていった。

 どれもヒットチャートを賑わしているようなキャッチーで派手な曲ではなかったけれど、童話のような優しい手触りのあるラプソディーの作り手として少しずつ評価が広まった。

 曲が溜まるとアルバム制作の話も出た。彼女は受験勉強のまっただ中だったので、ひとまずシングルCDを作った。それもまた桂プロデューサーが「みんなのうた」に採用してくれた。

 そんなふうに思いも寄らない方向に向かっていたけれど、ぼくたちの日常は何も変わっていなかった。

 彼女は朝食の用意をし、ふたりで大学に行き、それぞれの講義を受け、お昼には中庭でお弁当を食べる。そこには新しい友達もいた。帰ると彼女は掃除や洗濯や店の仕事、ぼくは曲作りや調べものや彼女に言われた倉庫の整理、それから彼女は夕食の買い物と料理をして家族で賑やかに食卓を囲む。風呂を済ませて部屋に戻り、彼女と過ごす。作りかけの曲を聞かせたり、詞をいっしょに考えたり、課題レポートに取り組んだり、真面目な話やエッチな話をとりとめもなく。キスをしたり、黙ってもたれ合って温もりを分け合ったり。そして時々、たっぷりセックス。別々の部屋で、あるいはぼくの腕の中で眠りに就き、新しい朝を迎える。

 散歩もしょっちゅうした。講義の合間の大学のキャンパス、帰り道にふと見つけた公園、いつもの噴水公園、彼女の家の近くの川の堤防、たまにはバイクで遠出をして海辺や山道を歩いた。思い出の植物園にも行った。どこの景色にも彼女は不思議なくらい似合っていた。元からそこで生まれ育ったんじゃないかと思うほど。

 胸が少しだけ大きくなってウエストもちょっとくびれ、もうプロポーションの良さを隠せなくなった。きれいな足は変わらずにぼくをときめかせた。伸びた髪を切ろうかどうしようか迷っていた。ぼくに聞かれても困った。どちらでも、どんな彼女でも、今の彼女がいちばん素敵だったから。

 ずいぶん大人っぽくなった彼女だけど、笑った顔、ちょこんとへこんだ笑窪、よく嬉し涙を溜める瞳、耳まで赤くなるクセ、すぐにスキップして駆け出す姿は、今も初々しいままだ。ぼくをすぐに抱き締めたくさせるのも、出会った頃と同じだった。

 秋物の新しいスカートを散々迷って買った帰り道、街のどこからか『wanderers』のイントロが聞こえて来た。ハッと顔を見合わせる。彼女がギュッとぼくの腕を抱き締める。そしてふたりでゆっくりと歩き出す。

 まっすぐに伸びた黒くつややかに透き通った足の少し先で、風が落ち葉を舞い上がらせ、プリーツを揺らめかせ、髪をなびかせた。その風に乗って、彼女の歌声が空に流れて行った。どこかまだ見ぬ風景へ。いつかの懐かしい風景へ。


  キミに言えるのは ただありがとう いつもいつも ずっと

  ボクにできるのは ここにいること ただそれだけ そばに

  キミが見つめる その目が好き

  ボクに微笑む その目が好き

  歩こう 風の中を 歩こう 嵐の日も

  歩こうか どこへ続くか知らない道でも

  歩こうよ きっとどこかに続いてる道を

  手をつないで 手を離さないで キミと ボクと


(完)

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Fetish Lover -この脚に恋をして- 高祇瑞 @miz

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