蒼炎の女神

よっしー

第1話

――どこだ、ここは。


 いつもの仕事の帰りには自転車に乗って、家に帰ってからは風呂に入ったあとはスマホを弄ろうと考えていたはずなのに、ふと気が付いたら見知らぬ場所に青年は立っていた。

 さっきまでどこにいたのか、と問われたならば即答で言える。

 自転車に乗って、下り坂をゆっくりと下りていたはずなのに、いまでは森林に囲まれた場所にいる。仕事に行くときよく使うリュックや乗っていたはずの自転車さえ、どこにも見当たらない。

 このまま立ち尽くすまま時間を浪費していられない青年は行動をすることにした。恐る恐る一歩踏み出し、何も起きないことにほっと一安心して、ゆっくりと周りに注意をしながら森の中を歩き出した。

 しばらく歩いてわかったことはいくつかある。当たり前のことだが、いまは昼なのか太陽が蒼い空で輝いている。が、太陽は一つではなくてもう一つあったのだ。

 あと、この森では普通の生物なんてどこにもいない。いるのは――妄想の中で何度も対峙し、蹴散らした存在である魔物と呼ばれる存在。実際に魔物と呼ぶのかわからないけれども、背丈が小さくて全身が緑色のゴブリンと遭遇してしまった。

 それも五匹。おまけに短剣や弓など背負っている。

 やばい。

 妄想癖が激しい彼にとっては、ゴブリンなんて最弱だろうなんて考えていたけれど、こうして実物を目の当たりにすると恐怖が全身を支配していく。

 なにせ、青年は何も持っていない。おまけに武術と呼べるかはわからないが、一時期そっちのほうを嗜んでいた。が、それはもう二年前のことで実際に身体が動いてくれるのか、わからない。

 やめた理由は、面倒だから。


「――っ」


 声にならない悲鳴を押し殺して、ゴブリンが動き出すよりも早く、前に踏み込んで――下から掬い上げるように蹴り込んだ。だけど、あっさりとかわされた。

 短剣を手にしていたゴブリンがそれを振るい、青年の脚を掠める。斬られた箇所が熱を帯びたように熱くなる。いまは一瞬だけでも動くのをやめたら、命を奪われる。

 死にたくない。

 生への渇望だけで、がむしゃらに一体のゴブリンの頭部を全力で殴りつけた。

 だが、こっちがそうしている間に残りのゴブリンどもは連携を組んで青年の命を奪おうと散開していく。弓を背負っていた二体は矢を|番(つが)えて、射る。

 左肩に一本突き刺さり、頬を掠める。


「っざっけんなぁ!」


 死への恐怖を自ら押し殺すために怒声を飛ばし、剣を持ったゴブリンが一瞬だけ動きを止める。剣を持つ手に最小限の動きで手刀を行い、そのまま相手の腕をなぞるように動かして首へと叩き込んだ。

 そこへ空気を鋭く裂く音を耳にして、勘のみで前に踏み込むとさっきまで彼のいたところに矢が二本降り注ぐ。

 対峙していたゴブリンの剣を拾い、斬り込もうと悩んでいるもう一体に投げつけた。それを相手は宙で叩き落す。だが、それでいい。


「るああああ!」


 雄叫びを上げて振り落された剣を脚で踏み潰し、武器を封じた青年は顎下に強烈な一撃を叩き込む。

 相手は残り――二体。さすがに仲間がやられることを想定していなかったのか、弓兵のゴブリンは動揺している。

 だから、この機会はもう二度と来ないだろう。

 背を向けて全力でその場から逃げ出した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 それから、何度もさまざまな魔物に襲われかけた青年であったが、ただひたすら逃亡を続けることで戦闘を回避していった。

 ほぼ一日中走り回ったせいか、全身が悲鳴を上げている。水さえ飲んでいない。何も食べていないから空腹だ。

 そうして辿り着いた先は洞窟だった。

 なぜかここだけは魔物が近寄ることなどなく、安心して休める場所を見つけたことに安堵の息を漏らす。

 一歩進む度に全身が悲鳴を上げていき、それでも止まることなどなく、洞窟の中に進む。

 そして――錆びた剣が突き刺さる台座を奥に見つけた。


『む、人か』


 脳に語り掛けるような威厳に満ちた声が聞こえ、人がいることに歓喜しつつもおかしいと疑問を抱く。ここにいるのは、青年と目の前の剣のみ。


「……もしかして、おまえが?」


 掠れた声で問いかけた。


『そうだ。妾こそ、この剣に封じられている転生の女神――だ』

「……え?」

『ぬ。妾の名前が剥奪されておるせいで、言えぬのか。人よ、妾に名を授けよ』


 いきなり名前を授けろ、と言われて困惑している青年はふととある名前が浮かび上がった。


「カルティナ」

『ふぬ。よい名前じゃのう。ところでおぬしの名前はなんというのじゃ?』

「……なあ、カルティナ。俺にも名前を授けてくれないか?」


 剣に宿る転生の女神――カルティナに問いかけると、相手は動揺しているかのように黙り込む。


「どうした?」

『最初に言っておく。妾が名を授けたら、おぬしは二度とその名前を名乗ることなど、できぬ』

「それでもいいよ。俺は……気が付いたらここにいたんだ。それにたとえ元の世界に戻ったとしても、やるべきことなんてない日々ばかりがずっと続く。だから――授けてくれ」

『よかろう。これからおぬしはヴァンと名乗るがいい。さあ、剣を取るがいい、ヴァンよ。妾と契約を交わすのだ』


 青年――ヴァンは剣を握り締めると、手を包み込むように蒼い炎が生み出される。焼かれるなどと思ってはいない。これがカルティナの炎かもしれない、と勝手に考えて、台座から抜き放つ。

 錆びていた刀身は蒼い炎によって銀色へと変化していき、やがては新品同様になった剣に目を奪われていたヴァンは喉の渇き、空腹感と疲労がなくなっていたことに気付く。


「これは……?」

『女神の下僕になった証として、おぬしに癒しを施しただけじゃよ。それにこれからおぬしには生きてもらわないと妾に不都合があるからの』

「ありがとう、カルティナ」

『礼には及ばぬ。さあ、ヴァンよ。剣術をおぬしにきっちりと叩き込んでやろう。妾の魔法もおぬしに教えよう』

「ああ、頼むよ。――俺の女神様」

『だ、黙れっ。軽口叩く暇があるならば、さっそく始めるぞ』


 調子に乗ってカルティナのことをそのように呼ぶと、彼女は照れたのか、鍛錬を行うことを促した。そのことにヴァンは笑みを浮かべ、彼女から剣術と魔法を教わることになり、この世界で生きていく術を得ていく。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 英雄国家イロアス。

 そこは世界に危機が訪れると異世界から英雄の素質を持つ者たちを召喚し、彼らを徹底的に鍛え上げ、邪悪なる者たちを討たせる。これまで数多もの英雄たちを召喚させたイロアスは、他の国からも一目置かされる存在となった。

 そして――彼らは封印されていた魔神が目覚めることを予知し、この世界が蹂躙される前に英雄を召喚することになった。

 千年前、唐突に魔神が現れ、世界の半分を滅ぼした存在を止めたのは当時、神々から加護を授かった人間たちである。魔神との戦いで命を落としたのは人間たちだけではなく、神々もまたその数を減らしてしまい、人々の前から姿を消した。


「――王よ。いつでも用意はできてます」


 謁見の間。

 質素ながらも上質な服を身に纏い、王冠を頭に乗せた壮年の男性は頬杖をついて、神官長の言葉をあくびをしながら聞いた。

 王座に座る彼は眼下の光景を見下ろす。

 謁見の間には神官長の補助をする優秀な神官たちが中央にある紅い魔法陣にひたすら魔力を流し続け、すでに十分以上過ぎている。その紅い魔法時は普段は隠蔽魔法によって人の目には見えないようになっていて、気付くことができる人などいない。


「ほう……。こうなるとは」


 十分に魔力を配給された紅い魔法陣は、まるで生きているかのように力強く脈打つ。魔神が現れた時意外にも、異世界から英雄の素質を持つ者たちを召喚していたイロアス。まさか、自分の代で英雄たちを目にするとは思ってなかったため、期待している王はただ一言紡いだ。


「――我らの世界を救いし者たちよ、来たれ」


 召喚の起動となる言葉を口にすれば、紅い魔法陣は謁見の間全体を色鮮やかに染めるほど輝いた。誰もが光が収まるのを待ち、やがて王が見たのは年端もいかない少年少女たちが困惑と驚愕をした表情でここがどこなのか、把握しようとしている姿だった。

 男女異なる服を着ているものの、統一されている服装に王は面白いと感じ、彼らに自己紹介を行う。


「ようこそ、英雄の素質を持つ者たちよ。いきなりで悪いが、おまえたちには世界を救うために命懸けで頑張ってもらわないといけない。私がおまえたちに願うことは――世界の救済だ」


 不敵な笑みを浮かべ、彼らに拒否権など抱かせるよりも早く英雄の素質を持つ者たちに命じた王。

 そして、異世界に帰るためには魔神を倒さないといけないことを知った彼らは、命を懸けてこの世界を救うことを決意した。


 

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