最終話 夏の終わりの覚悟
白い雲の向こうの青空がずいぶん高く感じる。ずいぶんと秋の空のような気がしたが、相変わらずしゃんしゃんと泣き続けるクマゼミの大合唱とうだるような残暑の日差しは、そんな気配を一蹴していく。
お盆があけて、恭一はこってりと両親と姉にしぼられていた。無理もない。最後の2日は缶詰作業で部屋を片付けるとか、食べたものを片付けるとかしている暇がなかった。もちろん、花火から帰ってきたらちゃんと片付けるつもりはあった。しかし、ゲーム制作で疲れた身体はもう家に帰ってきたら限界で、深い眠りに落ちてしまったのは仕方がないことだった。
最初に帰ってきたのは幸枝だった。散らかった家を見て愕然とし、勝手に使用された自分のパソコンを見て、とりあえず激怒していた。
「信じられない、姉のパソコンを普通勝手に使う?」
「いや、だから、緊急事態だったとさっきも説明した……」
「だから?」
「……ごめんなさい。」
殴られこそしなかったが、めちゃくちゃ怖かった。きっとこの説教で寿命が3年は縮んだに違いない。しょんぼりしていると、そこに両親が帰ってきた。しっかり風を通していなかった家は、なんだか古い家の臭いがこもっていて、両親はまずそのことをとがめた。そして台所の惨状をみて、母親が激怒し、父親は不機嫌そうな顔をしていた。
結局、家の荒れ具合から、幸枝が家をあけていたことはサックリとばれ、幸枝もがっつりと説教をくらっていた。この調子だと、夜にでもまた幸枝に怒られそうだ。そう覚悟すると、そっと四畳半の自分の部屋に戻った。祭の後といった感じの散らかった自分の部屋を見ると、ひとつため息をついて掃除をはじめた。燃やせるごみと燃やせないごみにわけて缶詰の残骸を分別していった。三〇分も掃除をすると、なんとか部屋は片付いた。
やっとスペースのあいた部屋の真ん中で大の字になると、古い家の天井を見上げる。神社の境内でいなくなったきり、やはり家に戻ってきても志朗はいなかった。一晩あけて、クロはいつものように振舞っているが、昨晩みせた、捨てられた子猫のような不安そうな瞳の色を忘れることはできそうになかった。
「クロ。……ちょっと弘介に会いに行ってくるから留守番してて。」
今、クロを一人にするのは少し心が痛んだが、男のけじめは一人でつけたいと思った。
外に呼び出すのも考えたが、久しぶりに弘介の家に行ってみることにした。自転車で一五分ほど走らせると、弘介の家だ。いまどきの白い外壁の2階建ての家。植木の緑も、恭一の家の松竹梅と違って明るく、近代的に見える。
弘介はまだ寝ているといって、弘介の母親が出迎えてくれた。
「ごめんなさいね、まだ寝てるのよ。」
「あっ、そうですか。すいません。」
「すいませんはこっちよね、毎日のように入り浸って、あげく泊り込みまで、ごめんなさいね。」
「あ、いや、いいんです、こちらこそ、すいません。」
お互いにぺこぺこと謝ると、母親が二階の弘介の部屋に通してくれた。
「弘介、恭一君来てくれたわよ。」
部屋をノックすると、どうぞと扉をあけて母親は階下へと下りていった。
「弘介、入るよ。」
「ぅううん。おう、恭一。」
ベッドの上で眠そうに半身を起すと弘介が返事をした。六畳の広いフローリングの部屋。エアコンもついていてうらやましいかぎりだ。
「わりぃ、寝てたわ。」
「いや、2日徹夜したら無理だって。」
弘介は頭をぶんぶんと振ると、眠気をふりはらった。
「で、結局、家にじいちゃん居たの?」
「やっぱりいなかった。」
「そっか。水臭いよな、黙って行っちゃうなんて。」
眠たいのか、考えているのか、弘介は目を瞑って暫く考えている様子をみせたが、ぽつりとつぶやいた。
「ライバルが一人減ったな。」
「そういう問題かなぁ。」
弘介の冗談に笑って答えるが、弘介は真面目な顔のままだった。あれと思ってじっと顔を見ると、弘介が言った。
「お前、クロちゃんのこと好きだろ。」
「……うん。」
やっと思いを口にした恭一を見て、弘介は満足そうに笑うと、親指をたてて言った。
「ライバル減ってよかったじゃん。」
「うーん。」
「何だよ、歯切れ悪いなぁ。」
寝ぐせの髪をわしわしとかくと、弘介が言った。
「ちゃんと告ったの?」
「いや、タブン、まだ。」
「なんだよ、タブンって。告んないの?」
「うーん。」
恭一はしばらく考えてから言った。
「来年のお盆にはちゃんと気持ちを伝えるよ。」
「来年かよ、鬼も大爆笑じゃないか。」
弘介があきれた顔でいった。
「なんだよ、ふられるのが怖いのか?」
「そりゃ、こわいよ。だけどさ、僕はまだ気持ちを伝えられる位置までこれてないから。」
「位置?」
「うん。」
再び、微妙な沈黙が流れた。
「お前、自分でハッピーエンド遠ざけてない?」
「ゲームと一緒にするなよ、それに…」
「それに?」
「相手が猫である以上、ハッピーエンドとか最初から無理だし。」
「う、うん、それは若干同情するけど。」
弘介が申し訳なさそうに言った。その表情を見て、恭一が慌てて手を振った。
「いや、そんなことはどうだっていいんだ。クロがなんであれ、クロはクロだし、クロはクロなんだからいいんだ。」
日本語になっているような、なっていないような、よくわからない言葉を並べて恭一はひとりで頷いて言葉をつなげた。
「僕はまだ、クロの世界になれてない。クロを好きになるのに、スタートラインに立ててないんだ。だから、これからさ。」
弘介に向って言葉にしてみて、モヤモヤとしていたものが晴れていくようだった。そうだ。クロを好きになるのに、まずはスタートラインに立たないと前に進めない。今はそれでいい。
「よくわかんないな。」
「わかんなくていいよ。僕もわからないことだらけさ。ただ……」
「ただ……?」
意を決すると恭一は思いを口にした。
「来年、じいちゃんが帰ってきても、クロが僕を選んでくれるように、この一年がんばるだけさ。」
「おお!」
弘介がびっくりしたように、目を見開いてから恭一の肩をバンバン叩いた。
「苦労するぞ。」
「覚悟の上だよ。」
「よし、それなら全力で応援してやる。じいちゃんにクロちゃんは渡さないぞ。」
「よろしく!」
「おぅ!」
弘介の軽口に含まれる、全力の応援の言葉が嬉しかった。そういえば、今日はまだ一度も黒猫に横切られていないことを思い出した。もちろんクロにも横切られていない。呪いは終わり、不幸も終わったのかもしれない。そう思うと、これからの一年がとても楽しみに思えてきた。
じいちゃんには、負けないよ。僕はクロのことが好きだから。
大切な言葉を、心の中でつぶやくと、ふっと、窓の外を見た。上空にかかるいわしのような雲は秋の空を示していた。刺すような日差しは相変わらずだったが、次の季節へと扉をあけて前に進もうと、恭一は思った。
ハッピーエンドにならない僕と黒猫の彼女 珠彬 @konron
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