未明の実験

阿井上夫

未明の実験

 早朝、彼は新しい能力に目覚めた。


 遺構か旧跡に認定されかねないほどの古アパート。六畳一間、トイレは共同で風呂なぞ望むべくもない部屋に彼が俯せに寝ていた時である。

 心地よい微睡みの中、独り身の気安さもあり彼は心置きなく放屁した。途端に彼を包んでいたペラペラの掛け布団が中を舞う。

 まるで、イタリアの主婦がテーブルクロスを食卓にかけるかのような大胆さ、あるいはスーパーヒーローが意味がない上に行動を制限しかねない大きなマントを翻すような猛々しさである。

 天井まで舞い上がった布団はふわりと落ちてくる。それをボンヤリと見つめていた彼は、おもむろに仰向けになった。

 さきほどの放屁には達成感がなかったので、必ずや第二波があると期待してのことだ。案の定、気配がする。肛門に向かって凝縮する下腹部の妖しげな気配。そして、まもなくすべてが満ちた。


「朝からうるさいですよ。何やってるんですか?」

 顔をあわせた隣人に注意され、彼は素直に頭を下げた。

 確かに不用意な行動だったと猛省する。何事にも準備は必要だ。医者に行った後、図書館に寄って書籍を漁り、それから必要な物資を調達しよう。

 よりよい放屁のためには、どのような食物を摂取するのが望ましいのだろう。また、想像以上に舞い上がってしまった場合、パラシュートが必要なのではないか。

 ホームセンターであれば揃いそうな気がする。急な動きのために痛めた腰をさすりながら、彼は階段を降りた。


 翌日未明、首都圏で震度六強の地震が発生した。建物の倒壊こそなかったものの、倒れた家具の下敷きになって怪我をした人多数、物損は数えきれない。

 この多大な被害を産み出した地震には驚くべきところが多々あった。

 通常の地震であれば性質の違う二つの波、初期微動(P波)と主要動(S波)が観測されるが、震源地付近ではその境目が観測されなかった。

 そのことから、震源はかなり浅かったことが推測されたが、計算で求められた震源地の深度は、浅いどころかどう考えてもアパートの二階程度の高さにあった。

 それゆえ『地震ではなく、隕石が空中爆発した結果ではないか』という突飛な仮説まで唱えられたが、事後の火災以外に焼けた気配がないため、すぐに却下される。

 ともかく、新しい情報が発表されるたびに研究者たちの驚きは喚起され続けるのだった。


 だが、しかし。

 本当に驚くべきことは、彼がまだ諦めていない点ではないかと思うのだが、どうだろうか。


( 終り )

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

未明の実験 阿井上夫 @Aiueo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ