プッシュ ミー オン 2013
フェイマスファイブ
『プッシュ ミー オン2013』パンだけで生きてるわけじゃないから
1
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉による」と教壇に立つギルバート・マクロイは言う。もちろん、パンにはジャムやバターが必要だとかいう話じゃなくて、「パンのみのため」、つまりは肉体的な要求だけを生きる目的にはしないことを言いたいらしい。
さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々と栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。(新改訳聖書 マタイ四章)
大学とは何と退屈なところだろうか? 入学まで「あり得ないほど厳しい受験勉強」を強制してきたわりには、さらに「あり得ないほど退屈で無意味に思われる講義」のオンパレードが続く。ただ、このマクロイの「比較思想概論」はなぜか興味を持つことができた。
理由は二つあった。ひとつは外国人講師にキリスト教文化や仏教思想をはじめ、聖書が伝える深い世界を教えてもらえる新鮮さが自分に必要と感じたこと。二つ目は三月にフラれた彼女とかぶらない授業をできるだけ履修したいという、まったくもって学習意欲とは無関係の動機が存在したこと。早い話が、よくわからないまま受講したわりには、今では退屈な大学の、数少ない楽しみの一つになっている。
わけがわからない。いや、もしかしたら、世の中、「わけがわからないこと」こそがスタンダードで、「よく理解できること」の方が少数なんじゃないか?
リズから別れを言いだされたのは三月中旬。ちょうど、「震災から二年」のキャンペーンが終わったころだったと記憶している。リズは(本名を高山利子といったが)、オバさんっぽいから自分の名前がイヤだと考えていた中学の頃、塾の英語教師が考えてくれた別名を名乗っていた。「リズはエリザベスのショートネームだし、利子と書いてリズとも読めなくもない」という言葉に心から救われたそうだ。
たしか、大学に入学してすぐ、掲示板の呼び出し通告をのぞいていたときのことだ。
「大橋会っていう名前なんだ~」と横から人差し指が伸びてA4用紙に書かれた自分の名前の上にとまった。
「なんか、建設業界の親睦団体みたいな名前だね。たのしそう・・・」
そう言って紫色のリュックサックを翻して去って行った、それがリズだった。「おおはしかい」だから、変わった名前と言われることはよくある。でも、「楽しそう」と言われたのは初めてだった。
そんなわけのわからない人と付き合っていたわけだから、別れも、わけがわからないのは当たり前と言える。「ほしいものができた」というのが関係を終える理由だった。
「『好きな人ができた』じゃなくて?」と何度も聞き返したくらいだ。
「たぶん私ね、そのほしいものを手に入れようと必死になるから、カイ君の期待にこたえられない人になっていくと思うの。早い方がいいでしょ。こういうのって・・・」
その「ほしいものが何か?」については一切質問しなかった。尋ねたところで無駄だと思う。たぶん、女性という種はこの手の決断を絶対に覆さない。いきなり部屋の模様替えを始めたり、長い髪をバサッと切ったり、年末でもないのにとっさに大掃除を始めたりするのと同じだろう。理由ではなくて、衝動なんだと思う。
それに、まさかとは思うが、もし、そのほしいものが自分のイメージより小さいものだったら、例えば車とかテレビとかパソコンとか、そのレベルだったら、その時はもう立ち直る自信がない。
僕はいつも、自分に不都合なことがあっても、ありのままを受け取ってしまう。なぜだろうか。反論はしない。「そういうものなんだ」という思いが先に心を満たしてしまう。リズとの時もそうだった。ただ、現実を受け入れる努力に徹していただけだった。
「お前のプレーはすべてが受け身だよな。別に悪いわけじゃないけど、もう少し、自分からゲームを組み立てようとか、相手の裏をかいてみようとか、ないの? それにさあ、わからないなら質問して来いよ。自分の中だけで納得してどうするんだよ」
三月にフラれた直後に入団したフットサルチーム、湘南ハイビースのキャプテン、高松誠さんにそう言われた時は、さすがに自分で個性だと信じていた「考え方」や「キャラクター」が欠点に思えてきた。現実を受け入れるのも才能だと、どこかで自負してきたからなのか、「受け身」と表現されたショックは予想外に大きかった。
2
リズから一方的な関係解消を宣告された頃、ひょんなことから、地元平塚のフットサルチームに入団した。別れが先か、初めてチームの練習に参加したのが先か、よく覚えていない。ただ、幸いにリズがいなくなった時間をさみしく感じないで済んだし、以前にもまして「熱中するものがある」という新鮮さが心地よかった。
このチームは他のフットサルチームと違うところが多い。活動方針が明確で、僕の心をとらえる言葉が頻繁にコート内外で発せられる。ここでの言葉が胸を打つのか、僕が変わったから、心を打つように聞こえていたのか。今さら考えても仕方ない。
ただ、これまで何度か「かつての同級生や知り合いたち」に誘われ、フットサルチームの練習に参加したが、結果として入団することはなかった。その中には神奈川県フットサル3部リーグで活動する湘南ハイビースよりさらに上の舞台でしのぎを削っている集団もあった。でも、なぜか興味が持てないまま、次の一歩を踏み出すことはなかった。
その時も「わざわざそこまでしてプレーしなくても・・」という受け身の心が僕を支配していたんだと思う。勝利のために必死になることは重要だし、当然の努力であり、競技団体として正しい姿勢だ。しかし、今思えば「ただ勝てばいい」という考えを第一とする集団、相手に対するマナーもリスペクトもなく、人間力に乏しい集まりに属するような違和感に抵抗を示したんだろう。勝つことに目的を置くことは当然だ。でも、「勝ち」の中に反省点や問題点はあるし、「負け」の中に学びや成長だってある。「勝ちゃーいいんだよ」という理論はビジネスで言うなら「儲かればいい」と言っているのと同じに聞こえた。
勝ってバカ騒ぎをして、負けて不貞腐れる。そんな空気をもったチームには全く魅力を感じなかった。心のどこかで「熱くなりたい」想いを認めながら、適当な理由をでっちあげて入団の誘いを断っていた。
何度目かの練習に参加したとき、ひらつかアリーナの二階席の周りを三歳ぐらいの男の子を連れてボールと一緒に二時間ぐらい歩いていた中年男性に声をかけられた。
「自分の考えが味方にハッキリわかるようにプレーした方がいい。それ以外はやりながら何とかしようか・・・、ハッハッハ」
といって去って行った。その時は「変な人なのかな」と疑って背中を見送ったが、驚くことに、数分後、その人は総監督としてチームの和に対して二分ぐらいのコメントを伝えた。
「全力を出すということにもっと貪欲になった方がいい。全力を出すこと以外に人間にできることはないんだからさ。勝ちも負けも、どっかで最後は運命でしょ。運命を受け入れるには全力が出せたかどうかしか、頼れるものはないんだよ」
このチームは他のチームで目標とされること、つまり「勝ちたい」とか「神奈川県二部に昇格したい」とか口にしない方針を貫いている。その時その時に全力を尽くすことそのものが選手の目標であって、勝利へのマネジメントは総監督の仕事であるという前提が守られている。勝敗や昇格ができるかできないかは結果であって、決して目標であってはならない。それを間違えないための内部ルールが細かく設定されている。
全力を尽くし、最高のプレーができれば最高の結果がついてくるのは当然だ。それが湘南ハイビース総監督、多度津健章の考えだった。「死中生有り 生中生無し」という上杉謙信の言葉をよく引用するらしい。
運は天にあり
鎧は胸にあり
手柄は足にあり
何時も敵を掌にして合戦すべし
疵(きず)つくことなし
死なんと戦へば生き、生きんと戦へば必ず死すものなり
家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る
帰ると思えば、ぜひ帰らぬものなり
不定とのみ思うに違わずといえば、武士たるの道は不定と思うべからず
必ず一定と思うべし
(上杉謙信が春日山城の壁に書いたとされる文)
たしか、最初の練習参加前に渡された事業計画書にも書いてあった気がする。プロ集団でない限り、プレーの報酬はプレーの中にしかない。真剣勝負を楽しく全力で、納得いくまで味わうことそのものが報酬であり、勝利や敗北はその結果と捉える考えには心から理解ができた。
勝利を目標にすると、かえって勝利に近づけなくなる。「勝ちたい」は局面で「逃げたい」にかわる。こう話す多度津さんの理論は、一見、戦闘集団として非現実的な理想論に聞こえるが、攻守の切り替えが早く、集中力と展開力が必要とされるフットサルというボールゲームにおいては、もしかすると最も現実的な戦略の土台となる「革新的な本質」なのではないか。
どういうわけか、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉による」というマクロイが講義で発した言葉を思い出す。マクロイの顔を思い出したことが自分の背中を押してしまったんだろうか。この瞬間、僕はこの湘南ハイビースへの入団を決心した。
「総監督、こいつに6番のユニフォームを与えたいと思うんですが・・・」
というマコトさんの言葉に多度津さんはニコやかに「おめでとう」とだけ言い、子供の手を引き、土手に面した駐車場に歩き出した。
3
マクロイは初老のスコットランド人で俳優のイアン・マッケランに似ている。哲学的な内容を諭すように、そして語るように講義することから、受講生の間ではマッケランの当たり役だった「ガンダルフ」(映画『ロード オブ ザ リング』)というあだ名が付けられていた。彼の講義は「聖書をキリスト教やユダヤ教の本としてではなく、世界の文化、思想、哲学の根底にある書物として読むこと」が基本軸にある。それにより、国際的な政治、経済、軍事、社会、音楽、芸術が深く理解できるようになるという。また、西洋文化は少なからず聖書的な発想が土台となっているため、聖書を知らないと西洋文化が支配するこの時代を読むことはできないとガンダルフは熱弁する。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
「カイ、ここでイエスが言うパンとは何を意味するんだろうか? わかるか?」
「食べるもの、飲むもの全般・・・、いや、肉体的な欲求すべてだと思います」
確か、ここまでは以前の講義で習ったことがあったから、簡単に答えられた。
「すばらしい。でも、他にないのか? 次にイエスは『パンだけでなく、神の口から出る一つ一つのことばによると書いてある』と言っている。では、その『ことば』とは何だろうか? あなたから皆にわかるように説明してくれないか・・・」
今日に限らず、いつもがこんな調子だ。堅く、気まずい空気に受講生は日に日に減っている。僕と言えば、そんな中で、何かとさされ、答えさせられているから、そのうち、きっとほかの受講者に「フロド」というあだ名が付けられるだろう。
「自分にとってパンとは何かを常に考えられるよう心がけてください。そして、パンのみのために生きない生き方で迎える人生はどのように尊いものなのか? それらを自問自答できる人格を得たならば、皆さんにとって人間としての第一段階はクリアですね。本当の幸福とは、そういう人にしかやってこない」とマクロイは結んだ。
前回の彼の講義で、明治維新に始まった日本の近代化は世界トップクラスの偉業である半面、西洋の技術やシステムだけを導入しただけで、その根本にある聖書的な発想に裏付けられた「文化の土台」を無視してきてしまった「歴史のツケ」が説明された。枝や葉をもいで持ち帰ったところで、長く成長を続ける木を育てることができない。根にあたる精神を長い時間をかけて育んでこそ、大木への成長が約束される。ある意味で、明治時代に内村鑑三が主張した理論こそが正論であった。
そんな話を毎回聞かされているうちに、何となくマクロイの言葉を覚え、生活の中にその意味を確かめる習慣が定着しつつあるから驚きだ。
人はパンだけで生きるのではない。もし、このパンが物質的、あるいは肉体的な欲求指すのであれば、「ほしいものができた」と言って僕のもとから去って行ったリズはイエスと違い、悪魔の試みに負けてしまったことにならないか?
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
僕に別れを告げた時、もしかして、リズは僕を試していたのかもしれない。急にそんな想いにつつまれた。僕が得意の「受け入れ男」に徹してしまっただけで、リズは僕の「ちょっと待ってくれ、どうしてだ」というような、半ば強引な抵抗姿勢を期待していたんじゃないか? そして、その期待を僕は簡単に裏切った。
胸を締め付けるような後悔が襲ってきた。でも、もう遅い。遠い遠い過去の話だ。それに、僕は神様ではないけど、試みてはいけないという言葉が正しいなら、ここでもリズは悪魔に負けて僕を試みたことになる。自分を正当化しているのか、慰めているのか、とにかく僕は「試みてはならない」というフレーズを心の中で繰り返した。
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々と栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
ここに書かれている「高い山」と「高山利子」という名前の一致は偶然だろうか? 「欲望にひれ伏して拝んでくれたら、ワタシ、もう一度、カイ君とやり直したいと思うの・・・」というリズの声の幻聴が今にも耳に飛び込んでくるような気がする。あの子は悪魔の使者だったのか・・・。そんなことはない。膝の上、握りしめた拳の中、べっとりとした汗を感じる。呼吸が荒い。
講義の途中にもかかわらず、トイレに行くふりをして教室を飛び出した。狭い多目的グランドに続く道に空気の抜けたサッカーボールが落ちていた。僕は無意識でドリブルを始めると誰もいないサッカーゴールに向けて突進した。足の裏の感触がアスファルトから土にかわる。次の瞬間、ゴールに向けて右足で大きくボールを蹴った。フニャフニャのボールはゴール手前にポトリと落ち、弾まずにその場で止まった。
心が震えている。興奮とか感情のせいではない。僕の中を支配する何かが震えている感じがする。その震えは時間と共に少しずつ緩やかになり、僕の肉体と一体になっていく。
心が穏やかになっていくにつれて、マクロイの講義と湘南ハイビースでプレーするフットサルが、いつしか新しい自分を引き出していく役割を果たしているのではないかと感じる新しい自分を意識できるようになった。
4
湘南ハイビースの練習はハードだったが、楽しかった。多度津監督はエンジョイ(enjoy)とファン(fun)を使い分ける。エンジョイは英語で真剣勝負をやりきる中で楽しさを感じることを言うらしい。それに対してファンはチャレンジを含まない単純な楽しさのことだという。本当のエンジョイを追求するこのチームは、あくまでも「完全燃焼から得られる楽しさ」を手に入れることが目標であって、勝利や昇格を第一の目標にしない基本ルールがある。
この考えは楽なようで、むしろ厳しい。入団して間もないころ、敵陣でフリーな味方がいたにもかかわらず、僕が相手DFに一対一の攻撃を仕掛けてボールを奪われ、カウンターアタックを食らい、危うく失点しそうになったことがあった。
「お前さ、どうでもいいけど、ゲームがつまらなくなるんだよ、この受け身野郎!」とマコトさんに怒鳴られた時は本当にへこんだ。
断わっておくが、一対一の仕掛けを選択したことに後悔はない。「つまらない」と言われたことで、なぜか「楽しそうな名前」とか「ほしいものができた」といって僕の存在を過小評価したリズの存在を思い出して、「やるせなさ」と「もどかしさ」を感じたことがたまらなく悔しかった。
ここでも僕は、このような表現を受け入れなければならないのかと思うと、自分で自分が嫌いになりそうだった。だったら「ヘタクソ」とか「視野が狭い」とか言われて注意された方が、よっぽど気が楽だ。「つまらない」と表現されることは、どのような分野の人間関係においても、最も傷つく言葉なんだと教えられた気がした。
四月末だったか、中央地下道の並びにある小料理屋で行われたミーティング兼会食の後だったと思う。総監督はかなり酔っていたが、ふらふらと伸ばした手を僕に向けながら驚くことを口にした。
「カイ、お前な。いつまで何を引きずってるんだよ。捨てちまえよそんなもん。人生は身軽のほうがいいぞ」
そう言って僕の肩をたたくこの人に今の自分はどのように見えるのだろうか? 何かを言い返そうかと思ったが、息が詰まって言葉にならない。酔ったボスはケラケラ笑いながら、滑り込むように止まったタクシーの後部座席に転がるように乗り込み、走り去っていった。
とにかくこれまでの自分の中で、捨てられるものがあれば、可能な限り捨ててみよう。意外に自分の予想よりも大きなゴミ箱が必要になるかもしれない。考え方や価値観が別の方向にシフトするだけで本棚も多くの本や辞書が入れ替えられると同じように、自分の中にある「大切だとされてきた項目」の多くが消去される対象となるのではないか。そうだとすれば、まず、このハイビースでの地位獲得に全力を注ぎ、すぐにでも「自分革命」をスタートさせなきゃいけない。
リーグ戦開幕を前に、いまさらかもしれないが、このチームの一員として全力プレーの楽しさを作り出せる選手でありたいと思えるようになった。まあ、その結果として、新しい自分に出会えれば、それはそれで大成功じゃないか。
「カイさん、何か引きずってますよ。ほら、後ろです・・・」
平塚駅に歩き始めると僕の後ろを歩く、ゴールキーパーの西条浩太が笑い出したいのをこらえるようにつぶやく。振り返ると、古くなった「商店街にあるようなプラスチックの桜の枝」が紐に絡みつき、それが僕の足のかかとにつながっていた。靴の裏には黒いガムが張り付いていた。
「捨てちまえよ、カイ。そんな季節外れの汚れたプラスチックの花なんか、お土産に持って帰ってもだれも喜ばねえぞ」
そう言って、絡みつく紐を勢いよく踏んづけたマコトさんの力を借り、次の一歩で桜の枝は僕と切り離された。そのまま僕たちはほとんど口をきかずに平塚駅まで一緒に歩いた。
二〇一三年、関東甲信越の梅雨入りは五月二十九日で、例年よりも十日ほど早かったが、雨が少ないため、レンタルコートがキャンセルになることもなく、練習や開幕準備への影響は全くなかった。チームが順調に仕上がっていく一方で、僕自身の調子は一向に上がっていかない。厳密に言うなら、コンディションは悪くない。ただ、このフットサルというスポーツの奥深さを知れば知るほど自分の至らなさを痛感し、かえって自信が持てなくなってしまっている。
ただでさえ、サッカーよりスピード、バランス、タイミングが試合を左右する競技にもかかわらず、いつもの「受け身の男」の悪いところなのか、何かを自分のほうから仕掛けていくタイミングがつかめずにいた。不安を解消するために関連サイトを検索したり、「フットサル上達マニュアル」とか、「フットサル基本戦術」といったタイトルの本を必死で集めて読んだりしていた。
今回のテーマは前回と反対に、「どうやってパスを受けるか?」です。キーワードは「フェイク」。偽物の毛皮のことをフェイクファーと言いますが、あのフェイクです。フェイントという言葉もありますが、フェイントというと、ドリブルのときに相手を抜く技を指すことが多いですが、フェイクはボールをもらう前の動きを指すことが多いです。
では、フェイクとは???これも簡単です。パスを受けるときに、わざと反対側に1、2歩ダッシュします。すると、マーカーもつられて位置と重心が移動します。その瞬間に元の位置に戻ってパスを受けます(もしマーカーがつられなかったら、そのままダッシュしてパスを受ければよい)。
なんで、わざわざフェイク入れるの?と思った人もいるかもしれません。確かに、フェイクを入れなくてもパスが受けられるかもしれません。しかし、フェイクのポイントは、相手をまくことだけではなく、ボールを受けたときに、一瞬フリーになる余裕を作ることにあります。パスを受ける前には必ずフェイクを入れるように体に覚えさせましょう。
(Futsal Club - Tiger Lilies FCのホームページから)
5
このチームのエース、江田島源太郎さんが神奈川県リーグ一部の試合を見に行こうと誘ってくれた。寒川総合体育館の二階席から眺めるフットサルは今まで自分が練習してきた競技とは別世界のスポーツに見えた。こうして県リーグの試合を見に来たのは初めてではない。でも、今は何か新鮮でワクワクとさせる何かを含んでいるような気がした。
「それは自分の中身の変化だととらえるべきじゃないのか。変化の初期症状ってさ、『好き嫌い』が変わってくることじゃないかな」
と源太郎さんは分析する。そうかもしれない。今、こうしてフットサルと向き合ってみると、今までは気が付かなかった「細かい動き」が見えてくる。それらを楽しく見ている自分もいる。まず、ボールを持っていないプレーヤーのポジショニングだ。コートがサッカーより狭いため、小さな違いは時に大きな違いを生むことになる。
源太郎さんの解説によれば、両サイドに構える選手(アラ)の「立ち位置」がゲームの組み立てる重要な要素であるという。目の前で展開させる試合をベースに、その理由と基本戦術を、ハイビースが学ぶべきポイントを混ぜながら四十分ほどの説明を受けた。「なるほど」と思う反面、本当に自分にもできるのか、心配になってきた。
背後に気配を感じたと思った瞬間、僕の後頭部を小突く人影が見えた。
「カイ、何かつかめたか?」
スーツ姿のマコトさんだった。ゴールキーパーの西条浩太と僕と同じ年のフィールドプレーヤーの今治悠もいる。
「この顔だと、サッパリって感じですね。まあ、悩んだってなんだって、知ることは早いほうがいいっしょ」今治はこちらを見ずに、コートの試合を眺めたままつぶやいた。
この日の夕方、あらためて局面に合わせたポジションの取り方、守備の決まりごと、ボールを奪ってからの攻撃の仕掛け方が確認された。屋外の人工芝コートで行われた、体より頭を使う練習だった。神奈川県三部リーグは一部、二部と違い、体育館やアリーナなどの屋内ではなく、屋外人工芝コートで開催されるため、それに合わせた特融のボール感覚、ピッチ感覚を習得する作業も同時に実行された。
頭でわかっていることを体現するというのは本当に難しい。マクロイの言葉にもあった。この世の中で「言葉で表現できること」は我々が考えているより恐ろしく少ないらしい。たとえば夕日の色は何色か? 実は本当の意味では誰も的確に表現することはできない。文字も同様、ひとつの表現は百人に百通りの解釈やイメージをもたらす。
だから、言葉で説明を受け、本や雑誌やネットで情報を集めてみても、自分のプレーとして身につけるまで、血のにじむような努力を必要とするのだろう。開幕まで、もう時間がない。だからと言って、今さらやめるわけにはいかない。結局、何かを体得できたとは言えないまま、この日の練習が終わってしまった。それでも大きな充実感があった。
翌日の一時限目、ギルバート・マクロイの講義を、重い体にこの時期特有の生温かい「じめっとした空気」を感じながら受けていた。瞼が重い。眠ってしまいそうだった。
その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。すると、大ぜいの群集がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群集はみな浜に立っていた。イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のあるものは聞きなさい。」
すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
(新改訳聖書 マタイ十三章)
「カイ、これらの種の話を通じてイエスは何を伝えようとしていたんですか? 同じ種でも芽が出る種とでない種がありますね。たとえば、ここで言われる『種』が、私たちのひとつひとつの言葉だったり、出来事だったり、絵だったり、写真や音楽だったり、なんでもいい。それらが育っていくのか、それとも枯れてしまうのか、決めるのは何だろう?」
外国人特有の訛りある日本語と伝道者のような仕草から語られる言葉は重みがあるが、眠さとだるさで、質問の意味が理解できない。こんなときに限って、なぜかこの人は目をキラキラ輝かせて質問してくる。
種の話だろ。だから何か種に関係することを答えなくちゃいけない。でも、真っ先に頭に浮かんだのは、電車の中刷り広告で見た「エビスビールのポスター」でたくさんの麦粒を両手で大切にすくい上げている写真だった。しかも、それは種じゃなくて麦だ。
何かを言わなくてはと思った次の瞬間、「興味ってやつじゃないですか?」という言葉が無意識に口から出ていた。マクロイが眉間にしわを寄せる。そこから先は、子供が言い訳するように僕は言葉を続けた。
「興味があれば全ての出来事は勉強になりますし、自分の財産にもなります。興味がなければ、どんな高価なギフトもゴミと同じですから・・・」
マクロイは返事をすることなく、あごひげをさすり、沈黙を守った。一呼吸おいて、メモに何かを書き込んでいく。マクロイが授業を再開させるまでの数分間、教室は西洋の教会のようにシーンとしていた。
6
六月末の日曜日、神奈川県フットサル三部リーグが開幕した。湘南ハイビースは横浜の青葉区にある人工芝コートで海老名アスレFCと対戦した。結果からいってしまえば、湘南ハイビースは初戦ということもあり、立ち上がりに硬さが見られたものの、少しずつリズムをつかみ、辛くも勝利を手にした。
押されに押された前半、多度津監督は、各チーム前後半に各一回ずつ認められるタイムアウトを早めにとった。
「あんまり楽しそうには見えないねえ。邪念が多くて心が曇っている感じだ。勝利を意識するなよ。伸びる手足が伸びなくなるし、打てるシュートが打てなくなる。」
そう言いながら笑って選手たちをベンチで迎え入れた。
「カイ、行くぞ!」
多度津さんが僕の二の腕をつかむ。
「ヘイ、カーボーイ! おちとかボケとかはいらないから、練習試合のつもりで楽しくやってこい」
それだけを口にした。交代でベンチに戻る今治に脱いだビブスを渡し、コートに入った。
フットサルの専門用語で「ボールを持つ選手」と「それを受ける選手」の間に相手DFが立ち、パスコースをふさいだままになっていること、もしくは相手DFの裏に受け手が隠れてしまっていることを「死んでいる」という。ベンチから「カイ、死んでいるぞ」という言葉が連呼される。それほどに僕のポジショニングはいい加減だったんだろう。
早い話が、常に僕と出し手との間に相手DFがいて、いい加減な自分の立ち位置のせいでパスの出しどころがないのだ。いてもいなくても同じという意味で「死んでいる」とはよく言ったものだ。
あまりの出しどころのなさにゴールキーパーの西条浩太にボールがバックパスされる。西条は相手ゴール前で待ち構えるエースの源太郎さんに浮き玉のロングパスを蹴った。そのボールに相手DFが詰める。競り合ったボールはDFに弾き返されて右サイドのマコトさんの前へと転がっていく。
誰の声も聞こえなかった。
「―――カイ、止まれ―、それ以上前に出るな―」
なぜか、僕は左サイドを全速力で相手ゴールに向って走っていた。ベンチの声は聞こえない。後で聞いた話だと、この時、ボールを持っていたマコトさんは、僕が前に出すぎて、自陣が手薄になり、それが原因で失点になること防ぐため、相手のカウンター攻撃につながるようなミス、つまりゴールキーパーにキャッチされたり、DFにボールが当たったりしないようにすることだけを考えたという。
一度、ボールを外に出し、相手がセットしている間に、僕を自陣に連れ戻そうとしたんだろう。マコトさんが相手ゴールのコート左側のファーサイドに流れていくボールを強く蹴った。そのボールは前線の源太郎さんと相手キーパーの間を矢のように横切っていく。
僕は必死になって、そのラストパスをゴールに押し込むため、人工芝をスライディングし、ファーポストに向って足を伸ばした。相手DFも僕についてくる。ボールは僕とDFのわずかな隙間に勢いよく転がって来た。それでも、パスコースをきってから僕に向かって間合いを詰めてきたDFは何とかつま先にボールを当ててこのラストパスをクリアしたが、ゴール左にそれるように蹴られたボールの弾道は向きを変え、なぜか相手ゴール左隅に転がっていく。ボールは僕が伸ばした左足と地面の空間をくぐるようにすり抜け、ポストにあたり、ゴールラインを割った。
「ゴール! ハイビース6番」
レフリーは右手をセンターサークルへ水平に指し示し、得点者をオフィシャルに告げる。チームの誰もが僕のゴールと信じて駆け寄ってくる。ベンチから大声が聞こえる。
「開幕ゴールはカイか、大穴だな、こりゃあ」
ネットを支えるコンクリートの柱を軽く叩きながら今治がぼやいた。
でも僕は触っていない。つまりはオウンゴールだ。僕が左足で押し込んだように見えただけで、シュートしたわけではないのだ。マコトさんのキックに相手が触ってしまった結果、ゴールになっただけだ。
この先制点が生きて、後半、リトルレフティー、大洲亮平さんの追加点をよびこんだハイビースは海老名アスレを二対〇で下し、初戦を勝利で終えることができた。
試合直後、レフリーが僕のところに来た。
「君、あの一点目、触っているよね。公式記録のために確認させてもらいたいんだけど」
ここまで来て、触っていませんとは言えない。
「はい、触ってます」
と答えてベンチを後にした。
その時、本来ならうれしいはずの勝利が、僕の中で急に後ろめたいものにかわっていくのを感じた。追い打ちをかけるように、後ろから声がする。
「カイ、お前、ウソがうまいな。まあ、いいけどさ」
多度津監督に耳打ちされた。「見ている人は見ている」とはこのことなのか? 「誰にも言わないけど、俺はわかっている」というような顔をしている。
「一点目を記録すれば自信がつき、次に続いていく」。よく、野球でも初ヒットがでたり、ホームランがでたりすると勢いがつくと言われるから、ここは自分の得点ということにしてもらって、弾みをつけたい。そんな安易な考えからの発言だった。でも、かえって嘘をついてしまったという事実が僕を暗い気分にしてしまった。
初戦の重圧から解放された選手たちはニコやかに帰り支度をしている。ゴールシーンを思い出してみる。触った感触のないスロー映像が心を締め付ける。来週の試合こそは、しっかりとした役割を果たそう。そして、できるなら、本当のゴールを体感してみたい。勝った集団の中で、僕はひとりだけ、負けたチームの一員のような反省を続けていた。
7
翌日の夕方、クールダウンを兼ねて、平塚ビーチパークから花水川の河口までの砂浜を西に向かってゆっくり歩いて往復した。今まで考えてきたこと、学んだこと、試合や練習を通じて体感したこと。全て一度白紙にしてから新しく組み立ててみたくなった。
波打ち際に沿って歩いてみると、やっぱりオウンゴールを正直に伝えなかった事実が心の大半を占めていることに気がついた。後味の悪さというか、後ろめたい感覚が今も心を支配している。
でも、ゴールでいいじゃないか。だって、もう、公式記録は自分が得点者だ。今からでは、もう、変更はできない。
「ウォーーーッ!」
突然、そして無意識に、キラキラと輝く波打ち際、水飛沫を立てながら走りだす。たった今、ゴールを決めたサッカー選手のように喜びを表現するかのような走り方で湿った砂の上に裸足でステップを刻んだ。これでいい。もう、自分のゴールだ。
「あれ、カイじゃねーか?」
ビーチセンターの水道で水を飲み、足を洗っていると、ビーチバレーをしている集団に声をかけられた。ほとんどが僕を不思議そうな顔で見つめている。「さっき、大声を張り上げて、変な走り方をしていたのはお前か?」と言いたげな表情だ。中学時代の同級生が何人か混じったコートに、今でも多少の付き合いがある鳴門吉彦、通称サミット、がいた。
「何だ、ひとりか? 半年ぐらい前にシネコンで一緒だったカワイイ彼女はどうした? こんなところで大声出して走っているところをみると、フラれたな、こりゃ」
正解! でも、叫んで走っていた理由はその彼女じゃありません。(でも、久々に彼女がいたことを思い出した。別れてから何年もたったような気がするから不思議だ)
サミットにハイビースの話をする気になれなかったから、僕は笑ってごまかした。
「カイ、実はさあ、次の日曜日、七月七日の七夕祭り最終日の夜だよ。ある程度、仕事が片付いたら気の合う仲間で簡単な打ち上げをやろうかと思ってるんだ。彼女もいないなら、カイ、お前も来ないか? 歓迎するよ。バイト先の女の子達とか、その友達とかも来るから、いいチャンスになるじゃない。お前の大学のテストが忙しくなきゃ、どうかな」
サミットは僕の顔ではなく、沖に浮かぶ観測塔を見つめながらつぶやくように話した。
「いつも気にかけてくれてありがとな、サミちゃん。実はその日、フットサルの大切な試合があるんだ。それが終わってからでもいいかな。テストは心配ないし、次の日も大学は休みだから、僕で迷惑じゃなければ、よろこんで行くよ」
コートでプレーの再開を待つ他の友人たちをチラリと見ながら僕は答えた。サミットは胸に背番号と「NPOトータルライフサポートクラブ」、背中に「株式会社サン・ライフ」のスポンサーがプリントされた僕が着ているトレーニングシャツを見つめる。
「どうしたんだよ、現役選手に戻ったんか。そりゃ、彼女もいなくなるわ。まあいいよ、その話はいずれしようか。試合が終わって準備ができたら電話をくれ。ただし、シャワーを浴びてら来いよ。汗臭い奴はお断りだ。それと、これだけの皆さんにサポートされているチームにいるんだろう。こんな人目につくところで、変な行動は慎めよ、この受け身野郎!」
中学時代、同じサッカー部に所属していたサミットは、僕の一番気になるキーワードを吐き捨ててビーチバレーコートに戻っていった。
自販機で買ったスポーツドリンクをすすりながら、笑い声や優しさのこもった言葉が飛び交うサミットたちのビーチバレーをしばらく眺めていた。少し前まで僕も成長とか進歩とか、あるいはそれらをコートで体現すると言った目標と無縁の世界にいた。真剣勝負に身を置くまでは「試合を控えている人」、つまり、戦う場を持っている人を心のどこかでうらやましく思っていた気もする。
しかし、いざ、自分自身を厳しい世界に放り投げ、目標を持って生活してみると、サミットのように「純粋にスポーツを楽しむ姿勢」も別の意味でうらやましく思えてくる。
いつかマクロイが言っていた。ヨットに乗ると丘が恋しくなり、丘にいるとヨットに乗りたくなるように人間はできていると。
どちらがいいとか悪いとかではない。どちらがその時の自分に必要かという問題だと思う。リズと別れた僕に「自分革命」が必要だった。いや、その方向に流れついてしまった。僕にとって湘南ハイビースを通じた新しいチャレンジこそが必要だっただけの話だ。
七月七日の七夕祭り最終日の夜の打ち上げは、もしかすると、これまでの自分自身の変化を確認する大切なチャンスになるかもしれない。新しい出会いや発見があれば、それはそれで嬉しい。直前まで真剣勝負の世界で全力プレーをしてから、楽しそうなサミットとその仲間に合流したら、どんな気持ちになるだろうか。フラれたことから始まったとはいえ、チャレンジの道を選択した僕の運命みたいな現実が、僕自身の中でどう解釈されていたのかを知るのは興味深い。
マコトさんや源太郎さんに打ち上げの話をしたら、僕の人格を疑ってしまうだろうから、黙っておこう。
ここまでの「僕の選択」は間違ってはいないことを、日曜日、七夕の夜に証明しよう。これも、目標としてきた「自分革命」の大切な作業であり、効果測定じゃないか?
梅雨の時期独特の曇り空が途切れ、湘南平のテレビ塔の方角と箱根の山の間に夕日が輝いている。南風が心地いい。この様子だと今年の梅雨は短いかもしれないな。今年の梅雨と一緒に、自分の中にある曇った何かも、少しでも早く晴れてくれることを祈った。
8
決戦三日前の木曜日の夜、我々湘南ハイビースは格上、県リーグ一部のコンパニョーラ茅ヶ崎と練習試合を行った。なぜ、大切な試合の直前に強敵と対戦するのか?
多度津監督はプレスの早いチームで準備をするべきだと、その理由を説明した。相手のレベルが高ければ、当然、プレスや寄せも厳しくなる。我々がボールを持った瞬間から相手の足が伸びてくるまでの時間が短くなるわけだ。試合前にこの「厳しいプレス」を経験していれば、三部リーグに戻った時に、敵が寄せてきても、あわてずにボールコントロールができると考えたようだ。
ただし、どのようなメニューや戦略にも一長一短があるものだ。このきついプレスが調整のプレスになる選手もいれば、かえってマイナスになってしまう選手もいる。僕は後者に入ってしまった。予想以上に相手選手の寄せが早く、味方のパスをもらった瞬間、足が伸びてくる。そのため、思うようにトラップができない。できないから、パスは僕の次に回っていかないし、ひどい時は、その瞬間から相手のカウンター攻撃が始まる。
何度か失敗を繰り返しているうちに、リズムがまったくつかめなくなってしまった。それどころか、「何をしたらいいか」もよくわからない悪循環に陥った。攻撃の失敗でカウンターを受けないことがフットサルの大切なセオリーにもかかわらず、明らかにこの日は僕が相手のカウンターの震源地になっていた。
「カイ、ボールだけをみるな。味方も敵も、とにかく人を見ろ!」
源太郎さんは前線から大声で僕のプレーに注文をつけてくる。頭ではわかっているんだけど、早さに戸惑っているうちに普段のプレーもできない心理状態になっている。
「カイ、交代だ。戻ってこい」
ベンチから多度津監督の声がする。貴重な試合にもかかわらず、僕のプレーでチームの練習成果は激減している。監督として当然の判断だ。
ベンチに腰をおろし、ため息をついたのが先か、声をかけられたのが先か、多度津監督によばれた。
「いいか、あわてる必要な何にもない。まずは落ち着いて話を聞けよ。このスポーツはサッカーと違うんだ。ボールをもらう前にしっかり周りを見て、寄せてくる敵とパスの受け手になる味方の位置を確認しないと。そんで、トラップの瞬間は、ファーストタッチでいちばん最初に寄せてくる相手DFの逆のスペースに向けて、足の裏を使ってボールを転がすようにトラップしなきゃボールは次につながらないだろ。間違っても変に前に出ようとか、考えなくていいんだ」
冷たく、そして暖かく、吐き捨てるような口調で指示が出る。
「カイ、監督は、なあ、フットサルのトラップを覚えろって言っているんだよ。フットサルはサッカーと違ってコートが狭いから、パスをもらう前にフェイク、つまり騙しの動きを一度してからパスコースに入らないと、相手の寄せをかわせないんだよ。パスを受けるファーストタッチもインサイドではなく足の裏を使えば、そのまま進みたい方向にボールを動かせるだろ。トラップはその場で止めないで、相手のいないところへボールを動かすようにやらないと・・・」
大粒の汗をそのままに、スクイーズボトルで給水するキャプテン、マコトさんが試合に目を向けたまま解説してくれた。
確かに、そう言われてみると、エースの源太郎さんをはじめ、リトルレフティーの大洲亮平さん、そしてあの今治も相手をだます動きの後にパスを受ける動作にはいっている。
そのフェイクというひと工夫によって二十センチから三十センチではあるが、相手DFとの間にあるパスを迎え受ける隙間が広がっている。前線に走り抜ける動作を入れることで相手DFはつられて自陣に戻ろうとする。その直後にわざと止まってみると、だまされたDFとの間隔は、その瞬間だけ大きく開いていることが分かる。このタイミングでパスを受ければ、足元に余裕ができる分、確かに僕でもパスが処理できるはずだ。なるほど、この数十センチの余裕こそ、相手のプレスを回避する大切な要素だ。
しかし現実は無常だ。まず、相手の寄せが怖くて思うようにフェイクができない。また、フェイクそのものがヘタクソで相手がつられないからパスコースが生まれない。
「フェイクを入れた分だけパスコースに入るのが遅れたらフェイクの意味がねーだろ」
大洲さんのご指摘はごもっともだ。フェイクをしてからパスを受けることが理想ではあるが、慣れない動作は次の動作を遅らせるだけだった。
トラップの直後に相手の足が伸びてくる。結果的に簡単にボールを奪われる。最後までチームに迷惑をかけたまま、この「最後の調整試合」が終わった。当然、その日は眠れない夜を迎えることになった。
試合の二日前となった金曜日、何度もボールを受け止める直前の動きをイメージして過ごした。大学までの行き帰り、七夕祭り初日で混雑する電車の中、つり革を握りしめて頭の中をフル回転させた。
試合前日の土曜日、渋田川の横にある休日夜間診療所の駐車場まで出ていき、街灯の灯りにつくられる自分の影をつかって、何度も何度もフェイクの練習をした。汗が一定のラインを描きながらアスファルトに滴っている。気が付いたら夜十一時を回っていた。
昨日、今日、明日と予定されている七夕祭りは別世界の出来事だった。明日はゆっくり朝を過ごして、しっかりとした準備で試合に臨もう。生まれ変わるチャンスだ。
「――試合で全てを尽くして、サミットに会いに行く」
その想いが今の僕を支えている気がした。
スマートフォンのニュースは関東甲信越の梅雨明けが宣言されたことを伝えている。群馬県館林市で三十七度、東京都心でも三十三度という数字が裏付ける、平年より十五日も早い夏が今日から始まったのだ。
9
体が重い。何よりも手足に痺れるような感覚がある。頭痛もひどい。夜が明ける頃、フラフラとトイレを往復した。喉が渇いている気もする。しかし、冷蔵庫を開けても飲みたいもの(正しくは飲めそうなもの)がない。水道の水をコップ半分ぐらいすすってベッドに戻った。
どう考えても普通の症状じゃない。怖くなって携帯で調べてみると熱中症の症状とピタリと一致する。「寝ている間に起こる可能性がある」とも書いてある。大切な試合の朝だというのに体は悲鳴をあげていた。
フェイクの切れ味を高めるために行った前日の個人練習の後、しっかり水分補給を行ったはずだったが、ミネラルウォーターを飲んだだけだったことが災いしたようだ。たまたま十円玉が財布に無かったから、安い飲料水を自販機で買ったんだ。今思えば千円札を崩してでもスポーツドリンクを買っておくべきだった。検索結果によれば熱中症は「大量の発汗後に水分だけを補給して、塩分やミネラルが不足した場合に発生する。」らしい。
「冷却と経口摂取による水分補給」が応急措置とされているが、何度検索しても「すぐに回復させて、運動を始める方法」はどこにも書かれていなかった。冷蔵庫にはスポーツドリンクがない。とてもではないが、この体で県道沿いの自販機まで歩くことはできない。
自宅から最も近い自販機にたどり着いたのは朝九時頃だったと思う。一生懸命歩き、苦労して手に入れた「いのちのスポーツドリンク」にしては「気持ち悪さ」が邪魔をしてスポーツドリンクが飲み込めない。まだ朝なのに猛烈な暑さを感じて目をしかめる。七夕祭りに向かうであろう家族連れが楽しそうに大縄橋に向かっていく。その先にはいつもよりも長い列がバス停に続いていた。
七月上旬は日照時間が長い。夕方になってもなかなか日が沈まない。そのため、晴れた日は暑さが衰えを知らずに夜まで続いていく。小田原から大井にそれたところにある試合会場でフォーミングアップをするハイビース選手たちはいつも以上に汗をかいている。
もう、限界だ。これ以上、動けない。僕はついに自分自身にタオルを投げた。
「監督、相談したことがあります。よろしいですか?」
準備運動の列から外れて現れた僕の姿に、いつもは淡々としている多度津監督も驚いていたようだ。意外な現実に困惑した表情をしている。
「先発起用を直訴したいのか、カイ? 一度ゴールを決めると積極的になるんだな」
いや、僕はそんな、積極的な男ではありませんよ。むしろ、根っからの受け身男です。それに、決していい知らせではありません。怒らないで聞いてください。そう伝えるかわりに、口に残る生温かい唾を飲み込んだ。
熱中症のため、今日の試合に出られない事情と朝からこれまでの経過について全て伝え終えると、多度津さんはしばらく遠くを眺め、何かを考え始めた。ゲームプランや交代のやりくりを頭の中で組み立て直しているのかもしれない。
この一軍を預かる指揮官は決断するまでは静かだったが、何かの結論に到達したのか、テキパキと次なる行動に出た。選手たちに集合をかけ、クーラーボックスの底から「熱中症対策タブレット」を引っ張り出して、ひとりひとりに配り始めた。
「ぶっ倒れないように、全員最低二個は口に入れろよ。カイ、お前は四個だ。わかったな」
監督の思いやりは、とてもとてもうれしいのですが、こと、僕に限っては、もう、このタブレットを口にしても、もう手遅れなんです。
申し訳なさと情けなさに心を締め付けられたまま、他の選手に交じって僕は何とかアップまでは済ませた。キックオフまでの時間、メンバーチェックの最中も、明らかな異変を体に感じていた。手足の痺れが残っている。お世辞にも回復したとはいえないコンディションだった。
南の方角から爆発音がする。こんなときにまさかの「花火大会の開始」の合図だ。相手はここ小田原を地元とするチーム、ビバ・オダワラ。コートの周りに集まった応援も多く、完全にアウェーの戦いの空気が漂っている。
試合が始まっても、僕はひとり、別の世界にいるような時間を味わっていた。開始早々、何回かあった大きなチャンスを決め切れなかった湘南ハイビースは、少しずつ、相手に攻め込まれ始めた。それでも、素早く攻守を切り替え、自陣内の優勢を維持できたことで、何とか前半をスコアレスの無失点で終えた。
ハーフタイム、ベンチで給水する選手の全身から大量の汗が噴き出している。一試合で流されるチーム全体の汗の量に平均値が割り出せるなら、僕の熱中症によるご迷惑のために、今日は選手のほとんどが二割増しの汗をかいているのではないか? 少数精鋭を方針とするため、このチームのベンチに人は少ない。申し訳なさに「かける声」が思い浮かばない。僕はチームのピンチが体力の消耗によって発生しないことを心から祈った。
両チーム、得点がないまま掲示板の時間が減っていく。遠くの夜空に打ち上がる花火はクライマックスに近づいたのか、炸裂音が激しくなっていく。
後半ラスト三分、多度津さんがタイムアウトを取った。選手たちがベンチ前で輪をつくり、互いに励ましあっている。その輪に大将は加わらず、打ち上がる花火を眺めていた。
再開を知らせるブザーが鳴り響くと監督は選手の輪に近づき、全員に深呼吸を要求した。
「体にある全ての空気を吐き出せ、吐ききったか? はい、次、この周りにある全ての空気を全員で吸い込め」
大きな深呼吸を同じリズムで三度、選手たちにやらせた。直後に選手たちが自然発生的に円陣を組む。大きな掛け声が小田原の花火大会の爆音をかき消していく。
「Would you Would you be, Would you be a Hibee, Would you Would you be, Would you be a Hibees!!」
言葉では表現できない一体感に包まれた選手たちに大きな力が宿ったのか。キャプテンのマコトさんが江田島玲治のコーナーキックを相手ゴールに押し込んだのは、タイムアップの三十秒前のことだった。
10
大学も練習もない月曜日の朝、サンデードライバーの父親から借りた車で箱根ターンパイクを上っている。暦は七月八日だ。すでに大切な試合は終わり、七夕祭りも、サミットが企画した打ち上げも過去の話になってしまった。僕はそのうちのどれにも参加することができないまま、「記録的な梅雨明け」という夏の始まりを迎える破目になってしまった。
直接の原因は熱中症だが、あれだけニュースや天気予報で熱中症の予防を呼びかけているにもかかわらず、何の対策も講じなかった自分の健康管理が悪いわけで、誰かに文句を言ったり、自分の不運を嘆いたりする話ではない。
マコトさんのゴールで呼び込んだチームの勝利を喜んだあと、今治に自宅まで送ってもらい、倒れ込んだベッドの上で、携帯電話を取り出し、サミットに「欠席のメール」を送った。熱中症にかかったことと試合に出ていないことは伏せて、試合があまりにもハードで、今夜はもう動けないこと、テストよりも課題レポートに苦しんでいることを理由にし、お詫びの言葉を添えて送信した。これで「自分革命だ!」と位置づけて迎えた七月七日は歴史的な空振りで終わったことになる。
スマートフォンのスクリーンが一瞬で真っ暗になったように、シャワーも浴びず、倒れ込んだベッドの上、気が付いたら「夜明け前」という深い眠りに落ちていた。翌朝になり、監督から頂いた熱中症対策タブレットの効果だろうか、体はすっかり元気になっており、昨日は飲み込むのも辛かったスポーツドリンクが、体にしみこむように喉を通過していく。風呂場で汚れた体を洗うと、昨日の朝とは打って変わって「エンジン全開の朝」になった。
箱根に上って温泉でも行こう。ひとりで、ひっそりと、自然に囲まれながら、再出発がしたい。イエスだって、山に登って悪魔の試みを受けたじゃないか? そんな自分都合の理由をつぶやきながらターンパイク特有のきつい坂道を走り抜ける。
これは明らかに「突然の衝動」ってやつなんだと思う。いてもたってもいられないのだ。その証拠に、三十分に一度くらいは大きな後悔が自分を支配する。そのたびに、エアコンの効いた車内で大声を張り上げ、ハンドルをたたいては荒くなった呼吸を整えた。
「いったい、お前は何をやっているんだよ、カイ。このやろう。主人公になるはずの日に脇役以下の存在感しか示せないんじゃ、話にならないでしょ~」と車の中で叫んだ。
突然「大きな後悔の波」が襲ってきた。慌ててターンパイクの途中、砂利で広がる展望所に車を止め、周りに人がいないことを確認して、腹の底から大声を出した。向いの山に響いた自分の声に一瞬だけ驚いてしまったが、今回は誰にも見られていない。チームシャツも着ていない。騒ぎたいだけ騒いでも咎められることはない。ぬるくなったペットボトルのお茶を片手にどのくらい山々を見つめていただろうか、真夏のような日差しに耐えられなくなると、急に今度は海が見たくなった。このまま大観山のビューラウンジを通過すれば、十国峠から熱海を目指せば海を眺めることも、温泉につかることも、同時に味わえるだろう。僕は車を箱根山頂に向かって走らせた。今日という一日を有意義に過ごさないと、試合と打ち上げを逃した昨日の後悔をいつまでも引きずってしまいそうな気がした。
来宮駅前から熱海の街は急に道が細くなる。静岡県の最東端に位置するこの温泉街に一足早く夏を迎えたような空が広がっていた。そのことに僕だけが気が付いているかのように、人出は少なく、オフシーズンのような静けさを感じる。それにしても一方通行がやたら多い、複雑な道路環境だ。満車ではないのに、入ろうとしたパークングに車を入れることもできない。何度も同じ道を、行ったり来たり繰りを返し、よくわからないまま熱海港第一駐車場に車を止めてしまった。街中から遠く離れた港にはカモメが宙に舞い、大きくて真っ青な空が広がっている。
大きく呼吸をし、船着き場をゆっくりサンビーチ方面に歩きだす。立ち止まって昨日の、開幕戦とは別の意味で「死んでいる」だけで終わってしまった自分を思い返してみる。
ゲームだけならまだしも、そのあと、招待されていた七夕祭りの打ち上げまで「死んでいる」まま、今日という日を迎えてしまったわけだ。開幕戦の時の方がオウンゴールに絡んだだけましじゃなかったか? 灯台とサンビーチの間を縫うように現れた中型客船の汽笛に驚いて、僕ははっと我に返った。
熱海から沖に浮かぶ初島へは往復2340円で渡ることができる。片道三十五分の船旅だ。そこには水平線を眺めながらゆっくり浸かれる、海水を温めて利用している「島の湯」もあり、僕は迷わず停泊するイルドバカンス二世号に乗り込んだ。駐車場代とフェリー代は昨日の飲み会に使わなかったお金の転用と考えれば、懐が痛まなくて済む。
航路を刻むように船の後方、青い水面に白い波がのびている。熱海はもう、遠くの世界に見えるほど、気が付いたら僕は沖に出ていた。船尾のスクリューから陸に向かって伸びていく白い気泡が、なぜか時の流れを思わせる。何かをつかまえようとすれば、かえって追いかけるものがつかまらないのはなぜだろう。拾ってきたことより、捨ててきたことが気になるのはなぜだろう。
目の前にあったはずの時間は恐ろしいスピードで過去となって僕の後ろに消えていく。だからと言って、今日、この時を大切に過ごそうともがいたところで、結局は大切にされた時間も、そうでない時間も、同じように過去や昨日になって僕の後ろに消えていく。この白い気泡は時間がたつにつれて、海の色に同化していく。僕はただ、それを眺めることしかできない。上りのエスカレーターに乗った僕が、下りのエスカレーターに乗った誰かとすれ違ったみたいに、気がついて声をかけようとしたときには「その人の背中」を見送ることしかできないようなもどかしさが体を支配している。
船が初島港に横付けされると、僕は港からリゾートホテルのバスが折り返すゲート前まで前後の人々に挟まれるように歩いた。ゲートをくぐると、食堂街へ左折する人、小学校方面に上る人、第二漁港の方に右折する人にわかれる。僕はどちらに進むのかを決められず、頭にタオルを巻き、原付にまたがった体格のいいお兄さんに道を尋ねた。
「島を歩いて一周してみたらどう。この道を歩き続ければ、またここに戻ってくるから。そんなに大きくない島だし」
彼は不愛想ではあったが、優しく道を教えてくれた。僕は自販機でスポーツドリンクを買い、半分飲み干すと、熱海を遠くに眺めながら反時計回りに島を歩き始めた。
11
新しい世界に触れたからなのだろうか? それとも暑さにやられて疲れ果てたからなのか? ちょうど島を歩いて一周した頃、僕は昨日の失敗がどうでもいいように思えてきた。昨日の話だけではない。リズのことも、オウンゴールのことも、こだわるほどでもない小さな悩みに感じてきた。船に続く白波や飛行機の後にのびる細い雲のように、いずれは消えていくのだ。大切なことは、もっと別のところにある気がしてきた。
ログハウスのような丸太で組み立てられた公衆トイレのデッキで老人が海を眺めている。驚くことに、そのじいさんは緑色の湘南ハイビースTシャツを着ていた。僕はしばらく様子を見てから、恐る恐るデッキに上り、声をかけた。
「ここで、さっきから、何をご覧になっているんですか?」
老人は聞こえたのか、聞こえなかったのか、チラリとだけ僕を見ると、また、もとのように海をながめはじめる。怒らせてしまったかな、と僕は思った。
「すいません、自分は大橋カイと言います。僕は今、着ていらっしゃるシャツのチームのものです」
どのくらいの沈黙があったか、しばらく老人は視線を水平線に向けたままだったが、ゆっくりと言葉を発した。
「こうやって毎日、同じ時間に、同じ場所で、同じ方向の海を眺めていると、これからしばらくの天気はもちろんのこと、我々が今、一年のうちのどのあたりにいるのか、よくわかるんですわ。それに目の衰えも防げます」
僕は返事をするかわりに、彼の横に立ち、同じ方角の水平線を見つめた。穏やかな海面がどこまでも続いている。
「我々は自分勝手に海の様子を口にするけどですね、同じ海は二度とないんです。毎日、毎回、ちがうんです。同じように見えるのは、同じだと思ってしまう我々の勘違なんですね。海はこの瞬間も生まれ変わっているんです」
―――生まれ変わっている。 その言葉に胸が反応し、僕は心にかすかな痛みを感じる。
「あのう、に、人間も、人間も海のように一瞬、一瞬に生まれ変わっているんでしょうか? 船に続く白い波や飛行機に続く一本の雲が、いつか海や空に消えてしまうように、目の前の出来事が過去になって、記憶の中だけに残るだけの日々の中で、どうしたら人間は生まれ変われるのでしょうか?」
大きな声で、初対面の人に変なことを話してしまった。マズいと思った、その時、緑のシャツを着た老人がはじめて僕の目を見た。精悍な顔に、海や空のような青く輝きを放つ目が僕を見つめている。毎日、ここから沖をながめるのと同じ観察力で僕を分析しているのだろう。じっと見つめたまま、時より目を細めては何かを考えるような仕草をしている。
「あなたは、生まれ変わりたくて、ここに来たんですね」
思うように返事ができない。それどころか、全身が固まってしまったような緊張感にとらわれる。
「私が思うにですね。あなたはもう、生まれ変わっています」
僕の意表を突く言葉を発すると、老人は初めてニコやかな顔になった。
「ただ、その生まれ変わった自分に気が付いていないだけです。せっかく羽を手に入れたのに、心はまだ地を這う幼虫のまま。そんな感じがします」
泣きたいわけでも、笑いたいわけでも、ましてや怒りたいわけでもない。でも僕はなぜか奥歯を強く噛みしめていた。その僕の反応を見て、老人は大声で笑い出した。
小学校を見上げる坂道から炊飯器と段ボールを抱えて男性が下りてくる姿が見えた。
「オーイ、マサオ! このひと多度津さんとこの若い衆みたいだ。せっかくだから、あれを貸して、見せてやってくれ」
老人は僕のことをマサオさんに任せると、背中を向けて歩き出した。一方の僕は港から東の海に沿って並ぶ食堂外の一軒目、お土産屋と食堂がつながった建物の奥に案内された。
そこには扉が二枚あり、ひとつはトイレ、もうひとつはシャワーのついた更衣室だった。
「ゴーグル、シュノーケル、フィン、水着、ラッシュガードはこのカバンに入っています。全て多度津さんの私物ですから、好きに使ってください。海からあがったらシャワーを浴びながら使った道具を洗って、この辺に干しておいてください」
マサオさんは、僕が泳げるのかどうかも聞かず、さっさと仕事に戻っていった。水着とラッシュガードに着替えて岩場の真ん中に設けられたコンクリートの坂を下りると、僕は恐る恐る片足を水につけた。透き通った海水は思ったよりも冷たかった。
慣れないマリンスポーツと初めての環境に戸惑いながら、僕は少しずつ「泳ぐエリア」を広げていった。力を抜き、ゆっくりと穏やかな水面を漂う。信じられないほど美しい光景が真下に見えた。
様々な色をした魚が力強く泳いでいる。大きさも形も泳ぎ方も違う魚たちがひとつの海に共存している世界をながめていた。小さなイワシが大きな群れをつくって僕と海の底の間を横切っていく。夜の空ではなく、海の底で「天の川」を見ている気持ちになった。
そういえば、いつだったか、リズと江の島水族館に行ったことがあった。一番大きな水槽の前に二人で座って随分と長い間魚を見ていたことを思い出す。僕は今、水槽ではなく、本当の海の中にいて魚たちと泳いでいる。僕を囲みながら泳いでいるのは生かされている魚ではなく、生きている魚だ。ウロコが日の光に反射して、海の中で眩しくきらめく。僕は老人の「体は昆虫、心は幼虫」という言葉を何度も思い返して泳いでいた。
結局、使った道具は全て多度津さんのものだったので、レンタル代は一切取られなかった。それどころか、お土産におにぎり(たぶんサザエが入っている)までもらってしまった。お金を出そうとすると、マサオさんは「多度津さんからもらうからいらない」という。
僕は深く頭を下げて店を出ようとしたとき、壁に掛けられている何枚かある写真の一枚に目をとめた。今よりも五歳ぐらい若い多度津さんと店の人々、それに五人ぐらいの白人男性が写っている。驚くことに、その外国人のひとりは間違いなくギルバート・マクロイだった。マサオさんにこの写真について尋ねてみたが、明確な答えは得られなかった。爽快感の中に晴れない疑問を残したまま、僕は熱海行きの船に乗った。
12
熱海の港に着いた。昨日の試合は熱中症で出られず、今日は初島で元気いっぱいだったことが多度津さんに知られたらどうしようかと心配になったが、電話をかけ、隠さず報告し、お礼を述べて感謝の意を伝えた。怒鳴られることを覚悟していたが、監督は「じいさんや島のみんなは元気だったか?」とか「よく島に顔を出してくれた」とか、僕に感謝の言葉を残し、電話を切った。写真のことを思い出し、慌てて、マクロイのことを尋ねようかと思った時には電話は不通になっていた。
どのくらい初島にいたのか、熱海港のパーキングから車を走らせ、平塚の自宅に着いたのは夜の七時を回った頃だった。途中、マサオさんに頂いたおにぎりを食べた。あまく、やさしい味が口の中いっぱいに広がった。
夕食を期待して自宅に戻ったものの、一日中、留守にしていた僕は、母親に帰りが遅くなると思われていたようで、夕食が用意されていなかった。外で食べてくるしかない。
一時間くらいベッドで横になり体を休めた。動き回ったわりには疲れていないし、心も穏やかだ。言葉にできない満足感、いや安心感につつまれていた。
僕は飛び跳ねるようにベッドから起きて、シャツを着替え、マウンテンバイクにまたがり、平塚駅方面に向かった。市街地には風物詩と言える七夕まつり直後の「生ゴミが発する強烈な異臭」が漂っている。今年は猛暑で期間中に雨がなかったから、例年以上に強烈な臭いがする。とてもではないが、駅より北側で食事をする気にはなれない。
中央地下道を通過して線路の南側に出る。祭りの翌日だからか、ほとんどの飲食店のシャッターが閉まっていた。プラットホームと平行にのびるセレモニー専門学校の前の道を南口に進むと、最近になって使われ始めた『たなばたさま』の発車メロディーが聞こえてきた。グランドホテルにくくりつけられた笹飾りが風に揺れている。
特に何かを食べたいというわけではなかった。それでも、心当たりのある飲食店は全て休みで、ファーストフードと居酒屋しか電気がついていない。疲労感を感じてきた僕は「再び熱中症になってしまったら・・・」と心配になって、マウンテンバイクを止め、デリに入ってスポーツドリンクを一本買った。もう真水を買うのが恐ろしくなっているから不思議だ。僕は新しく整備された噴水を囲むように並べられたベンチで一休みするつもりで店を出た。
宝くじ売り場の方から大声がする。正確には5月に全焼した「レストラン テルミニ」の周辺が「その声」の震源地だった。デリの自動ドアをくぐった瞬間はこの時期によくある喧嘩や罵り合いだと思ったが、その大きな声は争いの破裂音ではなく、やさしい歌声とギターの音色だということがすぐに理解できた。
テルミニの前あたりから放射状に扇を開いたように通行人が集まっている。タクシードライバー、バスの乗客、通行人をはじめ、そこにいる全ての人が置き忘れられたマネキンのように、その場に立ち尽くし、テルミニ周辺の火事現場を向いて歌声を聞いていた。
ジャンボタイプでゴゲ茶色のアコースティックギターをかき鳴らす男は、不思議なことに、聞き入る人々にではなく、黒く焼けおちたかつてのレストランに体を向けて演奏していた。アルペジオが南風に乗って、絞り出されるような歌声と混和しながら駅前一帯をつつんでいる。
♪ 夜が 窓から 忍び込む
独りよがりの 絶望におぼれて 探し求めてた 君の匂い
バイバイ 時計の針は 梅雨の終わりを 過去に変えてゆく
バイバイ 誰かが言ってた 「終わりは全て始まり」なんだと
バイバイ その言葉は 「味気のない真実」なんだろう~
バイバイ これでお別れさ 君のことを愛していた僕・・・
さみしくはない そんなわけない 君の中に もう僕がいない
君が笑う 一瞬が僕にとって 全てだった
耐えられない 居場所がない この部屋の中に君がいない
いつからか 君だけが僕にとって リアルだった
突き刺さるナイフ 飛び散ったナイフ 胸の中はもう空っぽさ
君のぬくもりだけを 消すことなんてできはしないから
さようなら さようなら 僕のカタワレよ
七夕の空に手を振るよ バイバイ
(リトルキヨシ『バイバイ』)
「バイバイ」ということばで締めくくった一曲を歌い終えると、小柄なミュージシャンは流れるような動作でギターをケースにしまい、立ちすくんだままの僕の前を風のように通り過ぎ、南口の階段を改札口方面に上って行った。ショートヘアの後姿を追いかけ、テルミニの前で歌っていた理由や歌詞について細かく聞いてみたい。一瞬、そんな想いにかられたが、なぜかこのミュージシャンとは、またどこかで出会える気がして、追いかけるのをやめた。確信があるわけではないが、聞きたいことはまた会えたときに聞けばいい。
南口のロータリーに目を向けると、いつもと変わらない光景が広がっている。ひとりの歌声によって時間が止まったような空間は完全に消えてしまっていた。むしろ、「僕が見たあの出来事そのものが現実に起こったことなのか?」と思えるほど、「いつも」に戻った世界が目の前にあった。
すがすがしい気分だ。どこかの定食屋かレストランに入って見ず知らずの人と並んで食事をするくらいなら、このまま弁当でも買って自分の家で食べよう。その方が安上がりだし、帰りが遅くなることもない。何なら、今日ぐらいビールを買って部屋で飲んでもいい。
僕は「宝くじ売り場」の前から緑に点滅する横断歩道を小走りで渡り、ビーチパークに向かったところにある二十四時間営業の弁当屋に向かった。景観道路として配線が地中化され、電柱がひとつもない通りが国道134号線まで続いている。植え込みの中から伸びる松の木が海に向かって並んでいた。
ふと、その一本に明るい茶色の昆虫がとまっているのが見えた。近づいて確認してみると松にしがみ付いているのはムシではなく、セミの幼虫の姿をした抜け殻だった。背中にわれた跡があり、中は空洞になっている。こんな時期にセミの抜け殻が、しかも街の真ん中の植え込みに残されていることがたまらなく不思議だった。
―――「あなたはもう、生まれ変わっています。ただ、その生まれ変わっている自分に気が付いていないだけです」
―――「♪さようなら さようなら 僕のカタワレよ 七夕の空に手を振るよ バイバイ」
初島の老人のことばと焼け跡にむかって歌っていたシンガ―の歌詞がものすごいスピードで頭の中を駆け巡る。今まで何があっても受け入れるだけだった僕。受け入れることが長所だと信じていた僕。そんな僕だったにもかかわらず、セミが残した「必死で今を生きる力強さ」みたいなエネルギーに触発されたのか、涙があふれて止まらなくなった。
もしかすると、昨日の七夕の夜、疲れ果ててシャワーも浴びずにベッドで倒れて寝ていた間に僕はセミのように脱皮したのかもしれない。初島の老人のことば、さっきのミュージシャンの歌詞が僕に生まれ変わったことを教えてくれたんじゃないか。
―――「涙は生まれ変わった時にこぼれる」
いつか誰かに教えられた気がする。誰に教えられたのか、今は思い出せない。あまりの嗚咽に僕の肩がふるえている。
「ダイジョウブ デスカ?」
外国人の集団のひとりが、心配そうに僕に近寄ってきて声をかけてくれた。背の高い男の人なんだろう。大きな手のひらが背中にやさしく置かれる。
「アナタハ ドウシテ ナイテイルノデスカ?」
頭で考えていたわけではなく、自然に心から出た言葉なんだろうか。僕はうつむいたまま、いつもより強い口調と大きな声で答えた。
「パッ、パンのためだけに生きていないからです。今、僕はパンのためだけに生きていない自分にやっと出会うことができたから泣いているんです」
男の手が僕の肩に回り、一瞬だけ強く抱き寄せられた。
「PUSH ON、PAL!!」
その言葉だけを残して、男はまたもといた仲間のところへ引き返し、海岸方向に遠ざかって行った。涙がこぼれた跡に南風が冷たく吹き付ける。もう涙は出なくなった。僕は、生まれ変わりたいという「想い」がなくなっていることに気がついた。
プッシュ ミー オン 2013 フェイマスファイブ @keisuke1875
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