「終」 エピローグ


エピローグ


 こうして、私の為すべきことはすべて終わった。私がやりたかったことは、こうして完成したのだ。今となってはもう私も若くない。この行動のためにすべてをかけてしまった気分だった。しかし、得たものは、その苦労に値するものだったと、胸を張って言うことができた。

 絶対的な、ミステリーの創立。究極のエンターテインメントの提供。

 簡単にいえば、私のしたかったこと、というのはその二つだった。

 人生とはまっこと、何が起こるのかわからない。

 私が悠宮梓の死を見たのは、まさに偶然の産物だった。あの時に、母から電話をもらっていなければ。そもそも、あの日に生徒会の資料整理なんて行わなければ。そんないくつもの『もし』を積み重ねても、積み重ねきれない。それほどまでに、今回の、あの日に起きた出来事は奇跡的だった。奇跡的だったからこそ、私の夢はこれ以上ないほどの形で叶った。


 母からの電話だ。どうしたんだろう。今日は生徒会の用事があるから、帰りは遅くなると言っておいたはずなのに。

「みんな、ちょっとごめんね。母さんから電話がきちゃった」

 と、みんなに言って廊下に出た。別にその場で会話をしても良かったかもしれないが、さすがにみんなダラダラとは言え、資料の整理中だ。許してくれるかもしれないが、マナー上の問題で廊下に出ないとまずい。

 廊下に出る。電話の向こうで母を待たせていたので教室の扉を閉め忘れてしまったが、許していただきたい。

「何? 母さん」

 目のやり場に困ったのでひとまず外を見る。うーむ、今日は曇りだ。しかし、まだ明るい。夏だなぁ、と心の中で思い浮かべる。

「あ、もしもし。ごめんね、大したことじゃないんだけど――」

 本当に大した用事ではなかった。今、ハードディスクレコーダーを使って、録画したい番組があるのだが、その方法がわからない。手元にリモコンはあるが、どう操作すればいいかわからないから教えてほしい、とかなんとか、そんな内容だった。まぁ、こういったことで母が私に電話をかけてくるのはよくある話だったので、内心少し「またか」とは思ったものの、用件を聞き、それに対する対処法をいつものように母に教えようとしていたときだった。ふと、下を見たのだ。下。すなわち、この学校の、裏庭を。

 人が、倒れていた。

 普段から人がいるかどうかなんてわからない裏庭に、人が倒れている。思わず声を出してしまいそうになったがそれをぐっと押さえた。もしかしたら、ただあそこで居眠りしているだけかもしれない。ここで変な声をあげて、実はただの居眠り野郎が寝ていただけで、それを私が見間違えた、なんて母にも生徒会の連中にもバレたらとてつもなく恥ずかし思いをしてしまうのではないか、と思いが頭を掠めたのだ。

 目を凝らして、様子をよく見てみる。視力はそこまでは悪くない。1.3以上は間違いなくあるのだ。じっと、その人を見てみる。

 どこかで見たことがある顔だった。いや、そんなことはどうでもよかったのかもしれない。その倒れている人物のお腹の部分を見てみると、赤かった。その人物は私たちの学校の制服を着ている。つまりは、この学校の生徒だ。その学校の生徒が、お腹を赤く汚しながら、倒れている。

 もしかして、刺されたのか? いや、私もいきなりこんな考えができるほど経験豊かではない。といっても、私がこの思考に至ったのは、先ほどの不思議なものを見ていたからだ。鳳茜。生徒会長の、足元、右の足元の脛の部分がほんの少しだけ、赤く汚れていたのだ。もしかして彼女、いわゆる女の子のその日で、うっかり処理にミスったのではないか、と想像してしまったが、そんな馬鹿なことはあり得ない。そもそも、彼女はその日ではんかったはずだ。二週間前の遊泳の授業、彼女はその日を理由に休んでいる。二週間前にそれがあったのに、今もまたその日ということはあり得ない。しかし、ではなぜ彼女はそんな部位に血を付けているのか、と思っていたがあまり深くは考えないことにした。もしかしたら、最近できたとかいう彼氏と殴り合いの喧嘩でもやってしまったか、とほとんどあり得ないようなことを適当に結論付けて自分の中で話を決着させていた。


――――殴り合いの喧嘩どころではなかったのだ――――


うふ、うふふふふふ、と、第三者から見たらかなり不気味に思われるだろうという声で、笑ってしまう。そうだ、さきほど、刺されていた生徒は、悠宮梓じゃないか。最近できた、鳳茜会長の、彼氏……!

何があったのかはわからない。しかしまぁ、理由なんていくらでも考えることができた。二人は何しろ付き合っていたのだ。何かのっぴきならない理由があったのだろう。まぁ、どんな理由があれ、私には関係のないことだが。

背筋が震える。足が震える。目が開く。

今まで見えなかった距離の物が見えるようになった気がする。頭が回る。

私は母親と普通の会話をしている間、必死に裏庭を見続ける。

今この時間、学校に残っているのは生徒会の役員だけだ。今日が終わってしまえばもう夏休み。部活動などもなく、ほとんどの生徒が家に帰されている。だから、この学校に今残っている教師、生徒はほとんどいないはずだ。そもそも、この裏庭は普段見る人が少ない、言わばこの学校の死角の位置に存在するものだ。よほど運が悪くなければこの様子は誰も見ることができない……。


実際には、この時、1階から4階までの裏庭に面した窓は、塞がれていた。学校の拡張工事に伴う資材整理のために、机やら椅子やらロッカーやらその他の資材を裏庭に面した窓側に積んでいたからだ。しかし、このことをこの生徒会役員は知らなかった。だがしかし、結果としてそのことはあまり関係なかった……。


 しばらくすると、もう一人の生徒が倒れている生徒の元に駆け寄ってくるのが見えた。あれは、大川優誠だ。悠宮梓の、友人。

 さすがに5階からは会話の内容は聞こえない。できれば会話を聞きたかったがそれはもうできないことだ。何を話しているのか、非常に気になるところではあった。何せ、悠宮梓は腹を刺されて倒れているのだ。普通の人間であれば、目の前に血を流して倒れている人がいれば、すぐに警察に通報するだろう。携帯電話やら、その他なんでもいい、連絡手段を用いて。しかし、大川にはその様子はない。どうやら何やら会話をしているようだった。実際に会話をしているかわからないが、倒れている人を目の前に二人で黙って立っている、ということもないだろう。もしかしたらもう悠宮梓は死んでいるのでは、とも思ったが悠宮梓の手はまだ動いている。遠目でもそれがわかった。


 しかし、よくよく考えたらここで疑問が湧いた。そもそも、茜会長に悠宮梓を刺すことは果たして可能だったのか、という根本的な疑問だ。先ほど、確かに私は茜会長の脛の部分の血痕を見て、勝手に茜会長が悠宮梓を刺した犯人で、脛の血痕はその時に浴びた返り血なのでは、と考えてしまったが、今一度、茜会長がこの部屋を出たときのことを思い出したら、茜会長は確か5分ほどしかこの部屋を出ていなかった気がする。少なくとも、10分以上は出ていない。今日は『引き継ぎ』で、下級生の次期役員などが、生徒会のこれからの目標などについてわからないことがあったら副会長の私やら会長やらに質問をすることになっているのだ。だから、もしそんな長い間出ていたとしたら私が困ったことになっていたわけだ。

 そして、もし茜会長が5分ほどしか外に、廊下に出ていなかったとしたらそれはまた別の問題が浮上する。それは、悠宮梓の身体の問題だ。彼女がもし刺したのだとしたら、裏庭に悠宮梓を呼び出し、そして急いで戻って来たということになる。果たしてそれが可能だろうか。できないことはないかもしれない。しかし、この場所、5階から裏庭というのは結構な距離がある。直線距離的にはそこまで長くないが、いざ行くとなると結構な距離を走らなくてはならないだろう、この校舎の構成上。

 母親との会話が終わった。今、この学校では何かしらの事件が起きている。もしかしたら、今何気なくしているこの行動ひとつひとつが、後々響いてくるかもしれない。できるだけ、不審な行動は避けた方がいい。なので、今、眼下で起きている出来事について、非常に興味があったが、リスクの割においしいリターンが期待できなさそうだったので、すぐに生徒会室に戻ることにした。今思ったが、このドア開きっぱなしで本当に良かった。


 ――――あっ。

 生徒会室へ戻る際。

 ふと、廊下に目をやった。

 生徒会の会議で使っている3‐G教室は突きあたりだ。なので、私が見たのは、突きあたりではない、先へ、先へと伸びている方。3‐F教室の前の廊下、ということになる。そこに、そこに。

 小さな、小さな血痕が落ちていた。直径1cmにも満たない、小さな、小さな血痕だった。

 その瞬間、わかった。

 そうだ。

 悠宮梓は、ここで刺されたのだ。いや、『ここ』ではない。正確には、『ここ』に限りなく近い場所で、だ。これで合点がいった

 生徒会室の中へと目をやる。

 みんながみんな、作業をしている。今、私のこと見ている人は、一人もいない。それは当たり前といえば当たり前かもしれない。私はただ、電話をしているだけだ。今、ここは、まだ殺人事件が起きていない平和なごく普通の高校なのだ。自然な状況なのに、誰も気を張ったりはしない。

 私が今、一瞬だけ、一瞬だけ、3‐Fの教室を覗き、血痕を拭おうとも誰も気付きはしないだろう。

 私が電話をしに廊下に出た間、ドアは開きっぱなしだった、という事実は残るが、それ以上のものは決して残らない。私はもう、怪しい行動をしてはいけないのだ。絶対に。

 

 息をひとつ吸って、3‐F教室を覗く。そして、確認する。そこには、何もない。そこは、普通の教室だ。

 そして、すぐさま廊下に落ちている一滴の血痕を指で拭う。1回ではなく、2回拭った。が、ほんの少しだけ赤みが残るように拭った。完全に消したらまずい、と思ったのだ。血痕は完全に消えることはない。完全に消すためには、完全に消すための道具が必要だ。しかし、今の私にはその道具はない。完全に消してしまったら、もうその血痕を見ることができるのは警察しかいなくなってしまう、と思った。それは危険だ。もちろん、このまま血痕を残すのも危険かもしれないが、どちらか一方を選べと問われたら赤みを軽く残す方を選びたい。

 そして、最後にもう一度だけ、窓の下を見やった。これ以上ここにいるのは危険な気がする。私は事件とは無関係なのだ。建前的にも、本音的にも、だ。母親との会話はとうに終わっている。今は会話したフリをしているが、無駄に演技を引き延ばすのは得策ではない。


 大川優誠がどう動くのか、生徒会室に戻った後も気になっていた。あれから10分、15分経った後も何事もないことが私を混乱させた。大川は確か悠宮梓の友人だったはずだ。友人が目の前で倒れている。普通だったら、すぐに助けを呼ぶだろう。誰かに刺されたのだ。救急車を呼び、警察を……呼ぶか? 警察を呼ぶか否か、そこは私には判断ができかねるところではあったが、警察を呼ぼうが呼ぶまいが、何かしらの騒ぎが起きることは間違いないはずなのだ。なのに、それが起きない。なぜだ。

 そしてその約20分後に、悲鳴が聞こえた。悠宮梓の悲鳴だ、おそらく。そして私は、その悲鳴についてとやかく考える前にまず、会長の隣に行き、会長の耳元でできる明るい声で言った。

「会長、怪我でもなされたんですか? 早めに替えた方がいいですよ、それ」


 その夜、私はできるだけ早めに、大川優誠の家の前に行った。大急ぎで友人の伝手を使い、教えてもらったのだ。あまり利口なやり方とは言えず、痕跡がこれでもかというほど遺る荒い方法だったがそんなことを言っている場合ではなかった。

 何時間待ったか、なんて数えてなかったがおそらく数時間後、大川が家から出てきた。絶対に家を出るとは思っていた。手にはスーパーの袋を提げている。そのスーパーの袋には、何かが入っていた。何が入っているかはわからないが、大体想像はつく。

 私は、大川に気付かれぬよう、細心の注意を払い、彼の跡を追った。といっても、そこまで難しいものではなかった。彼は、尾行をまったく警戒していないようだった。おそらく、そんな余裕がもう無いのだろう。

 大川が向かった先は、学校だった。私立M学園。パトカーが止まっており、明らかに学校の関係者ではない方々があちらこちらにおり、タダゴトでない何かが起きたことを如実に示していた。

 別に立ち入り禁止になっていたわけではないが、当然、目撃されることを嫌ったのだろう。大川は目立たない裏門からこっそりと学校の敷地へと入った。もちろん、私も目撃されることを嫌う。彼の跡を追い、こっそりと中へ入った。

 敷地へ入り、校舎へと向かう。校舎に近づけば近づくほど、目撃される危険性は高まる。しかし、それでも大川は校舎へと向かった。私も大川以上に慎重になりながら、前へ、前へと進んだ。そして大川は校舎へと侵入し、5階へと向かった。校舎の中ではほんの少しの足音でも反響し、大川の耳に届いてしまう。これ以上ないほど、神経質なほどに、注意を払った。

 しかし、私は途中で考えを変えた。これ以上大川の尾行を続けてしまったら、どう考えても見つかるリスクが高くなる。ここは一旦ひいて、安全策を取ろう、と。

 そして私は大川が5階で何やらをやっている間に、1階まで戻ってその場で待機をしていた。物陰に隠れて、こっそりと。

 30分後には大川は1階まで戻ってきていた。右手には雑巾を、左腕にはスーパーの袋を引っ提げてだ。そして、熱心に階段を拭いている。たまに何か霧吹きで床を吹き付け、それを拭うように雑巾で床を磨く。霧吹きで床に吹きつけると、時折、青白い光が浮かんだ。幻想的に見えなくもない、青白い光だった。しかし、その青白い光が浮かぶと、大川はスーパーの袋から洗剤の容器を取り出し、中の洗剤を雑巾につけ、その雑巾で床を、青白い光を拭う。

 霧吹き、青白い光、洗剤、雑巾。

 わかる。私には、わかるぞ……!

 彼は、消しているのだ。悠宮梓が3‐F教室で刺されたという事実を完璧に消そうとしているのだ……!

 おそらく悠宮梓が刺された場所は、3‐F教室。私達生徒会が資料整理を行っていた3‐G教室の隣の、3‐F教室だったのだ。私が見た、あの乾いていない廊下の一滴の血痕がこれ以上ないほどの根拠だ。しかし、悠宮梓は現実的に裏庭にいた。

 5階の3‐F教室で刺されながら、現実的に裏庭に身体があるという矛盾。しかし、考えようによってはまったくもって矛盾ではない。

 その考えようとは、簡単だ。鳳茜会長が5階の窓から悠宮梓を落とした? 超能力的な何かを使って悠宮梓の身体を3‐F教室から裏庭へ移動させた? 違う。

 

刺された後、悠宮梓自身が裏庭へ歩いたのだ。


一見、馬鹿にもほどがある、ふざけた考えだ。しかし、こう考えると他の様々なことに説明がつくのだ。

大川優誠はなぜすぐ周りの大人に助けを求めなかった? なぜ大川優誠は逮捕される危険を冒してまで、こういう風に証拠隠滅を図っている?

簡単だ。こういう仮説を立てればいい。刺されはしたものの、悠宮梓は鳳茜のことを愛しており、彼女を司法の裁きの手から守りたい。そしてそれを、大川に頼んだのではないか。

……馬鹿が過ぎる。心の中で笑い声をあげた。愛は心の病。誰が言ったか忘れてしまったが、なるほど、それは人の真理を見事に突いている。これは確かに、重病だ。

 大川と悠宮梓の関係がイマイチわからないのは辛かった。大川の家庭事情についてはどこからともかく噂が流れていたのだ。母親はカルト宗教の信者で、それが元で息子優誠の命を巡るトラブルになり、大川が小学生のときに離婚。

 そして、大川と悠宮梓の関係も小学生のときからだという。まぁ、全部が全部真実、というわけではないかもしれないが、決して短くない時間を大川と悠宮梓は過ごしている。そうした存在の頼みなら聞いてやるのではないだろうか。少し論拠としては弱い、と私自身、気付いてはいたが、大筋自体は決して間違っていないと確信していた。もし、この過程が間違っていても何ら問題はない。むしろ、そちらの方が私にとって都合が良い。どんな物語も、予想を素晴らしい意味で裏切っていたら気持ちのいいものだ。しかもこれは、小説ではない。現実で起きた、現実の物語だ。途方もない超能力が存在するといったものは、まずない。

 そして、私は家に帰った後、すぐに生徒会の役員に連絡を取った。ただし、生徒会の役員としてではなく、図書委員として、だ。『大川優誠さんが借りてる本が未だに返されていないので、連絡先を教えてほしい』と。

 彼が果たして携帯電話を持っているのか、それとも固定の電話が家にあるのか、見当もつかなかったが、彼は携帯電話を持っているようだった。auの携帯らしかった。いや、もしかしたらソフトバンクかな? まぁ、そんなことはどうでも良かったが、ともかくは大川優誠の携帯電話の番号を得ることができた。もし、大川が番号の流出先を疑ったとしても、大川が図書館を利用していたのは事実だし、あともう少しで本の返却を延滞しそうになっていたのもまた事実だ。大川が携帯電話の番号の流出先を疑った場合、私も容疑者の一人になるかもしれないが、それと同時に図書委員全員もまた容疑者となる。木を隠すには森の中。それでもその木には特徴がある。見る人が見れば、一目でわかってしまうような特徴だ。しかし、それでも見つけるには時間がかかるだろう。少しの時間が稼げればいい。私の仮説が正しければ、大川優誠はそんな携帯電話の流出になんて興味を傾ける余裕がないほど、しばらくの間、忙しくなるだろうから。

 大川優誠に何を尋ねればいいだろうか。あなたが犯人か? どうして悠宮梓を刺したりしたのか? ……違う。こうではない。どうして悠宮梓の死の真実を隠そうとしたのか? ……これも違う。私がしたいのは、事件の解決ではない。むしろ、逆。事件を作り、記憶し、永遠に保存することなのだ。そして私は、その事件の観測者として永遠に刻まれる。だから、事件を起こした理由や、誰が事件を起こしたか、なんてことはどうでもいいことなのだ。

 どうやら私も少し興奮しているらしい。元の、根本的な何かを見失いかけていた。落ちつかなければ。これから始まるのは、将棋の詰めのようなものだ。もう、私が行うべきことというのは決まっているのだ。皆がどう動くか、というのもある程度予測できる。相手がどう動こうとも、私は私が行うべきことを淡々と行い、この状況を詰むだけ。

 そうだ。だから、私が行うべきことは、ただひとつ。


「私はあなたに尋ねたいのです。あなたは、警察に捕まるつもりなのか、それとも、警察から逃れるつもりなのか」

 私、U.N.オーエンが望むことはもちろん、後者だ。


 大川優誠がこのまま事件の隠ぺいをはかり、私はこのことを記録する。

 私が望む形はそれだけなのだが、それでもかなりの苦労を要した。警察は裏庭とその周辺にかなり重点をおいて調べている。私はこの時点でかなり安心していた。それは当然だろう。事件発覚の2日後に、警察は校舎への立ち入りを許可したのだから。

 つまり、警察は校舎の中をまるで重要視していなかった、ということだ。例外として、1階の一部、もう少し具体的に言うと出入り口、昇降口のあたりは立ち入り禁止となったが、そんなことはどうでも良かった。警察は私が思ったより優秀ではなかったようだ。

 しかし、気がかりなこともあった。

 森神悟の存在だ。

 彼もどうやら悠宮梓の親友だ、と後に大川優誠に聞いたが、確か初めて私の家に押しかけて来た時は警察の助手とかなんとかと名乗っていた。

 思えば、アイツはあの日の生徒会の様子をかなり細かく聞いていた。私はそれに正直に答えた。『目撃者は、事件について偽証してはならない』『探偵に、すべての手がかり、答えに至るまでの根拠を揃えなければならない』

 そもそも、私は犯人ではない。警察にお世話になるようなことも、一切していない。私はただ、淡々と、事実だけを述べた。私が述べたことに、嘘はない。もし私がここで嘘をついてしまったら、その嘘は、この作品を汚してしまうと、そう思ったから。そしてもし、私の証言によって事件が解かれてしまったら、それはそれでもいい。所詮、そこまでのモノだった、というまでの話だ。私は犯人ではないから、好きにしてくれ。

 しかし、事件はまた別の様相を見せ始める。

 念のため、私は森神悟とその弟子とかいう白鳥を監視した。監視、といってもそれほどガチガチに行ったわけではない。彼らが調査と称して学校に来た時、彼らを出来るだけ観察しようと思った、それだけだ。何も外出しているところをすべて監視する、なんてストーカー地味たことはできない。

 だがしかし、彼らは裏庭自体に興味を示すことはなかった。学校の構造はそれなりで、彼らはどうも大川のアリバイを崩しにかかっていたようだった。悠宮梓が悲鳴をあげた直後、大川がどこにいたのか、非常に気にしていたようだった。そういえば、それは私も知らない。悠宮梓が悲鳴をあげたのはあの日の夕方、6時前後。この時間のアリバイの有無によって、大川の運命が変わってしまうかもしれない。そういった危機があった。しかし、これは希望的観測ではあるが、大川自体が逮捕されることはないだろう。理由は簡単。彼は、犯人なんかではないからだ。彼を犯人だと思っている限り、この事件は解決しないだろう。

 そして結局、犯人は逮捕されることなく事件は収束した。大川優誠は退学届を提出し、鳳茜はいつもと変わらずに学校に通い続けた。そう、何事もなかったかのように。


 数年後、私は鳳茜のもとに訪れて、この事件について真実を知っていると彼女に告げた。驚いてはいたが、怯えてはいなかった。おそらく、自分が逮捕されようが逮捕されまいが、どうでもよかったのかもしれない。そして、私は彼女を小説家に仕立て上げた。その数年後、彼女に「悠久の風、感じる私の頬の肌」を書かせて、彼女を殺した。そう、彼女を殺した犯人はこの私、U.N.オーエン。彼女も殺されることを望んでいたようだった。私はその望みを叶えて、殺した。彼女はおそらく、悠宮梓を殺したその日に、死んでいたのだ。今まで生きていたのは、彼女の姿を模した、他の何か。そして私は、その彼女の姿に模した他の何かを壊しただけにすぎなかった。


「ありがとうございます。これで私も、きっと、おそらく、ほんの少しだけ救われたのだと思います。やっと、死ぬことができるんだと思います」


 死ぬ一歩手前に、呟いた言葉がそれだった。


 私ももう歳だ。あまり派手には動けない。静かに死を待つことしかできない、私もひとつの人の形を模した何かとなった。しかし、こんな人生ではあるが後悔はしていなかった。ったひとつの、尊い何かを成し遂げることができた。そのことに何ら変わりはない。私が死のうと死ぬまいと、私が行った偉業は永遠となる。


 ある日、手紙がきた。

 速達書留で、ただのダイレクト・メーールではなかった。差出人は、いてはいけない人物だった。


 11人目の来訪者 名探偵 エルキュール・ポアロ


 心臓のどこかが膨れ上がる感覚を覚えた。顔がみるみる赤くなっていくのが、自分でもわかる。私は、興奮しているのだ。


 お久しぶりです。遅れてしまいましたが、私にもやっと、この事件において本当に戦うべき相手というのがわかりました。もう数十年も経ってしまいましたから、私のことなんて忘れてしまいましたでしょうか? しかし、私はあなたのことをよく覚えていますよ、U.N.オーエンさん。

 あなたの立場、あなたの事件の役割というのが私にもようやくわかりました。そして、あなたが探偵側の一人にちゃんと手がかりを与えていた、というのをここ最近になってようやく知りました。私と、森神があの事件のときに、連携していなかったのはある種仕方のないものでしたが、今では後悔することが多々あります。

 何はともあれ、あなたは殺人犯です。あなたが今、どこで何をしているのかを突きとめました。本当は手紙なんて送る前にあなたの家に爆弾でも仕掛けて、さっさと殺すのがベストかと思いましたが、あなたとは1回勝負をして、あなたを負かさないといけないのだろうな、という考えが勝り、爆弾を仕掛けるのをやめました。私は悠宮梓の遺言に従い、鳳茜を警察に引き渡すのをやめました。その鳳茜に関連する事件も、途中に警察の介入を許すべきではない、と思ったのです。悠宮梓は、警察や、他の公権力というものを強く嫌っておりましたから。

 というのはまぁ、ひとつの私の考えですが、とりあえず私はあなたをいつでも殺せる立場にあるということを知っていてほしいのです。

 10日後、私は動きます。あなたがもう死にたければそのままで居てください。その建物を木端微塵にし、あなたを殺してみせます。

 あなたが、そうですね。勝負を望むのなら。私はそれに乗りたいと思います。あなたが場をセッティングしてください。期待しております。


 あなたを必ず殺してみせます。それでは。

大川 優誠・森神 悟 


 U.N.オーエンというのは、アガサ・クリスティの名作「そして、誰もいなくなった」に登場する犯人像の名前だ。

 島に呼ばれた10人が、次々と殺されていく小説。

 その島には、小説には「名探偵」の存在がなかったのだ。

 だからこそ、この11人目は、名探偵を名乗ったのだ。

 アガサ・クリスティが生み出した名探偵、エルキュール・ポアロを。

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悠久の風、感じる私の頬の肌 Dark of Mysteria 神宮由岐 - hyukkyyy @hyukkyyy-and-Yuki_Kamiya

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