「19」 おしまい


 大川優誠と、森神悟が数十年来の再会を果たした後、世間はどうなったのか、ここに記述して物語を締めたいと思う。

 大川優誠、森神悟再会の数日後、都内某所のアパートで、ある作家が死亡しているのが発見される。


 死亡した作家の名前は、ペンネーム『有野 宇焔』、本名『鳳 茜』

警察ではその事件現場の状況から、自殺の線は薄く、殺人の線が濃いと見て、捜査を始めた。

またこれも、その事件の捜査で得られた情報であるが、どうやらこの作品、『悠久の風、感じる私の頬の肌』は『鳳 茜』単独で書かれたものではないと言う。


「実は、鳳茜さんはメイン・ライターとして、茜さんを中心にお仕事の話を進めさせていただきました。その時の一連の会話に、どうやらもう一人〝協力者〟がいたそうなんです。この作品に関わった、助言をしてくれた、というような形で」

「その協力者とは、出版社の方と顔を合わせたことはないんですか?」

「お、お恥ずかしながら……。サブ・ライターとか、執筆の手解きをした、とかそういう関係ではなくて、ただ純粋に友達感覚でちょっとしたアイデアをもらった関係だ、とだけ鳳さんから聞いておりましたので……。特に利益の分け前の話、その他お金が絡むようなことなどもまったくない、とのことでしたので、当社としても別にその方とは特別な契約を結ぶ、なんて大仰なこともしなかったのです。ですから、大変お恥ずかしい話ではあるのですが、当社はその“協力者”が誰なのか、名前も聞いていないのです。川上さん、というのは聞いていたのですが……」

カワカミ。この名前について、警察は鳳茜の身辺を徹底的に調査をしたが、何も浮かんではこなかった。

事件後も、この“カワカミ”なる協力者は依然として行方不明だった。

警察はこの事実から、このカワカミが事件に関わっているのではないかと見て、重要参考人として、容疑者として捜索を開始したのだった。

しかし、警察の必死の捜査も虚しく、カワカミなる人物はまったく見つからなかった。


一方、世間では、多少騒がれていたものの、多少程度だった世間の流れが少しばかり変わった。

インターネットでこの事件についての秘匿情報が漏れだしたのだ。

その秘匿情報とは、死体の傍に直筆のメモが置いてあったというものだ。その筆跡は被害者のものではなく、完全に別人のものでああった。その直筆のメモが被害者女性が著したミステリー小説最後の文とまったく同じものであったから警察はこれを捜査上の秘密とした。しかし、その情報が瞬く間にインターネットに流出した。

警察関係者はこの出来事に歓喜した。この事件の犯人が警察の罠にかかったと思ったからだ。罠、というほど立派なものでもなかったが、ミステリー小説などで犯人しか知り得ない事項を馬鹿みたいにベラベラと喋り、自爆する犯人がよくいるではないか。今回の犯人がまさにソレだった。そして、その発信源は北海道のネット喫茶であることもわかった。そこまでは良かった。しかし、そこから犯人を絞り込むことがどうしてもできなかった。


一方、情報が漏れだしたインターネットでも、この事件についてポツポツと騒がれ始めていたが、警察から公式に否定する声明が発表されないとわかると途端にお祭り騒ぎになった。

何せ犯人しか知り得ない情報が書かれたのだ。つまり、犯人自身が書き込んだのだ。まるで警察を挑発するかのような文章。しかもそれが最近話題のミステリー小説の作家で、犯人の可能性が高いのがその作家の“協力者”であるとなればなおさらだ。警察に挑戦するような文章。昔の事件を思い出させるような、不謹慎とも言える不穏な雰囲気。

 小説のことを今までは小説のタイトルしか知らないような一般人もこの事件をきっかけに小説を買うようになった。

 小説は重版に重版を重ね、まさに飛ぶように売れた。刷れば刷るほど売れたのだ。


 そして、これでもう盛り上がるタネは尽きたかと思いきや、まだあった。出て来てしまった。

 この小説の人気と知名度が上がるにつれ、様々な考察サイトが出来上がるようになっていった。作者が死んでしまった今、答えは無い。しかし、様々な面白い、興味深い説があちこちに広がっていった。その中の考察の一つに『私立M学園男子生徒殺人事件』が実話なのではないか、という説が話題となった。その考察サイトの管理人は当時の新聞などを巧みに引用し、「小説の中の人物と、もちろん名前は違えど確かに東京のとある有名私立進学校で数十年前殺人事件があり、その事件はなんと今の今まで未解決のままであった」ことまで書いていた。そしてその考察に便乗し、実際数十年前、いわゆる小説の中の事件が本当だった、と主張する当時生徒会役員などが出現し始め、その中の一人が卒業アルバムまで持ち出し、その時に死んだ生徒、生徒の彼女、作中で親友に犯人だと疑われていた生徒の親友までが実名で明らかになった。そしてその卒業アルバムが流出した際に『悠久の風』の作者が生徒の彼女であったことからさらに“祭り”は加速した。もう誰にも止めることのできない、一大センセーションを巻き起こしていた。

 しかし、どれだけ社会が騒ごうが警察の捜査が行き詰ろうがそこで流れは停滞してしまった。

 謎が、わからないのだ。何が謎で、何を解けばいいのか。

 そうなった理由は単純明快で、このミステリー小説では犯人が誰であるかすでに判明しているのだ。もちろん、ここがフィクションなのかノンフィクションなのかわからないが、小説の中の「私立M学園男子生徒殺人事件」の犯人はもう小説の中で明らかになっている。この小説の犯人が、現実の「私立M学園男子生徒殺人事件」の犯人とイコールで繋がっているかどうか、それはさすがにわからないし、本気で顔を真っ赤にしてそう主張する輩がいたら鼻で笑われてしまう。なぜなら、この小説が現実とまったくリンクしているならば、「私立M学園男子生徒殺人事件」の犯人は、先日死亡した「悠久の風」の作者でもある『鳳 茜』ということになるからだ。

 本当のような話と、嘘のような話がごちゃ混ぜになり、混乱する。こうしたごちゃ混ぜの空気の中で、結局何が謎なのか、これは謎なのか、そもそも解けるわけがないだろう現実の謎がこんなもの、と思う者が少しずつ現れた。


 そしてまったく事態が進展しない状態になり、今度は小説自体に文句つけ始める人達もポツポツと現れた。小説が売れ、現実の問題と微妙にリンクしていて今までにない面白さを読者に提供していた当初は表立って文句を言えない連中だったが、現実の事件がまったく進展しなくなり、誰も謎らしい謎を解くどころかそもそも何が謎なのかしっかりと説明する説が出てこない時に今がチャンスとシャシャり出たのだ。


「そもそもこの小説は本格ミステリーでも何でもないじゃないですか。ヴァン・ダインの十戒を十回読んでみたらどうでしょうかね、作者と、編集者は。何でも、本屋大賞を受賞したんですっけこの作品? いやぁ、是非選考委員の方々のために良い眼医者を紹介して差し上げたいものです」

「ひと昔前のミステリーを読んでいる気分でしたな。そもそも何ですか、あの小説の最後の文章は。昔の名作ミステリーを愚弄しているんじゃありませんかね?」

「殺人者の動機がまったく語られていなかった、というのは非常に大きなマイナスポイントでしょう。正直、こんなくだらない下衆な小説が流行ってしまう今の社会に私は疑問を抱かずにはいられません。まぁ良くも悪くも、こういった下賤な小説はたまに流行ってしまうものです。この国の将来が危ういと言わざるをえませんな」

と、程度の違いはあれど、ここが狙い目と言わんばかりの攻勢だった。


どんなブームも流行りがあれば、廃れる。

そんなこの世の真理に漏れず、「悠久の風」ブームもいつの間にか、静かに人々の心から忘れ去られていった。

しかし、インターネット上に〝正解者〟がまったくいないわけではなかった。

その正解者は少年だった。ある日を境にミステリーに嵌り込み、色んなミステリーを読み漁っていた少年だった。

そのイギリス人の少年はある一つの仮説を打ち立てた。いや、打ち立てたわけではない。パッと閃いたのだ。小説のある部分を読んでいたら。そしてその持論をインターネットに公開した。少年はその持論にほぼ絶対の自信を持っていた。持論、といってもそんな大層なものではない。たった一文で間に合う、とてもライトな持論だった。しかしその一文は、確かにこの小説のすべてをひっくり返す、悪魔の持論だった。悪魔の持論、といってもそれで悠宮梓を殺した犯人が変わるわけでも、現実で鳳茜が死んだことが変わるわけでもない。しかし、おそらくはこの小説の見方が少し変わるだろうな、程度のものだった。

 その持論を自信満々にインターネットで公開しても答えは天から降ってくるわけでもない。2、3人のホームページ閲覧者の人から褒められたことを除けば、ほとんど反響もないに等しかった。英語で公開したのがまずかったか。原作は確か日本語で書かれた作品だったから日本語の方が良かったのか。しかし、その少年は特段日本という国自体に興味を持っているわけでもなく、これからもおそらく興味を持たないだろうなと思っていた。だから日本語は書けもしないし、おそらく今後も書けない。それに、今から必死に日本語を勉強したところで実際に日本語で文章を書けるようになるのがいつになるのかわかったものではない。それに、日本語で書かれた「Eternal Wind」の原作が発売されたのは確か1年前だ。日本で大評判になったから異例の早さでイギリス、アメリカなどの外国で発売されるようになったんだろうな、とは思っていたがさすがに1年経てばブームは去っている。そんなブームが去ったところで自分が考察を書いても意味はないだろう。そう考え、この本のことをすっきり忘れることにした。次に読むミステリー小説を探すことにしよう。



 このイギリス人の少年は、実に惜しかった。

 真実へ至る一歩を国境という厚き壁に閉ざされてしまった。

 この少年はあくまでこの小説は、“フィクション”であると考えていた。

 だから、あっさりとここで諦めてしまった。



 フィクションとして捕えていたため、また、良くも悪くも彼は日本という場所にいなかったために、彼は知らなかったのだ。

 このミステリー小説の作者が亡くなっていて、その“協力者”がその作者の死の重要参考人である、ということを。そして、この小説は『ノンフィクション』、『実話に近い』可能性が高いものだったということを。



 すべての人が、常にインターネットを閲覧しているわけではない。インターネットにまったく触れず、店頭に並んでいた本を見つけ、読んだ読者ももちろんいる。その読者がこの物語を読み、すべての真実を理解した。なぜ、とか、どうして、とかどうやって、とか。そういうことが重要なのではない。ある読者が、完璧な真実を理解したことが重要なのだ。この読者、ここでは仮に、Aと名付けよう。先ほども書いたように、Aはインターネットを一切見ない。だからイギリス人少年が発見した“悪魔の持論”をホームページで見た、ということもない。完全に自力で、Aもこの小説の究極的な一点を見抜いたのだ。そしてAはイギリス人の少年とは違い、日本で生まれ、日本で育った立派な日本人だった。だから「悠久の風」作者が亡くなって、その“協力者”カワカミなる人物がその事件の際重要参考人として警察に追われているということも知っていた。インターネットは見ないがニュースは見るのだ。


 そして、もちろん同時にこの物語がノンフィクション、“実話に近い”小説であることも知っていた。だからAは、この小説に含まれる一点と、現実に起きた作者殺人事件をリンクさせて考えることができた。そして、答えを得た。何が謎で、その謎の答えが何なのか、その謎の答えが何を示すのかを。

 しかし、Aはこのことをインターネットで公表しなかった。インターネットが嫌いだから、とか、インターネットのやり方がわからない、とかそういうものではない。不特定多数の人達にこの解を公表するのは意味が無い、と判断したからだ。この真実を彼らが知ったところで彼らは何も得ない。ただ、警察は動くだろう。しかし、別にAは警察を動かしたいわけでもない。


 だから、この事件、及び小説について手紙を出した。2人の人物に。

 この時、Aが求めていたのはお祭り騒ぎでも無ければ、社会的制裁、正義の完遂などという実にくだらない青春若造の考えそうな理想でもなかった。

 この流れが、この大きな事件の果てに、何が待っているのだろうかという答えなき問いの答えだった。


 自分ではもうその問いの答えは出せない。答えを下す資格は自分には無いような気がしたからだ。だから、手紙を出した。答えが帰ってくるとは期待していなかったが、答えに近い何かをその2人の人物がくれる気がしたからだ。それは、少し贅沢過ぎる願いなのかもしれない。でも、どうしても考えずにはいられない。


 ――悠宮梓さんと、鳳茜さん。この2人は死なずに済んだ未来が、どこかに存在したのではないか、と――。



 最後に、小説『悠久の風、感じる私の頬の肌』に書かれていた最後の一文を以て、この物語を締めたいと思う。








 あなたがこの謎を解こうが解くまいが、この物語はミステリーと して永遠になる。これを読んだあなたが、その証人となった。


 今も世界に吹く風は、これから先、人間が生き続ける限り永遠に吹き続けるだろう。


 風がどこからともなく吹き、人が自らの肌でその風を感じることができる限り、このミステリーもおそらく永遠のものとなるだろう。


 有野 宇焔(U.N.Owen)


 私立M学園男子殺人事件、及びミステリー作家怪死事件の謎は、今もまだ、解決という日の目を見ていない。


 2010年4月27日に公布・施行された改正刑事訴訟法により殺人罪の公訴時効が廃止された。そのため、発生してから25年以上過ぎた今であっても、私立M学園男子生徒殺人事件は終わってはいない……。今もなお、当時事件捜査を担当した警察署の記録上では、捜査本部が置かれている。この事件を担当している捜査員も、名前だけながら存在している。まだ終わってはいない。この事件は、終わってはいないのだ。死ぬこともないし、これ以上生きることもない。


 これは、U.N.Owenからの終わりなき戦いへの挑戦なのかもしれない……。

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