駿 二〇一五年 夏 一

 全国高等学校総合体育大会――いわゆるインターハイは、七月下旬から八月中旬までの夏休み期間中に行われる。

 従って、その出場権を争う地区予選は六月頃に各都道府県で開催され、大阪府の剣道予選の場合は六月十三日に岸和田市の総合体育館で行われた。

 駿は高校進学後の低迷が影響して、選手として府の予選に出場することすら出来なかったが、彼はスポーツ推薦枠ではなく一般入試枠で進学して剣道部に入部したので、早いうちに結果を出さなければならないというプレッシャーは感じていない。

 むしろ、選手から外れたことで時間的な余裕が出来たため、内心喜んでいたのだが、もちろんそれを表には出さなかった。

 翠の件で和美からの連絡はない。和美も苦戦しているのだろう。それを思うと駿は心苦しくなる。しかし、駿のほうから「今どうなの」とは聞けなかった。

 それは和美がどんな想いでこの件を引き受けたのか、駿にはよく分かっていたからである。


 *


 和美のほうはというと、駿の推測通り苦戦していた。

 彼女はまず手始めに、駿に話した通り、

「お別れ会の時に撮った写真を渡したいんだけど、時間ないかな。久しぶりに会いたいし」

 と、メールを入れてみた。

 いきなり電話をしなかったのは、和美のほうでも駿との約束で受けた動揺を隠し通す自信がなかったからである。

 そして、それに対する返信は意外なほど速やかに戻ってきた。

「ごめん。今は新しい学校のことで時間が取れないので、メール添付でも構わないかな」

 見事なかわし方である。だからこそ和美は翠に起きている異変がただ事ではないことを理解した。

 彼女がこんな事務的なメールで物事を終わらせることはありえない。少なくても、即座に電話をかけてきて和美が「もういいよ」というまで謝り続けるのが、和美の知っている翠だ。

 写真の件はこれ以上引っ張っても上手くいかないだろうし、逆に翠に警戒感を与えてもいけないと判断し、和美は、

「了解。じゃあ写真はデータで送るね。暇が出来たら会いたいから連絡頂戴ね」

 と書いたメールと共に、画像データを送る。それに対する返信は、

「有り難う。こちらから連絡するね」

 だけだった。その簡潔さと、「こちらから」という文章に、避けられている気配をひしひしと感じる。翠もそれを分かっていて送ったのだろう。今の彼女は、駿どころか和美とも会いたくないのだ。  

 ――これはめっちゃ面倒なことになってるんやないかな。

 和美は溜息をついたが、だからといってここで断念するつもりはなかった。駿との約束以前に、翠はやはり自分の大切な友達である。これで自分の問題でもあることが分かったので、さらに和美のモチベーションは高まった。

 ――ほんなら、次はどないしようかな?

 流石に学校が違う翠の日常行動を追尾するのは簡単なことではない。

 まず手始めに、朝の自宅から学校までの道すがら、偶然出会ったふりをして話をすることを考えて、翠の自宅前で待ち伏せしてみた。

 梅雨が終わった初夏の午前六時、気持ちの良い空気の中、物陰に隠れて翠の家の前を見張る。なんだかドラマの刑事になったような気がして背筋が伸びるが、一方で頭のおかしいストーカー女になったような気がして、背中が丸くなる。

 それを交互に繰り返していると、剣道の早朝練習がある駿が家を出て学校に向かった。

 その横顔を和美が目で追かけていると、ほとんど間をおくことなく翠の家の玄関が開いて、翠が出てくる。

 どう考えても、駿が出かけたことを確認した上での出発に違いなかった。

 和美は大阪市営地下鉄谷町線「平野」駅方面に向かって歩く翠の後ろを追う。

 あまり彼女の家の近くで出会うと、待ち伏せがばれてしまう可能性があるので、地下鉄の入口で追いつこうと考えていたのだが、翠の自宅から離れてすぐの路上で、翠の隣に黒塗りのミニバンが停車するのを目撃した。

 側面のスライドドアが開き、翠は自ら進んでその中に乗り込んでゆく。馴れた動きから、これが毎朝のことであると推測できた。

 和美が呆然と立ちすくむ目の前を、黒塗りの車は滑らかに加速して、速やかに視界の遥か向こうに消えてゆく。

 和美はそれが、

「もうこれ以上私に関わらないで欲しい」

 という、翠からの警告のように感じられてならなかった。

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Nの子供たち 阿井上夫 @Aiueo

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