第四幕 家族の定義
発端 二〇一四年 春
厚生労働省が報道機関向けに発表した資料によると、二〇一四年に全国二百七ヶ所の児童相談所が受けた児童虐待相談件数は、実に八万八千九百三十一件にのぼった。
この年間相談件数は例年「過去最高」を記録している。二〇一三年は前年度より七〇六四件増、二〇一四年は一万五千百六十六件増と、急激に相談件数が増加しているのだ。
この急増の原因として、厚生労働省は「実際に児童虐待が増えている」ことに加えて、「社会的意識の高まりから相談件数が増えた」ことをあげている。
要するに「今までは、誰にどう伝えればよいのか分からない状態で、そのまま放置されていた案件が相当数あった」ということだ。
また、厚生労働省が二〇一三年八月に「虐待の被害児童に兄弟がいる場合は、その兄弟も心理的虐待を受けたものと見なして対応」するように求めている。これも増加の原因と言われていた。
さて、児童虐待防止法における「児童」の定義は「年齢が満十八歳に満たない者」である。
そこで、十八歳未満の人口を分母として、児童虐待の発生頻度を考えてみる。すると、全国的には児童千人あたり「四.四八件」発生していることになる。
さらに、この児童虐待相談件数を都道府県別に見ると、最も多いのが『大阪府』の一万三千七百三十八件で、大阪府の児童千人あたりで換算すると『九.九八件』となり、実に全国の二倍強である。
二位が『神奈川県』の一万百九十件、三位が『東京都』の七千八百十四件と続く。流石に都市部は、件数は格段に多い。
また、これと似たような数値を警察庁も公表している。
それによると、二〇一四年上半期に全国の警察が「虐待被害が疑われる」として、児童相談所に通告した十八歳未満の子供は一万七千二百二十四人となり、前年同期から四千百八十七人も増加した。
警察はこのうちの一千人余りを保護し、四弱人弱の保護者を摘発しているが、いずれも過去最多である。
警察が公表した数値のうち、約三分の二を占める一万一千一百四人は「心理的な虐待」を受けていた。
続いて、DVが子供の目の前で行われる「面前DV」が、七千二百七十三人を占め、「身体への虐待」が三千八百八十二人、「ネグレクト」が二千一百四十四人、「性的虐待」が九四人となっている。
ただ、いずれの発表も児童虐待の実態を表しているとは考えられていない。せいぜいが、その氷山の一角を表に出しているだけに過ぎず、大半は未だ水面下にあると見られていた。
*
大阪市の東成区に住む中学三年生の越塚(こしづか)圭太(けいた)は、両親の顔を全く覚えていない。生まれてしばらくした頃、彼は児童養護施設に保護された。
聞くところによると事件性があった訳ではなく、ベビーシッターに彼を預けて息抜きに出かけた両親が、交通事故で一度に亡くなってしまったらしい。
誕生日以降の新聞を丹念に捲(めく)っていけば、該当する記事を見つけることが出来るかもしれないが、いままでそれを試みたことはなかった。必要を感じなかったからだ。
なにしろ、物心ついた時には既に東成区にある施設にいた。そして、同じように親の顔を知らない子供たちや、知っているけれども思い出したくない子供たちと一緒に、育てられてきた。
あまり比較しても仕方がないのだが、自分のように親の顔を全く知らない子供は、それはそれで気楽だと彼は思っていた。
物心ついてから親の見たくない面を見てしまうと、その影響から抜け出すのが大変である。
夜中、急に泣きだすことは珍しくない。突然叫びだす子は日常茶飯事である。
――自分は薄情なのかもしれない。
圭太はそう思うことがある。彼はむしろ「親がいなくて可哀想」という顔をされると反感を覚えた。
そして、圭太のその考えをより強くする出来事が、施設内では発生していた。
*
子供の泣く声がする。
それ自体は施設の中では珍しくないことなのだが、泣き声の質が問題だった。
「ごめんなさぁい、ごめんなさぁい、ごめんなさぁい――」
泣き声とともに、舌足らずな言葉で謝罪を繰り返している。
「本当に反省しているん? 口だけちゃうの?」
笑いながら問いかける女の声。
「反省していまぁす。だからお願い、もうやめて」
「ほんまかなあ」
「ごめんなさぁい、ごめんなさぁい――」
循環する会話に飽いて、自室にいた圭太は溜息をついた。
――またかいな。
声がする方角からすると、娯楽室だろう。彼はスマートフォンを手に取ると、立ち上がって部屋を出た。彼の個室は娯楽室からさほど離れていない。
いつものようにスマートフォンの録音機能をオンにして廊下を進む。声は次第に大きくなっていった。
娯楽室の入り口から中を覗き込む。
――やっぱりな。
中では、三十歳後半の女性が六歳の男の子に馬乗りになっていた。女のほうは入口に背を向けているので表情は分からない。多分、にやにや笑っているのだろう。
「もういっぺん繰り返しなさい」
「ごめんなさぁい。僕が悪かったです。もう二度としません」
「なんだか真剣さが足りん。もういっぺん」
「ごめんなさぁい。僕が悪かったです。もう二度としません」
「ほんまにそう思うているんかなぁ。何が悪かったのか言うてみ」
「……」
「あかんやん。全然分かってないやん」
「……」
圭太の胃が重くなる。いつものやつだ。六歳の子供に論理的な問いかけをしても意味はないのに、それを繰り返すやり方。そもそも彼はどうして叱られているのか分かっていないはずだ。
なぜなら、もともと叱られる理由なんか明確には存在していないのだ。気分で目をつけられたに過ぎない。
しかも、その理由が「関西弁をしゃべらないから」だろう。彼は最近施設に保護されたばかりの子供で、もともとは他の地方で生活していたのが、親の都合で大阪にやってきたのだ。
そういう特徴のある子供は狙い撃ちされやすい。些細なことで因縁をつけて、相手を追い詰めて嬲ることが目的である。
保育士の中にはたまにこういう人間がいる。躾とストレス発散の区別がつかない人種。
「ほら、ちゃんと言わなくちゃわからんやろ。何が悪かったんや?」
「……わからない」
「あかんやん。理由も分からんと口だけで謝ったって意味ないやん」
「……」
「ちゃんと分かるまで逃がさへんで」
「……痛い」
「ああん、今何て言うたん?」
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!」
――あかん、切れた。
圭太は眉をひそめる。しかたがないことだが、逆効果だ。女の背中は笑っていた。
「悪いことをしたから謝ったんやろ。その報いを受けるのは当然やん。我慢しい」
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!」
「あたりまえや」
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!」
圭太はスマートフォンを握り締めた。手のひらが汗ばんでいる。さすがにやりすぎだ。親に虐待された挙句に、施設で保育士から躾という名の虐待を受けている。
――かなわんなあ。
ここで自分が介入すると、今度はしばらくの間自分が標的となるだろう。
そう考えながら圭太が逡巡していると、廊下の向こうから走ってくる足音が聞こえた。
――こいつはやばい!
もう一人の問題人物の登場である。
その人物は圭太の後ろにやってくると、室内に向かって大きな声を上げた。
「清川(きよかわ)先生! 何をしてはるんですか!」
このファミリーホームを担当しているもう一人の保育士、笹本(ささもと)静香(しずか)だった。
問いかけられた清川はゆっくりと振り返る。案の定、その顔は笑っていた。
「何をって、見たら分かるやないですか。躾です、躾」
「やりすぎやないですか。六歳の子供に馬乗りになるなんて」
「うちではいつもこうしてます。育児もしたことがない人が口を出さんでください」
「ここは清川先生の家やないでしょう」
「施設の子も自分の子も同じだと思って接してます。笹本先生こそ理論ばかりで行動が伴わないじゃありませんか」
――またいつものやつが始まったよ。
圭太はうんざりした。
施設勤務歴十五年の古参である清川は、自身が子育て経験者であることを持ち出しては、後輩のやり方を批判することで有名である。
児童養護施設の保育士は、不規則な勤務サイクルと過剰な労働時間のために婚期を逃す者が多く、独身率が極めて高い。
どこの児童養護施設でも「結婚したいならば仕事はやめたほうが良い」というのが常識で、その両立が可能とは誰も思っていなかった。
清川の場合、自分と夫の実家が隣同士だったために、双方の親の支援を得られるというアドバンテージがあった。
そのお陰で勤務を継続できたのであって、そうでもなければ子育てと施設勤務を両立できる訳がない。
それに清川の最前の主張とは違い、実子は親が育てたも同然で彼女には全く懐いていなかった。むしろ、体罰を嫌がる実子に避けられているほどである。
そのストレスが躾と称した過剰な体罰につながっていることを、清川自身は認識していない。彼女は「子供を支配する」ことでしか関係を保つことが出来なくなっていた。
一方の笹本は二年前に大学を卒業したばかりの新人である。
しかし、関西でも有数のお嬢様学校のその筋では有名な保育学科を卒業した彼女は、自身が学んだ理論に過剰な自信を持っていた。
確かに最新の研究結果から導き出された保育理論は、理論的に正しいかもしれない。しかしながら、実際の現場は毎日が理論を離れた非常事態であって、一律に論じられるものではない。
理論体系を構築した際の対象集団と、実際に保育士が直面している集団とでは、文化的背景や社会的背景が異なっているため、必ずしも同じ土俵で論じることはできないのだ。
経験を積んだ保育士であれば皮膚で知っているそのような現場感覚を、経験年数の浅い笹本は持っていなかった。それどころか、
「現場の人間は向上心がないから理論を全然勉強していない。だから現場で問題が起きるのだ。それを自分が変えていこう」
という、履き違えた向上心をこじらせていたため、余計に始末が悪い。
本来の意味での子育て現場を知らないまま、現場優先主義を貫き通す清川。
現場の経験もないままで現場改革に乗り出した原理主義者の笹本。
この二人を同じファミリーホームの担当にした施設管理者の管理能力のなさが問題をさらに悪化させ、今では事あるごとに口論が生じていた。
よく考えれば、口論する前に清川の下敷きになっている子供を開放すべきだろう。それすら分からずに、二人は激しい言葉の応酬を繰り返している。
下敷きになった子供のほうは何も言えなくなってぐったりとしていた。また、二人の剣幕を子供たちが自室の扉を少しだけ空けて窺っている。
多かれ少なかれ親の縁に恵まれずに施設へとやってきた子供にとって、大人の感情的な対応は刃物にも等しい。扉から覗いた目は、例外なく恐怖を宿していた。
さすがに圭太も口を出さざるを得ない。
「あのさぁ、大人が子供を放置して口喧嘩するのはまずいんじゃないの。まずは、上からどいたほうがいいと思うんだけど、清川さん」
そこでやっと清川も自分がずっと馬乗りのままであったことに気がつく。反射的に子供の上から飛びのいたが、彼はぐったりとしたまま動かなかった。
ところが清川は子供の心配どころか、怒りを圭太に向けた。
「圭太、ちいと学校の成績がええからって、調子に乗ってるんちゃうの。ちゃんと先生と呼ばなきゃあかんやんか」
「家族と一緒って言うとったの自分やん。なんで親に先生って言わなくちゃあかんの?」
「親しき仲にも礼儀ありと昔から言うやんか。あんた、そんなことも知らんで、成績優秀とか自慢してるんか」
圭太は自慢した覚えはない。しかし、言い返しても清川が彼の言葉に耳を傾けることはないだろう。彼女は口先ばかりの人間で、それによって責任を回避してきたからだ。
しかもそこで、笹本が、
「そういえば越塚君。最初から見てたんやったら、君が止めなければあかんやん。黙って見てるんはそれこそ家族やないと先生は思うわ」
と、今そこで言うべきではないことを言った。彼女は状況判断が出来ず、思いついたことを思った時に口に出してしまうため、周囲から嫌がられていた。
しかも、彼女の言葉だけ聞けば立派な正論である。出来事の背景を知らない者には、彼女の言葉のほうが正しく思える。
事実、状況を放置した圭太に非がなかった訳ではないが、その状況を作り出した本人が言うべきことではない。そのような感覚は笹本にはなかった。
黒か白か、善か悪か、正か誤か。そんな二元論でしか物事を判断できない頑迷さが、笹本の本性である。
いつのまにか清川と笹本の両方から責められながら、圭太はぼんやりと考えていた。
「親を知らないというのはそれほど悲惨じゃない。家族と称する気の利かない大人が、自分を抑圧することに比べたら天国だ」
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