ギリアム・エーラムン
同盟北方支部の訓練場は無駄に広く、
行政機関並の会館に合わせた大きさを取ったはいいが、そもそも利用者の数と見合わなかったというつまらない理由だ。
そもそも検める者たちは依頼中は遠出が基本で、拠点の都市で過ごす日数とそれ以外とでは半々がいいとこ、という事情もあった。
とは言っても安値かつ安全で機材が揃っており、傷痍で引退した古参がある程度の指導もしてくれる、という場所は早々ないため、全く使われないわけでもない。
見習いの指導は元より、弓師がよく遠矢の訓練に使う他、街の兵士の団体訓練に貸し出される事もある。
丁度誰も使用していないというのは運がいい。
「どうぞ」
鍵を開けて、エッダは恭しく道を示す。
「おー」
ユグは丸く口を開けて周囲を見回した。
おおよそ
機材の類はなく、複数部隊での訓練を想定して作られた場所である。
鍵束を指先でくるくる回しながら、エッダは手振りで係員に指示を出した。
「すぐ訓練用の武器をお持ちしますね」
「いらねえよ」
ギリアムは同意を求めるようにユグを見た。
しばらく辺りを見回していた少女は、ギリアムの言葉に小さく顎を引いた。
エッダはその言葉を素手で相手するものだと解釈した。故に当然の配慮だと考え、落ち着いて端の長椅子に腰掛けた。
ギリアムは1オード銀貨を取り出してユグに見せた。
「始めよう。合図はこいつだ」
「うー。……あ、うん、わかった」
勢い良く親指で弾き上げられ、銀貨が高く舞い上がる。
それを見て、ユグとギリアムは互いの得物に手をかけた。
「えっ……と?」
エッダがまだ状況を理解しないうちに、貨幣は鈍い音を立てて地面に跳ねた。
同時に、ギリアムが双斧を抜き放ち。
――ユグが巨剣を振り抜いた。
「ちっ――!」
「ひえっ……!?」
剣風が砂利を巻き上げて吹き付ける。エッダは慌てて腕で顔を隠した。
たまらず立ち上がって距離を取ると、土煙の向こうに、長く轍を刻んだギリアムの姿が見えた。
「えっ、なっ、なっ」
「おっちゃん、やるね!」
ユグが飛ぶ。
ギリアムは斧を交差させて構えた。
長過ぎる刀身は、少女が飛び上がって尚砂利に線を引くほど。
その切っ先が地を離れ、そして消える。ギリアムの体が膨れ上がる。
大地がめくれ上がった。
「グ、オッ――!」
ユグの大上段から振り下ろしで、ギリアムの足が地にめり込む。
「わあっ……!」
「なっ、ななっなっ」
全身の筋をうっ血するほど隆起させて、ギリアムは真っ向からその一撃を受け止めてみせた。
振り払う。宙に浮くユグの体が、僅かに崩れる。
「ォ――ラァ!」
ギリアムは間髪入れずに身を捻った。
大斧が唸りを上げてユグへと迫り、咄嗟に引き寄せた剣の腹に受け止められる。
ユグの小さな体が吹っ飛んで、そのまま壁に叩きつけられた。
「ぎ……ギリアムさん! ちょっとやり過ぎです!」
フィズたちが轟音に驚いて来てみれば、訓練場にはもうもうと土煙が上がっていた。
怒りと、困惑の混ざった声でエッダが叫び、ギリアムはそれを見もしない。
土煙の向こうを睨んで、動かない。
「相手はまだ小さい……」
「ただのガキじゃねえのはもう分かっただろ、エッダ」
双斧を油断なく構えながら、ギリアムは吐き捨てた。
土煙が晴れる。
「あれは……女の子?」
「ユグさん……?」
石壁が砕け散り、内部の建材が顕になっていた。
その壁に、少女が張り付いている。
「いりふぃぶ・いあぶーと……じゃなかった」
壁に埋まった足を引き抜いて、ユグは一回転して着地する。
「おっちゃん、つよいね!」
ギリアムは幾つかの言葉を舌の上で転がして、飲み込んだ。
だらりと斧を下げて構える。
先の一撃を受け止めただけで、両腕は痺れてまともに動きそうもない。
かつて受け止めた上位種の突進、それより尚重い一撃だった。
「ユグ、もーちょっと――」
冗談きついぜ。
馬鹿力め。
ふざけんな。
――それが見たかったんだ。
「ほんき、出すね!」
少女は黄金の闘気を身に纏った。
ギリアムは一つ確信を得た。目的を達成したとも言う。
知っている。ギリアムはかつてその力を見たことがあった。
「きいーふぉーで、ずぃーあ、ふてぃーあ!」
先の、ふざけた膂力の一撃ですら、少女にとっては手慰み。
果たして次の一撃、腕の一つで済むかどうか。
右の斧を背に担ぐ。左足を前に。
ギリアムは凶暴に笑って、唸るように一言を返した。
「きいーふぉーで! いあぶーと!」
「Inom, tug」
ユグは目を見開いた。
「だったか?」
「うー!」
肯定の鳴き声が返ってくる。「U」は竜にとっての肯定の声だ。
少女が口にしているのは竜語だ。
ギリアムは、かつてそれを聞いたことがあった。
少女が身に纏うのは、ガルガンが操る始原の力――竜気だ。
「――
「来いよ!」
竜気を一際輝かせ、剣をひょいと放り上げると、追って少女は地を蹴った。
あまりの膂力に大地が窪み、吹き飛ぶ。
高く飛び上がった少女は、殆ど大地と平行になるまでぐるりと身を捻る。
巨大な木剣の、刃先の部分を抱えるように両手で握り、そして吠えた。
剣の刃を持ち、鍔で相手を殴打する技術は存在する。鋼鉄の鍔はそれだけで鈍器になりうるのだ。
だがその巨大な木剣で行うならば、その規模は個人への攻撃では留まらない。
攻城兵器の部類だ。
「巨魁竜ガルトレイジ――」
その名は即ち歩む山。最も巨大なる竜。背に大地を背負う者。
伝承に曰く、かの竜にとって、攻撃とは歩行であったという。
「
――訓練場がひしゃげて潰れた。
観戦者四名は、風の加護のおかげでどうにか無事だった。
外へ飛び出した瓦礫も、風に絡め取られてどうにか内側までで収まったようだ。
エッダはどうにか立ち上がって顔にかかった土を払うと、被害を改めて確認した。
訓練場の壁は軒並み崩れ去っていた。
まるで星でも落ちてきたかのように、砂利の地面はすり鉢状に凹んでいる。
池か何かかと言う大きさだった。
「大丈夫ですか、支配人さん」
「か、カルメロさん……」
「フィズ、もう大丈夫だ」
「う、うん」
フィズは
彼はまだ軌跡術師としては未熟だ。父の術の補佐だけでも意識が朦朧としていた。
トランは尻餅をついて、声もなく戦慄いている。
ブン、と風を切って、剣が宙を舞い上がる。
投げ上げた剣の柄をしかと掴んで、少女は荒れ果てた訓練場に降り立った。
「あ……」
血の気の引いた顔で。
「……おっちゃん!」
ユグは穴の中へと飛び込んでいく。
中央には、果たして、ギリアムが立っていた。
「おっちゃん、おっちゃん!」
手にした斧は鋼鉄の柄がひん曲がり、鎧は無残に凹んで割れて、靴は殆ど地に埋まり、折れた柄を受け止めたらしい右肩は、肉が裂けて骨が露出していた。
曲がった斧を掲げる腕は、筋肉の硬直で受け止めた姿勢のまま固まっていた。
全身至る所の血管が裂けて、血を流している。
だが生きていた。
「ぎ、ギリアムさん……?」
男は微動だにせず、ただにやりと笑った。
「ごめんね、おっちゃん、ごめんね」
ユグは真っ青な顔のまま、己の二倍はありそうな巨漢をさっと持ち上げ、穴を駆け上がった。
「おっちゃん、ごめん、ごめんね……」
「嬢ちゃん」
「う」
ギリアムは深く息を吐く。
血相を変えて駆け寄ってくるエッダを見ながら、砕けた肩に顔をしかめ、まだ動く左手で、少女の頭を小突いた。
「下ろしな」
そして笑った。
「俺は――倒れなかった」
満足気に笑っていた。
「竜の一撃を! 真正面から! 受け止めてやった!」
「おっちゃん……」
「戦士の誉れだ! 分かんだろ、嬢ちゃん――ユグ」
ユグは小さく頷いた。
彼は片腕で器用に身を下ろすと、まだ笑っている膝をぐっと押して、立った。
満身創痍の巨漢は、清々しい顔で空を見上げた。
「――俺は! 竜の前にも! 立てる男だ!」
ギリアムならあの一撃を避けることは出来ただろう。
ユグもそれが分かっていて、竜技の一つを繰り出した。
だがギリアムはそれに挑んでみたかった。
はじめに、あの黄金の一閃を見た時からだ。
――ギリアム・エーラムンには、悪癖がある。
つまり、無茶や無謀を冒さずにはいられない、という。
「試験は合格だ! それでいいよなエッダ!」
「そんなこと言ってる場合ですか! 馬鹿! 何考えてるんですか!」
「どうだこいつぁ! すげえだろ! 今のなんだか分かるか!」
「知りませんよばーか!」
エッダは柳眉を逆立てて怒鳴り返した。
「自分が挑戦したいだけなら前もってそう言えってんですよ筋肉達磨! ほんっとうに脳の足りない男ですね! 件の上位種をぶちのめしたのもこの子ですね!?」
「察しが良いな!」
「ああもう、ああもう!」
エッダは髪をぐしゃぐしゃにかき乱して、ギリアムの容体をさっと眺めると、辺りを見回した。
「いた! トランさん!」
「は、はいっ!」
「このドアホの治療をお願いします!」
「わ……わかりました!」
「ああ訓練場めちゃくちゃ! どうしろって言うんですかこれ! ああもう!」
慌ててギリアムに駆け寄るトランと、頭を抱えて悲鳴を上げるエッダ。
爆音に気付いてやってくる職員やら同盟者やら。
にわかに騒然とする会館の端で、フィズとカルメロは顔を見合わせて苦笑した。
ユグの星樹伝説 宗谷織衛 @Olier_claire
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