カルメロ・スリナッチ




 フィズはその後いくつか書類を受け取ると、そのまま待合室へと向かった。


 通常、同盟の集会場にあるのは総合受付と依頼斡旋窓口(規模によってはそれすら一纏めになっていることもある)、常設や低難易度の依頼の掲示板、後は順番待ちのための椅子と机程度のものだが、地方支部であれば話は別だ。

 同盟への正式な加入手続き、貴族や各街の長との折衝、依頼情報の集積と再配分、各支部の監査、その他依頼の斡旋以上の業務を行うための様々な設備がある。

 ましてティリガンツにあるのは北方支部、同盟の北の顔。その施設も、都市の一行政機関に匹敵する規模を持つのは当然の帰結だった。


 艶やかに磨かれた石壁と、釘なり棘なりを打たれた靴で傷ついた木の床。申し訳程度の植木鉢に常緑樹。壁面にかけられているのは絵画ではなく著名な冒険者の装備だとか討伐証明書だ。

 人入りはさほど多くはない。新聞を広げたり、徒党の連携について語り合う同盟者の奥に、のんびりと髪を弄る父の姿を見た。


「父さん、お待たせ」

「ああ。どうだった、フィズ」


 空の子特有の緑髪を三つ編みに編みこみ直しながら、カルメロは人のよい笑みを浮かべた。

 風巫師は髪を伸ばす傾向にある。布地の多く袖や裾の長い尾曳衣と同様、風を受けてたなびくことをよしとするのだ。


 フィズは父親の元へと駆け寄ってぴらりと書類を見せた。


「合格。明日から僕も探検者だよ」

「それはよかった。壊滅の報を聞いた時は肝を冷やしたよ」


 カルメロはそう言って髪から片手を離し、頭を撫でる。

 フィズはくすぐったそうに肩をすくめた。


「もう……子供扱いしないでよ」

「まだまだ駆け出しだろう? 背伸びも可愛いものだがね」


 カルメロの口調は甘やかすようでもあったが、その言葉の重みをフィズは感じた。


 実際、カルメロはそれなりに長く同盟に所属しており、幾つか勲章を得ている。

 新人徒党の救出依頼に選抜されるくらいには実績のある探検者だ。

 ――壊滅した徒党も、多く見てきている。


「学べるだけ学びなさい。追い風が止まない内にね」

「……はーい」


 言いつつ、フィズはカルメロの手をそっと退けた。


「あ、ギリアムさんから伝言」


 まだ確定ではないが、近々『呻きの森』の状況調査を行うこと、ギリアムがカルメロを指名したがっていること、をフィズは伝えた。


「うん、そうなるとは思っていたんだ」

「やっぱり受ける?」


 カルメロは小さく頷いた。


「『風の便り』を聞けるほどじゃあないけれど、私だって耳には自信があるし……それにね、ギリアムさんには恩義があるし、この街には多くの人が住んでいる」


 編みこみを終えると、カルメロは薄い髭を撫でた。


「受けない理由はないだろ?」

「……分かった。じゃあほら、買い物行こうよ。普段着、新調するって言ってたじゃん。薬も予備が減ってきたから、材料買って作らなきゃ。あとお鍋の修理と、裁縫道具も」

「あとはロープも新しいものを見繕いたいかな。ただもう少し待ってくれないか」

「うん?」

「フィズに会わせたい人がいるんだ」


 フィズは小さく首を傾げた。そんな予定は聞いていなかったからだ。


「一体誰……」

「フィズさん!」


 振り返ると、見覚えのある人物が法衣を振り乱して駆け寄ってくるのが見えた。


「トランさん」


 あの時フィズが逃がした少女だった。

 走ったせいか、結った淡青の長髪がほつれてしまっていた。


「よかった……ご無事でよかった」


 トランはフィズの目の前で立ち止まった。

 そして少年の無事を確かめて、深く息を吐いた。


 昨日フィズが帰還した頃、トランは神殿の寝室で気を失っていたらしい。

 歪んだ生命の脅威に晒され、怯えながらも長時間軌跡術アシェロテオを維持し続けたのだ。心身共に消耗していただろうと、フィズも無事と聞くに留めていたのだが。


「よかった……」


 トランは掠れた声でそう漏らすと、僅かに涙をこぼした。


「あ……すみません、その、安心したら、その」

「いえ、心配してくださったんですね。ありがとうございます」


 はっとして目元を拭うトランに、フィズは小さく笑いかけた。


「あの時はすみません。突然抱えたりなんかして」

「い、いえっそんなことは! 私ドン臭いからあのままいたらすぐ死んでしまったでしょうし、その、だから、お礼を言うのは私の方で」


 食い気味にそこまで言い切ると、トランは僅かにうつむいた。


「……フィズさんのおかげで、助かったんです。ありがとう、ございます」

「いえ……やるべきことをしただけです。僕も、マルティンさんたちも、トランさんのおかげで救助が間に合いました。ありがとうございます」


 応接室の一角とは言え、立ちっぱなしで会話をしていれば目立つ。

 すれ違った同盟者が二人して頭を下げ合う様子をちらりと見て、会話の内容を聞くなり肩をすくめて去っていった。


 珍しい話ではない。検める者というのは命を張る仕事だ。危機に瀕して助かった人間同士の会話なだけマシだろう。


 カルメロはしばらく二人を眺めたあと、頃合いを見て口を開いた。


「さて、トランさん。私たちはこれから買い物にいくけれど、一緒にどうですか」

「えっ……と」

「まずはマルティンさんたちの所へ寄るつもりなんだ」

「あ、はい。それじゃあ……よろしいですか?」


 尋ねられて、フィズは苦笑した。


「お暇でしたら、どうかご一緒してくれませんか。父さん、服の趣味悪いから」

「ぷっ、あっ、ごめんなさい、ふふっ」

「おいおい、フィズ」


 トランは口元を隠してくすくすと笑った。


「一日よろしくお願いします、フィズさん」

「喜んで。……あ、でもその前に」


 フィズは腰の小鞄から櫛と手鏡を取り出して、トランに差し出した。


「お色直し、必要ですよね?」

「……あ」


 さっと後頭部に手を当てて、トランは顔を赤くした。

 フィズは紳士的に微笑んだ。


「ありがとうございます……いつも持ち歩いてるんですか?」

「ほら、僕も髪長いですし。時々解けて困るもので」


 とフィズは言うが、手鏡は貴重品だ。

 トランも当然持ってはいるが持ち歩くほどではない。


 ともあれトランはそれを受け取り、人の居ない場所へ向かおうとして。


「……あら?」

「ユグさんと、ギリアムさん……?」


 その先で、連れ立って歩く少女と巨漢を見た。

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