第十七話 とりあえず終わりの朝(九月十八日 瞳子)

 火曜日の朝。

 いつも通り、聡子は瞳子を迎えに来た。

 聡子は、先週土曜日の出来事が気になって仕方ないはずなのに、あえて追求せずにいつも通り振る舞っている。そんなところがいかにも聡子らしいと、と瞳子は思った。

 瞳子は、聡子にだけは本当の事を話しておきたいと洋に言って、了解を貰っていた。

「あのね、サトちゃん」

「なあに、トコちゃん」

 聡子は首を傾げる。

 瞳子は通学途中の道すがら、土曜日から月曜日にかけての顛末をゆっくりと聡子に説明した。そして洋から聞いた『覆面作家』に関する真相を告げた。

 児玉水力は洋であること。

 土曜日に洋が会っていた相手は、出版社の編集者だったこと。

 鞠子が警察官だから、洋は自分が作家であることを隠して、表に出さないようにしていたということ。

「まあ――」

 聞き終わって、聡子は大きな溜息をつく。

「洋さんが児玉水力だったなんて。しかも、家族にも内緒なんて奥ゆかしいわ」

 家族に内緒だった点は瞳子的に減点ポイントだが、それはともかくとして。

「ぜんぜん似合わないよね」

 と、瞳子は苦笑いする。

 ところが、

「全然そんなことないわ。覆面作家なんて、実に洋さんらしいじゃない。でも――」

 聡子はまた溜息をつく。

「浮気じゃなかったなんて、とても残念だわ」

 ――そこか。あなたの興味は依然としてそこにあるのか、山田聡子。

 瞳子は、恐らく『決してかなわぬ想いに身悶えしている乙女を、役として演じながらうっとりとしている』と思われる聡子の横顔を、呆れて見つめた。


 二人が学校に着くと、今日もまたなんだか落ち着かない空気が流れていた。

 教室のあちこちで、こそこそと話し声がする。ちらちらと送られる視線の先には、先日と同じように鈴木真凛がいた。

 しかし、空気が違う。

「真凛ちゃんのお父さん、嘘ついて警察でかなり怒られたらしいよ」

 そんな話し声がぼそぼそと聞こえてくる。

 真凛はうつむいてきつく目を閉じていた。顔が白い。

 周囲の声をまとめると、どうやら真凛の父親はただの冗談のつもりで、真凛に「自分が児玉水力だ」と言ったらしい。

 それが学校中に広まってしまった。

 さらにその家族を経由して、市民タイムスや大糸タイムス、信濃毎日新聞、長野日報などのマスコミから警察署に、問い合わせや取材申し込みが殺到する事態にまで発展したという。

 堕ちた偶像は、たやすく集中攻撃の的となりうる。

 嫌な空気が教室内に充満して、今にも飽和しそうだった。

 状況を見て取った聡子は、盛大に息を吐き出すと、つかつかと真凛のほうに歩み寄る。

 そして、真凜の前で腰に手を当てて仁王立ちになると、周囲に聞こえるように大きな声で言った。

「うちのお父さんもこの間、自分が児玉水力だって言い出したんだけど――」

 続いて、腕を組んで睨みつけながら言う。

「お父さんが書いたら理屈っぽくてとても読めないと思ったから、全然信じなかった」

 そうして、聡子は瞳子のほうを向いた。

 瞳子には瞳の奥の聡子の意思が見えた。

 瞳子は少しつまりながら、彼女の後に大きな声で続ける。

「あ、その……私もママが、うん、自分が書いたと言い出したんだけど、面倒くさがりで仕事中毒のママには書いている時間なんかあるわけがないので、全然信じなかった」

 真凛の顔があがった。

 涙の滲んだ目が見開かれて、じっと聡子と瞳子の顔を交互に見る。

 そして、何かに気がついたかのようにはっとすると、顔を真っ赤にしてそっぽを向きながら言った。

「な、なによ。うちのパパは文章を書くの慣れてるし、なかなか感受性も豊かだし。自分の時間を大切にしているから、家に早目に帰ってくるし」

 そして、立ち上がって瞳子と聡子を睨みつけながら、いつものように宣言した。

「だからすっかり信じちゃったのよ! あんたたちの中途半端な親と一緒にしないでよね!」

 聡子はにやりと笑うと、背中を向けて自分の席に向って歩き出した。

 瞳子も一緒に歩き出す。

 途中でちらりと後ろを振り向くと、何人かの取り巻きが真凛に近づいていくのが見えた。

 視線を戻し、前をゆく聡子の背中を見つめながら、瞳子は思った。

 ――おとこだね、サトちゃん!


 昼に図書室に行くと、山根は既にその話を知っていた。

 なお今日のアクセサリはカニである。

「瞳子さんには残念な話でしたね。児玉水力がどんな方なのかわからなくて」

「本当にどんな人なんでしょうね」

 こっそり顔を見合わせて笑う、聡子と瞳子。

 瞳子は心の中で声を上げた。


 ――今日も私はとても元気だ!

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パパは覆面作家 第一章 パパは覆面怪盗? 阿井上夫 @Aiueo

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