第七話 捕まる 一

 林の背筋を言いようのない震えが走った。

 圧倒的な格の違い。

 恐怖が止まらない。

「貴殿の『栄光』は極上だ。実に良い。もっとだ。まだ足りぬ」

 どう考えても女子小学生にしか見えないのに、そこから戦士の気配が溢れ出している。

「林さん、ここはひとまず――」

 林の背中に回っていた清水が、怯えた声で言う。

 林はそれで我に返る。

 彼女にも、清水の言いたいことは即座に分かった。

 非常に不味い状況である。

 これでは敵にエネルギーを供給しながら戦うことになる。

 彼女は、優秀なオヴァハンに欠かせない資質のひとつを思い出す。

 ――不利だと思ったら躊躇せず即座に撤退すること。

「分かった。清水、有り難う。引くよ」

 二人は同時に身を翻すと、またたく間に姿を消した。


 周囲の景色が元の野毛公園に戻る。


 麻衣は、みくりの背中を呆然と見つめていた。

 戦いはごく短い時間で行われたはずなのに、何だか三十分ぐらいはその攻守の激しい移り変わりを見守っていたような気がする。途中経過の細かい点はよく分からないものの、最終的にみくりが二人の敵を寄せ付けなかったことだけは分かった。

 いや、正しくはみくりではない。「みくりのように見える何か」だ。

 麻衣は声をかけようと口を開く。しかし舌が硬直してしまい、何も言い出せない。それでも彼女は口を開く。しかし何をどう言ったらよいのか分からない。頭の中は真っ白で、文字が全然現れない。


 みくりのような何かが、少しずつ麻衣のほうに振り返ろうとしているのが見える。

 何だか怖い。彼女が別な何かに変わってしまったような気がして怖い。肩がぶるりと震える。

 みくりかどうか分からない何かが、こちらのほうを向き――麻衣は瞳の色で、それがみくりであることを知る。

「いろいろとごめんなさい、麻衣ちゃん。こういうことだから私に構わないで欲しいの」

 みくりはそう言って悲しそうに目を伏せると、再び麻衣に背中を向けて歩き出した。

 麻衣は足の震えが止まらない。次々に起きる状況変化に全然ついてゆくことができない。瞳からは涙が次から次に溢れ出して止まらなくなっているし、立っているのがやっとだ。

 しかし――今、何かを言わないときっと後悔する。


 麻衣は叫んだ。


「待って、みくりちゃん! 私、さっきの質問のお返事をまだ聞いていないよ! 駄目だよ、ちゃんと答えてくれないと! でないと、私、私――」

 振り向いたみくりの怪訝そうな顔が見える。

 麻衣の拳がきゅっと音をたてた。

「その、何をどう言えばよいのか分かんないんだけど、あの、このままだと嫌なの! このままじゃ悲しいの! 悲しいの!!」

 まるで意味を成さない言葉の羅列。それが口をついて流れ出てゆく。

「――悲しいの!!」

 それ以上、彼女は何も言えなかった。

 地面に足をついて、幼い頃のように泣きじゃくってしまう。ただ悲しかった。「もしかしたらこれでさようならになるかもしれない」と考えると、麻衣はとても悲しかった。


 そして、みくりはその麻衣の姿を見つめて、激しく心を揺すられていた。

 麻衣が見せた純粋な感情が、みくりの身体を掴み、きゅっと締め上げる。しかし、嫌な感じではない。

 こんな風に否定的ではない生の感情を、他の人から直接的に向けられたことは、今まで一度もなかった。

 だから、対処するためのマニュアルが自分の中にはない。参照すべき手順書がない。

 それでも――みくりは思わず麻衣のほうに駆け寄って、彼女を抱きしめる。

 その行動に前提はなかった。

「麻衣ちゃん、ごめん。分かった。ちゃんと質問に答えるから泣かないで、ね?」

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オバケの勇者を捕まえろ! 阿井上夫 @Aiueo

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