第十話 圧倒 一
ケインはクインが飛び去った方角を見つめながら、エリザに言った。
「次は僕たちの番だね」
エリザはケインの首の付け根を揉みながら、訊ねる。
「緊張しているの?」
「いや全然――と言いたいところだけど、多分している。緊張なんか今まで一度もしたことないから、これがそうなのか実のところは分からないんだけど、いつもとは随分と違う気分になってる」
「どんな感じなの?」
「そうだなあ……お腹の中に袋が入っていて、それが水か何かでぱんぱんにふくれあがっていて、重くなっている感じかなあ。それで分かってもらえる?」
「分かるよ。人間ならばそれは確かに緊張だね。飛龍でも同じかどうか分からないけれど」
「そうかあ――」
そう言ってケインは空を見上げると、全身を震わせた。
「――でも、なんか感じは悪くない。飛ぶのに邪魔になるわけじゃなさそうだし。むしろ飛ぶためのエネルギーがお腹の中に溜まっているって感じがする」
「じゃあ、良い方の緊張だね」
「そうなんだ。じゃあ、悪い方の緊張だとどうなるの?」
「足と腰が震えて、しっかりと立っていられなくなるのよ」
「ふうん――」
ケインは鼻から息を吹き出しながら、目を細める。
「――じゃあ、今日はいつもよりも調子が良いってことだよね」
ケインはエリザを見つめながら、眼を細めて口を端まで開いた。それが表情筋のない飛龍の笑い方である。
「きっとそうよ」
エリザはケインを見つめて、にっこりと微笑む。
*
その時、アルボルト配下の飛龍チーム控え室では、ギリがマルドに思考を送っていた。
(マルド、分かっているよな)
(ああ分かっているよ、ギリ)
(本当だな)
(本当だよ)
ギリは、飛行能力は高いものの、思考が常に高圧的である。これまで何人もの操龍士が、彼の思考癖に最終的に嫌気が差して袂を分かっていた。
マルドはその中にあって異色な存在である。ギリの高圧的な言い方の中に含まれている本質的なところをうまく汲み取って対応し、素直で従順な性格で上手く軋轢を回避していた。
ただ、ギリにとってはそれが不満で仕方がない。
自分と同じテンションでアグレッシブに攻めるタイプの操龍士のほうが彼の好みだったが、そういう者に限ってギリの物言いについて来れない。
そうかと思うと、もっと甘ちゃんの駆け出し操龍士ではギリの嫌味に耐えることができず、三日ともたなかった。
そういう意味では、マルドはうってつけの人材であったし、それを不満に思うのはただの我侭だとギリ自身も薄々感じてはいる。
とはいうものの、だからといって彼のマルドに対する不満が解消されるわけではなかった。
(あんな保護施設育ちのお坊ちゃんに負けたら、エグドラシル生まれの俺の名が泣く。だから今日は絶対に負けられない。というより負けるはずがない)
エグドラシルというのは、飛龍の生息地の中でも特に有名な山岳地帯の名称である。かのエルドリエも、その地域の出身だ。
(ああ、そうだね。君が負けるはずがない)
マルドが微笑みながらそう言ったことが、ギリの神経をさわりと逆撫でする。
(おい、マルド。もっと覇気のある言い方はできないのかよ。なんだかテンションが下がって仕方がない)
(……ごめん)
そこは謝るところではないとギリは思う。
(そうだよな。俺達なら絶対にあんなお坊ちゃんに負けるはずがないぜ、相棒)
とか、そんな風に言い直すところだろう。
だから、どうしてもストレスを感じずにはいられない。
(俺のお荷物にだけはなるなよ。お前が邪魔をしなければ負けることなんてないんだからな)
(……分かった)
そう言って俯いたマルドから、ギリは視線を外す。毎度の事ながら、ギリはマルドを苛めている自分が、少しだけ嫌になった。
気分を変えるために今日の相手のことを考える。
自分が戦うのは、保護施設出身のお坊ちゃん飛龍の中でも末弟のケインと、殆どいない女性操龍士のエリザである。
自然の中で育つことの厳しさを知らない甘ちゃんと、専門的な訓練を一度も受けたことのない女では、どう考えてもギリの相手にならない。
(最初から難易度の高い技を繰り出して、奴らを意気消沈させてやろうか)
そう考えると、ギリの気分はいくぶん上向いた。
高圧的なのは思考癖だけで、本来の彼は実に単純明快である。
飛龍戦記(ワイバーン・ストーリーズ) 阿井上夫 @Aiueo
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