第四話 憂鬱な待機

 その夜、ベッドサイドで髪を梳(と)かしながら妻が言った。

「あなたも何か報告があったんでしょう?」

 私は思わず苦笑した。

「ああ、やはりばれていたのか」

「もちろんよ、当たり前でしょう。あなたの表情の変化に私が気がつかないわけがないじゃない」

「そう言う君だって、同じく報告があったんだろう?」

「うん。私も一ヶ月後だって。あなたもでしょう?」

「同じだよ。ということは、家族旅行で乗った飛行機が墜落するパターンかなぁ」

「だとすると結構大規模だね。今回の転生」

 妻は、不満そうにぽつりと言った。

 転生先では、お互いに魔王、魔女として最高ランクまで自分を高めてからでないと、出会いフラグが立たない。

 やっと二人が揃って、組織を育てて、世界征服を企てるまでに必要な時間が、三年ほどかかる。

 魔王軍の侵攻を受けて瓦礫の山と化した世界から、若き勇者が立ち上がるのが、その二年後。

 仲間を集めたり、必殺技を体得したりで、魔王の宮殿に到達するのは、さらに三年後になる。

 長くて十年、短いと五年程度。

 それで魔王と魔女は、勇者に退治されるか、世界を破滅に導くことになるから、我々が異世界で一緒にいられる時間は、そのくらいになる。

 妻はそれが不満なのだ。

 彼女は実は、こちらの生活が気に入っている。私と一緒にいられる時間が長いから、嬉しいと言う。私も実はそうなのだが、恥ずかしくて口に出したことはなかった。

「今回はどんな手で攻略しに来るのかなあ」

 私は妻の気持ちを、それとなく異世界に向けようと試みる。

「今まであえて聞かなかったけど、前の『魔獣の正体は勇者が子供の頃からずっと可愛がっていたペットでした』という鬱展開だけど、あなたがわざと仕組んだのでしょう? 彼女の経験値を上げるために」

「あれ、それもばれていたのか」

「彼女、その時はかなりショックだったけど、今では『鬱展開も修行のうちだよね』と割り切っていたわよ。次は久し振りに大敗を喫するやつじゃないかな」

「そうかなあ」

「そうかなあ、じゃありません。顔が緩んでますよ。全く、あの子には昔から甘いんだから。靴の件だって、口うるさく言っている割に最期には片付けるし。あの子、それが嬉しくて甘えているんですよ」

「そんなことないよ。すぐに口ごたえするじゃないか」

「いえ、私には分かります」

 妻は私のほうを向いて、真面目な顔をしながら言った。

「あの子、異世界であなたに甘えることができない分、こっちの世界で甘えようとしているんです」


 *


 長年、この世界で普通の生活をしていると、自分が転生者であることをすっかり忘れてしまう。何故なら、この世界では魔術や装備が根こそぎ奪われて、一般人へと変換されてしまうからだ。

 元魔王と魔女であり、世界を破滅に導く魔獣を召還した私と妻は、日本に住む一般人である。

 元勇者であり、前回は世界を救済することに失敗した娘も、小学校に通う一般人である。

 元魔獣であり、世界の全てを破壊し、蹂躙しつくした息子も、ここでは一般人である。

 そして、異世界では敵同士でも、この世界に来た時にはこの世界の順列に従うのが基本である。特殊能力や装備は一切存在しないし、存在してはいけない。

 全員が一般人という暗黙の了解があるからこそ、稀に能力を消し切れず成功してしまう者がいても、基本は同じだから恨みっこなしと思えるのだ。

 実際、この世界の成功者の九割は、異世界転生の順番待ちをしている待機者であり、本人もそのことを自覚している。誰もそのことを口にしないだけだ。

 たまに、懐かしさのあまり暗黙の了解を破って、異世界時代の自分を主人公にして、小説を書いてしまう者がいる。そして、それをやはり懐かしさのあまり買って読んでしまう、当時の関係者がいる。

 しかし、これは待機者にとっては極めて迷惑な行為だ。禁忌(タブー)といっても過言ではない。

 それによって「まだお呼びはかからないのかな」と思ってしまうと、しばらくの間は居心地の悪い思いをすることになる。暴露した本人も、次回の転生先が悲惨なことになるのだが、何故か後を絶たない。

 誰もが、自分が一般人であることを了解しており、そう振る舞っていること――それが転生待機者における絶対的な掟である。

 そうでなければ、こんな狭苦しい社会で「次の転生はいつになるのか」という憂鬱を抱えながら、生きていけるはずがないではないか。

 現代日本は、転生待機者が憂鬱を抑え込みながら集団修行している場だ。


( 終り )

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待機者の憂鬱 阿井上夫 @Aiueo

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